第8話 勇者、奔放する




 不安と恐怖の入り混じった表情をしながら、多くの人々が教会の前に集まっていた。教会の前では大きな鍋に入れられたスープと大量のパンが置かれており、教会に勤める者たちが配給を行っていた

配給を受けている者たちは皆、スートからの被害を受けまいと地方の村から城下町まで逃げてきた避難民だ。疲れ切った顔で一杯のスープと一つのパンを貰っていく

サーリャもまた、教会に勤める者として配給の手伝いを行っていた

スープを掬い、深皿によそっていく作業の中で、彼女は避難民が感謝の言葉を捧げながら、配給を摂っているのを目撃し、胸を痛める



 日に日に、スートとの戦は戦火を広げてきている。今はまだ城下には届いてはいないが、すでに『クラック』周辺の平原地帯は抑えられたと聞いている

 やはり、スートの狙いは『クラック』であった。サーリャはスートがツェセに攻め込んできたと聞いた際には、狙いが魔界になると感づいていた

初めの頃は、平原に兵を並べて互いに睨み合うだけであった

だが、平原以外にもスートの兵はツェセに入り浸り、我が物顔で闊歩していた。それを見ていて、無視できるほどツェセの民や兵も寛容ではない

怒りや苛立ちが募り、そこかしこで小競り合いが起きた。それこそが、スートの狙いだった

何処かでスートの兵がツェセの者に殴られた、果ては斬られかけたとなれば、スートとしては報復の機会を狙う絶好のチャンスだったのだ

たった数日でいざこざは積み重なり、互いの不満が募った時、スートはとうとう平原の兵に一斉攻撃を命じたのだ。そこから先は、皆が知っている通りである

 この時点でサーリャに出来ることは民衆の不安を減らすことしかなかった。勇者の仲間であっても回復専門であったサーリャにとって、人同士の戦争は自分から阻止できるようなものではなかったからだ

ならば、戦場に赴き、傷ついてツェセの兵士を癒すか。そう思っていたサーリャであったが、サルバに止められた



「勇者様亡き今、サーリャさんは人々の憧れと平穏の象徴なのだ。そのような御人が戦場に赴くだけでも民たちは不安になる。サーリャさんが行くほど、戦況は不安定なのかと。それに、万が一サーリャさんの身に何かあれば、我々は希望の光を失くしたも同然なのです」



だから、サーリャは出来る限り民衆の不安を減らす方に専念してほしいと念を押された

 分かってはいる。分かってはいたが、サーリャは自分の不甲斐なさに怒りすら覚えていた

人々が苦しんでいる中、何もできない自分が悔しい。自分も勇者様のように戦える力が欲しい。そう願っていた

 配給を終え、サーリャも休憩を取っているとサルバが声を顰めながら、近づいてきた



「どうしたんですか、サルバ様」

「サーリャさん。お耳を」



サルバはサーリャに耳打ちをすると、サーリャの表情が段々と変わっていった

思わず大声を上げかけたが、何とか押し殺し、サルバに小声で問う



「それは、本当なのですか?」

「王宮で耳にした伝令です。間違いないかと」

「スートの兵が撤退をしているなんて・・・・・・。戦況は此方が不利だったのに」



それが本当ならば喜ばしきことだが、今それを民衆に知らせ、変に騒ぎ立てても意味がない

確証を得なければ、単に民の心を弄んだだけになる

サルバは続けて、彼女に小声で話す



「これも不確かなことですが、敵はどうやらたった一人に苦戦していると」

「一人!? それは、信じられませんね」

「私も信じられませんが、現地の兵士たちが言うには黒い剣士がスートを圧倒していたと」



サーリャは考えていた。スートの兵が陣取っていたのは『クラック』付近の平原地帯。そこには『クラック』以外、特別目立ったものは無い

そして、突如現れた一人の屈強なる剣士。まるで、何もないところから現れたように



「まさか・・・・・・いえ、考えすぎかしら。でも」

「サーリャさん。その目でお確かめになられますか」

「え?」



サーリャは驚きながら、サルバを見る。サーリャを戦場に行かせまいとしたのはサルバ自身であった

そのサルバが、サーリャを戦場に行かせてくれるというのだ



「すでに早馬と知り合いの兵を用意させております。ここからならば全力で駈ければ、半日もせずにツェセ軍の前線へと着きましょう」

「で、ですが良いのですか?」

「何、私もちょっとした希望を持っていましてね。我らツェセの窮地を救ってくださった、その剣士。救世主のようだ。まるで、かつての勇者様を見ているようでして。サーリャ様もそう思われているのでしょう?」

「それは・・・・・・」

「だからこそ、貴方自身の目で確かめてほしいのです。例え、その者が勇者様でなくとも」

「・・・・・・分かりました。行って参ります」



サーリャは立ち上がり、サルバに礼を言うとすぐに早馬を用意しているという正門の方へと向かった

そこには一人の兵士と馬が一頭、待っていた。サーリャを確認した兵士は敬礼しながら、声を出した



「お待ちしておりました。さあ、此方へ・・・・・・っと」



兵士はサーリャの恰好を見て、戸惑った。サーリャの服は上下一体型のワンピースであった

 これは修道士の制服であるが、清楚でお淑やかさをイメージしているため激しい動きには向いていない。無論、馬に跨るなんて以ての外だ

 サーリャも兵士の視線に気づき、笑みを返す



「ええ。これは、こうすれば・・・・・・!」



サーリャは強引に裾の縫い目の部分を引っ張った。糸が裂かれ、スリット状にスカート部分が割れ、サーリャの脚が露出する形になった

兵士は目を丸くしながら、彼女を見る



「よいのですか?」

「恰好なんて気にしていられません。さあ、行きましょう」



サーリャの覚悟を汲み取った兵士は力強く頷き、馬に跨る。乗馬に不慣れなサーリャは兵士の手を借り、彼の後ろに跨る

そして、兵士は馬を操り、サーリャは事の真実を確かめるため、平原へと向かうのであった




                    §




 『クラック』のある平原。『クラック』の他には何もない場所だが、『クラック』があるというだけでこの地の付加価値は金の出る鉱山よりも価値が跳ね上がる

ツェセの領域にあるこの地は、今ではスートの軍勢により領土を取られたと言ってもいいほどに制圧されていた。その軍勢、およそ五千

敵国の領土を奪い取るという大事な戦局を一任された尖兵たちは今、たった一人の剣士の手により、混乱に陥っていた



「くそっ! 何なんだアイツは!」

「たかが一人に何をやっておる! 一斉に射掛けろ!」

「し、しかし、動きが速すぎて何も見えません!」



兵士が叫んでいる間にも彼らは瞬く間にその場に倒れていく

風のように駈けて行く、その者の姿がスートの兵を纏める将軍の目には入っていた

まるで悪魔のように全身を漆黒の鎧兜と外套を纏った剣士。圧倒的な強さの前にスート兵は為す術が無い

見たことも聞いたことも無い剣士の存在に将軍は怖気を感じながら、馬の手綱を引いた



「くそっ! 退けっ! 一時退却だ! 前線を下げる!」

「しかし、将軍! 『クラック』は・・・・・・」

「予想外の事態だ、国王に指示を仰ぐしかあるまい! 全軍に伝えろ!」

「は、はいっ!」



その場に居た全兵が背を向けて、逃げ去っていく

慌てふためく姿を視界に入れ、剣士はようやく動きを止めた



「これぐらいやれば、少しは時間を稼げるだろうか・・・・・・」



剣士は鎧兜に合わせたように漆黒の剣を地に刺し、誰もいないことを確認してから兜の奥からひどく籠った声が漏れた



「この程度なら、本当に多少だな。様子をツェセの連中も窺っていただろうし、この地はツェセが取り戻すであろう」

「そうか」



剣士は剣を腰の鞘に収めながら倒れている兵士たちを見回す

皆、地に伏せているが、息はあるようで呻き声が上がっている



「この者たちはツェセの捕虜として上手く活用されることを望もう」

「ツェセは元々争いを好まない国だ。無闇に扱われることは無いだろう」



剣士はそう言うと、風のように平原を駆け抜け、近くの森林へと消えて行ってしまった

 それから数分後、ツェセの前線部隊が平原に到着し、倒れているスートの兵士たちを見て、驚愕していた



「やはり、あれは見間違いではなかったのか」

「如何致しましょう」

「彼の者が何者であれ、こうしてスート軍を駆逐してくれたことは我々にとっては僥倖だ。倒れている兵は捕縛し、スートとの交渉材料としろ」

「はっ」



 兵士たちが急いで気を失っているスートの兵を捕縛している間、命令を出したツェセの将は辺りを見回す

倒れている兵士は十人やそこらでは収まらない。およそ百人以上の兵士たちが倒れていた

しかも、恐らく皆生かされている。瞬く間に現れ、百人以上の兵士を峰打ちで倒す偉業を簡単にこなしてしまったあの剣士、一体何者であったのか



「ツェセにとって、これが追い風になってくれれば良いのだが・・・・・・」



 ツェセ軍がスート兵を捕縛している頃、森の中へ入った黒い剣士は何かを探すように辺りを見回し、声を上げた



「おい! いるのか!」



剣士の声が森の中に響いた数秒後、茂みから物音がした。剣士がそちらへ視線をやると、一頭の猿が現れたではないか

猿は剣士の姿を確認すると、人でも入っているかのように礼儀正しくお辞儀をし、口を開いた



「どうもお初にお目にかかります。わたくしはナベリウスと申します、勇者殿」

「御託はいい。さっさと魔法をかけてくれ」



黒い剣士の正体は、勇者であるソフィアであった




                    §




 時は少し遡り、戦争が始まってしまった現実に打ちひしがれていたソフィアにバエルはエレメンタリアへ行く許可を出した

その言葉を聞き、ソフィアは即座に立ち上がる



「急がねば・・・・・・!」

「待て。お前、その姿のまま人間界へ行くつもりか?」

「何?」



バエルに呼び止められ、ソフィアは己の姿を見る

今は簡素な服だが、地下牢に戻れば聖剣エクスカリバーもアウリカルクムの鎧も盾や腕輪もある。何処にも不備はないと思うが

そう思ったソフィアの心を読んだのか、バエルは深い溜め息を吐きながらソフィアを指差す



「今、お前はエレメンタリアにおいては故人扱いだ。そんなお前が生きていると知れ渡れば、どうなると思う」

「それは・・・・・・」

「生きていた勇者がスートの兵を蹴散らした。なんて知れ渡れば、瞬く間にあらぬ噂を建てられる。更に言えば、勇者は死んだと触れ回っていた王たちの信用も失墜する。特にツェセは勇者を生かし、隠し持っていたと思われても仕方がない形になるぞ」

「そ、そうだな」

「お前はお前自身の価値を知らなすぎる。お前の一挙一動がエレメンタリアの行く末を握っていると知れ」

「分かった・・・・・・。それで、私はどうすればいい」

「そのために私がいる」



そう言うと、バエルは掌をソフィアに向けるとそこから紫色の煙のような物が出現し、ソフィアの身体に纏わりつき始めた

煙が晴れると、ソフィアの姿は漆黒の鎧兜と剣で覆われていたのであった。どことなくバエルの鎧兜に似ているのは気のせいではないだろう

ソフィアは自身の姿を執務室にあった鏡で確認し、驚愕する



「何だこれは!」

「私の魔力で精製した武具だ。勿論私の魔力を込めているのでエクスカリバー程ではないが、剣の威力は期待できるぞ」

「成程。ん?」



ソフィアが兜を外そうとしたところで、あることに気づいた

何度も兜を引っ張っても外れない。試しに鎧や籠手も外そうとするが、皮膚に貼り付いているように外れない



「おい、これ取れないぞ!」

「万が一に備えて、お前の正体が見破られないように呪いをかけてある。声も兜を通して誰か分からないようにしてある。安心しろ、事を終えたら解除してやる」

「本当だろうな」

「我らは嘘を吐かない。そう言った筈だ」



ソフィアは不満を持ちつつ、バエルの言うことも正論だと思い、彼の造った武具を装備することを了承した

そして、バエルは対象の生物を別の生き物に変化させる魔法『変如雲』(チェンジ)を使い、ソフィアの姿を一匹のネズミに変えた



「これで『クラック』の隙間に入り込める筈だ。私はおいそれと人間界には行けぬからな」

「任せておけ」



ネズミの姿のまま、鼻息荒く答えるソフィアを大きな手に乗せ、バエルはシャイターン城から『クラック』のある場所へと移動し、隙間からソフィアを潜り込ませようとした



「『変如雲』の効力は短めにしておいた。恐らく、お前がスートの軍勢に入った辺りで切れるだろう。その後のことは私が追って話す」

「追って?」

「先ほどの兜にはお前が見た光景と音声が遠隔でも私の脳内に届くようになっている。更に、お前の脳内に直接私の声を届けることも出来る」

「気持ちが悪いことを・・・・・・」

「駄犬が勝手な行動をしないように手綱を引くのは飼い主の役目だろう」

「誰が!」

「さあ、さっさと行け。時間が無いぞ」



バエルに急かされ、反論も出来ぬままソフィアはネズミの姿でエレメンタリアへと送り出されるのであった

 エレメンタリアに到着したソフィアは久々の青い空を見上げ、感嘆していた



「久しぶりだ・・・・・・。エレメンタリア」



 ネズミの姿ということと、戦争が起きてしまった現状でなければ、感極まって泣いてしまっていたかもしれない。それほどまでに天は青く、明るく光っていた

しかし、目の前に広がる光景にソフィアはすぐに現実へと引き戻される

辺りは多くの兵士が休息を取っている姿が見えた。近くにあった木に登り、ソフィアはネズミの姿で遠くを見つめる

掲げている旗の紋からして、彼らがスートであることはソフィアには理解できた

ツェセとの一戦を終え、互いに距離を取っている様子だ。更に見渡せば、ところどころに平原の緑の中に赤い色が点々と散っていた

それが、兵士たちの血によるものだということは、見なくとも分かっている

沸々とソフィアの中にある感情が煮えたぎっていくのが彼女自身、実感していた

ソフィアは木から飛び降り、すぐさまスートの陣へと駆け出すのであった






 その後は、『変如雲』が解けた黒い剣士であるソフィアが奇襲の形でスート兵を蹴散らし、撤退させたのである

 バエルの計画で、帰る際に必要な変身魔法を森の中にいるナベリウスにかけてもらうということだったのだ



「ナベリウスはこと、変化と錯覚に関しては右に出る者はいない。自身の姿も変身によるものだ。コイツに掛かれば、一匹のネズミもドラゴンに錯覚させることも可能だろう」

「コイツの解説はどうでもいい」

「誰と話されているんで?」

「兜の中のバエルとだ。コイツが勝手に話しかけてくる」

「おお、魔王様ですか。先程ご連絡をいただきましたが、如何致しましょう」

「どういうことだ?」



直接答えられないバエルの代わりにソフィアがナベリウスに答える



「いえ、今後もこのような形で勇者殿を駆り出すとなると『クラック』周辺でないと馳せ参じることが出来ないと思いますが」

「む・・・・・・」



ナベリウスの言う通り、スートとの一件がこれで終わりとは思えない

もし、今後も各地でスートを倒していくことを考えると『クラック』から現れて移動しては間に合わない

そう思っていると、バエルがソフィアの脳内に語り掛け始めた



「私が言うことをそのまま、ナベリウスに伝えてくれ。いいか」

「分かったよ。おい、バエルからの伝言だ」

「はい」

「人間の我儘に付き合う形なのだから、我々も人間の我儘で馳せ参じようではないか・・・・・・。どういう意味だ?」

「・・・・・・ああ、はあ。成程。そういうことですか」



意味も分からず伝えたソフィアを他所にナベリウスは勝手に理解したようだ



「流石はナベリウス。どこぞの駄犬と違って頭が回る」

「だから、誰が駄犬だ」

「分かりました。では、私は今後、スートの動向を探る形でよろしいですかね」

「ああ。よろしく頼むとさ」

「了解しました。では勇者殿、魔法を。魔界に戻りましたら、魔王様に解除してもらってください」



ナベリウスが指でソフィアを差すと、『変如雲』を彼女にかけた。ソフィアの身体は徐々に縮こまっていき、またネズミの姿に変化した

魔法をかけ終えると、ナベリウスの身体が瞬く間に変化していき、一羽の鷹に変わったではないか。ナベリウスは脚に連絡用の水晶を掴むと、翼をはためかせ始めた



「それでは御武運を」



 ナベリウスは大空へと旅立っていくのであった。彼を見送ったソフィアは『クラック』に戻るべく、踵を返そうとした時である

地面が揺れ、遠くから何かが近づいてくる音が聞こえてきた。もしや野犬か何かが現れたのではないか。ネズミの姿のままでは何の抵抗も出来ない

まずいと思ったソフィアはすぐさま木に登り、様子を窺う

少し経ち、ソフィアが目にしたのは一人の女性であった

そして、その人物を見て、ソフィアは思わず声を呟いてしまった



「サーリャ・・・・・・」




                    §




 ソフィアが森の中でナベリウスと話をしていた頃、サーリャを連れた兵士はサルバが選んだだけあり、馬を巧み扱い、予想よりも早く平原にまで到着していた

疲れ切った馬から降り、兵士が休ませている横をサーリャが急いで降りて駆け出した



「有難うございました!」

「お気をつけて」



 サーリャは平原の中を一気に駆け出す。視線の先にはすでにツェセの旗を掲げた軍勢が闊歩している

恐らく、決着はついている。ならば、黒い剣士はどこへ

そこらに倒れている兵士の死体が視界に入るたび、サーリャは眉間に皺を寄せる



 これ以上、凄惨な悲劇は起こしてはならない。だからこそ、黒い剣士はツェセの、エレメンタリア全体 の希望なのだ

 その人物が、勇者であるならば、希望の再来として迎え入れるべきだ



例え、国の信頼が失われようとも、勇者が生きているという事実をサーリャは信じたかった

 前線の一番後方についていた兵士が近づいてくるサーリャに気づき、振り返った



「あ、あなた様は・・・・・・!」

「も、申し訳ありません。唐突に来て、不躾な質問をさせてもらいたいのですが、黒い剣士様はいらっしゃいますか?」

「それが」



兵士は他の兵士と顔を見合わせ、サーリャに事情を説明した

黒い剣士が一人で百にも及ぶスートの兵を蹴散らしたこと。その兵士たちは全て生かされたまま倒していたこと。そして、剣士はすでに姿を晦ましたことを

全てを聞き、サーリャはその場にへたり込んでしまった



「だ、大丈夫ですか!?」

「いえ、大丈夫です。有難うございました。皆さまの活躍を神も見守られておられたでしょう・・・・・・」



サーリャはふらつきながら立ち上がり、心配して追従しようとする兵士たちに断りを入れ、一人でその場を後にした

 平原の中を歩き、サーリャは安堵していた。兵士の話を聞き、へたり込んでしまったのは黒い剣士が勇者であると分かったからだ

風の如く駈け、一騎当千の働きで戦い、全ての兵士を殺さずに倒した。そんな芸当が出来るのは、サーリャの知る限り勇者以外、エレメンタリアにはいない

近くにあった木によろめいた体を預けながら、サーリャは呟いた



「ああっ・・・・・・! 生きておられたのですね、勇者様・・・・・・!」



アズマ王が勇者は生きていると告げ、ビッツたちも信じていたがサーリャは違った



 もしかすると、勇者はすでに殺されているかもしれない

 王たちは嘘をついて、我々の不安を取り除いてくれたのかもしれない



そういった負の感情が彼女を常に思い悩ませていた

毎日神に礼拝し、勇者に願いを届けていた彼女であったが、脳裏には魔王との戦いで最後に見た勇者の悲しい微笑みがちらついていた

何もできず、足手まといにしかならなかった自分を見つめてくれた彼女の顔を忘れずにいることは出来なかった

だからこそ、今回の一件で勇者が生きていると確証出来たことは、彼女にとって救いであった

 勇者の生存を信じ切れなかった自分への羞恥と勇者が生きてくれていた安堵で胸がいっぱいになり、サーリャは泣き崩れた




                    §




 その様子を、ソフィアは木の上から窺っていた

かつての仲間たちがこれほどまでに自分を心配してくれている。すぐにでも声を掛けてやりたい

そう思った時、バエルの声が脳裏に響いた



「行くな。先程、言った言葉。分かっているだろう」



自分が今、出て行けば、国が混乱する

バエルの言葉にソフィアの動きが止まる

エレメンタリアの行く末と仲間たち。二つの感情が振り子となって、ソフィアを揺さぶっていた

続けざまにバエルはソフィアに語り掛ける



「お前は人類全ての希望なのだろう? だから、ここで立ち止まっている場合ではない」

「・・・・・・」

「戦いは終わっていないぞ。明日になれば、また血を流す者が出てくる。さあ、早く戻ってこい。ソフィア」



バエルの言葉をゆっくりと噛み締め、ソフィアは泣き崩れているサーリャの姿を目に焼きつけるように見つめると、木の上から器用に飛び降りて『クラック』へと向かった




                    §




 魔界ではソフィアを視界と聴覚を共通しているバエルが執務室で待っていた

そこに、アスタロトがノックをして入ってきた。アスタロトは自分が入ってきたことに気づいていないバエルの様子を見て、何をしているのかを瞬時に理解した



「魔王様。魔王様」

「ん、ああ。アスタロトか」



意識を魔界の方に戻したバエルはアスタロトの存在にようやく気づいた



「話の経緯はお聞きしました。シャイターンから魔王様が出られた時はどうしたのかと思いましたが、まさか勇者をエレメンタリアに返すとは」

「一時的にだがな。彼女はここに帰ってくるさ」

「信頼されてますね」

「帰ってくるさ、ソフィアは」

「まあ、魔王様の命を狙おうとしているのですから、帰ってくることに疑問は持ちませんが・・・・・・」

「それはそうだ。これからもソフィアは私の命を狙うだろうし、スートの兵を倒していくだろう。人間界の平和という偽善の名の下にな」

「魔王様も意地が悪い」

「私のせいではないさ。何せ彼女は・・・・・・」



バエルは天井を見つめ、目を細めると呟いた



「神に選ばれた、人類を平和に導く希望なのだからな」




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