第7話 勇者、絶望する



 エレメンタリアに存在する四国の内、南に位置するツェセ国。神を重んじる伝統が古くより根付いており、信仰の厚い国

かつては魔界と人間界を繋ぐ時空の裂け目、『クラック』が国内に出現したせいで最も魔物の被害を受け、一時は魔界の支配下に置かれた時期もあった

だが、国王を始めとした国民は神とそれに連なる勇者の活躍を信じ、耐えてきた

そんなツェセも、魔界の脅威が消え去った今、平和に人々が暮らしている。王都に存在する城下町。そこに一つの教会が建てられていた

天辺に神を模したモニュメントをあしらい、白く塗られた壁は清廉さを表している

そんな教会の入り口に、多くの民たちが集まっていた。民衆の目的は、一人の人物であった。その人物が入り口から現れた瞬間、皆一斉に彼女を取り囲んだ



「サーリャ様!」

「サーリャ様!」



サーリャと呼ばれた修道女は、縋るように集まってきた民衆を宥めるように手を軽く天に翳した

途端、民衆は意図したように皆、黙った



「皆さま、神はいつでも我らを見守ってくださっております。平穏を取り戻した、この世界が永劫に続けられるように、懸命に生きましょう。それこそが、この平穏のために散っていった者たちへの救いであり、願いでもあるのです」

「おお・・・・・・サーリャ様・・・・・・!」

「有難きお言葉・・・・・・」



その後も少しばかりサーリャの周囲に民衆が集まり、彼女の言葉に耳を傾けていた

サーリャの講演が終わり、サーリャは再び教会の中へと入っていった。民衆たちは自然と解散し始める



「いやぁ、サーリャ様の御言葉はやはり違うなぁ」

「そりゃそうさ。勇者様と共に世界をお救いになられた御方だぞ」

「勇者様は死んでしまわれたけど、サーリャ様は立派にその意志を継がれているわ」






 教会に入ったサーリャは胸を撫で下ろして、礼拝用の椅子に座る

座っている彼女の下にゆっくりと修道士の服を着た老人が近づいてきた



「有名人は辛いのう。サーリャさん」

「あ、サルバ様。申し訳ありません、あのように騒ぎ立ててしまいまして」

「いやいや、サーリャさんのお陰でこの教会にも大分、礼拝者も増えてきました。神のお導きを信じる者が増えることは良いことです。ここの主として鼻が高い」

「それは、そうですね」

「勇者様と共に旅をされてから、一段と身も心も強くなられた気がいたしますよ」

「そう、でしょうか」



 サーリャは元々ツェセ国の生まれで、父母ともに修道士であったため、彼女も幼い頃から修道士として務めてきた

ツェセを訪れたソフィアたちと話をし、神の御子たるソフィアの世界を救う使命に感銘を受け、旅の仲間として加えさせてもらったのだ

サーリャ自身も幼い頃から神を信じ、幾度も礼拝を続けてきたこともあり、神の声を聴くだけならば時折出来た。そのお陰で、彼女には傷を癒す治癒魔法を高い効力で扱うことができたのだ

 しかし、彼女の魔法は魔王の前には為す術もなかった。相手の声を封じ込める『黙如死』(クワイエ)をかけられ、魔法を使えなかったのだ

サーリャは、相手を攻撃できる魔法は覚えていない。持っていたのは味方を援護する魔法のみ

だからこそ、彼女はあの場で何もすることが出来なかったことを今でも後悔していた

だが、神に仕え、人を導く立場にいる修道士が魔物相手とはいえ攻撃する行為をするということが、彼女自身を悩ませていた

 顔を俯かせるサーリャに、サルバは彼女の横に座ると、口を開いた



「サーリャさん。お父上とお母上はお元気ですかな?」

「え? ええ、この間、実家に戻った際にお話しはしましたが」

「それは何より。平和になったとはいえ、大切な人がいつ居なくなってしまうかもわかりません。今、この時に想う人と過ごされる時間を大切にしなされ」

「大切な、人・・・・・・」



 その人は、私にとってはもう遠くに―――――



サーリャが胸の内に想いを秘めていると、教会の扉が強く開かれた

サーリャとサルバが視線をそちらへ向けると、壮年の修道士が息を切らせて入ってきた



「どうした、そんなに慌てて。貴方は城へ兵士たちの礼拝を行っていた筈では」

「サ、サルバ様! 大変です! 我が国にスートが兵士を派遣してきたとの報告が城内にて・・・・・・」

「何と! 一体どうしたというのだ」

「スートが何故、まさか!」



何故、この時期に進軍を仕掛けてきたのか訝しむサーリャであったが、自身の中にある一つの答えが浮かび上がった時、顔を青ざめた




                  §




 ツェセで一大事が起きている頃、ソフィアは自室と化している地下牢で目を覚ました

堅い石で出来たベッドから身を起こし、ソフィアは自分がどうして此処に居るのかを思い出していた



 確か、自分の存在を気に食わない魔物どもとの闘いを終えた後、バエルと話をして、それから―――――



全てを思い出したソフィアは目を見開き、急いでバエルのところへ向かおうとした

だが、足がぐらつき、ソフィアは両手を床についてしまう。身体中のあらゆる部分が悲鳴を上げていた

バエルは、ソフィアが気絶するまで魔法を使って地面と天井に何度もソフィアを叩きつけていた。身体が傷を負っているのは当然であろう

むしろ、常人ならば死に至っている程のダメージを負っていても動けるレベルまで回復しているソフィアの身体の頑丈さに感嘆するのが普通である

しかし、この場には自分の頑丈さに疎いソフィア以外、誰もいない。故に、彼女は重たい身体を起こしながら、鎧もエクスカリバーも身に着けず、一人で地下牢から地上へと向かうのであった

 ソフィアが地上へ上がると、丁度シトリーと出くわした。シトリーはソフィアの姿を見つけると、驚いた表情をし、すぐに彼女に抱き着いた



「ソフィアちゃ~ん! 起きたのねぇ!」

「わぷっ、やめろ。抱き着くな!」



豊満なシトリーの胸に埋もれながら、ソフィアは彼女から何とか離れた



「ソフィアちゃん、もう六日もお寝んねしてたから、流石に心配しちゃったわぁ」

「六日!? 私は六日も倒れていたのか」

「そうよぉ。一応、傷薬とかで処置はしたけど魔王様の御仕置は想像以上に酷かったわねぇ。魔王様をそこまで怒らせちゃうなんて、どんなことしたの?」



シトリーに投げかけられ、ソフィアは先日の記憶が鮮明に蘇った

何度も叩きつけられ、意識を失いかけた時。最後に見たバエルの顔は、兜越しでも分かるくらいに、哀れみに満ちていた

ソフィアは下唇を噛み、シトリーに食って掛かった



「魔王はどこに居る!」

「あらあら、質問に質問で返すのねぇ。ま、いいけど。魔王様なら執務室におられるんじゃないかしらぁ?」

「五階だな!」



シトリーが言い終えるや否や、ソフィアはシトリーの横を駆け抜けていった

シトリーは振り向き、すでに階段を駆け上っているソフィアの背中を見て、微笑んだ



「場所も覚えちゃって、すっかり馴染んできたわねぇ」






 バエルへの怒りが身体の痛みを通り越していたソフィアは、廊下や階段を歩いていた兵士たちを押しのけ、五階にある執務室へと到達した

ソフィアはノックもせず、勢いよく扉を開ける。そこには、お目当ての魔王が簡素な机に頬杖をついて退屈そうにしている姿があった

彼はソフィアに気づくと、朗らかな態度で彼女を迎える



「おお! 目覚めたかソフィア! 怪我は平気か?」



彼女をそういう風にした張本人であるのに、バエルに反省の色はない

ソフィアは怒りで血管が切れそうになるのを堪えながら、ずかずかと執務室に入り、机を強く叩いた



「貴様、よくも!」

「お前ならあの程度で死ぬわけが無いだろうと思っていたが、やはり平気だったな」

「六日も寝させておいて抜け抜けと・・・・・・!」

「ああ、そうだ。六日だ。六日。沸騰したお前の頭を冷やすには十分だろう」



バエルは兜の隙間から目を覗かせて、彼女を見つめた。ソフィアと同じ、銀色の瞳で

一瞬、ソフィアは戸惑うも怒りを引き起こし、怒号をバエルに飛ばし続ける



「貴様の妄言に付き合う暇など無い! やはり貴様をさっさと殺して、エレメンタリアに真の平和を取り戻すことが最優先だ!」

「真の平和、か」



吐き捨てるようにバエルはソフィアの言葉を反芻し、机の引き出しからある物を取り出し、机の上に置いた

見れば、それは丸く加工された水晶であった。丁寧に布で出来た緩衝材に置かれたそれは鈍くソフィアの姿を反射していた



「何のつもりだ?」

「ソフィア。私はお前に言った筈だ。私は人間が嫌いだと」

「それがなんだ」

「私が人間を嫌いな理由はな、私利私欲に塗れ、平気で罪悪感もなく同族を餌食にするところだ。目先の欲に囚われ、明日を捨てて、今を手に入れている奴らの多いことよ」

「そんなことは無いッ! そんなものは少数に過ぎん! そういう奴らは神の名の下に処罰されるべきだ!」



ソフィアの言葉にバエルは肩を震わせて笑う



「少数、少数か。そうかもしれんな。だがな、その少数が人間を導く立場にいるとしたらどうだ?」

「・・・・・・何だと?」

「人間という生き物は大半、己の持っている感情を他者に振り回されやすい。そして、己の感情を思うがまま振り回す者というのは、何の因果か人間の頂点に立つことが多い。いや、振り回すが故にその道をこじ開けていると言うべきか。頂点に立った者は己の感情を下にいる者にも振り回す。すると、どうなると思う」

「それは」



言葉に詰まるソフィアに代わり、バエルが己自身の解答を述べる



「下の者にも、その感情が伝染する。澄んだ水に汚れた水を混ぜるようにな。薄くだが、確実に全体に広がっていくのだ。それに気づく者は早々いない。何故なら大半の人間に己が持つ個の感情は無いからだ。勿論、振り回す感情の色が濃ければ濃いほど伝染も深くなっていく」

「何が、言いたい」



ソフィアは六日前の自分と同じことを言っていることに気づく



 最近、コイツは自分の考えを私に吐露することが多くなってきた

 バエルは、何を私に伝えようとしているのだ?



ソフィアの疑問を他所にバエルは話を続けていく



「簡単に言うとな、人間というのは、意識を変えやすい生き物ということだ。指導者が愚かだと猶更それが顕著になる。自分たちで作り上げたものを簡単に壊す」

「それが、貴様が人間を嫌う理由か? 今、何故その話をする」



ソフィアの言葉にバエルは水晶に無言で手をかざした。すると、水晶に淡く光が灯り始めた

エレメンタリアにも、似たような物はあった。同じ水晶から作られた、対になる丸い水晶。片方の水晶に魔力を込めると、もう片方と通信が可能になる非常に便利な道具だ

 水晶からは、しわがれた声で応答が聞こえた



「はい、こちらナベリウス」

「私だ。どうだ、様子は」

「ええ、非常に面倒ですよ」



ナベリウスと名乗った者とバエルは淡々と会話をしていくが、ソフィアには何のことかさっぱり分からない



「映せるか?」

「ちょっと待ってくださいよ・・・・・・。ここならいいかな。はい、どうぞ」

「よし」



バエルが再び水晶に魔力を込めると、水晶は更に輝きだした

ソフィアは強い光に思わず目を手で塞ぐ。光の勢いが落ち着き始め、ソフィアが再び目を開けると水晶から放射線状に光が伸びているではないか

このような機能は、エレメンタリアの水晶には無かった。驚くソフィアにバエルは簡単に説明を加えた



「この水晶にはな、通信のほかにも魔力を更に込めることで相手方の水晶に映った姿をこちらに映し出すことが出来るのだ」



バエルはゆっくりと指を、伸びゆく光の先へ指した



「見ろ、ソフィア。これが偽りの平和で得た人間の未来だ」

「・・・・・・え?」



映し出された光景にソフィアは言葉を失った

そこに映っていたのは、武装した兵士が平原の真ん中で対立し合っている光景であった




                    §




模擬戦でも訓練でもない。すぐにでも争いが始まるという一触即発とした空気が水晶越しの映像からでもソフィアには実感できた

彼らが着ている武装や旗からして、対立しているのがスートとツェセであることが分かる



 何故、彼らは争っている。偽りとはいえ、私を差し出して平和を取り戻したのではないのか?



悪寒が走り、身体を震わせるソフィアにバエルは静かに口を開く



「王との契約を終えて、私はすぐに斥候としてナベリウスをエレメンタリアへ送り込んだ。これはあくまで偵察であり、侵略ではない。屁理屈と思うが危害は一切加えていないからな。『クラック』がある付近の森の中で動物と同じように暮らしている。だから、国王たちと交わした契約に違反行為は―――――」

「私が聞きたいのはそういうことではない! 何故、何故彼らは武器を取っている!」

「言っただろう。人間というのは簡単に自分たちで作り上げたものを破壊する生き物だと」



バエルは深く息を吐き、呆れた様子で話を続ける



「先ほど、ナベリウスから報告があってな。丁度お前が倒れた日からツェセの平原に兵士が配置されたと思えば、別方向からも兵士がやってきて瞬く間に今のような膠着状態が生み出されてしまったらしい。詳しいことは不明だが、恐らく目的は私が作った『クラック』ではないかと思われる」

「『クラック』を・・・・・・!?」



 『クラック』は魔王が魔界とエレメンタリアという別世界の壁を切り裂いた際に生まれた世界の裂け目のことである

そこから魔界の軍勢はエレメンタリアへと進軍し、世界を震撼させた

しかし、四国の王たちとの契約により、『クラック』は閉じられ、今はツェセが管理している筈。ソフィアが疑問に思っていると、心中を見抜いたようにバエルは説明をする



「一度生まれた世界の裂け目を完全に元に戻すことは不可能なのだ。だから、今は私の魔力で強引に裂け目を繋ぎ止めているに過ぎん。実際にナベリウスは、その隙間から人間界へと向かったからな」

「だが、何故そこをスートが目的にしている・・・・・・」

「ここからは私の推測に過ぎんが、恐らくスートの国王は魔界に新たな利益があるのではないかと踏んでいると思う」

「魔界に!?」

「だからこそ、管理下であるツェセに強引に踏み入ったのだろう。今更、『クラック』に用があるとすればそれ以外に無い。偶然にも私が切り開いた『クラック』のある場所はツェセを除けばスートが一番近い国になる」



ソフィアは目の前が真っ暗になりそうになったが、何とか踏みとどまり、近くにあった椅子へとふらつきながら全体重を預けるように座り込んだ



「馬鹿な・・・・・・! 一国の主が一時の利益のために地獄の窯を開けるというのか・・・・・・!」

「奴らとの契約上、私は侵攻を仕掛けることは出来ないが奴らから均衡を破ることは可能だ。無論、奴らが魔界に踏み入った時は全力で潰すがな」

「これが貴様の言った意味か・・・・・・」

「そうだ。愚かな頂点のせいで下の者も巻き込まれ、周りもその犠牲になるのだ。その過程が今、起ころうとしている」



 元々、スートは好戦的な国であった。歴史書によれば、魔界が侵攻してくる以前、四国は拮抗した関係にあったが、スートは他三国に対し積極的に侵攻を仕掛けていたらしい

歴代の王がそうであれば、当然スート現王もその血筋を引き継いでいる。己の欲のために他者を切り捨てる、そういう男だ

 以前、ツェセに来訪した際、その姿を拝見したことがあったが、傲慢さが滲み出ていてあまり好きにはなれなかった

エレメンタリアが平和になった今、スートが次に行うことは、自国の強化。そのためにも、未知なる存在が多い魔界に目をつけたということだ

 今はまだツェセがスートの侵攻を阻む形で待機しているだけであるが、いずれは血が流れるかもしれない。いや、なる。確実に

ソフィアは椅子から立ち上がり、執務室から出ようとするが、バエルの一言が背中に突き刺さる



「どこへ行く」

「決まっている! あの場へ行き、止めさせるのだ!」



 私が倒れてからということは、すでに膠着状態は六日目に突入している。早く行かなければ、手遅れになってしまう

そんなソフィアの思いに対し、バエルは冷酷な一言を言い放つ



「無理に決まっているだろう。私の許可なく、お前はシャイターンの外に出ることはできん」

「ッ!」



ソフィアは振り返り、椅子に座ったままのバエルに掴みかかる



「なら、許可を出してもらおうか」

「私が出すと思うか?」

「出させるまでさ・・・・・・!」



銀の瞳同士が静かに睨み合う中、水晶越しからナベリウスの慌てた声が聞こえだした



「魔王様! 兵士どもが進軍し始めました!」

「む」

「何っ!」



ソフィアはバエルから手を放し、映像の方を振り向く

見れば、ツェセとスートは互いに進軍を始め、一定に間合いになったところで進軍を止めた

後方に居るスートの部隊が弓に矢をかけている様子をナベリウスが水晶を動かして捉えていた



「ダメだ。やめろ・・・・・・」



ソフィアは蚊の鳴くような声で映像を見つめ、バエルは頬杖をついて、その様子を窺う

スートの部隊は弦を限界まで引き延ばした弓を斜めに向け、天を仰いでいる



「やめてくれぇ!」



ソフィアの叫びも空しく、戦いの火蓋は、切って落とされてしまった―――――




                    §




 剣で斬り、魔法が光り、盾で払い、矢で射掛け、兜で受け、血が撥ねる

血生臭い凄惨な光景が水晶を通じて、広がっている。その光景をバエルはじっと見つめながら、視線をソフィアの方へと移す

ソフィアは力尽きたように項垂れ、椅子に座っている。ほんの短時間で憔悴しきっているようにも見えるが、バエルは何の気もせずに彼女へ話しかける



「見ろ、ソフィア。これが哀れな指導者による結果だ。欲のために他者を蹴落とし、己が物としようとする。なんとも滑稽で脆弱よ」

「黙れ・・・・・・」



ソフィアは反論をするが、その言葉に力は籠っていなかった。その様子にさしものバエルも深く息を吐いた



 流石に人間を守るために生まれてきた者が見るには辛い光景か。だが、これはまだ序の口に過ぎない



バエルは水晶に手を翳し、ナベリウスに連絡を取る



「ナベリウス。お前はそこから逃げろ。その森にも被害が及ぶかもしれん」

「分かりました」

「落ち着いたらまた連絡を寄越せ。では、通信を切るぞ」

「はい」



通信を終えると同時に水晶から映し出されていた光景も幕を閉じる

そして、バエルは立ち上がり、ソフィアへと声を投げかける



「あれで終わりと思うな。ここから更に戦火は広がるぞ」

「え・・・・・・」



バエルの言葉にソフィアは弱弱しい声を出しながら、顔を上げる

今まで見たことも無い弱り切った彼女の表情にバエルは目を細めながら、話を続けた



「ツェセとスートのいざこざは、とうとう血を流す結果となった。これは南西の戦争が起こるきっかけに過ぎんだろう。いずれは街や村を巻き込んだ大戦となり、どちらが勝つにしろ多くの犠牲者が出る」

「それは・・・・・・」

「その戦争で終わりなら、まだ良い方だ。この出来事にソールンとアステが無視を決め込むとも思えん。恐らくは強国であるスートに対抗するため、ツェセは他国に援軍を要請するだろう。すると、どうなる」

「エレメンタリア全土が、戦場になる」

「そうだ。スートからすれば、援軍を派遣しただけではない。仮に物資の支援だけでも標的になろう。そうすれば、スートの兵士は国境を越えて、戦火を広げる」

「そんな・・・・・・。なんで、なんでこんなことに・・・・・・」



頭を抱え、絶望に打ちひしがれるソフィアにバエルは哀れみの目で彼女を見ていた



 考えてみれば、無理もない。彼女は人間同士の戦争を見ずに育ってきたのだ

 彼女が生まれた時には、人間が争う相手は私たち魔界の軍勢と決まっていた

 大勢の人間が殺し合う光景など、歴史書などで見たり聞いたりしたくらいで実際に目の辺りしたことなど無いのだろう。精々、盗賊が村民を襲っている程度か

 だからこそ、彼女は全ての人類が手を取り合って、平和に暮らしていくなどという理想論を信じていた

 いや、信じ込まされていたと言うべきであろう

 神の我儘で勝手に人類を守る御子と囃し立てられ、私を殺すためにその人生を捧げてきた少女が、見るべき光景ではなかったのだ。アレは



 バエルはゆっくりとソフィアに近づき、塞ぎ込んでいる彼女を包み込むように、大きな手と身体で抱いた

抱かれた瞬間、ソフィアの身体が少しばかり震えたが、拒否するような反応は見られない

彼女の頭を撫でながら、バエルは優しく彼女に語り掛ける



「もういい。何も見るな。何も聞くな。お前が、抱え込む必要のないものだ。アレは。いずれ、ああなる運命だったのだ」

「―――――も」

「ん?」



バエルがソフィアを優しく諭していると、小さくか細い声が微かにバエルの耳に入った

ゆっくりとバエルが彼女から離れ、彼女の姿をしかと見つめた



「それでも、私は・・・・・・私は、勇者だから。平和を脅かすものには、立ち向かうべきだ」



ソフィアの表情には疲れ切ったものが見える

しかし、その銀の瞳の奥底に映る闘志は、消えてはいなかった。折れてはいなかった。諦めては、いなかった

バエルは目を見開き、感嘆した



 ここまで、ここまで彼女は、勇者であったか

 いや、それ以外に何をすればよいのか分からないのかもしれない

 それでも、彼女の願いが無下にされても、彼女は人類のために動こうとしているのだ



その愚直さに心打たれたバエルはソフィアの目を見つめ、静かに口を開いた



「分かった。行け、人間界に」

「え?」

「止めに行け。お前が、あの愚かな戦を止めるのだ」

「・・・・・・ああ、ああ!」



ソフィアの顔にどんどん生気が戻っていく

その表情を見て、バエルは兜の奥の銀の瞳を細めると共に、己の奥底に秘めている感情が湧き上がっていくのを実感していた




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