第14話 勇者、謳歌する
スートでの国王並びに幹部連の殺害の後、数日間、ソフィアはバエルの部屋に籠りきりであった。食事等の世話は全てバエルに任せきりになっていたため、シトリーを始めとした魔族の皆が心配していたが、ある日から外へ出るようになった
そして、驚いたことに、ソフィアの雰囲気が以前より柔らかくなったのだ
今までは城内でも鎧とエクスカリバーを装備した物々しい雰囲気であったが、シトリーが用意した衣服を着るようになり、年相応の少女の可憐さを醸し出していた
また、レラたち農民と共に農業に励むこともあり、子供の頃に行っていた農業に懐かしさを感じていた
特筆すべきが、バエルの首を狙わなくなったことだ。バエルが油断しているとは思わないが、隙を狙えそうな場面でもソフィアはバエルを殺そうとする素振りを見せなくなったのだ
この変化にシトリーは喜びつつも戸惑っていた
「ソフィアちゃんが女の子らしくなったのは嬉しいんだけど。なんだか、無理しちゃってるように見えるのよねぇ」
営業時間外の食堂内でハーゲンティと会話をしながら、シトリーは果実を一口齧った。この果実も農業の一環で作られたものだ
ハーゲンティは腕を組み、三面の顔を全て唸らせる
「そうかい? 私にはあれが本当の彼女の姿なんじゃないかと思ってるんだがね」
「そお? 勇者としての使命が不明確になっちゃって、自暴自棄になっちゃったかと思ったわぁ」
「まぁ、勇者としての使命以外、何も教わらなかったみたいだからね」
「だからこそ、今を謳歌しているんじゃないのか?」
二人の会話の間に割って入ってきたのは、アスタロトであった
「アスタロト様」
「幼い頃から勇者として育てられ、同年代の友もいなかったようだからな。今まで出来なかった分を、堪能しているんだろう」
「そういうこと、なんですかねぇ」
「それよりも、アスタロト! 貴様、アモンのところへ今月の報告をしに行ったのか!」
「あ、忘れてましたぁ」
「早く行け、馬鹿者!」
「はぁい!」
アスタロトに叱責され、シトリーは文字通り飛んで逃げて行った
溜め息を吐くアストロトの横で、ハーゲンティは笑みを浮かべる
「なんだい。ちょっと前まで勇者殺すべしって言ってたのに、急に態度変えちまって」
「最近、魔王様は楽しんでいらっしゃる。勇者を慈しんでおられるのだ。その勇者を私が邪魔してしまえば、魔王様のご機嫌を損ねかねないからな」
「最初の頃は一番お傍に居られる自分の立場が危うくなるって言ってたくせにね」
「お、おい。それ誰にも言うなよ!」
青い肌の顔を紅潮させるアスタロトにハーゲンティは笑い声で返すのであった
§
話題の張本人であるソフィアは、今日もレラと共に農業に取り組んでいた
魔王が作り上げた魔界だが、季節の概念はある。今は魔力の満ち足りている空気が熱を持ち、人間界で言えば夏にあたる時期だ
ソフィアが提案したバッタ対策も順調に行われ、パプバリなどの作物が襲われる機会も格段に減った
畑に生える雑草を引き抜いていると、ソフィアの名を呼ぶ声が聞こえ、顔を上げる。見れば、ユニコーンに乗ったバエルの姿が見えた
「ソフィア、今日はもう帰ろう」
「もう、そんな時間か?」
農作業に適した上下が一体化した服を着たソフィアは汗を拭いながら、バエルの方へ駆け寄る
「お前は農作業をしていると我を忘れる節があるな」
「こっちの方が性に合っているだけさ」
「かつて剣を振るっていた勇者とは思えん発言だ」
「言ってろ」
軽口を言い合う二人の姿を見て、レラは口を開いた
「ふたりはなかよしさんだね!」
「そう見えるか?」
「うん!」
微笑むレラを見て、ソフィアとバエルは歯痒い感じになり、何とも言えない表情を交わすだけであった
バエルが連れてきたユニコーンに跨り、ソフィアはバエルと共にシャイターン城へと帰路に経つ
畑で母親と共に手を振って彼女たちを見送っているレラに手を振り返しているソフィアにバエルが声を掛ける
「魔界での暮らしは楽しいか」
「・・・・・・ああ。この世界では、私は勇者として生きていく理由もない。誰も私に魔王を討てとは言わない。誰も私に世界を救えと言わない。いや、私が逃げているだけなのかもしれないな」
「いいのではないか。逃げても」
「え?」
バエルはソフィアの横にユニコーンを寄せ、彼女の方を見る
「お前はまだ人生の半ばも辿り着いていない。神に決めつけられた使命など、気にする必要はないのだ。お前がしたいことをやり通せばいい。それを善や悪と評する者は、誰もいない」
「バエル・・・・・・」
「そう言えば、ナベリウスから報告があってな。スートの情勢が落ち着きを取り戻し始めたようだ」
バエルの言葉にソフィアは落ち込むような、微笑むような分からない表情を浮かべる
強硬手段とはいえ、多くの人を犠牲にしたのだ。手放しで喜べる話ではない
ソフィアの心情を察しているバエルは右手でソフィアの頭を撫でるのであった
「国王の後継としては、サイの息子であるシーが継いだようだが、後見人はお前が推していた甥が推薦されたそうだ。これで、スートも侵攻を取り止めるだろう」
「ああ」
ソフィアは脳裏で、今際の際に告げられたサイの言葉を思い出していた
ソフィアがサイの首を他の幹部同様に刎ねるのではなく、心臓を貫いたのは、彼に対しての温情でもあった。根幹として、彼は他者に情けを掛けない非情な男であったが神に弄ばれた犠牲者には違いなかった
だから、ソフィアはサイから最期の言葉を聞こうとしたのだ。そして、サイはその時にこう言い放ったのだ
「・・・・・・息子は、シーだけは、許してやってくれ。あの子は何も分かっていない。親の所業を、この国の行く末も、世界の広さも。だから、シーだけは、見逃してくれ」
元より、シーを殺そうとは思っていなかったソフィアだが、彼の言葉に揺れ動かされたことは事実であった
彼もまた、人の親であると実感したのだ
若干七歳のシーは、王としても人としても未成熟だ。これから先、彼が立派な国王になるかは彼の周りにいる者たちに影響されていくだろう
この話は、決して美談で語ってはならない。ソフィアは自分自身が背負うべき業だと思っている。殺した全ての人の人生を、関わりのある全ての人の人生を破壊したも同然だ
ソフィアが、自分の罪深さに悔やみ、苦悩していた時、側に居てくれたのがバエルであった
彼は何時いかなる時も彼女の側にいて、慰めてくれた。そんな折に、彼はこう言ってくれたのだ
「悩むのならば、大いに悩め。楽しむならば、大いに楽しめ。お前が感じる感情を、私も共に分かち合おう。ソフィア、お前の思いを私も感じたいのだ」
その言葉を聞いた時、ソフィアは心の底から救われた
勇者としての宿命を、辛さを、痛みを誰にも吐露したことは無かった。共に旅を続けてきた仲間たちもそれを察してはいたが、ソフィアの奥底に溜まり続けた苦悩は取り除くことは出来なかった
だが、バエルは違った。彼は同じ神に造られた存在として、ソフィアが吐き出した全ての感情を受け止めた上で、彼女と共に生きていくと話した
人類を救ってきた勇者の思いを救ったのは、人間でも神でもなく、魔王だったのだ
皮肉めいた話だが、事実なのだ。バエルが隣に居るだけで、ソフィアの気持ちはとても安らかなものになった
頭を撫でられているソフィアの表情が柔らかなものになっていくのを見て、バエルは自身の気持ちも和らいでいくのを感じ取っていた
§
エレメンタリアでは、スートでの出来事は瞬く間に全土へと知れ渡った
暴君といえど、一国の王と連なる者たちを一夜にして惨殺した凄惨な事件に民たちは怯えた。こと、主犯格であった黒い剣士に関しては今まで、皆正義の使者、救世主と呼んでいたのに対し、殺人鬼や国家転覆を狙った暗殺者、黒い悪魔などと呼ばれている始末である。中には弱き者を助けるために行った正義の凶行という意見も上がったがごく少数であった
黒い剣士の正体がソフィアであることを知っている者は直接ソフィアと対峙したリーコと彼女から話を聞いたビッツ、サーリャ、アレクスしかいない。彼女たちは今、情勢の落ち着かないスートから離れ、ツェセの教会へと集まっていた
主であるサルバもサーリャの神妙な面持ちから察し、あえて何も聞かずにリーコたちを他の者たちから匿ってくれた
あの事件から数日経った朝、リーコはショックを隠せずにベッドの上で一人、横になって蹲っていた
「リーコの奴、あれから全く飯を食べてねえし眠ってもいねえ」
「仕方ないこととは言え、あれほどやつれてしまうと心配です」
ビッツとアレクスが寝室の外にある廊下から彼女の様子を探り、小声で話し合う
「しかし、最悪の予想が的中してしまうとは・・・・・・」
「サイが悪い奴だってのは分かっちゃいたが、あそこまで勢いよくやられちまうと、何とも言えねえよ。本当に黒い剣士は勇者だったのか?」
「リーコ殿が言うには、魔王が彼女の名で呼んだと。この事件のお陰で彼女が生きていることが証明できたのは皮肉なものです」
「それでも、あの人は生きていてくれました」
二人の会話にサーリャが入ってきた。手には木で出来たお盆の上にはスープやパンが入っている料理が盛られた皿が乗せられている
「だからこそ、私たちが希望を失ってはならないのです。ソフィアさんを取り戻すためにも」
「・・・・・・そうですね」
「だな」
二人の言葉にサーリャは笑顔で頷き、寝室へと入っていく。アレクスとビッツは邪魔をしては悪いと、その場を去っていった
サーリャの持ってきた料理にもリーコは手を付けず、蹲り続けている。サーリャはリーコのベッドに座り、彼女の頭を撫でる
「・・・・・・私はさ。ソフィが生きている限り、諦めないって思ってた」
リーコが弱弱しい声で呟き始めたのをサーリャは静かに聞く
「ソフィが諦める訳ないから、頑張ってるの知ってたから。だから、私もソフィに付いていったし、魔王を倒してやるって思ったんだ」
リーコは両膝を抱えていた手に力を込める
「でも、あの姿のソフィを見て、分からなくなった。あんな真っ黒な鎧を着て、人を、殺すなんて。ソフィなんて考えられないよ」
「・・・・・・私も、信じたくはありません。ですが、何か理由があるのかもしれません。魔王に操られているとか。彼女の行動は決して認められるものではありませんでした。けれども、その行為全てを否定するにはまだ早いと思います」
サーリャはリーコの身体を抱きかかえ、優しく諭す。その姿は宗教画の聖母にも見えてしまう程、奇麗であった
「・・・・・・怖かったんだ。ソフィが別人になってしまったんじゃないかって」
「ええ」
「サーリャの言う通りだ。ソフィがどんなになったとしても、私はソフィを助け出すよ。ソフィが勝手なことするんだったら、私だって勝手にソフィを救い出すんだ」
「まあ」
「ソフィは怒るかな」
「あの方はそんな人ではありませんよ」
「・・・・・・そうだね」
リーコは自分の思いを吐露し、安心したのかサーリャの腕の中で眠りについてしまった
サーリャは静かにリーコの身体をベッドに戻し、シーツを掛けてあげ、料理を再び盆に戻して寝室を後にする
ひとまず、リーコの調子が元に戻りそうなところにサーリャは安堵する。今後、ソフィアがどうなるかも分からないことは確かに不安だが、それ以前に自分たちの体調が万全でなければ魔王に挑むこともままならないだろう
サーリャが自身の朝食を摂ろうとキッチンへ戻ろうとしたとき、ビッツが血相を変えて此方へ駆け寄ってきた
「どうしたんですか?」
「朗報だ。魔界に行けるようになるかもしれねえぞ!」
「え?」
事の発端はスートの一件が片付いてから数日経ったある日のことであった。ツェセの兵士がいつも通り、『クラック』周辺の巡回を行っていたところ、あることに気がついたそうだ
『クラック』の裂け目が広がってきているというのだ。最初の頃は裂け目を強引に引き合わせて縫ったような形で歪な隙間が僅かに開いている程度であったが、今では腕一本くらいは平気で通れそうな程に広がっているという
危険を伴うため、実際に腕を通した訳ではないが、確実に以前よりも『クラック』が裂け始めている
一体何が原因なのかは全くの不明だが、ビッツたちにとっては運が回ってきたと言える
「この調子で『クラック』が開いてくれれば、俺たちが魔界に行くことだって可能だぜ」
「ですが、此方から行けるということは向こうからも来れるということ。また世界が魔物に襲われるのではないのでしょうか」
「それでしたら、『クラック』が人間一人分くらいの広さまで広がったら突入すれば良いのではないでしょうか。そうすれば、魔界の軍勢も一度に大量はやってこれませんし」
寝室で眠りについているリーコを除いた三人はキッチン近くのテーブルに集まって、会話を交わす
「ですが、何処まで『クラック』の裂け目が広がるかの保証はありませんよ」
「問題はそこなんだよなぁ。一気にバリバリって広がるかもしれねえし、もしかしたら後一年以上待たねえといけないかもしれねえし」
「明日、また報告を聞くしかありませんね。今は来る時に備えて、英気を養いましょう」
「そうだな。・・・・・・そういや、アレクス。お前の剣、どんだけ上達したんだ?」
「自慢ではありませんが、ソーレンの闘技場で三十人抜きはしましたよ。ビッツこそ、商人と旅をしてるだけで、腕は鈍っているのではないですか」
「舐めるなよ。俺がただ馬車に揺られて寝転がってるだけだと思ってたのか?」
「では、是非ともお手合わせを」
「いいねえ。やってやるよ」
アレクスとビッツは椅子から立ち上がり、肩を並べて外へ中庭へと向かっていく
その姿を見て、サーリャは溜め息を吐きながらも、苦笑する
「お二人とも、変わりませんね・・・・・・」
アレクスとビッツは旅の道中でも度々衝突することがあった。心底嫌い合っている訳ではないが、ひねくれ者のアレクスと正直者のビッツではぶつかり合うのが必然だった
二人の喧嘩をサーリャが諫め、リーコが呆れ顔で観覧し、ソフィアが笑っている。旅の中のいつもの光景だ
ほんの少しまで当たり前にあったような光景が、今では遠い昔のようにも思える。それほどまでに、激動の日々が続いた
サーリャは朝食を食べ終えた皿をアレクスとビッツの分も纏めて片付け、水洗い場である井戸へと持っていく。教会内で働いていた修道士に皿を渡し、礼拝堂へと向かう
煌びやかなステンドグラスが印象的な礼拝堂。すでに朝の礼拝を終えたため、今は誰も居らず、サーリャは一人両膝をつき、両手を組んで目を瞑ると神へと祈りを捧げる
「神よ・・・・・・。どうか我らに祝福を・・・・・・」
サーリャが心の底から思いを念じていると、頭の奥から微かに何かが響いてきた
思わずサーリャは目を開き、辺りを見回す。だが、周りには誰も居らず、風も吹いていない。気のせいか。そう思った矢先、今度ははっきりとサーリャの脳内に声が響いた
「サーリャよ。聞こえるか・・・・・・この天の声が」
§
日も落ち、すでに夜を迎えていた魔界。ソフィアを先にベッドに寝かせたバエルは一人、ランタンを机に置き、本棚から自身の手記を一冊手に取り、新たに書き加え始める
ランタンに灯る火がチリチリと燃える音と羽ペンを書く音が静かに寝室に響き渡る
と、自身の体内に流れる魔力に乱れが生じるのを感じ取った
バエルはペンを置き、ソフィアを起こさぬように静かに窓のある方へ外の様子を窺う。視線の先には漆黒の闇が広がるだけだ
だが、バエルは魔界の世界の端から違和感を感じ取っていた
「とうとう業を煮やして、直接介入をし始めたか・・・・・・」
「バエル・・・・・・?」
バエルが振り向くと、ソフィアが目を覚まして、見つめていた
「起こしてしまったか」
「何かあったのか?」
「いや、何でもない。私も寝るとしよう。明日も農作業に勤しむんだろう」
「ああ・・・・・・」
バエルはソフィアと同じベッドの中に入り、彼女の頭を優しく撫でる
ソフィアは大きな手に撫でられることが心地よいのか、すぐ再び眠りについた
眠りに入ったのを確認したバエルはソフィアの頭から頬へと手を移動させ、人差し指で優しく頬をなぞった
「お前は守ってやるさ。私がな」
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