第9話 勇者、焦燥する
スートが開戦をした出来事、そしてその軍勢をたった一人の剣士が撤退させたことは瞬く間にエレメンタリア全土に広まった
それに伴い、スートへの批判と共に黒い剣士の正体は何者なのかということも噂が立ち始めた
流浪の剣豪だとか、どこぞの国の派遣兵だとか、果ては人間同士の争いを止めるために現れた神の使いだと言う者まで出てくる始末だった
そして、その噂は剣士がスートの兵が侵攻してくる度、現れては消えることで更に賑やかになっていくのであった
その話はかつての勇者の仲間たちの耳にも勿論、入っていた。北の国ソールンの闘技場で鍛錬をしているアレクスはその話を聞くと、神妙な面持ちで話を持ち掛けてきた同僚を見た
「黒い剣士?」
「ああ。アレクスも勇者の仲間だったなら、実力はあると思うが流石にスートの兵相手に無双するほどじゃないだろ?」
「まあ、私はそこまで無謀じゃないですよ。ふむ・・・・・・」
アレクスは少し考え、同僚に話しかける
「すいませんが、もう少しお話しを聞かせてくれませんか」
「ああいいぜ。俺も又聞きだから嘘か本当か分からない部分があるが」
「構いません。情報が欲しいだけですので」
元々、アレクスはソールンの闘技場の一選手だ。どうせ戦うならば魔物相手に命を散らすよりも、金を稼いでいた方が良いというドライな考えの持ち主であったが、ソールンを襲っていた魔族へ立ち向かったソフィアたちの奮闘を目の当たりにして改心し、彼女に着いていくことにしたのだ
今や闘技場の名選手となったアレクスの下には世界各地の猛者たちが集う。腕磨きもそうだが、世界の情勢も窺えるのが闘技場の良いところだ
北国のソールンは厳しい環境下でも戦えるようにと兵士の訓練に重きを置いていた。闘技場もその一つである
アレクスは、着実に知と力を得ていくのであった
§
流浪の旅を続け、腕を磨いていたビッツも護衛として同行していた行商人から話を聞き、驚いていた
「何ィ!? スート相手に百人切りだあ!?」
「らしい。心当たりはないか?」
「そんなことが出来るのは勇者くらいしか知らねえよ」
「ふむ、そうか。なら、勇者が実は生きていた。なんてことは無いだろうな」
「っば・・・・・・! そ、そんなわけねえだろ。勇者は魔王と相打ちしたんだから」
思わず勇者が生きていることを口にしかけたビッツは何とか誤魔化す
しかし、ビッツ自身、黒い剣士の正体がソフィアであるとは思ってもいない
行商人は怪しげにビッツを見るも、いつものことかと自分で納得し、話題を変える
「そんなことよりもだ。今日はスートの兵がアステに向けて兵を進軍させる情報が流れてきた。ルートを変更し、さっさとツェセに移動する」
「この国にスートが!?」
生まれ故郷であるこの地にスートが攻め込んでくる。戦争になれば、多くの人が犠牲になる。悲しみでエレメンタリアが溢れてしまう
頭の足らないビッツだが、その分、人の感情の機微に人一倍敏感である
ソフィアが最初に出会った仲間が彼であり、悪い奴らをぶっ飛ばすという単純明快な理由とそれに見合う腕っぷしで彼女の仲間になったのだ。道中のムードメーカーとしても彼は勇者の仲間としてなくてはならない存在であった
人を不快にさせない彼の行動理念は誰にでも理解できるし、誰からも好かれるのだ
「アステはスートに次いで大きい国だ。更に言えば、ナインハルツ将軍もいる。黒い剣士で士気が下がっているスート相手に負けんだろうさ」
「それでも村のみんなは逃げなきゃならねえだろ」
「仕方ないさ」
「それにしても、スートも下手な戦をしたもんだぜ」
「今のところ黒い剣士に進軍の全てを負かされているからな。躍起になっているかもしれん。だが、出兵にはそれ相応の経費が掛かる。それを続ければ、勝手に財政難に陥って、自滅するだろうさ」
「っへ、自業自得だな」
「スートが落ち着いたら、俺たちもスートに行くぞ」
「え!? なんで」
「そういう物資が足りない時にこそ、俺たち行商人の稼ぎ時さ。さ、さっさと準備をしろ、ノロマ」
「分かったから尻を叩かないでくれよ!」
行商人に急かされ、ビッツは急いで身支度を始める
アステのことは心配だが、ナインハルツ率いる兵士たちを信頼し、自分は自分で出来ることを進めていくことに決めた
今は世界各地を旅し、見識を広げるときなのだ。勇者を救うためにも、立ち止まっている訳にはいかない
バッツは決意を改めて固め、遠くを見据えるのであった
§
ソフィアは、初めてスート軍と戦った日以降も黒い剣士となって、戦い続けていた
ナベリウスが偵察し、民衆に被害が及びやすい場所を事前に知らせ、ソフィアが出撃してきた
エレメンタリアへの出撃方法だが、二度目の出撃の際、バエルがその方法をソフィアに告げた時、ソフィアは怒りと共に情けなささえ感じていた
人間には様々な種類がいる。肌や髪色は勿論のこと、主義思想、宗教など多くの思いが組み合わさって一人の人間が生まれる
その中には、神を信じ続けている者もいれば、魔族を信じ続けている者もいるということだ
「奴らは私たちを愚かな人間を浄化しにきた破滅の救世主だとぬかしていたな」
「その集団なら、話を聞いたことがある。魔族降臨のための魔術を研究していたようだ」
「そうだ。魔族を呼ぶための儀式は確かにある。人間界と魔界を繋げる門を作り出す儀式がな。何度か門がこちらと繋がったことはある。しかし、そのためには多くの準備が必要であるし、『クラック』のように常時開いている訳ではない」
「つまり、その儀式を利用してエレメンタリアを行き来しようというのか? そこに出ていける確証も無いのだぞ」
「行き来さえできれば十分だ。あとは私の『移如影』で目的地に送り出してやる」
「お前もエレメンタリアに来るのか!?」
「行くだけだ。戦うのはソフィアだから、侵攻ではない。魔族信仰の集団の信用を得るには十分な存在だと自負しているが」
「・・・・・・分かった。緊急事態だ、この際、目を瞑ろう」
こうして、魔族降臨の儀式を行っている魔族信仰の集団の下へソフィアとバエルは向かい、エレメンタリアと魔界の行き来を可能にした
当然、魔王と黒い剣士の出現に信仰集団は騒然となったが、ソフィアは意に介さず、バエルの『移如影』で戦地へと赴いた
その間にバエルは彼らの心情を把握し、各地に点在する信仰集団のアジトの居場所を知った。想像以上に彼らの根は広く、上手く利用すれば『移如影』を使わずにソフィアだけでも戦場に行けるようになりそうだ
そう考えたバエルは、アジトの近くでスートが動けば儀式を行ってもらうように指示を出した。そして、今後の連絡手段はナベリウスを通じて行うことも伝えた
夢にまで見た魔王の言葉に信仰集団は歓喜し、無条件で命令を聞いてくれる有能な手駒となった。無論、黒い剣士の正体は知らせず、バエル自身がエレメンタリアに来たことは他言無用と伝えた
その後も、ナベリウスの報告を聞いて、ソフィアは昼夜問わず動き、信仰集団の門をくぐって戦い続けてきた
しかし、人体を超越した肉体を持つ勇者といえ、連日の戦いに疲れが見えてきた
スートとの戦闘を続けて一週間近く経った頃、真夜中に出陣し、明朝になってようやくソフィアは戦いを終えた
ふらつきながら執務室に帰ってきた彼女を見てバエルは呪いを解除してやり、流れ作業のように鎧を脱ぎ、普段着に戻ったソフィアに声を掛ける
「ソフィア。少し休息を取れ。最近、睡眠もまともに取れていないだろう」
「・・・・・・ああ」
「聞いていないな」
「・・・・・・ああ」
適当な返事をするソフィアの腕をバエルは強引に掴み、自身の方へ振り向かせた
疲れ切った表情をしているソフィアは口を中途半端に開いたまま、バエルを見つめている
それを見たバエルは目を細めた
「ちゃんとした寝室で寝ろ。用意させる。食事も摂れ、ハーゲンティに栄養が良い奴を作らせる」
「そんな暇は・・・・・・」
「ある。戦うだけがお前の使命ではないだろう」
日夜、人間相手に手を抜き、生かしたまま数百を相手にする。それをほぼ休憩せずに何度も行ってきたのだ。おかしくならない方がおかしい
こんなことになるために、私はソフィアを外に出したかったわけではない
心配するバエルを他所にソフィアは顔を俯け、小さく呟いた
「私が行かないと・・・・・・罪もない人が、民が、死ぬんだ」
「お前ひとりが戦っている訳ではない。お前のお陰でスートも勢いが落ちてきた。今なら他国も対抗できるくらいには大丈夫だ」
「それでも―――――」
「ソフィア!」
呟き続けるソフィアにバエルは声を大きく出し、彼女の顔を両手で掴み、顔を向けさせた
互いの銀の瞳が、無言のまま見つめ続けている
沈黙が流れる中、執務室にノックをしながら、シトリーが入ってきた
「魔王様、本日の業務がぁ」
シトリーはバエルとソフィアは顔を近づけて、見つめ合っている光景を見て、動きを止めた
バエルはシトリーに気づくと、ソフィアから手を放す
「シトリーか。今日の業務は漁業と森林地帯の収穫の視察だったな」
「え、あ、はい」
「じゃあな・・・・・・」
「待て、ソフィア。ソフィア!」
バエルが声を荒げるが、ソフィアは振り返りもせずに呪いの武具を抱えて、執務室を後にした
何かまずいことをしてしまったか。シトリーが慌てて、バエルを見る
バエルは深く息を吐き、椅子に座り込んだ
「ソフィアめ・・・・・・」
「ソフィアちゃん、ここ最近忙しい様子でしたけどぉ。まだ、戦っているんですかぁ?」
「ナベリウスの報告を聞いたら、すぐに向かっている。人間を守るとはいえ、全ての平和の願いをあの小さな身体に背負わせ過ぎている」
「人類の希望ですからねぇ」
「人類? 違うな、神の身勝手な愚行だ」
「神の、ですかぁ?」
シトリーが聞き返すも、何処か不機嫌そうな雰囲気を醸し出しているバエルにシトリーは問いかけた質問を宙に浮かせたまま、執務室を後にした
§
ソフィアは自室と化している地下牢に戻り、石で出来た固いベッドに倒れ込んだ。気休め程度に薄いシーツが敷かれているが、それでも固いことに変わりはない
ソフィアは身体を丸め、自身を抱くようにして、目を瞑った
脳裏に過るのは、戦場の血生臭さと戦々恐々とした兵の表情。彼らと相対した時にソフィアが感じていたのは、怒りと悲しみが入り混じった言いようのない虚しさであった
最初の頃はスートも真っ向から他国に攻め入っていたが、ソフィアの介入により激しい戦闘になる前に撤退を余儀なくされ続けていた。最近では、夜襲や少数で攪乱を行うなど様々な作戦で消耗戦を仕掛けてきた
ナベリウスや信仰集団も常にスートの動向を探れている訳ではない。ソフィアが寝につこうとしている今も何処かでスートの攻撃に襲われている者がいるかもしれない
戦っていたスートの兵たちもソフィアの姿を見るだけで、委縮していた。すでにスート国内でも引くに引けないから戦わされているだけなのかもしれない
ならば、真に戦うべきは―――――
思い悩み続けていたソフィアはいつの間にか、睡魔に襲われていた
§
耕された畝に立派に育った青々しい野菜たちが彼女の視界を埋め尽くしていた
彼女は、畝と畝の間に入り、無邪気に笑いながら畑を駈ける
土を掴み、手を汚し、自分よりも大きな植物に囲まれ、葉に這う虫を見つめ、再び駈ける
そうしていると、後ろの方から自身の名を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、そこには優しそうな男女が手を振っていた
「ソフィアー!」
「ご飯の時間だよ」
「父さん、母さん!」
名を呼ばれたソフィアは笑顔になり、両親の方へと駆け寄った。両親も愛する娘を笑顔で迎えようと両手を広げる
ソフィアが小さな身体で両親に抱き着こうと跳んだ時、彼女の全身に衝撃が走る
気づけば、ソフィアの目の前にあったのは薄暗く湿った石畳だった
「・・・・・・夢、か」
石のベッドから転がり落ちた身体を起こし、ソフィアはベッドに座る
何故、今更両親の夢を見たのだろう
魔王討伐の旅に出る前に顔を出したきりで、それ以降会っていない
十歳になった時に、王宮に連れられて勇者としての教えと戦術を学ばされてきたから両親との思い出は本当に小さいときのものしかない。それでも、今でも両親との思い出がどれも鮮明に思い出せるのは、その日々が楽しかったことに他ならない
どのくらい寝られたのか分からないが、束の間の夢を見て、少しばかりソフィアの気が楽になった
と、ソフィアの懐に入っていた通信用水晶が輝きだした。ナベリウスからだ
この水晶は初めの頃にバエルがソフィア一人でも出撃の連絡を受けられるようにと預けられたものだ。こうすることでナベリウスから真っ先にソフィアへとエレメンタリアの情報が入る
そして、その水晶が輝いたということは、戦が始まろうとしている
ソフィアは眠気を覚まし、水晶に向かって口を開いた
「どうした?」
「勇者殿。お早い反応で」
「御託はいい! 内容を言え!」
「あ、はい。スートの兵が少数でアステ国内に侵入した動きが見られました。複数の部隊に分散して、全ては追いきれなかったですが」
「アステにだと!」
スートは今までアステに対しては侵攻を仕掛けてはいなかった
だが、ここに来て、アステに侵攻してきた
兵の士気も落ちかけている今、スートに次いで強国であるアステに何故。血迷っているとしか思えない
結論が分からないソフィアであったが、すぐに立ち上がり、呪いの武具を装着しながら、地下牢から出る
「場所が分かるのはあるか?」
「はい。分かっているのは、イニティ村という集落の近くに移動した連中が―――――」
「イニティ、村?」
ソフィアはその言葉を聞き、動きを止める
反応が薄かったソフィアに疑問を持ったナベリウスは聞き取れなかったのかと思い、再び彼女に告げる
「はい。イニティ村です。あの、何か・・・・・・?」
「くそっ!」
ソフィアは水晶を握りしめ、一気に階段を駆け上がり始めた
何でだ。何ということだ。どうしてだ。
イニティ村。私の生まれ故郷が、何故狙われなければならない
ソフィアの脳裏に浮かぶのは、先ほど見た夢。笑顔で自分を迎え入れてくれる両親の姿であった
何としてでも、私が父さんと母さんを、村の皆を守らなければ
「ナベリウス! 一番近いアジトに連絡を入れろ! さっさと門を開けさせろ!」
「は、はい。今まさに、そのアジトに向かってまして・・・・・・。門を開けるには恐らく時間が掛かるかと」
「急がせろ! 切るぞ!」
「あ、は―――――」
ナベリウスの返事を途中で切り、ソフィアは鎧と剣を装備し、最後に兜を頭に被り、黒い剣士と化した
呪いのせいか勇者という身分を隠しているせいか分からないが、この鎧を着ているといやに冷静さを取り戻せるような気がする
ソフィアは、冷静さを取り戻して尚、己の内に秘める思いが逸るのを感じ取っていた
信仰集団との門はシャイターン城内、五階にある大広間にて開かれる。ソフィアが大広間で門が開かれるのを待っていると、バエルが大広間に入ってきた
ソフィアは振り返り、何か言いたげなバエルより先に言い放った
「私は行くぞ」
「言っても聞かんだろうな」
「だったらどうする? この間みたいに強引に私を寝かせるか?」
「・・・・・・いや、いい。お前がしたいようにしろ。最早、私が強制することではない」
「そうか」
話し終えると、丁度門が開かれた。『移如影』のように渦巻いた仄暗い闇の中へソフィアが入ろうとする。その背中にバエルは言葉を投げかけた
「お前の行き着く先に何があろうとも、どんな困難があろうとも、私はお前を見ていてやる」
「・・・・・・勝手にしろ」
言い終えると、ソフィアは振り返りもせずに門へと吸い込まれていった
一人、残されたバエルは誰もいない大広間で先ほどまで門があった場所に手を伸ばし、掴む動作をする
無論、その手には何も握られず、空を掴む。バエルは伸ばした手を戻し、掌を見つめると、握り拳を作る
「ソフィア・・・・・・お前はあらゆる理不尽に抗わなければならない。負けてはならないのだ。決して」
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