第10話 勇者、救出する
エレメンタリアへ降り立ったソフィアは、黒い剣士を魔王の遣いと知らされている信仰集団がソフィアに向けて捧げている礼を後目にイニティ村へと駆け出した
すでに時間は夜を過ぎており、本来ならば、星と月の光だけが雲の隙間から漏れる薄暗い世界の遠くが、赤く照らされていた
その灯りの方向にこそ、ソフィアの故郷がある。怖気がソフィアの背筋を走り、彼女は千切れんばかりに何もない平原を駈けた
間に合ってくれ。そう願いながら、ソフィアは平原を駈けるしかなかった
§
常人ならば一時間は掛かる距離をたった十分で駆け抜けたソフィアはイニティ村の入り口にまでやってきた
小さな丘の上にある小さな集落。それがイニティ村。ソフィアが生まれた村だ
その村が、今、紅蓮の炎に包まれていた
村の入り口である坂まで来たソフィアは駈けながら、焼けていく村を目に焼き付けていた
村の中心にあった大樹も、遊び場だった砂場も、一生懸命耕した畑も、毎日帰っていた家も、何もかもが火に巻かれていた
村の中心まできたソフィアは辺りを見回す
勇者として王宮に呼ばれたあの日、村の皆が総出で見送りに来てくれた
隣の家に住むお婆ちゃんも近所に住んでいた幼馴染たちも、一緒に畑を耕したおじさんたちも、涙を流しながらも笑顔で送り出してくれた両親も、皆、何処へ行ってしまったのだ
バエルの造った呪いの鎧は炎も通さない頑丈なものなので、ソフィアは火をものともせずに歩いていると、道に誰か倒れているのを見つけた
すぐに駆け寄ると、倒れていたのは一人の男性であった
知っている。この人は、父と一緒に畑を耕していたおじさんだ
ソフィアが男を抱きかかえると、ソフィアはすぐに彼に何が起きたのかを察した。彼の腹部から血が出ていたからだ
火に囲まれ、息も絶え絶えになった男は目を開き、黒い剣士であるソフィアの姿を視界に入れると口を開いた
「あ、アンタ・・・・・・」
「喋らなくていい! 癒しの風よ、穢れを攫い、温もりを与えよ・・・・・・『癒如薬』(ライフ)!」
ソフィアは掌を男の腹に翳し、治癒魔法『癒如薬』を発動する。すると、奇麗に男の怪我は治った
だが、男の容態は一向に良くならない。血を流し過ぎたのだ。地面に流れている血の量がそれを物語っている
「くそっ! もう一度・・・・・・!」
「もう、いい・・・・・・」
「何言っているんだ! 貴方が死んでいい筈がない!」
「それ、より・・・・・・。みんなが、連れ、さられ・・・・・・」
男の言葉にソフィアは辺りを見回す。確かに、倒れているのは男一人だ
他には誰も居ない。老若男女問わず皆、一様に奇麗にいなくなっているのだ。連れ去られたのだ。スートに
男は弱弱しく、ソフィアの手を握り、呟いた
「た、のむ・・・・・・。み、んなを・・・・・・た、すけ―――――」
言い終わる前に、男の手は糸が切れた人形のように力を失くし、地面に落ちる
ソフィアは、その場から動けずにいた
少しの時間が経った後、ソフィアは動かなくなった男を抱く力を強めながら、立ち上がり、村を出る
男の骸を火の届かないところへ丁寧に置いてやり、ソフィアは村へ向けて掌を翳した
「粒よ集え。一筋の恵みとなれ。恵みよ集え。その身を激流へ変え、彼の者を飲み込まん・・・・・・『轟如砲』(ハイドロ)」
強力な水魔法『轟如砲』は放射線を描くように発射され、村全体を一気に鎮火させることに成功した。少々強引だが、これならば一度で火を消せられる
ソフィアは懐にしまっていた水晶を取り出し、魔力を注いだ
「ナベリウス。聞こえるか」
「はい。スート兵の動向ですね」
「どこにいる」
「上空から探していますが、イニティ村から西の方角に何やら集団が見えます。動きが遅いようですが」
「分かった。また何か見えたら連絡してくれ」
「了解です」
淡々と通信を終えたソフィアは深く息を吸い、吐いた
そして、倒れている男へと視線を移す
「ごめんね、おじさん・・・・・・。間に合わなくて」
ソフィアはそう告げると、西へ駆け出した
自身の心の内から溢れ出してくる得体のしれない熱と痛みと、どす黒さがソフィアの身体中を駈け廻っていた。深く潜んでいた何かが口にまで逆流して吐き出してしまいそうだ
得体のしれない、だが、何処かで持っていたこの感情を、ソフィアは名前を付けられずにいた
§
駈けてから五分程度して、ソフィアの視界に月夜に照らされた群衆を見つけた。すぐにソフィアはそれがスート兵とイニティ村の皆だと理解した
ソフィアから見て一番手前にいた者が槍を携えた兵だということを瞬時に判断すると、彼女は剣を抜き、即座に剣の腹で兵の背後から一撃をお見舞いした
「がっ!?」
「えっ?」
「な、なんだ!?」
「きゃああ!」
ざわつく者たちの中からソフィアはイニティ村の人とスート兵を識別し、次々と撃破していった
混乱する中、最後の一人となってしまった先頭のスート兵が逃げるように駆け出して行く
逃走先へ先回りしたソフィアにスート兵は尻餅をつき、目の前に現れたソフィアに向け、手にしていたランタンを当てると小さな悲鳴を上げた
「く、黒い剣士・・・・・・!」
「貴様はそこで止まっていろ」
ソフィアは剣を兵の首筋に当て、籠った声を放つ。有無を言わせぬ威圧感に兵はただ頷くしかなかった
怯える兵からランタンを奪い取り、ソフィアは救い出したイニティ村の皆の方へ向かう
ランタンで照らし出された皆の無事な姿を見て、ソフィアは心中で安堵した
皆は未だに何が起きたのか分からず、混乱していたが黒い剣士の姿を見て、驚愕する
「あ、あなたは一体・・・・・・」
「私たちを助けてくれたの・・・・・・?」
イニティ村の皆はスートの魔の手から救い出されたことに喜んではいるが、黒い剣士に警戒心を抱いている
暗がりの平原ではソフィアの今の姿は余計に威圧感を与えてしまう。ソフィアは口を開き、説明したかったが、ぐっと堪えた
今、自分が生きていると伝えてしまえば、ここからエレメンタリアに情報が流れてしまう
黒い剣士が勇者であると、ばれてしまう
ソフィアは自身の正体がばれぬよう、当たり障りのない言葉を選ぶ
「・・・・・・火の手が上がっていたから、来てみたら、男が一人倒れていた。彼の言葉を聞いて、私は君たちを助けに来たのだ」
「あ、ああっ!」
ソフィアの言葉を聞き、一人の女性が膝から崩れ落ちた。彼女の顔を見て、ソフィアは兜の下で眉間に皺を寄せた
ああ、おじさんの奥さんだ。きっと、あの人が刺されるところを、見てしまっていたのだろう
泣き崩れる女性を皆が慰める中、一人の老人がソフィアの前に出てきた。イニティ村の長だ
「助けていただき、誠に感謝いたします。すみませぬが、その男というのは・・・・・・」
「すでに」
「そうですか・・・・・・」
皆が俯く中、これ以上の長居は自分の心が揺れてしまうと思ったソフィアは、残しておいたスート兵を連れて行こうとイニティ村の皆に背を向ける
「では、私はこれで」
「ま、待って!」
ソフィアの背に掛けられた声に聞き覚えがあったソフィアは思わず、振り向いてしまった
その声は、聴き慣れていた。その声は、身に染みていた。その声は、振り返らずにはいられなかった
そこに立っていたのは、ソフィアの思い出の中での面影が残る夫婦。ソフィアの両親であった
しばらく見ない間に、老け込んでしまったように見える。ソフィアが死んだと知れてから、随分と苦労したのだろう
ソフィアの母であるマリアは振り向いたソフィアに続けて、声を掛ける
「・・・・・・ソフィアなの?」
「おい、マリア。何をいきなり・・・・・・!」
ソフィアの父、ヨセフがマリアを呼び止める。その言葉にマリアもはっとし、一歩引く
「ご、ごめんなさい。でも、あなたを見ていたら何故かそう思ってしまって・・・・・・」
「・・・・・・いえ」
本当は、今すぐにでも己を曝け出してしまいたかった
私は生きていると、両親の不安を取り除いてあげたい
きっと、私が出て行ったあともたくさん辛いことがあったのだろう
私が死んだと聞かされたあとも厳しいことがあったのだろう
私は、勇者という使命ばかりに気を取られ、一番大切にするべき人たちに何もしてやれなかった親不孝者だ
ソフィアが心中で歯痒い思いをするも、心を鬼にし、マリアに告げる
「すみませぬが、私はソフィアという者ではありません。ですが、きっとその人は元気に暮らしていることでしょう」
「ええ、私たちもそう信じています。だからこそ、まだ死ぬわけにはいかないんです」
「村は焼けてしまった。恐らくこの騒ぎを聞きつけて、アステの軍があなた方を保護しに来るでしょう。そうしたら、別の地で新しい生活を送りなさい」
ソフィアの言葉にマリアは首を横に振る
「それは出来ません。いつかきっと、私たちの子があの村に帰ってきます。その時に、生まれた故郷が無いことはとても辛いことだと思います。だから、私たちは何があっても、あそこで生き続けます」
「家が無くなっても、また建てればいい」
「畑が焼けても、また耕せばいい」
「我々は弱い。ですが、こうして固い絆で繋がっているからこそ、我々があるのです」
「ソフィアの絆の中にも、私たちが居る筈ですから」
ヨセフを始めとしたイニティ村の人々もマリアの意見に同調する
その言葉にソフィアは目頭が熱くなってきたが、首を横に振る
ダメだ。今、ここで折れてしまえば、全てが無駄になる
「そうですか。ならば、お気をつけて」
ソフィアは残しておいたスート兵を蹴り、立たせると腕を掴んだ。このまま、遠くへ連れて行って、事情を聴くつもりだ
イニティ村の皆が見送る中、ソフィアは振り返り、最後にマリアへ小さく呟いた
「もう、帰れないんだ」
「え?」
何を言っていたのか聞き取れなかったマリアであったが、聞き返す前にソフィアは瞬く間に消え去ってしまっていた
嵐のように去っていった黒い剣士にイニティ村の人々は改めてざわつき始める
「一体なんだったんだろう、彼は」
「分からないが、命の恩人に代わりはないさ」
「早く戻ろう。トロスの葬式もしてやらなきゃならん」
「そうだな・・・・・・。行こう、マリア」
「・・・・・・ええ」
ヨセフに促され、マリアは黒い剣士が居た場所を名残惜しそうに見つめ、その場を後にするのであった
§
生き残らせたスート兵をイニティ村の人々を連れ去るために用意していたであろう縄で手足を縛り、尋問をしたところ、アステに存在する村を襲うことが目的であったそうだ
イニティ村を襲ったのも、単に辺境の地であっただけで特に意味はないらしい。他にも襲撃した村の名前を聞いたところで、ソフィアはスート兵に更なる質問をする
「何故、そんなことをする」
「し、知らないっ! 本当だ!」
スート兵が首を懸命に横に振っていると、ソフィアの頭に直接バエルの声が響き始めた
「どうやら末端の兵は目的を知らされていないようだな。どうする、ソフィア。見逃してやるか」
バエルの言葉を聞き、ソフィアはスート兵を見下ろす
涙ながらにソフィアを見て、怯えるスート兵を見つめていたソフィアは腰に携えていた鞘から剣を抜き、彼の首へ切っ先を突き付ける
「最後の質問だ。イニティ村の男を殺したのは、お前か?」
「ッ・・・・・・!」
その問いにスート兵は言葉を詰まらせ、無言で首を横に振った
それに対し、ソフィアはゆっくりと剣先を兵の首へ近づける。僅かに触れた皮膚から血が滲み始めている
「た、助けてくれ!」
「今更命乞いか」
「俺は何もしてない! ただ村の奴らを集めろと言われて、それで・・・・・・!」
「おじさんを見殺しにしたお前が言う言葉か・・・・・・!」
「た、頼む!」
徐々に皮膚に刃が食い込んでいき、スート兵は恐怖で身体が動かず、ソフィアを見るしかなかった
兜を被ったままのソフィアの表情は窺えず、スート兵から見れば死神のようにも見えているだろう
「た、助け―――――」
そして、刃が皮膚を貫いた瞬間、スート兵は意識を失った―――――
「・・・・・・意味がない、こんなことをしても」
ソフィアの剣は軽くスート兵の首を突いただけで致命傷にはならなかった
軽く血は流れてはいるが、時間が経てば自然に止まるだろう。一人で失神してしまっているスート兵を後目にソフィアは剣を鞘に収める
「意味がない。か、ではどうする?」
「元凶を断つしかない」
ソフィアの言葉にバエルは少し間を置き、彼女に問う
「・・・・・・自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「・・・・・・エレメンタリアの平和を守るのが、私の役目だ」
「自らの手を人の血で汚すとしてもか」
「覚悟の上だ」
「・・・・・・お前が決めたことだ。後悔のないようにしろ」
「まずは先に聞いた村へ行き、皆を助ける。そして・・・・・・」
ソフィアは何もない平原に立ち、遠くを見据える。その方角は、西だった
「スートの国王、サイを討つ」
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