第16話 勇者、慟哭する



 ソフィアと交替するようにシトリーがバエルの寝室に入ると、頭を擦るバエルの姿が目に入った



「どうしました? 頭痛がしますか?」

「いや、ソフィアに殴られた」

「えぇ!?」






 ソフィアは一人、四階にある城壁から外の様子を眺めていた。風がソフィアの熱くなった頬を撫で、落ち着きを取り戻させてくれる。脳裏には、先ほどのバエルとのやり取りが過ぎっていく

 二人きりになった後、寝室で、バエルが言い放った一言はソフィアを激昂させるには十分すぎた



「私の首を獲れ。勇者ソフィア=イオシテシス」

「・・・・・・ッ! ふざけるな!」

「ふざけてなどいない。奴らは七日の内に私を殺せなければ、魔界を焼き払うと言っていた。ならば、私の取るべき道は一つだろう」

「お前が死ねば、皆が喜ぶとでも思っているのか!?」

「ならば、どうする。他に打開策があるというのか?」

「それは・・・・・・」

「だから私を殺せ。私の首を手土産に神どもに献上すれば魔界の存在ぐらいは認めてもらえるだろう」

「馬鹿者!」



思わずソフィアは、バエルの頭を上から殴りつけた。突然のことにバエルは目を丸くし、ソフィアを見る。手を出したソフィアも無意識にしてしまったのか、ハッと我に返り、バエルに謝罪する



「す、すまない。怪我人に暴力など。だが、お前が言っていることを私がするとでも思っているのか!」

「ソフィア・・・・・・」

「もう知らん! 寝ていろ!」



そう言い、ソフィアは寝室を後にしたのだ

 ソフィアは深く溜め息を吐き、城壁から上半身を投げ出す



「七日の内に何とかしなければ、だが、どうやって打開する。本当にこのままでは・・・・・・」

「あ、ソフィアさーん!」



耽っているソフィアを呼ぶ声が下から大きく響いてきた。視界を下にやると、そこにはモラクスの巨体が大きく手を振っていた。モラクスの身体はシャイターン城の一階層ほどの高さもあるので目に入りやすい

モラクスは再度、大きな声で彼女を呼ぶ



「お客さんですよお!」

「客人?」



不思議に思ったソフィアだったが、名指しで呼ばれるのならば何か急用かもしれない

ソフィアは急いで一階まで階段を駆け下りる。そして、一階の大広間まで行くと、入り口の大きな門の前にいたのは、レラだった

レラはソフィアの姿を見ると、目を輝かせて彼女に駆け寄ってきた



「ゆうしゃ!」

「どうした、レラ。今日はもうお手伝いは終わりか?」

「えとね、ゆうしゃがとちゅうでどっかいっちゃったから、よびにきたの」



レラの言葉にソフィアは今日のことを振り返る

農作業中にリーコたちがエレメンタリアから来たので、途中から作業を放ってきてしまったのだ

レラの少しばかり怒った表情にソフィアは苦笑しながら、彼女の頭を撫でる



「ごめんな。急な用事が出来ちゃったから、明日また手伝いに行くよ」

「ほんと?」

「ああ」

「うん! じゃあ、こんどはまおうさまといっしょにきてね!」



レラの言葉にソフィアは思わず撫でる手を止めてしまった

今日の出来事を知っているのは、城内で働く者たちのみ。魔族でも知りえているのはアスタロト、シトリー、モラクスだけだ

恐らく、魔族には今日中にでも連絡は回るだろうが、民たちには知らされないだろう。余計な不安を掛けたくないとバエルは思っている

そうソフィアは彼のことを考えていた

だから、魔界の民たちは明日も普通の日常を送るのだろう。七日後に、神の裁きが迫っているとも知らずに



「ゆうしゃ? どうしたの?」



レラは心配そうにソフィアを見つめる。ソフィアは身を屈め、レラを抱きしめた



「ゆうしゃ?」

「魔王はちょっと疲れていてな。今度、会いに来るよ。明日は私も手伝いに行く」

「うん!」

「だから、お前たちは何も心配することはないさ。明日も、明後日も、これからも、お前たちの未来は私が守ってやる」



レラを抱きしめながら、ソフィアは自分自身を鼓舞していた

レラの表情を見て、思い出されたのは、イニティ村だった。農業が盛んな小さな暖かい村。ソフィアの愛する皆がいる故郷

だが、イニティ村は神の意図によって焼き払われた。ソフィアが魔界から出てくるように神が仕向けた。炎の渦が全てを焼き払った、あの光景をソフィアは忘れはしない

そして、あの惨状を二度と繰り返させてはならないと固く決意している



 この世界では、同じ過ちは繰り返させない

 私の手で、裁きを止めるのだ

 二度と、私のせいで無関係の者が悲しむ姿を見たくない。見させはしない

 残り七日。短い時間だが、見つけ出すしかない

 神を止める手段を






 エレメンタリアへ帰還したリーコたちは各国へ報告をするために一旦、離れ離れになることとなった



「では私はツェセに、アレクスさんはソールン、ビッツさんはアステ、リーコさんがスートということでよろしいですね」

「おう」

「行って帰ってくるだけでも、早くても四日は掛かりますね」

「私が魔法で飛んだとしても往復で三日かかるね。魔界の結末を神様が決めるのって、どうかと思うよ」

「おうよ。例え神様が仕向けた試練だとしてもだ。人間と魔物の問題に神様がちょっかい出すもんじゃねえ。これは、俺たちで解決すべき問題なんだ」

「ええ」

「ビッツにしてはまともな答えじゃん」

「うるせえ」



リーコたちは談笑し終えると、再び互いの顔を見合わせる



「俺たち人間には出来ることなんざ限られてる。でも、何もしないでいるより何が出来るかを必死に探し出すべきだ」

「そうだね」

「これ以上の混乱を防ぐためにも、ソフィアさんが帰ってこないことだけを話しておいた方がいいですね」

「『クラック』にも不必要に近づかないことを進言しておきます」

「それでは」



リーコたちはそれぞれの国へ戻っていく。それは、アステで修業のために別れた時に似ていた

だが、以前と違う部分は、彼女らの心の中に不安と戸惑いが消え去っていることだ

神の手による誘導だとしても、ソフィアと直接会い、話をすることが出来たのはリーコたちにとって重要なことであった

揺るぎない決意を胸に、リーコたちは人間としてエレメンタリアの、ソフィアの未来を守るために奔放する




                    §




 魔界では全ての魔族に実情が話され、どうすべきかと皆が必死に模索したが、何も打開策を掴めぬまま、三日が経過していた

ソフィアも建前上、レラの農作業を手伝ってはいるが、心の奥では何か手立てはないかと苦悩しているのであった

シャイターンに戻ってきたソフィアは、失くした右腕をマントで覆い隠しているバエルがいる執務室に入る。魔界の行く末を担っている当人であるバエルは、何やら書いていた書記を止め、あっけらかんとした態度で迎える



「今日もご苦労なことだな」

「お前は・・・・・・! もういい」



文句を言いかけたソフィアであったが、溜め息を吐いて諦める。このやり取りはすでに二日前から何度もやっているがバエルの態度は改められないのだ

バエルは何を言われても朗らかな態度を取るだけで、とても自分の命が天秤にかけられているとは思えない

背を向けるソフィアにバエルは声を掛ける



「もういいのか?」

「お前と話しているより、一人で考えた方がまだマシだ」

「冷たいな」

「ッ!」



誰のせいだと、と言いかけた言葉を飲み込み、ソフィアはバエルを睨みつけると勢いよくドアを閉めて、執務室を後にした

その姿を見て、バエルは呆れたように息を吐き、執務室の隅に置いてある物を目にする

そこには、ソフィアが黒い剣士として装備していた呪いの武具。そして、その隣には勇者として装備していたアウリクルカムの鎧と聖剣エクスカリバーがある

バエルはそれを眺めると、重い腰を上げ、執務室を後にした






 バエルが会議室の扉を開くと、中にはアスタロトを始めとしてシトリー、モラクス、アモン、ハーゲンティなど十数体の様々な魔族が揃っていた

バエルが入ってきた瞬間、皆、椅子から立ち上がり、バエルへと頭を垂れた。バエルはその中を堂々と歩き、一番奥にある空席へと座る



「顔を上げよ」



バエルの一言に全員が顔を上げる



「我が呼び掛けに応じ、忙しい職務の中、よく来てくれた。我が直属の配下、十九の魔族たちよ」

「魔界の緊急事態に馳せ参ぜず、何が魔族でしょうか」


バエルから見て、一番手前の席に座っているアスタロトの言葉に皆は黙って頷いた

その言葉にバエルは深く息を吐く



「そう言って、私はいくつの命を散らさせただろうな」

「魔王様?」

「始めは七十二もいた魔族が、魔界での統治や反乱、人間界への派遣で命を落し続けて今や十九だ。お前たちの忠誠に私は少々甘えていたのかもしれないな」

「我らは魔王様より生まれし命。如何なる時でも、如何なる理由でも魔王様のためにこの命、差し出す覚悟でおります」

「そうか・・・・・・。ならば、今から私はお前たちに残酷なことを言うのかもしれぬな」



バエルの言葉にアスタロトたちは顔を見合わせ、困惑する



「私は四日後を以て、魔王を辞める」




                   §




 ソフィアは、焦燥していた。とうとう運命の七日目が訪れたというのに、何一つ現状を打開できる策が思いつかなかった

スートの攻撃を防いでいた時のように、目の下に隈が出来ているソフィアは一人、バエルの寝室で頭を乱雑に掻いていた



「どうする・・・・・・! どうすれば・・・・・・!」



と、寝室の扉をノックする音が聞こえ、ソフィアが小さい声で返事をすると入ってきたのはバエルであった。兜をつけたままの彼の表情は窺いしれない

ソフィアは彼を目の前にし、何を言えばよいのか考えていると、先にバエルの方が口を開いた



「来い。ソフィア」



その言葉にソフィアは身体を震わせ、立ち上がる。そのままバエルの居室にやってきたソフィアは赤いカーペットの上に何かが置いてあるのが目に入った

見れば、そこにあったのは、聖剣エクスカリバーであった。神の加護を得、魔王を殺す力を携えた至高にして最強の剣

それを見たソフィアは思わず目を背けてしまう

だが、バエルが彼女の腕を掴んで、引き寄せる



「逃げるな」

「でも!」

「もう、選択の余地はないのだ。ソフィア」



バエルは、ソフィアの震える手にエクスカリバーの柄まで誘導する

未だに現実を受け入れられないソフィアに対し、バエルはゆっくりと自身の玉座に向かい、どっかりと腰を据えた



「人間界の平和を守る勇者、ソフィア=イオシテシス。その刃で我が首を獲れ」



ソフィアはエクスカリバーを握るも、未だに手は震えていた



初めてだ。この剣を手にして、身が震えるなど

この剣で、誰かを殺すことを怖がるなど

自らの手で、切り開くべき未来に、後悔はないと信じた筈なのに

何故―――――

何故、私はこの男を殺さなければならないのだろう―――――



俯くソフィアに頭上から声が掛かる



「どうした、勇者よ。お前の覚悟はそんなものか。神に命じられたと言えど、貴様の築き上げた信念はそんな容易く崩れるものか」



ソフィアは思わず顔を上げる

その言葉はソフィアを、歴代の勇者を、あまりにも侮辱していた

聖剣を握っていた手は、すでに震えが止まっていた。深く息を吸い、吐いてソフィアは改めて、聖剣を構え、ゆっくりと玉座に座るバエルを見据える



「・・・・・・魔王、バエル=ゼブブ。人間界と魔界の平和のために、お前の首を獲る」

「来い」



聖剣の刃が光り、ソフィアは徐々に勢いをつけて、愛する者へと間合いを詰める



「はあああああああっっ!」

「・・・・・・・案ずるな。いずれ会える。魔王バエル=ゼブブは、死なないさ」



その言葉を最期に、魔界を統べる王の首は、宙を舞った―――――






 人間と同じ赤黒い血が流れ、真紅のカーペットを染めていく

魔王の身体は、未だ玉座に鎮座している。兜を被ったまま、彼の首は床に鮮血を撒き散らしながら転がっていた

ソフィアは、力尽きたように聖剣を手放す。床に金属音が鳴り響く中、転がり落ちているバエルの首へと近づき、自身に血がつくのも厭わず、抱きしめた



「あ、あ・・・・・・あああ。う、あぐぅ、あああああああああああっっっ!」



平和か愛か。どちらも選択できなかった自分の想いが揺れ動いたまま、突き付けられた現実にソフィアは一人、言葉にならない叫びを上げた





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