第13話 勇者、罪を背負う




「スートに到着だぜ」

「関所も簡単に通してくれたな」

「以前から懇意にしている奴がいてな。多少羽振りをよくすれば見逃してもらえる」

「そんな違法行為を」

「だが、この状況下では助かりました」



 ツェセから数日かけ、ビッツたちはスートに到着していた

ビッツが共にしていた行商人の連れたキャラバンの荷台にサーリャとアレクスを隠し、スートへと向かったのだ

サーリャからの手紙を受け取っていたビッツは、行商の予定でスートへ向かう行程でツェセに立ち寄った際に次いでとして、サーリャのいる教会に着いたという訳だ

ビッツたちは荷台から降り、スートの城下町に降り立つ。すでに時間は夜を回っており、人通りも少ない。戦続きで町を歩く人たちの表情も何処か浮かないように見える

そして、ビッツたちの目線の先には高く聳えるスートの王宮があった



「俺たちだけで通してくれるかね」

「他国と緊迫状況にある今、そう簡単にいくとは思えませんが」

「でも、やるしかありませんよ」



ビッツたちが話し合っていると、その傍で行商人が不敵に笑った



「なんだよ」

「いや、伝説となりつつある勇者一行がこうして目の当たりにして、俺と何も変わりはしない、ただの人間なのだと思ってな」

「はあ? そりゃそうだろ」

「だが勇者は違ったのだろう。神の御子として選ばれた勇者は俺たちと線引きがされている。風の噂で聞いただけだが、体感的に俺には魔物と彼女は大差ない化け物にしか感じられなかったよ」

「んだと!」



激昂したビッツは行商人に詰め寄る。行商人は相変わらず冷静な口調で語り続ける



「だからこそ、エレメンタリアは一定の平和が保てていたのかもしれないな。魔王という明確な敵の前に人間は勇者という英雄を掲げて一致団結する。結局、エレメンタリアは人間同士が争い合う時代に逆行した訳だが。こうしてお前たちは再び平和に向けて、動き始めた。お前らがスートに来た理由もなんとなく察せちまった訳だが、深くは聞かないことにするよ」

「お前・・・・・・」

「世界にとっての英雄はソフィア=イオシテシスなのかもしれないが、俺にとっての英雄は、純粋な人間であるお前たちなんだよ」



行商人はビッツとアレクス、そしてサーリャに視線を向けていき、投げかけた



「この面倒ごとをさっさと終わらせてくれよ、英雄さん」

「・・・・・・あったりまえじゃねえか!」

「そのために、ここまで来たのです」

「何があろうとも、私たちは諦めません」

「そうか」



そう言うと、行商人は笑みを浮かべ、夜空を見上げる

ふと、行商人は月明りに何かが映るのが目に入った



「なんだあれは」

「え?」

「あれは、リーコ!?」



空を見上げたビッツたちの視界にも、その姿が映っていた

小さな身体に尖がりの三角帽子を被った少女が、空に浮く箒に跨って飛んでいたのだ

恐らくは、浮遊魔法である『浮如羽』(ライド)で箒を浮かせた後、魔術で操作しているのだろう

スートの空を飛んでいるリーコは一直線に王宮へと向かっていた



「おーい! リーコ!」

「ダメですね。我々に気づいていないようです」

「何か急いでいるように見えましたが・・・・・・」

「やべえな。俺たちも向かうしかねえ!」

「早く行ってこい。キャラバンはここで待っていてやるよ」

「すまねえ!」



ビッツたちはリーコの後を追うように王宮へと駆け出していく

その背を見つめながら、行商人は懐にぶら下げていた皮袋に入れてある葡萄酒を口にし、小さく呟いた



「この世の正義と悪は表裏一体。見方を変えれば、正義が悪になり、悪が正義になる。確か、そんな言葉を何処かで読んだ記憶がある。・・・・・・なんで、今そんなことを思い出しちまったのかね」




                    §




 エレメンタリアに到着してからの出来事は、あっという間であった

バエルが『移如影』を発動し、スートの王宮の会議室へと転送されたソフィアは会議室の机の上に降り立ち、サイと幹部たちが出揃っている場面へ出くわした

突如として現れた黒い剣士の姿に、サイを初めとした幹部たちは驚愕する



「な、なんだきさま―――――」

「『凍如霜』(クリスタ)」



サイたちが騒ぎ立てるより先に、ソフィアは凍結魔法を放ち、唯一の出入り口を凍りつかせてしまった

一瞬にして凍てついた世界と化した会議室にサイたちは呆けたが、すぐに我に返って氷で覆われた扉を幹部たちは必死に叩き、助けを呼ぶ

しかし、分厚い壁と化した氷が溶けもせず、部屋の前で警備しているであろう兵士にも声が届かない。恐らく異変には感づいているだろうが、彼らではどうにもならないだろう

魔法使いを呼んで、炎魔法を使うしかあるまい

ソフィアはゆっくりと机の上を歩き、サイの方へ歩み寄っていく

その姿に幹部たちはただ見ていることしかできない



「お、王よ!」

「国王・・・・・・!」



皆が縋る思いでサイに視線を送る。サイ自身は内心恐怖しているのか体の震えが止まらない様子だが、王としての誇りと威厳が彼を奮い立たせていた

サイはソフィアを睨みつけ、口を開いた



「お前が噂の黒い剣士か・・・・・・」

「だとしたら」

「お前が俺の軍を足止めする報告を幾度も聞いて、いずれは俺の下にやってくるとは思っていた」

「ならば、今から私が何をするか理解しているな」



ソフィアは剣を抜き、サイの眼前へと突き付ける

サイが押し黙ると、傍にいた幹部の一人がソフィアに話しかける



「誰の差し金でこんな真似を! 何が望みだ、我々が用意出来るものならば何でも用意してやる」

「望み? 強いて言うならば、貴様らの首だ」



ソフィアは幹部たちの顔を一人ひとり見回していく。ソフィアの言葉に幹部たちは再び恐怖に支配される



「そ、そんなことをして何になる! スートを滅ぼすつもりか!?」

「全てはエレメンタリアの平和のためだ。貴様らは私利私欲のために他国へ無闇に侵攻し、エレメンタリアを混乱させた。私が幾度も警告をしたというのに、行いを改めようとしなかった。これはその末路だ」

「何の権利があって! 神にでもなったつもりか!」



その言葉にソフィアは兜の奥で眉を動かした。不穏な気配を察したバエルはソフィアに脳裏で告げる



「ソフィア。堪えろ。まだ駄目だ」

「分かっている」



ソフィアは小声でバエルに答え、サイに向けて話を続けた



「スートの国王、サイ。お前に聞きたいことがある」

「何だ」

「お前が最初にツェセに攻め込んだ時、その目的は魔界に眠る新たな資源だった筈だ。違うか?」

「・・・・・・そうだ」

「だが、それならばツェセだけを攻め続ければよかった話だ。何故、アステやソールンにも攻め始めた。何故、他国の村を攻めた」



ソフィアの問いにサイは押し黙り、俯き、再び顔を上げて、口を開いた



「それは、神のお導きによるものだ」




                   §




 リーコは、急いていた

三角帽子が吹き飛ばされぬように片手で抑え、もう片方の手で跨っている箒の柄を握りしめ、彼女は空を飛んでいた

事の発端は、半日前に帰ってきたクルージオの使いである鳩が恐るべき情報を持ち帰ってきた時だ

サイの国王が勇者によって殺されると言ってきたのだ。リーコは聞き間違いではないかと何度もクルージオに聞いたが、クルージオは静かに首を横に振るだけであった

この報告は、世俗を離れ、世の流れを見つめるだけとなったクルージオにとっても衝撃的な報告であった。重苦しい雰囲気の中、リーコは自然と箒に跨り、サイへと向かっていた



「間違いに決まっている。決まってるさ。だって、だってソフィは」



 サイに入り、王宮が目前に迫ったリーコは箒を握りしめる力を増し、呟いた

間違いに決まっている。だが、心の逸りが治まらないのは何故だ

エレメンタリアの現状は、動物たちの報告でおおよそは把握していた。サイが侵攻を仕掛けたことも。黒い剣士が現れたことも。剣士の行動理念が、とある誰かに似ていることも

リーコの中で想像と事実が入り混じり、ぐちゃぐちゃになった感情が彼女の中を駈け廻っている

リーコが焦っていると、下の方から自身の名を呼ぶ声が聞こえた。我に返り、視線をそちらにやると、王宮の門前に見覚えのある面子が勢揃いしているではないか

リーコは高度を落とし、かつての仲間たちの下へと降り立った



「リーコ!」

「みんな! どうしてここに!?」

「憶測ですが、噂の黒い剣士がサイに現れると予見してやってきたのです」

「リーコさんこそ、どうしてサイに?」

「私は・・・・・・」



内容を告げるべきかリーコが言い淀んだ矢先、王宮内が騒がしくなり始めた

リーコたちが門前を見ると、衛兵たちが何やら慌てふためいているではないか



「一体なんだ?」

「分かりませんが、只事ではなさそうですね」

「もしかして、例の黒い剣士が現れたのでは」

「ッ!」



リーコは恐れていたことを察知し、箒に再び跨り、宙へと浮いた



「急がないと手遅れになる!」

「あ、おい!」



止めるビッツの声も聞かず、リーコはそのまま王宮内へと入ってしまった

ビッツたちは顔を見合わせ、慌てている衛兵たちに声を掛けるのであった




                    §




 ソフィアはサイの放った言葉に内心、動揺していた

しかし、動揺を黒の兜で隠し通したソフィアは続けて剣をサイに突き付けたまま問う



「神の導きによる、だと?」

「あ、ああ! そうだ!」

「世迷言を・・・・・・」

「嘘ではない! ある日、神の天啓が私にも降りたのだ! 勇者に選ばれし者にしか聴こえない筈の天啓が、私に!」



必死に答えるサイが嘘を吐いているようには見えなかった

ソフィアは兜の中でバエルに脳内で質問する



「どう思う」

「それに関しては私よりお前の方が詳しい筈だ」

「このまま聞くしかないか」



ソフィアはサイに続けて話すように促す



「夢の中で俺は四人の神の声を聴いたのだ! 姿は拝見出来なかったが、声だけは確かに。あの方々の指示通りに動けば、俺は世界を統べる王になれると!」

「いつからだ」

「勇者が消えた後に、天啓が降りてきたのだ。魔界に求むべきものがあると。貴様が現れた時も、このまま他方も攻め続けろと! そう天啓が降りたのだ!」

「本当に神がそんなことを言ったと、貴様は信じているのか?」

「あの時は本当に神に縋る思いだった・・・・・・。今思えば、戦略も何もない無計画な侵攻で、兵を疲弊させるだけの徒労に終わってしまった。俺に聞こえたのは本当に天啓だったのか? 魔族の囁きだったのではないかと、思っているさ」



サイは自嘲気味に顔を俯ける。意気消沈したサイの姿に幹部たちも押し黙るしかなかった

その姿を見て、バエルは息を吐いて、口を開く



「我々がそんな馬鹿な真似する訳ないだろう。さて、どうする。ソフィア」



バエルの問いにソフィアは答えず、サイの方を見つめる

黒く禍々しい剣士の姿に恐怖しているのが瞳の奥底で見え隠れしている。だが、王としての誇りと威厳が、彼を奮い立たせていた

決して家臣たちの前で弱い姿は見せぬ決意が、そこにはあった

仮にソフィアが現れず、天啓に唆されていなければ、彼はツェセに勝利していたかもしれない

王としては暴君であるが、将としては名将である。サイは元々軍人の家系であったと以前、アレクスから聞いたことがあった

 だが、彼が無闇に他国へ進軍し、あまつさえ村を襲わせたのは紛れもない事実である

それが、エレメンタリアの平和を脅かすそれが、ソフィアの信念を突き動かした



「スート国王、サイ。言い残すことは無いか」

「ッ!」

「や、止めろ!」



ソフィアを抑え込もうと近くにいた幹部の一人が襲い掛かるが、ソフィアは目にも止まらぬ速さで、その者の首を刎ねた

鮮血が会議室に舞い、首と離れた身体は力なく床に倒れ込んだ。幹部たちが悲鳴を上げる中、サイは只一人、ソフィアから視線を逸らさない



「・・・・・・責は俺が負う。だから、この者たちの命だけは許してやってくれぬか」

「王!」

「それは駄目だ。この場にいる者たちは全て死んでもらう」

「な、なんだと!?」



それを聞いた幹部たちは一斉に声を荒げ、顔を青ざめる

最悪、王の命を犠牲にしてでも、自分たちは命を助けてもらうつもりだったのであろう

その根底が見え、ソフィアは失望と失意の息を吐いた

凍らせた扉の方から幾度か振動と音が聞こえる。恐らく、兵士たちが魔法や武器でこじ開けようと必死になっているのだろう

忠誠を誓った王を守るために



「魔法使いの少ないスートではこの扉を開けるのに時間は掛かる。だが、悠長にしている暇はないぞ」



バエルの言葉の通り、スートは白兵戦を得意とする国。魔法使いの数は他国と比べ著しく少ない

更に計画で手に入れたスートの予定では、今日は魔法使いの大多数は演習のために王宮から離れてしまっている

ソフィアは再び剣をサイの方へ向けた



「エレメンタリアの平和のために、ここで消えてもらう」

「平和のため、か。大した言葉だ。その大義の前には人殺しさえも許されるか」

「私利私欲のために戦争を仕掛けた男が言う言葉かっ!」

「俺はスートの繁栄のために魔界へ踏み出すつもりだった! スートの安寧のために!」

「その結果がこれか! 天啓に惑わされ、無駄に国を疲弊させ、他国を恐怖に陥れた!」



ソフィアの言い放った台詞にサイは言葉を詰まらせる



「俺は、天に見放されたようだな。神のお告げが、俺に訪れる筈などなかったのだ」

「・・・・・・さらばだ」



優しくも冷たい雰囲気を纏った言葉をソフィアが言い終える

それから少し経ち、部屋の中を鮮血が舞った




                    §




 リーコが王宮の敷地内に飛び込み、辺りを見回すとすぐに騒ぎの原因となっている場所を見つけた。王宮の一番奥に位置する部分に多くの兵と魔法使いが出揃っている

リーコは窓から王宮内に入り、彼らの方へと駆け寄った。皆、必死に扉をこじ開けようと作業をしていた

扉は何故か、凍り付いており魔法使いの扱う火魔法を使っても中々に溶けない

苦戦している兵士たちの前にリーコが躍り出ると、突然少女が現れたことに驚き、その姿に更に驚いた



「あ、あなたは勇者様の仲間であるリーコ様!?」

「何故、ここに」

「話はあと。取りあえず、この扉を開けたいのよね」

「は、はい! この部屋には王と従者様たちが居られるのですが突然扉が凍ってしまって」



兵士の言葉にリーコは即座に魔法の準備に取り掛かる

クルージオの鳩が報告してきた通りになってしまう。一国の王が殺される事態など、エレメンタリアの平和が乱される。あってはならないことだ

そんなことは、ソフィが望んだ平和とはかけ離れている。私が、何とかしなければ



「『輝如灯』(フレイム)!」



氷を溶かす程度の火力を持った中級魔法を放つ。放たれた炎は見事、氷のみを溶かして扉を解放することに成功した



「おお! 流石リーコ様の魔力だ。中級魔法でも一瞬にしてこの氷を溶かすとは」

「よもや詠唱無しで放てるとは」



魔法使いたちが賞賛する中、リーコは彼らを無視して扉をすぐに開けた

 そこに広がっていたのは、凄惨たる地獄であった―――――






 ソフィアは、目の前に立っている少女の姿を見て、驚愕していた



 何故、彼女が此処に居る。この国に居るなんて何の情報も無かったのに。どうして



手にした黒剣が床や壁に飛び散った鮮血と同じ色を帯び、首を切り落とされた多くの死体が転がる中で、ソフィアは立っていた

その姿を、かつての仲間であるリーコが、見つめていた



「そ、んな・・・・・・」



呆然としたリーコが小さく呟く後ろで、兵士たちが黒い剣士の一番近くに胸部から血を流して倒れているサイの姿を見つけ、声を荒げた



「王っ!」

「貴様ぁっ!」



雪崩れ込むように兵士たちが会議室へ押し寄せる中、ソフィアの背後から突如として巨大な黒い渦のようなものが出現し、黒く巨大な腕が現れたと思えばソフィアの前にいくつもの岩が壁のように連なったではないか



「来い!」



黒い渦から顔を出したバエルがソフィアの手を握り、渦へと引き込もうとする

リーコは岩の隙間から、その姿を捉えていた

見間違える筈もない宿敵の姿を見た瞬間、リーコの全身の血が沸騰するような勢いで熱くなり、無意識の内に叫んでいた



「『射如矢』(ボルテックス)!」



リーコの手にしていた箒から高威力の雷が放たれ、岩をも砕いてバエルの顔面を射貫く

バエルは瞬時にその攻撃が届く前に雷魔法を己の魔法で相殺していた

雷鳴が狭い部屋の中で轟き、周囲に居た兵士たちは皆、耳を塞ぎ込んだり、衝撃で吹き飛ばされる

防御したと思っていたバエルであったが、その衝撃は消化しきれず、近くに居たソフィアにまで及んだ

リーコに気を取られ、完全に防御を怠っていたソフィアは間近で行われた攻防に声を漏らす



「ぐあっ!」

「ソフィア!」



思わず、バエルは彼女の名を呼んでしまった

雷鳴に運よく掻き消せたか。そう願ったバエルであったが、自分を捉えていた少女は待望していた者の名を、決して聞き逃しはしなかったようだ



「ソ、フィ・・・・・・?」

「くそっ」



半ば強引にバエルはソフィアの腕を引き、『移如影』の中へと入り込んだ。それと同時に渦は消え、岩は砕け散った



「おい、リーコ!」

「これは!」

「間に合わなかったのですか・・・・・・」



散々な有様になった会議室の姿を遅れてきたビッツたちも目の当たりにする



「いてぇ・・・・・・」

「一体何が・・・・・・」

「おい、誰か国王様たちを。ぐっ!」

「医者を呼べ! 早く!」



衝撃に吹き飛ばされた兵士たちが起き上がり始める中、リーコは力が抜けたようにその場に座り込んでしまった



「お、おい」

「リーコさん、大丈夫ですか!? どこかお怪我などは」

「・・・・・・だった」

「え?」

「ソフィ、だった」



リーコは喉からか細い声を何とかひねり出す様に呟き、顔を床につけて、蹲ってしまった

その言葉を聞いたビッツたちははっとした表情で顔を見合わせ、俯く



「どうして、どうしてなんだよぉ・・・・・・!」



リーコは溢れ出る涙で床を濡らし、握り拳を作る

己の非力さと虚しさ。勇者に対する悲しさと戸惑いが交錯する中、リーコの脳裏に過ぎったのは、愛する勇者であるソフィアと共に過ごした日々で見てきた彼女の笑顔であった



「う、うあ、あああああああっ!」



凄惨な景色の中で、少女の慟哭が木霊した








 魔界に戻ってきたバエルとソフィアはアスタロトたちに迎えられ、すぐさま看護された

ソフィアは特段、目立った外傷もなく、意識もはっきりとしているとのことでバエルは安堵した

だが、魂が抜けたように力尽きているソフィアを案じ、バエルは自室のベッドに彼女を寝かしつけるのであった



「すまんが、私はソフィアの面倒を見る。何かあればまた用を申し付ける。それまではいつも通りに作業を続けろ」

「かしこまりました」



アスタロトたちに命令を告げ、バエルはベッドで虚空を見つめるソフィアを見た

すでに呪いの武具は解除し、薄着になったソフィアはベッドの上で石像のように何も動かない

バエルは自身の兜と鎧を外し、ベッドの縁に座った。骨格や手足は人間に近く、関節や肌は昆虫に近いバエルの姿を見たソフィアは、ようやく小さく呟いた



「それが、神によって変えられた姿か」

「ああ。身体を見せたのはこれが初めてだったか。気にすることは無い、私も眠りたいだけだ」



バエルは大きな人差し指でそっとソフィアの頬をなぞるように触れる

冷たく、艶やかな指が触れる感覚にソフィアは少しばかり心の荒れが落ち着いていくのを感じていた



「お前の名を呼んでしまったのは私の責任だ。すまなかった」

「いい。私の身を案じて、言ってしまったのだろう?」

「だが、これでお前の仲間に黒い剣士がお前だとバレてしまった。確証は取れていないだろうが、疑念は確実に残る。どうしたものか」

「アイツらは、私のことを話しはしないよ」

「何故、そう言える」

「信じているからさ」

「信じているのに、何も言えぬのは辛いことか」



バエルの言葉にソフィアは数刻、間を置いた後に静かに呟いた



「そうしなければ、疑われるのはアイツらだ。勇者と繋がりがある者が糾弾されてしまう。それだけは、避けなければ」

「ソフィア・・・・・・」



ソフィアはゆっくりと身体を起こし、バエルの手を右手で握ったまま彼の横に移動した



「生まれて初めて、人を殺した」

「気分が悪そうなのは、そのせいか」

「魔物とは違う。嫌悪感と罪悪感と焦燥感が私の中に走った。腹の底から吐き気がして、怖気が全身を支配して、狂気に駆られそうだった」

「それでも、お前は勇者として義務を全うしたのだ。平和の使者として」

「違う。違うんだよ、バエル」



バエルはソフィアが自分の手を握る強さが増していくのを感じ、彼女を見た

ソフィアの顔は悪夢を見た子供のようにひどく怯えていた



「イニティ村が焼かれて、おじさんが死んだ時。私の中で生まれたんだ。人間に対して、持ってはならなかったものを。あの時、母さんたちを連れ去った兵士たちを殺さずにいられたのは、よく堪えていたと思う」

「殺意か」



バエルの言葉にソフィアは眉間に皺を寄せる



「私はエレメンタリアの平和のためなどと、言っていたが本当は、サイを恨んでいた。あいつのせいで、私の故郷は焼かれて、いろんな人が悲しんだ。私の中では、使命より殺意の方が勝っていたんだ」

「恨む相手に殺意を抱くのは当たり前のことではないか。お前は何も間違ってはいない」

「私もサイを殺すまでは、そう自分に思い込ませていた」



ソフィアは左手でシーツを掴み、顔を俯かせる



「でも、サイの言葉を聞いた時、私は分からなくなってしまった。神の天啓を聞かなければ、彼は私の村を焼かなかったのではないかと!」

「だが、ツェセに攻め込んだことは変わりない」

「ああ、そうだ。だから、私が仮初めの姿で被害を最小限にした。それから彼は、天啓を聞き始めたと言っていた。それが、私にはどうしても・・・・・・」

「神がサイを操作したとしか思えないと?」



バエルの問いにソフィアは静かに頷いた



「天啓を聞かなければ、スートは侵攻を止めていたかもしれない。イニティ村を焼かれたせいで、私の箍が外れてしまった。彼に対する殺意が芽生えてしまった。歯止めが利かなかった」

「・・・・・・成程。奴らめ、やはり人間を道具扱いしているか」



バエルは一人、納得したように頷く



「神どもは勇者であるお前を私から取り返したいようだ。そのために、サイは利用されたのだ。お前の居場所を突き止めるために」

「それはどういうことだ!?」

「先も言った通り、神は魔界まで目が届かない。お前を魔界に軟禁したせいで奴らは勇者の行方が分からずにいた。それを探るために奴らはわざとサイに天啓を告げたのだ。予定通り、奴はツェセに攻め込み、戦争を仕掛けた。お前がそれを看過できる性格ではないと知って」

「では、では、あの戦争は神が仕組んだことだと!?」

「そうなる。結果、お前は現れた。だが、私の呪いの武具で正確に姿を感知できなかった奴らは確証を得るために更に天啓を授けた」

「それが・・・・・・イニティ村を襲うこと」

「ああ。サイに怪しまれぬようにアステの辺境の村全てを襲うように仕向け、その中にイニティ村が入るようにした。そして、お前は真っ先にイニティ村へと向かっていった」

「そんな・・・・・・」



俯くソフィアにバエルは話を続ける



「こうなってしまったのは、私の責でもある。お前を魔界に留めたせいで、お前の故郷は焼かれ、お前が人を殺すこともなかったのに」

「・・・・・・バエル」



ソフィアは手を伸ばし、バエルの頬を撫でる。蠅のような眼と人間のような眼が共にソフィアを捉え、優しく見つめる



「私は、ただお前と居たかっただけなんだ。似た立場に居たお前と、話がしたかっただけなんだ」

「バエル」

「だが、それさえも私にとっては罪なのだろう。神にとって、私は人類を殺すべく造られた存在。勇者と親交を深めようなどともっての外だったのだ」

「そんなことは、ないさ。」



ソフィアはバエルから離れ、ベッドに寝転がり、柔らかい質感に身を委ねる



「お前が居てくれたおかげで、今の私は何とかなっている。勇者という使命に縛られていた私には、見えない世界があった」

「それが、お前を苦しめる結果になっていてもか」

「・・・・・・お前の日記を読んだ」



ソフィアは視線の先に映るバエルの本棚を見つめる



「家畜の皮で作っているから書き始めたのが獣を生み出してからというのが最初の日記で分かった。そこから毎日、お前は欠かさず日記を書き続けている」

「ああ」

「魔界をお前が造り始めている中で、日に日にお前が神に対する疑念を抱き始めているのが分かった。本当に神は信じるに値する存在なのかと」

「自分が作り上げた世界で自分が作り上げた部下と共に自分が作り上げた民の視察を行い、自分が作り上げた生物を食べ、自分が作り上げた空を仰ぎ、自分が作り上げた空気を吸う。これがなかなか、愛着が湧いてくる。

だが、神は違う。奴らは一切の感情もなく、人間界とは別の場所から人間を監視し、自分たちの思い描く通りの世界を作り上げようとする。それに対して、私は不思議と思い始めたのだ」

「何故、神はそのような回りくどいことを。出来るのならば、直接、我々を弄ればよかったのでは」

「それは出来ない。奴らの性格上な。奴らは自分たちが作り上げたものを失敗作と思いたくないのだ。己の名に傷がつく、そう思っている。だからこそ中途半端な存在だった私を魔王という役割に据え、失敗作ではなくした」

「神とはどこから生まれ、何のためにこの世界を造ったのだろうか」

「それは分からん。だが、この世界を管理しているのは、あの四神だけということだ。それは事実だ」



 勇者としての信念。神の思想。エレメンタリアの行く末。ビッツたちの対応。魔界の平穏

次々と湧き出る疑問と不安にソフィアが思い悩んでいると、バエルの大きな手が彼女の頭を撫でた。見れば、バエルもベッドに横になっている



「今日はもう寝よう。お前は今まで働き過ぎた。今日くらいは、休んでおけ」

「ああ。だが、私は忘れないさ。今日という日を。自らの手を汚した日を」

「後悔は」

「していないさ」



ソフィアとバエルは互いの存在を確かめ合うように同じベッドで身を寄せ合った

深い眠りについた二人の間には、すでに勇者と魔王という因縁も立場もありはしなかった

ただ、神に運命を決めつけられた者同士として惹かれ合っているに過ぎない

だが、二人を決して運命は逃さない

バエルは気づいていなかった。『クラック』の封印が僅かに解け始めていることに

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