第5話 勇者、安らぐ
ソフィアは一階にある大浴場まで連れてこられた
朝、シトリーと共に一度入り口までは拝見したが中には入っていなかった
男女別で分かれており、閉じられた木製の扉を開け、中へ入ると脱衣所に繋がっている
シャイターン城を探索した際に女性の魔物の姿は全く見受けられなかったが、シトリーのような者もいるためか、しっかりとした造りになっている
ソフィアは渋々鎧と衣服を脱ぎながら、風呂に入る準備をする
シトリーはというと、ソフィアの着替えが済むのを待っている。どうやら、彼女はあの姿のまま風呂に入るようだ
「お前、それは生えているのか?」
「え? ああ、そうねぇ。この毛は生まれた時からこのままよぉ。ちょっと毛を掻き分ければ、見えちゃうものもあるけれどぉ、見たい?」
「誰が見るか!」
ソフィアは一喝しながらも、服を脱ぎ終える
一糸纏わぬ姿になり、ソフィアは改めてシトリーの姿を見る。締まるところは締まり、出るところは出る。人間が求める理想の女性像と言えよう
対するソフィアはあまり成長しなかった胸に、鍛えられたせいで筋肉質な身体。およそ男性にモテる肉体とは言えまい。そういうのが好みな者もいるだろうが
底知れぬ劣等感に苛まれるソフィアなど露知らず、シトリーはソフィアを手招く
「ほら、早く入りましょぉ」
湿気でカビが発生するのを防ぐためか、石で作られた引き戸をシトリーが開けると目の前に広がっていたのは、石で出来た壁と床。そして一番奥には、地層を掘り、固め作られたとみられる浴槽に並々とお湯が沸き出ていた
これほどまでに湯を無駄に流せるということは温泉だろう
ソフィアはあまりに豪華な作りに呆気に取られていた
「あらぁ? ソフィアちゃん、お風呂初めてぇ?」
「い、いや。確かに水浴びが主で、温かい風呂は王宮でいただいて以来だが」
「魔界はねぇ、温泉が豊富なのよぉ。火山地帯も多いし、そのせいなのかもねぇ」
我先にと湯船に浸かるシトリーはお湯の温かさを実感するように深く息を吐き、恍惚の表情を浮かべる
「はぁーっ、いいお湯。こうしていると一日の疲れも吹き飛んじゃうわぁ。ほらほら、ソフィアちゃんも」
「あ、ああ」
ソフィアも恐る恐る湯船に足先を浸け、熱過ぎない温度と知るとゆっくりと身体を温泉へと浸からせた
全身にじんわりと広がっていく温かさがソフィアを何とも言えぬ快楽へと誘う
「こ、これは確かに・・・・・・。アステのより、良いかもしれぬ」
「本当? よかったぁ。シャイターンで働いている女性って少ないから最初はこの浴場も小さめに作られる予定だったけれど、私が何とか反対したのよぉ。お風呂ってのはリフレッシュする場所なんだから、解放感溢れる形にしないとってね。凄いでしょ! 石鹸に風呂桶もあるわよぉ」
そこに関してはソフィアも同意見であった
ソフィアは、水浴びでも数日に一度あるかないかの旅を続けていたために、お風呂の有難味を分かっていた。気を抜ける場所があるというのは、それだけで気が楽になる
お風呂を堪能にするように、ソフィアは全身を解放するように伸び伸びと温泉に浸らせていく
そうしていると、再び引き戸が開かれ、誰かが入ってきた。ソフィアが視線を向けるとそこにいたのは、アスタロトであった
「あらぁ? アスタロト様もお入りになられるんですねぇ。珍しい。他の方と入られるのお嫌いだったのでは?」
「私にだって、気が変わる時くらいあるさ」
アスタロトは湯船に髪が浸かるのを防ぐため、長髪を紐で纏め、頭の上に置く形にしている
眼鏡が無いこともあってか、それだけでもいつもの陰険な印象が大分薄れて、美人と呼んだ方がいいのかもしれないくらいだ
ソフィアがそんなことを考えている傍ら、アスタロトにも考えがあった
今、ソフィアは完全なる無防備。彼女を守る剣も鎧も無い
そして、この風呂場は足場も湿って滑りやすい。不意の事故が起こる可能性は決してゼロではない
不慮の事故で亡くなってしまえば、流石の魔王様もどうにも責任を追及出来ない
これで終わりだ。勇者
アスタロトは木の手桶で密かに作っておいた石鹸を溶かしたお湯を足場に流す
滑りやすくなった足場にソフィアは全く気付いていない様子だ
「そろそろ、身体でも洗うか」
「もぉ、本当は身体を先に洗うものよぉ」
「お前も洗ってないじゃないか」
「てへっ」
ソフィアが湯船から身を起こし、足場へと一歩を踏み入れる。アスタロトは内心ほくそ笑む
勇者が辿る哀れな最期を見届けるために
不幸にも、浴場での歩き方に慣れていないソフィアの足の角度は足場と直角になるほど、つま先を上げてしまっていた。当然、抵抗の少ない足場と合わさり、ソフィアは足を滑らせた
「うわっ―――――」
ソフィアが驚いた声を上げきる前に、岩で出来た湯船の縁に後頭部を強打させてしまった
「えっ、えっ! ソフィアちゃん大丈夫!?」
何事かとシトリーはソフィアの様子を窺う。その横で、アスタロトは腹からこみ上げる笑いを何とか抑え込んでいた
まだだ。まだ笑ってはいけない
だが、このあまりにもお粗末な勇者の最期は滑稽すぎて、我慢が出来ない
魔王様、人間などという、ひ弱な生物など取るに足りません
アスタロトが己の悲願を達成させたと思った直後、それは打ち破られた
「いてて・・・・・・滑ってしまったか」
「あー、良かったぁ! ソフィアちゃん生きてるぅ」
「ああ、ちょっと頭打っただけだ」
「な!?」
後頭部を摩りながら、ソフィアは多少痛そうな表情を浮かべて起き上がったのだ
予想外の出来事にアスタロトは驚愕する
馬鹿な。あそこまで勢いよく後頭部をぶつければ、魔物でもある程度はダメージを負う筈だぞ
それを、この女は傷がつく程度で済ませたというのか
「それにしても、ソフィアちゃん頑丈ねぇ」
「ん、ああ。どうにも、勇者というのは身体の構造から違うらしくてな。以前もサイクロプスの奇襲を脳天に喰らったが、頭から出血した程度で済んだ」
「すごーい! サイクロプスの一撃って普通は頭から足までぺっちゃんこなのにぃ! 石頭なのねぇ」
「その言い方は語弊があるから止めろ。神の御加護があると言え」
何事も無かったかのように身体を洗いに向かうソフィアをアスタロトは見送るしか出来なかった
想像以上に、勇者の身体は頑丈であった。人間だと侮っていた
奴は腐っても、人間界に放った魔界の軍勢を打ち倒した強敵なのだ
この程度でくたばる筈が無かった
「何か別の策を練り直さないと・・・・・・」
「アスタロト様、お顔が怖いですよ?」
§
風呂を堪能した後、脱衣場にソフィアが行くと鎧の代わりにいつの間にか用意されていた服とタオルが置いてあった
恐らく、魔王の差し金であろう。広げてみれば、白いワンピース型の寝間着だ
袖まで奇麗に織られており、ソフィアは感嘆の声を上げる
「これも、魔界で作ったのか?」
「そうよぉ。魔界に生えている植物で、繊維状になっているものを集めて織ったのぉ」
「成程。考えることは人間と一緒なのか」
他に着るものも無く、仕方なく袖を通してみれば、中々着心地が良い
エレメンタリアでも綿や麻の植物繊維で服を作ることが多いが、魔界の植物も似たことが出来るようだ
レラや他のワーウルフたちが着ていた服もそういった素材で出来ているのであろうか
思ったよりも軽く、肌触りも悪くない。ソフィアは何度も寝間着を撫で、感動していた
「着替え終えたなら、魔王様の御部屋で食事だ。魔王様がお待ちかねだ」
「魔王の部屋で食事なのか!?」
「魔王様の命でな。共に食事をしたいと一対一で。本当ならば、貴様のような奴が入れる場所ではないぞ」
アスタロトは眉間に皺を寄せて、ソフィアを見る
魔王が私と二人きりで食事。何を考えているか分からないが、行くしかあるまい
ソフィアはアスタロトに連れられ、シャイターンの最上階にある魔王の部屋にまで辿り着いた
十階まであるシャイターンだが、巨大な円盤型の岩が壁際にあり、浮遊魔法『浮如羽』(ライド)を使うことで、岩を浮かせて吹き抜けを通り抜けて最上階まで簡単に行くことが出来た
いちいち岩を置く場所を造らなければ、ならないのが難点だが
「無礼のないようにしろよ」
ソフィアを送り届ける役目を終えたアスタロトはそのまま吹き抜けへ飛び込むように落ちて行った。背中の翼からして、アスタロト自身は一人で簡単に宙へ浮けるのだろう。ならば、あの方が移動は早いかもしれない
荘厳な扉の前に立つソフィアは息を吸い、深く吐くとノックをする
「入ってくれ」
声が扉の奥から聞こえ、ソフィアは扉を開けた。部屋には、レッドカーペットが一番奥まで敷かれている
本来ならば、その奥にある玉座に魔王は座っているのだろうが、今はそこに彼の姿は無く、玉座の前に置かれている椅子に座っている
更に、このために出されたのであろう丸いテーブルが置かれている。勿論、ソフィアが座るための椅子も一つ置いてある
ソフィアはゆっくりと部屋に入り、魔王へと歩み寄っていく
「さあ、座ってくれ。食事は出来ているんだ」
「あ、ああ」
ソフィアは席に座り、テーブルを見た
エレメンタリアの王宮の食事会のようにフォークやナイフなど奇麗な食器類が並べられている
寝間着を始め、シャイターン城の造り自体もそうだが、この加工品も全て魔界で作られた物ならば、魔界の技術力は人間界と遜色ないレベルまで到達していることになる
魔界のことを舐めていた。いや、そう思わせること自体が魔王の策略だったのかもしれない
人間界に攻め入りながら、彼らは爪を隠し持っていたのだ。その鋭い爪を更に研ぎ澄まして
ソフィアが考えに耽っていると、目の前に皿が置かれた。皿の上には薄く切られた魚らしき身と紫や黄土色をした菜っ葉が盛られている。その上からは何やらソースがかかっている
予想外に普通の食事が出てきて、ソフィアは安堵した
パプバリを使ったパンはまだ見慣れたものであったが、もしかすれば最悪、見たことも無い生き物の丸焼きぐらいかと思っていた
「どうした。人間にも食べられるような物を使わせたつもりだが、苦手な物でもあったか」
「いや、別に・・・・・・って、なんでお前が配給しているんだ!?」
いつの間にか隣に移動していたバエルが皿を置いていたのだ
「今日の食事は私とお前の二人きりで、と申した筈だが」
「だ、だが給仕くらいいるだろう」
「それも断った。料理は出来んが、配るくらいなら私でもできる」
「そ、それはそうだが、王たるものとしてだな」
「気にするな。今日のパズズ、人間界で言えばバッタの対策を取ってくれた礼だ。これくらいさせてくれ」
「虫の類には私も小さい頃、何度も煮え湯を飲まされたからな」
「他にも奴らのような生物による被害が報告されていてな。手を焼かせてくれる」
バエルは自分の分の料理も手にし、自分の席につく
本当に変わった王だ。自分で出来ることは自分でしたがる性格のようだ
ソフィアは心中で苦笑しながら、横にある給仕用の台車を目にする。まだ皿が控えていることから察するに、この料理で終わりという訳ではなさそうだ
どうやら、食べ終えたら次の料理が運ばれてくる形式。これも、王宮で似た形の食べ方があった
「この料理は魔界の海に棲む生物と新鮮な野菜を使った前菜でな。ハーゲンティが腕によりをかけて作った」
「ハーゲンティ?」
「この城の料理長だ。奴の料理の腕は随一だ。食堂にいつもいるから、今度会うとよい」
バエルが彼からすれば小さな皿と食器を器用に手にし、食べようとする
が、ソフィアはあることに気づき、声を掛ける
「貴様、兜をしたまま食事をするのか?」
「・・・・・・あまり、他人に素顔を見せたくないのでな。兜の隙間から入れれば食えるさ」
そう言いながら、バエルは自身の顔と首の辺りに出来る隙間を指す
と、ソフィアの表情があまり浮かないものになっているのをバエルは感じ取った
「どうした? その食器で私の首でも掻っ切る算段でもしていたか?」
「・・・・・・食事とは、共にする者との親睦を深め、身も心も満たすためにあるものだと教えられた」
「どなたに教わった」
「父と母だ」
「良いご両親だ。そうだな。その通りだ」
「だから―――――」
ソフィアは手にしていたフォークを置き、バエルの方を向く
「お前の顔を、心にも鎧を身に纏われていると、私の気が削がれる」
その言葉にバエルはハッとする。ソフィアは軽く俯きながら、身に纏っている寝間着を撫でる
彼女は、私が用意した魔界の植物で出来た寝間着を身に着けてくれた
本来ならば、勇者である彼女が魔界の物を身にし、魔物の料理を口にするなど彼女の信条ではないであろうに
強制的に、彼女を押し留めたのは自分だ。敵意を剥き出しにこそすれ、交友をしようなどとは思ってもいないだろう
だが、彼女の想いは知れずとも、彼女は私の食事の誘いに頷いてくれた
ただ単に空腹であっただけだとしても、私にとっては感無量だ
けれども、その距離を、私自ら遠ざけてしまっていたのだ
バエルはそのことに気づき、手にしていたフォークを置き、兜に手をかける
「そうだな。無礼を働いた。・・・・・・私の顔を見て、食欲が失せなければよいのだが」
「良い。お前の顔を見れれば」
そう告げるソフィアの言葉に、バエルは少しばかり救われたような気がした
そして、魔王バエル=ゼブブは、勇者ソフィア=イオシテシスの前にその素顔を、曝け出した―――――
「・・・・・・っく、あ、あっはっは!」
「な、なんだ。何かおかしい顔か?」
素顔を見たソフィアが吹き出すのを、バエルは理解が出来なかった
それほどに人間から見れば醜い顔であったであろうか
ソフィアは口に手を当てて、笑いを堪えている
「すまない」
ソフィアはバエルの顔をもう一度、見る
彼の顔は、人間に似た両眼の上に、瘤のように膨れ上がった巨大な複眼が二つ。口部は縦に裂け、ノコギリのような歯が見え隠れしている
更に申し訳程度だが、触覚も頭部から二本、生えている
バエルの顔は、彼が非常に手を焼いていた虫たちに、とりわけ蠅に、似ていたのだ
笑われる理由が分からないバエルは首を傾げながら、立ち上がり、台車の方へ向かった
大きな深皿を両手で持ったバエルはテーブルにそれを置くと、ソフィアもそちらを覗き込む。中に入っていたのは、山ほどのパプバリのパンであった
「おおっ」
「今度は蹴らないでくれよ」
「嫌味か?」
「嫌味さ」
自分の顔を笑われた意趣返しだろう。ソフィアはパンを手にし、自身の小皿に取り分ける
そして、両手の指を組み、目を伏せた。その行為にバエルは理解が出来ず、彼女に問う
「何だそれは」
「神への感謝だ。食事の際は食べ物を与えてくださった神に祈りを捧げねばな」
「魔界産だがいいのか」
「・・・・・・気の問題だ」
「そうか」
神への感謝と祈りを終えたソフィアはパンを千切り、口に放り込み、咀嚼し、飲み込んだ
「美味しい」
「そうか」
二度目の「そうか」が、何処となく優しげな雰囲気があったのは気のせいではないだろう
静かに料理を口に運びながら、バエルとソフィアは食事を続けていく
「今朝、私が蹴ってしまった料理」
「うむ」
「あの、赤黒い液体は何だ」
「あれはアングリーホーンの乳だ。戦ったことがあるだろう」
「ああ、あの牛みたいなの。家畜なのか。アレ」
「畜産にも力を入れていてな。今度、視察の際に一緒に見に行こう」
「・・・・・・気が向いたらな」
「それで良い」
「魔界に虫がいないなら、どうやって小動物や植物は繁殖しているんだ?」
「基本的に魔界の生物は魔界の大地や空気に流れている魔力を吸収して成長する。他者を捕食するのは魔物と魔族しかいない」
「そうなのか」
「今度、魔界の海を見せてやる。今日の料理にも使っている奴らが獲れるところを見せてやろう」
「気が向いたらな」
「ああ」
バエルとソフィア、今日起きた出来事は両者の心に少しばかり何か満たされたような気持ちとむず痒さが入ってきた
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