おつかいを頼まれて
ミーシャ
前段
いま、自分が立っているのはスーパーの菓子売り場である。子どもの頃ならいざ、喜んで走って来るところだが、30も過ぎた男が悩んでやってくる場所ではない。今日は、妹に頼まれ、4歳になる姪のお菓子を買いに来た。いったい何を買って帰ったものか。
周囲を見れば、平日の昼間であるせいか、飴のコーナーにはお年を召した女性方がちらほらと、自分の年齢の男は店員位なものだ。下手な詮索をされないうちに手早く済ませてしまいたい。ちなみに自分が甘いものを買う時はコンビニに直行する。それをしなかったのは何というか、俺の勝手な「家族」イメージ、すなわちスーパーで買い物をすべし、という安易な発想だ。妹が未婚の兄におつかいを頼むと、こんなことになる。さしずめ、あまり期待をするな、というところだ。
転職を期に与えられた、約10日間の休日。無給の休みに何をしたものかと考えた挙句、久方ぶりの実家へ足を向けた。かといって、歓迎されたのは始めの2日ほどで、「他に行くところはないのか」と、父までが心配する。それなら、実家から一駅のところに住む妹の顔でも見に行くかと、手土産片手に訪れた。
「あれ、少し老けた?」
相変わらず口の悪い妹は、開口一番、俺に向かってそう言った。母に託されたミカンの袋を渡しながら、俺も負けじと言い返す。
「そういうお前は、兄貴とうまくやってんの?」
「言われなくとも。夫婦ですから」
妹が結婚したのは、かれこれ10年前。出張の多い男と結婚して、最初の頃はよく文句を垂れては実家に入りびたっていた。本当にお前は嫁いだのかと、よく冗談を言ったものだ。だが、相手の男は悪い男ではなかったし、5年前に神奈川の本社に戻って来てからは、すっかり夫婦仲も落ち着いたらしい。
俺も、妹の夫ながら自分よりも年上で、サッカーとビールに詳しい男を、今では兄と呼んで慕っている。要するに、妹にはもったいない位の面白い男なのだ。
「それで、お兄ちゃんは結婚とか?」
姪のお絵描きにつきあっていると、皿洗いを終えた妹が嫌な質問をする。俺は、野菜成分で出来ているというクレヨンを転がしつつ、姪の描くお姫様に、”キラキラ”を書き足した。
「俺は、そういう時期を過ぎたな」
正直、これが俺の結論だ。
「何それ」
「いや、そんなもんだって。もう足腰立たなくなるまで、家族奉仕? いいおじさんだよね~なぁ、沙代里?」
俺がそう言って髪を撫でると、姪はひどく鬱陶しそうに、首をふる。
「早くもツンデレだな」
「バカ言ってないでお兄ちゃん、沙代里のお菓子でも、買ってきてよ」
妹の「お菓子」の言葉に、姪は期待の目で俺を見上げる。ここでいいところを見せねば、将来の”良いおじさん”の立場も危うい。
「俺の自腹で?」
「当たり前でしょ。ほら行った行った」
と、体よく追い出された次第。そういうわけで、何を買ったらいいかなんてことを尋ねる暇もなく、そもそも子供向けの食べ物には、いろいろな制限があるはずだ。妹が注意をしてこなかったのだから、目立った食べ物にアレルギー等は無いだろうが、4歳となると何を食べたいのだろうか。
「おかーさん、これ買っていい?」
派手なピンク色のスカートの女の子が、菓子コーナーに走ってきた。姪よりは確実に年齢が上だ。その子が欲しがっているのはどうやら、アニメのキャラクターのおもちゃが入っている、いわゆるおまけ主体の菓子である。
「またー、一個だけね」
カゴを持って現れた母親は、仕方なさそうに購入を許す。寛大な母親だなと思う。自分が小さい頃、そういうものを欲しがろうものなら、絶対に母はいい顔をしなかった。箱の中に入っているのは、飴一個もしくはラムネの小袋一個、といったところだ。子どもの腹は膨れない。
ただ、物の価値と目的との費用対効果なんて、大人にならなきゃ考えない。興味のあるもの、欲しいもの、それが先立つのだ。そんな子どもに、栄養価のあるもの、そして比較的リーズナブルなものを教えるのが、親や周りの大人たちの役割のはずだ。俺は一人で頷き、比較的脂の多い、揚げ物、フライ類の棚から反転、せんべいの棚に目を向けた。
「でかいな…」
当然、どれもファミリーパックというか、個包装の上に大袋単位で売られているせんべい、おかき類は、おとな用でもある。これまで気にしたことがなかったが、姪の口の入ると思うと、やたらとその一枚一枚が、大きく見える。
***
『沙代里、大好きなりんごだよ~』
『うーん』
そう言って、妹が姪に差し出した小皿には、ウサギ型の櫛切りよりもさらに小さな、約3分の一の大きさのリンゴがコロコロ。皮はよく洗って艶やかな赤色をコントラストに、薄黄色の果実が、白いプラスチックの皿に映えた。
姪も、同じような感想を持ったのかは知らないが、しばらく皿を覗き込んだ後、器用に丸い刃先のフォークを立てる。「シャクッ」という小さな音がし、ふわりとやさしく甘い香りが、俺の鼻にも届いた。
普段の人付き合いで、誰かの食べている口元を細かに観察する機会は無い。むしろ、失礼に当たるから出来ない。だが、相手が子どもとなると構わないもので、その透き通るような純白の白い歯がきれいに並んでいる様も、噛んだ後に出来る、更に小さく細かな溝も、みな愛らしく見える。
酸化しないように通されるであろう塩水は、姪の食べるリンゴにはまだ、沁みてはいないらしい。端々から色が変わっていくのが面白かった。
***
そう、思い出したのは姪の口の小ささと、食べていたリンゴの歯ざわり、硬さだ。それとせんべいを比べると、硬すぎやしないか、味が濃くないかとか、そんなことが気になる。自分が買ったもので、姪が口の中を怪我したりしようものなら、とんでもないことだ。
不安にかられてつい目が行くのは、隣に広がる、バラエティ豊富な離乳食の缶詰やレトルトの棚。ここまで幼くはない。いや、せっかく生えた歯は、鍛えなくてはいけないだろう。幼い頃、よくするめを噛まされたが、あれは妹が嫌いだった。
そうだ、好き嫌いだ。俺は大事なことを思い出した。幼くても人間だ。そろそろ好き嫌いが激しくなってきているのではないか。げんに我が妹も偏食で、よく両親を困らせていた。
姪は、その妹の娘なのだ。困ったことになった。
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