切腹
江戸城内にとどめ置かれた長矩を尋問したのは多門伝八郎等目付である。
内匠頭は「吉良との遺恨を果たすため」とあくまで「喧嘩」であると主張し続けた。
一方吉良は不幸中の幸いにも軽傷であった。「みどもは内匠頭殿に対して遺恨はござらん」と主張した。
平行線である。
この時代「喧嘩」とそれ以外の暴力とは雲泥の差があった。
いわゆる「喧嘩両成敗」つまり喧嘩だとしたら吉良家も処分を受ける。
それが当時のルールである。
浅野家が処分を受けないためには「乱心」つまり精神疾患として免罪を受けることができたが内匠頭は「乱心ではござらん」を主張し続けた。
将軍綱吉は母の祝いの日を台無しにされたと怒り心頭した。
「播州浅野家は即日断絶、内匠頭には切腹を命ずる」
「ははっ」と老中たちは頭を下げた。
鶴の一声で内匠頭は田村右京太夫亭にて切腹を命じられた。
「それにしても」
ここはまた老中の控室である。
「まさか即日断絶、切腹を申し立てるとは」
「上様のご母堂思いにも困ったものだ」
「しかし困ったものだの。これで柳沢に一太刀あびせたものを」
そのころ江戸の町では「松の廊下事件」が町人の話題になっていた。
「それにして吉良ってやろうはひでえなぁ。お武家は喧嘩両成敗なのに吉良は加増したってじゃねぇか」
などという不満が市井では広まっていた。
俗に吉良が増上寺の畳を内匠頭に一晩でかえさせたというが増上寺にその記録はない。
内匠頭の奥さんに横恋慕したとかいうのも俗説である。
そういう話は赤穂事件後に語られたものであろう。
しかし内蔵助が討ち入りするのはまだ少し先になる。
米沢藩主上杉綱憲は吉良の子である。生母が吉良の妻に当たり実家が上杉家である。綱憲はイライラしていた。
「色部、色部はおるか?」
「ハハッ」家老の色部又四郎は綱憲の前に参上した。
「父上のご様子はいかがか?」
「幸い深手ではないとのことでございます」
「内匠頭め、父上に切りかかるとは。許せん」
「内匠頭はすでに腹を召しました」
「かといって家臣はまだ生きておろう。そやつらがいつ父上に仕返しするとも限らん」
「殿、殿中ではこのたびの仕儀老中たちが吉良家と当家を潰すために企てたとのうわさがございます。」
「老中が?」
「当家は謙信公以来家臣の数は減らしておりません。それが気に喰わぬかと。この策に当家が乗れば当家も浅野家同様となりましょう。すべてはこの色部におまかせくだされ」
色部の目は鋭かった。
「わかった。しかし父上のお命は守るぞ」
色部は屋敷に戻った。「それにしても吉良は運のいいやつだ。これで吉良がなくなれば当家も無駄な出費が減ったであろう」
上杉家は吉良のために多額の金を出している。しかも先代つまり吉良の義理の兄が毒殺されたという噂がいまだにくすぶっていた。
「さて浅野の家臣どもはどうでるか?」
といって盃を開けた。
春とはいえ未だ風は冷たかった。
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