第4話 勇者、鑑みる




 ソフィアはバエルがアスタロトに事前に用意させておいた馬が三頭並んでいた

皆、純白の毛並みに加え、額には鋭く螺旋状の筋が入った角が一本生えている。馬に似た魔物である、ユニコーンだ

高い魔力を有し、魔法を扱うことも出来る高知能体だが言葉を話すことは出来ない

三頭とも奇麗に整列し、轡、鐙、蹄鉄も装備されている。ユニコーンを見つけると、ソフィアは思わず声を上げた



「おい! もしかしてユニコーンに跨るのか!?」

「そうだが」

「なんか、こう別の手段はないのか? お前の『移如影』とか」

「言っておくが、あの魔法はおいそれと使える魔法ではないのだぞ。何より、自分の手足で現地に赴く行為が大切なのだ」



当然ではないかと言いたげなバエルにソフィアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる

その態度にバエルは彼女の機嫌を取ろうと弁明する



「どうした? お前たちが戦ったであろうユニコーンは野生のまま放たれたものだろう。だが、安心しろ。コイツらはきちんと飼育、調教されているため、暴れたりなどせぬ」

「そうじゃなくて!」

「魔王様、恐らく勇者はユニコーンの特性のせいで、ああなっているのでは」

「特性? おお、そうか」



アスタロトの助言にバエルは思い出したかのように顔を上げる

ソフィアは恨めしそうに低く唸るような声を捻り出しながら、バエルとアスタロトにぶつける



「知っているぞ。ユニコーンは女に対して非常に敏感だと・・・・・・。もし気に入らなければ、角で串刺しにするそうじゃないか」

「ああ、まあ。そうだな」

「だったら、別の乗り物を用意させろ! 不安で仕方がないじゃないか!」



ソフィアがそう言い続けていると、いつの間にかユニコーンの三頭の内、一頭がソフィアの背後に回っており、鼻先を彼女の臀部に埋めたではないか



「ひゃあっ!?」

「何だ、お前も女らしい声を上げるではないか」



嘲るように笑うバエルを見て、ソフィアは恥辱で顔を耳まで真っ赤に染める

 アウリカルクムの鎧も上半身と前掛けしかないため、真下からの防御は非常に薄い。ズボンだけしかない臀部の柔らかさを堪能するようにユニコーンは鼻息を荒くしている

ソフィアは涙目になりながら、聖剣を抜く



「こ、この下賎な馬め、叩き切ってくれる!」

「おい、ソフィア。契約を忘れるな」



バエルの言葉にソフィアは動きを止めた。先ほどのアスタロトとの接触同様、魔物のユニコーンに対しても当然、契約は執行される

攻撃をしようとしても謎の力で剣が届かない結果になるだろう。ソフィアは不服そうに聖剣をしまうと、アスタロトが声を掛ける



「勇者。それはユニコーンの選別だ」

「選別だと!? この破廉恥な行為がか!」

「そうだ」



嘘をつかぬ魔族が真面目そうに頷く光景にソフィアはユニコーンの方を振り向く

 選別とやらは終えたのか、ゆっくりソフィアの臀部から顔を離したユニコーンはじっとソフィアの方を見つめたと思うと、彼女の周りを歩き、身体を擦り付けてきた



「な、何だ? おい、これはどういうことだ!」

「合格ということだ」

「良かったなぁ、ソフィア。ユニコーンに気に入れられる女は限られているぞ」

「こ、こんな魔物に気に入れられたくはない・・・・・・」



ソフィアは仕方なく、自分を気に入ってくれたユニコーンに跨る。乗り心地は普通の馬と変わりない

 王宮に住んでいた時に馬術も多少習ったが、結局魔王討伐の旅路で馬に乗ることはあまりなかった。大所帯になると荷車付きの馬車の方が断然楽だからだ

 アスタロトが先導となり、次にソフィア、最後にバエルという列になった一同は農業の様子を見に向かう

ソフィアは振り返り、彼専用であろう他の者より大きく鍛えられたユニコーンに跨ったバエルに先ほどから思っていた疑問を投げかける



「魔王、ユニコーンの選別基準とは一体なんなんだ。私は掻い摘んでしか聞いたことしかないのだが」

「ん。知らなかったのか? ユニコーンは気性が荒くてな。一度騎馬隊を作り上げようとしたこともあったが、暴れすぎて無理だった。私やアスタロトのように魔力の高い者ならば、こうして制御できるのだが・・・・・・」

「まどろっこしいな。基準を教えろと言っているんだ」

「ふむ、ユニコーンは基本、処女しか乗せぬ」

「しょ・・・・・・!?」



その言葉にソフィアは言葉を詰まらせ、馬上で身体を固まらせる



「つまり、先ほどのユニコーンが興味を持っていたのは、お前の臀部ではなく、秘所であったのだ。そこを嗅ぐことで、ユニコーンは女性が処女かどうかを見極めることが出来る」

「な、ま、しょ、しょぉお! きさっ・・・・・・!」



混乱し、魚のように口をパクパクさせるソフィアを見て、バエルは笑い声をあげる



「何、お前は今まで勇者として忙しい身だったのであろう。男とまぐわう暇も無かったか。そうだ、お前の仲間に男はいたが、誰とも関係を持たなかったか?」

「・・・・・・黙れぇっ!」



ソフィアは聖剣を抜こうとするが、殺気を感じ取ったユニコーンが暴れ出してしまった

上下に暴れまわるユニコーンにソフィアは咄嗟に手綱を握ることも出来ず、その身を地面に放り投げられてしまう。背中から落ちたソフィアは鎧越しでも響く痛みに耐えながら、身体を起こす



「これだから勇者は面白い!」

「全く下劣な」

「貴様らぁ!」



魔界の赤黒い空にソフィアの怒号とバエルの笑い声が響き渡るのであった




                   §




 人間界、エレメンタリア。東西南北にそれぞれ存在する四つの国の内、東方に位置する国、アステは勇者ソフィアの出身国である

そして、アステ国王であるアズマは現在、頭を悩ませていた。彼が鎮座する国王の間では、彼の前に傅く形で今まさに彼に訴えかけている者たちがいる

勇者のパーティーであった

 筋骨隆々の男が国王に頭を下げながら、訴えの声が響き渡る。国王の他には宰相と大将軍であるナインハルツしかおらず、兵は皆下げられていた



「頼みます! 再び俺たちに勇者奪還の許可を!」

「そうは言ってものう・・・・・・」



アズマは目を反らしながら、自慢の蓄えた髭を撫でる

 魔王バエル=ゼブブの前に敗北した勇者一行は勇者ソフィアの機転により、アステにまで帰還

しかし、彼らはソフィアのみを魔界に残してきた形を非常に悔やんでいる様子だ。無理もない。自分たちの不甲斐なさで彼女一人を残してきてしまったのだから

 魔王討伐として十二分に働いてくれた英雄である彼らに頭を下げ続けられるのは心苦しいものがあり、アズマは彼らに面を上げるよう願い出る。面を上げた男は表情を明るくした



「では!」

「ならぬ。よいか、ビッツよ。勇者は果敢に魔王に単騎突撃し、魔王を討ち果たすも力尽きた。そういう話になっているのだ」

「分かっております! ですが!」



 ビッツ。彼は勇者と共に魔王討伐の旅に出た武闘家だ。ビッツは尚も食い下がろうとするが、隣にいた誠実そうな青年がそれを遮る

 戦士アレクス。彼もまた勇者のパーティーの一員である。彼はビッツより前に移動し、傅くとアズマに話しかける



「勇者様が消えたこと、魔王軍が攻めてこないこと。その理由を保つために、民を不安にさせぬために勇者様は魔王と相打ちになった。そういう話なのですね」

「・・・・・・そうだ。すでに他の三国とも協議した結果だ」

「本当に、それだけなのですね?」



アレクスは面を上げ、アズマを見据える。眉一つ動かさぬ冷静な表情。その瞳に見透かされるようでアズマは視線だけを逸らす

無言を貫くアズマにアレクスは自ら引き下がる



「分かりました。では、サーリャ殿」

「はい」



アレクスは代わるようにサーリャと呼ばれた修道女へと位置を変える。

 サーリャは教会で神へ祈るように両膝を床につき、アズマへと恭しくお辞儀をすると話し始めた



「我々に真実を教えてくださったアズマ様には大変感謝しております。なればこそ、我々は極秘で勇者様を救い出したいと思っておるのです」

「お主たちには、エレメンタリアに蔓延っていた魔物の大半を討ち果たしてくれた。その件には、感謝してもしきれぬ思いがある。だからこそ、勇者が魔王に捕らわれたという真実を話したのだ。勇者のその後に関しては、わしにも分からぬ。殺されたのならば、そのうち次の勇者の天啓が降りると思うが・・・・・・」

「ですから! その真実を見極めるために私たちが魔界に向かう許可を!」

「ならぬ! 今やお主等はエレメンタリア全土に顔が知れ渡った英雄たちだ。誰か一人でも目立つ行動を移せば、いやでも民の耳にあらぬ噂が入る」

「しかし・・・・・・!」

「いい加減にせよ」



食い下がるサーリャにアズマの横に立っていた宰相が口を挟む

宰相は神経質そうな鋭い目つきを更に鋭くさせ、サーリャを睨みつけた



「ならば、逆に問うが、お前たちの今の力で魔王をどうにかできる力はあるのか?」

「そ、それは・・・・・・」

「それに、魔王によって『クラック』が閉じられた今、どのように魔界まで行くつもりだ」



確かに、バエルは国王たちと交わした契約に従い、魔界とエレメンタリアを通じる唯一の道であった『クラック』を自ら封鎖したのだ

 エレメンタリア、つまり人間界は魔界とは本来、平行に存在する別世界であった

だが、その拮抗は魔王の力により強引に開かれた。空間が裂けるように出来上がったそれは『クラック』と呼ばれ、そこから次々と異形の怪物、魔物が出現して人類を襲い始めたのだ。人類は魔界の存在をこの出来事によって、初めて知りえたのである

 『クラック』が存在する南の国、ツェセの兵が確認したところ、裁縫下手が縫い合わせた布地のように『クラック』はところどころ小さな隙間はあるが、確かに閉ざされてはいた

通れるのは精々ネズミ程度であろう

サーリャは言葉を失い、項垂れる



「今は行動を慎むことだな。お前たちが勝手な行動をすれば、国王様にまで非難が飛び火するやもしれぬ」

「だ、だが俺たちは・・・・・・!」

「ビッツ殿」



ビッツたちの前にナインハルツが歩み寄る。最終決戦でソフィアと共に戦ってくれた頼もしい将軍

だが、今の彼の表情には、あの時の活気づいたものは見えない



「すまない。今はアステだけではない、エレメンタリア全てが混乱している状態なのだ。その中で、君たちが行動を起こせば新たな不安が民に広がる危険性がある。耐えてくれ」

「・・・・・・」

「私も出来る限り対策を取ろうと考えている。だから、君たちは君たちで今、出来ることを考えてくれ。今は、雌伏の時だ」



ナインハルツはビッツの肩に手を置き、頭を垂れる。アステ随一の大将軍に頭を下げられては、ビッツたちも引き下がるを得なかった。彼らは釈然としないまま、国王の間を後にするのであった

 寂しげな彼らの背を見て、ナインハルツは胸中で彼らに謝罪を述べていた



 申し訳ない。だが、今は力を蓄えてくれ。私も私だからこそ、為せることをしなければ



ナインハルツはそう決意し、アズマや宰相と共に今後のアステを考えるための対応を話し始めた




                   §




 王の広間を後にしたビッツは待合室に通された。中はビッツたちの他には誰もおらず、絢爛豪華な椅子や机が置かれているだけだ。金や銀の輝きに思わず目が眩みそうだ

しかし、そんなことも気にせずビッツは苛立ちを我慢できず、恐らく一つだけでも目玉が飛び出るほどの金額になるであろう椅子を勢いよく蹴り飛ばす

 魔物を拳や蹴り一つで吹き飛ばすビッツの蹴りに椅子は宙を舞い、そのまま絨毯が敷かれた床に落ちる。その様子を見たアレクスが彼を諭す



「よしたまえ、君の足が痛むだけだ。それに、あまり目立つ行動しないようにと言われたばかりだぞ」

「うるせぇ! 分かってるよ、んなこたぁ!」



アレクスの正論にビッツは更に苛立ちを募らせる



「畜生、分かっちゃいたが何の足取りも無しに魔界に行けるわけねえか」

「国王も乗り気ではなかった。仕方のない話と言えば仕方のないことだが、やりきれないな」

「本当に、我々の未熟さが悔やまれます」



ビッツたちが話していると、同行していた一人の少女がふらりと待合室から出ようと足を進め始めた

それに気づいたビッツは彼女に声を掛ける



「あ、おい。リーコ! どこ行く気だよ」



名を呼ばれた少女は相も変らぬ鉄面皮で彼らの方を振り返る

 魔法使い特有の尖がり帽子に黒いコートを着ていることも相まって、非常に暗い印象を受ける

リーコはいつもと変わらぬ眠そうな目をしながら、ビッツを見つめるだけだ。その様子にビッツは苛立ちを更に募らせる



「お前、国王の前でも何も言わなかったじゃねえか! 本当に勇者を助ける気があんのか!?」

「よせ、ビッツ。リーコ殿の調子はいつもこうだろう」

「だけどよぉ!」

「・・・・・・修行する」



リーコが小さく呟いた言葉に三人は彼女の方へと顔を向ける。リーコの表情はいつもと変わらないように見える

しかし、その目の奥に光る熱意は、決して潰えてはいなかった



「私たちの力は、魔王に届かなかった。私たちは、ソフィに頼り過ぎていたんだ」

「それは・・・・・・」



ビッツは反論しようとするが、言葉を詰まらせる

 ビッツ自身、いや、この場にいる全員が心のどこかで思っていたのだ。勇者の力に甘えていた、と

無論、自分自身の鍛錬を怠っていたと思ってはいない。日々、魔物を倒すために心技体を磨き上げてきていた

だが、ビッツたちが一ヵ月かけて為せることを、勇者はたった一日で為せてしまう。勇者と普通の人間との間にある溝が、勇者とビッツたちの中にあったのだ

勇者は、恐らくそのことに気づいてはいない。ビッツたちのことを頼れる仲間だと、自負しているだろう

だが、ビッツたちはそうは思っていなかった

勇者の影に隠れる、ただの付き添いでしかないと、心のどこかで負い目を感じていたのだ

事実、勇者がいなければ全滅していた場面が旅の中でもいくつもあった

 リーコは同じ気持ちであろうビッツたちの心情を察し、話を続ける



「だから、ソフィが捕まっている今、私たちは力をつけなきゃいけない。例え何か月、何年掛かっても」

「けどよぉ」

「確かに、ナインハルツ将軍も仰っていた。今は雌伏の時だと。なら、僕らは僕らで各々の力を伸ばしていこうじゃないか」

「ナインハルツ様もきっと、魔界へと行ける手立てを見出してくださる筈です」



アレクスたちに諭され、ビッツはタワシのような髪を生やした自身の頭を豪快に掻く



「分かったよ! 足りねえ俺の頭じゃ、どうにもなんねえからな! 勇者の奴はぜってぇ生きてる! なら、俺は魔王の顔に一発ぶち込めるほどの実力をつけて、舞い戻ってやるぜ!」

「うん、その調子。いつものビッツ」



リーコは軽く口角を吊り上げる



 ソフィが消えてから、皆はずっと心ここにあらずの状態だった。勿論、私自身も不安はあった

 けれど、ソフィが死んだなんて考えられなかった。例え、魔王に一度敗北したとしても、ソフィは決して諦めない

 そう考えていたから、少しばかり冷静でいられた



話を纏めるようにアレクスが口を開く



「では、また会う時は皆、強くなっていよう。例え、時が流れようとも、勇者の名の下に我ら再び会い見えんことを」

「幸運を」

「武運を」

「命運を」



四人は互いの手を重ね合わせて、顔を見合わせる

 勇者にもう一度会うために。必ず、彼女を救うために。そして、魔王を討ち果たすために

彼らは一度、それぞれの道を歩むことを決意した

 王宮を後にしたビッツたちは各々、修行にふさわしい心当たりのある場所へ別れ行く中、リーコは一人、城下町の様子を見ていた

城下町は魔物の恐怖に怯えることも無くなったせいか、いつもより活気があるように見える

勇者のパーティーの中でも背が低く、目立つ性格でもなかったリーコは人で溢れかえる街並みに紛れれば、例え勇者の仲間でも気づかれることはそうないだろう

更に、目立つのを防ぐため、尖がり帽子を抱えてリーコは町を歩いていく



 自分に足りないもの。それは魔法の数、詠唱の隙、魔力の量

 ソフィと比べれば、まだまだ至らないところが目に見えてくる

 まだ、やれる部分はある



途方もない課題がリーコを襲うが、不思議と苦難の道であるとは思っていない

むしろ、やる気が次々を沸いてくる



「必ず助けるよ、ソフィ」



リーコは雲一つない晴天を仰ぎ、一人呟いた




                   §




 ビッツたちが新たな決意を抱いていた頃、事の原因を作った張本人であるバエルとソフィアは魔界の農業を目の当たりにしていた



「どうだ? 素晴らしい光景だろう」

「こ、これが魔界の畑か」



 奇麗に耕された畝に小麦のような植物が一定の間隔で植えられていた。まだ若々しい穂が成っているだけだが、立派に大地に根を生やして天へと伸びている

エレメンタリアの小麦ではまず見られない、紫色の葉と穂がソフィアを困惑させる

それを狼が立ち上がった姿をした魔物が一生懸命面倒を見ているではないか。ソフィアは彼らの姿もエレメンタリアで見たことがある

 ワーウルフという種族だ。知能に優れた魔物で彼らは人間と同じように衣服を着、二本足で立って活動している。獣特融の鋭い爪や牙に手こずった記憶がある

しかし、今、農業を行っている彼らはソフィアが見た、殺気立った荒々しい気配はなく、穏やかな雰囲気で桑や鎌を手にしていた



 本当に魔物が農業をしている。しかも、かなり手慣れた様子のように見える

 それに、あの小麦など見たこともないが、一体どんな味だ

 本当にちゃんとしているのであろうか。毒が入っているのではないか

 仮にあれが小麦なら、エレメンタリアの季節で考えれば春小麦の一種になる

 暖かい天気の下で獰猛なワーウルフがのんびり農作業をしているのは何だか滑稽だ



次々と疑問を浮かべるソフィアを後目にバエルはどこか得意げにソフィアへと、この光景を紹介する



「今日は空気中の魔力も豊富であるし、空も穏やかだ。このパプバリも数か月もすれば立派に育ち切るだろう」

「穏やか。この空がか」

「当たり前だろう。空は赤黒が普通だ」

「そうなのか」

「人間界と魔界は根幹からして異なる世界だ。だから空の色も違うし、天を照らすアレも人間界でいう太陽とは違うものだ。言うなれば、魔力の塊が宙に浮いている形だな」



ソフィアは先ほどから不安であった魔界の空を見上げる

 まるで血のように赤黒い空が天を覆い、太陽らしき丸い光がこちらへ顔を向けている

 確かに光が当たって、暖かいことはあるのだが、やはりエレメンタリアの常識とは異なっているので混乱はしてしまう

ふと、畑の管理をしていたワーウルフ、農民であろう一人がバエルの下へと駆け寄る



「魔王様! 畑に関して、少々お話ししたいことが」

「申せ」

「はっ! 実は、パプバリを狙って、パズズが繁殖しているのです。退治しようにも奴らは小さく、数も多い。追い払おうにもパプバリを傷つけないようにするには良い手段がなくて。どうすればよいでしょう」

「むう、パズズか。厄介な」

「確かに数が多くて大変でしょうな。特に、この時期は奴らの繁殖期です」

「パズズ? 聞いたことのない魔物だな」



新しい魔物の名にソフィアは少しばかり、その話に興味を持ってしまった

 幼少時代での手伝いでしか覚えが無いが、両親が農民であるソフィアにとっては、作物を狙う生物の話は馴染みのある悩みであったからだ

思わず興味をそそられた自分を恥じ、我に返って首を横に振るソフィアの疑問にバエルが解説をする



「パズズは数も多く、群れで行動する小型の生物だ。近年、発見されたもので私も対策を講じようとしているのだ」

「・・・・・・何、貴様も知らない生物だと? 魔物の類ではないのか」

「ああ。恐らくは、クラックから侵入した人間界の生物が繁殖したものだと―――――」



そこまで言い、バエルは話すのを止めてソフィアの方を見る。ソフィアは無言でこちらを見つめるバエルに多少たじろいだ

それを見ていたアスタロトはバエルの言わんとしていることを察したのか、先に口を出してきた



「なりませぬぞ、魔王様。勇者に知恵を借りようなどと」

「しかし、アスタロト。この魔界全土において、人間界の知識を最も携えているのはソフィアであろう」

「ですが!」



バエルは反対するアスタロトを無視し、そのままソフィアを見つめる



「すまない、ソフィア。私としても民の悩みは取り除きたいのだ。お前の力を貸してくれまいか」

「誰が貴様ら魔物の手助けなぞ・・・・・・」



ソフィアがバエルの要求を突っぱねるようにそっぽを向いていると、視線の先に何かが此方へ近づいてくるのが目に入った

 バエルよりも巨大で筋肉質な身体を揺らす姿はまるで山が走ってきているようだ

山は、此方の存在に気がついたのか、これまた大きな手を振り、大声を出していた



「おおーい! 魔王様! アスタロト様!」

「おお、モラクス。やっと来たか」



 モラクス。その名を聞き、ソフィアはシトリーが手配した魔族の名と同じであることを思い出す

 それでは、この山のような魔族がモラクスというのか



ソフィアはいつの間にか此方に到着していた魔族、モラクスを見上げる

 首を限界まで上げなければ顔が見えぬほどのバエル以上の巨体。顔は猪のような鋭い牙が二本生え、自慢とばかりにその赤黒い筋肉質な肉体を露出している

いや、見合う衣服が無いと言った方が正解であろう。腰巻を履いただけの魔族は禿げた頭を掻きながら、バエルに一礼をする



「すみません。急な呼び出しでしたので、準備に手間が」

「よい。して、モラクス。お前にも聞いてほしいことがある。パズズの件なのだが―――――」



バエルの言葉を聞き、モラクスは血相を変え、バエルが言い終えるよりも先に言葉を発した



「そうなんです! そのパズズなんですが、魔王様の下へ向かおうと出かけようとした矢先、報告を受けまして! ここからちょっと行った先の畑が被害にあったと」

「なんと! それは本当か! これは早く対策を練らねばな・・・・・・。案内出来るか」

「はい」



見た目とは裏腹に丁寧な物腰と対応を見せるモラクスは即座に振り返った瞬間であった

何かを目にしたのか、強面の表情が崩れ、牙を鳴らしながら遠くを指差すモラクスにバエルは訝しげに彼を心配する



「どうした、モラクス」

「あ、あれ・・・・・・!」



モラクスの呟きは、遠くから聞こえてくる空気の震えによって掻き消された

徐々に近づいてくる音に皆が騒めき立つ。周囲の魔物たちが急いで敷物のように大きな布をパプバリに被せている。ソフィアは、モラクスが指さした先を見据えた

赤黒い空を覆い隠すように黒い雲のようなものが物凄い速度で近づいてくるではないか



「あれが、パズズか!?」

「そうだ! おのれ!」



魔王が掌に魔力を集中させ、炎魔法を発動させようとしたが、アスタロトがそれを制する



「いけませぬ! 一度、それを試みて畑に火が回って失敗しておられるではありませぬか!」

「ぐ、ぬう・・・・・・! ならば、『沈如碇』で・・・・・・!」

「『沈如碇』は範囲が狭すぎます! 奴らは空を自由に飛びますので・・・・・・」

「き、来たぁ!」



バエルがどう対応すべきか迷っている間に、パズズの集団が獲物であるパプバリの穂の匂いを嗅ぎつけたのか、低空飛行へと移行し、こちらへと向かってきた

空気を震わせる羽の音、指ほどしかない小さな身体、穂を噛み砕く強力な顎。その正体に、ソフィアは思わず声を上げる



「バッタ!」



パズズの正体は、バッタの群体であった。通常よりも黒ずんだ色に変化したバッタの群れに飲み込まれる形になったソフィアたちは、まるで突撃兵のように突貫してくるバッタに苦しめられた

 アウリカルクムの鎧は無論、この程度で傷一つ付きはしない

だが、防備が不十分な足や頭は直撃を避けられない。小石を勢いよくぶつけられたような痛みがたて続けに襲い掛かる

口を開いてしまえば、縦横無尽に飛び回るバッタが口へと飛び込んでしまうだろう。ソフィアは口を閉じ、目を籠手で覆いながら、指の隙間から周囲の様子を窺った

他の農民たちは必死に大きく広げた布の四点を地面に抑え、バッタがパプバリに入り込まないように防いでいる

モラクスは必死に両腕を振り回し、襲い掛かるバッタを振り払おうとしているが殆ど無駄足だ

アスタロトに至っては、座り込み、背に生えている翼で身体を包み込み、動かないでいる

肝心のバエルはというと、不動で立ち尽くしているだけであった

何も対策をしないのだろうか、そうソフィアが思っていると、バエルは両手を天へと掲げ始めた。すると、彼の掌に吸い寄せられるようにバッタたちが飛び交い始めた

否、実際にバエルは吸い寄せていた。その理由をソフィアは自身の頬を撫でる風で感づいた



「『荒如嵐』(トルネード)か・・・・・・!」



嵐を発生させる風の上位魔法

本来ならば、巨大な竜巻を相手にぶつける魔法だが、バエルはそれを自身の掌のみに発生させ、小さく魔力を圧縮した風の渦を作り出していた

空を飛ぶバッタたちは為す術なく、渦へと次々吸い込まれ、バッタを風の中へと閉じ込めてしまっている

普通の魔法使いならば、嵐を生み出すほどの風を圧縮し、操作するなど緻密な操作は困難であろう。ソフィアは改めて、バエルの魔法操作の実力を思い知らされる

周囲にいた全てのバッタを閉じ込めた風の渦を発生させたままのバエルは、アスタロトの方を向く



「アスタロト、火を」

「はっ」



アスタロトは頷くと、掌から小さな火を発生させ、風の渦へと近づける

すると、糸車の如く火が風の渦に乗り、瞬く間に炎の渦へと変化した。無論、中にいるバッタの群れは一たまりもなく、消し炭になっていく

パズズを始末出来たことに農民たちは喜びの声を上げる



「有難うございます!」

「これで今季は安全にパプバリが作れます!」

「いや、安心するのは早かろう。奴らはこの軍勢だけではない」

「それでも、助けていただいたことに変わりはありません」



農民たちがバエルに礼を述べる姿、そして、自ら民草の悩みを解決させたバエル

自身が想像していた魔王と魔物とは全く異なる姿にソフィアは困惑を隠せずにいた




                   §




 その後、モラクスの先導の下、一同は魔界でパズズと呼ばれている生物、バッタに襲われた畑へと向かっていた。モラクスはユニコーンではなく、徒歩で先導しているが、巨体のお陰で歩幅がユニコーンよりも大きく、遅れるということはなかった。モラクスの後ろをついていくソフィアは顔を俯かせ、一人思い悩む



 魔王とは、悪逆非道の暴君ではないのか。人類に害をなし、破壊を好む悪鬼ではなかったのか

 教育を敷き、知識を与え、技術を培わせ、民を育てている。エレメンタリアへ攻め込むというだけとは思えない

 確実に、魔王は民のことを想っている。何故



「魔王様、こちらです」

「おお・・・・・・! おお・・・・・・!」



 ソフィアが悩んでいる間に目的地に到着したようで、モラクスの言葉にソフィアのユニコーンは自然に止まってくれた。バエルの言う通り、しっかり調教されているようだ

バエルは、即座にユニコーンから降りると、悲壮な声を漏らしながら、脇目も降らず何かに向かって駆け出していた

その先を、ソフィアも視線で追うと、思わず絶句した



「これは・・・・・・」



 ソフィアが目にした光景は、元は奇麗なパプバリが一面を埋め尽くしていたであろう広大な畑が見るも無残に食い散らかされていたのだ

バッタの群れが、全てを喰らいつくしたのだ。穂は勿論、その葉や茎に至るまで。食べられる物は全て喰らったと言っても過言ではないだろう

畑の中には呆然と立ち尽くしていた農民たちが近づいてくるバエルにようやく気付いた



「ま、魔王様・・・・・・」

「皆、怪我は無かったか!」

「はい・・・・・・。ですが、見ての通り、この畑は全滅です・・・・・・」

「ああ。すまぬ、私が対策を講じられていれば」

「何を仰います! 急に沸き出たパズズへの対策を考えてくださるだけでも、我らにとっては有難きこと。ましてや、こうして直接視察に来てくださるなどと」

「直接見ないことには策も何も考えつかぬよ。玉座の上でふんぞり返って頭を悩ますだけならば、阿呆でも出来る」



バエルの言葉にソフィアは心を少しばかり動かされた



 王とは腰を据え、対局を見定める存在であり、決してその身を無闇に動かさない

王の身に動きがあれば、民が不安がる。そう思っていた

 魔王討伐の旅の中、エレメンタリアの四国全てを回り、各国の王と謁見を果たしてきた

 そして、その全員、私が考えている王の姿と一分も変わりはなかった

 いや、そう考えるしか出来なかったのだ。そのような王しか、見たことが無かったから



だが、バエルは違った。魔王自身が動き、魔王自身が悩み、魔王自身が講ずる。初めて見る王の姿にソフィアは混乱するしかなかった

 ふと、食い荒らされた畑に打ちひしがれる農民の中に母親らしき魔物の足元で怯えている魔物の子供がソフィアの目に入った。ワーウルフの子供なので、まるで子犬のような姿だ

人間のようにワンピース型の服を着ているので、犬の人形のようにも見える

バエルもその子供に気づき、ゆっくりと歩み寄り、子供の目線に合わせるようにしゃがんだ



「・・・・・・すまない、君が作ったパプバリを守れなかった」

「まおうさま・・・・・・」



バエルは首を横に振りながら、子供に謝罪する。子供は、たどたどしく喋り、バエルを見つめる

馬上からその様子を窺っていたソフィアの横で、モラクスが語り掛けてきた



「・・・・・・魔王様は、いつも民の苦労を共感なさっておられるんだ」

「それが、王のすることか? ああも動き回っては、臣下は気が気でないのではないか?」



ソフィアの問いにモラクスは苦笑しながら、額を軽く掻く



「かもね。でも、僕たちはああいう魔王様だからこそ、忠誠を誓っているし、民も信頼をしているんだ」

「・・・・・・何故、奴はエレメンタリアを攻めた。奴に慈悲があるというのなら、人間にも、その慈悲を分けてやれなんだ」

「魔界は今、人口と国土の比率が合わなくなっているんだよ。魔王様の改革のお陰で、病や餓え、種族間の争いで死亡する者が減り、安定した統治が可能になった。それはつまり、人口が増加するってことさ」

「領地拡大のために、私たちの世界へと侵攻したということか」

「そう」

「それも、民の悩みのため、か」



ソフィアは吐き捨てるように乾いた笑いをする



 皮肉なものだ。魔界では慈悲深き民想いの王が、エレメンタリアからすれば侵略を繰り返す暴虐の王として見られている

 奴の配下がエレメンタリアに対して行った行為からすれば、その見方は事実ではあるが、こうもその素顔を曝け出されてしまうと自身の中で魔王という存在の定義が分からなくなってしまう

 私は魔物を多く殺した人間界の英雄。奴は人間を殺す手立てをしてきた魔界の覇者

 この図式は、決して変わりはしないというのに



心中でソフィアが思っていると、ワーウルフの子供が、ソフィアの存在に気づいた

彼女はバエルの方を見つめ、質問を投げかける



「まおうさま、あれって」

「ん、ああ。彼女はソフィア=イオシテオス。この前、皆に伝えたように、私が捕らえた勇者だよ」

「ゆうしゃ! じゃあ、にんげん?」

「ああ」

「にんげん・・・・・・」



子供は物珍し気に自分たちとは異なる姿のソフィアをまじまじと眺めていた

ソフィアはどう反応を返せばよいか迷っていると、子供の母親がすぐに窘めた



「こら、いけません! 人間は私たちを敵視しているのですから」

「だってぇ」

「平気だ。アイツは私との契約で私の許可なしに危害を加えることが出来ないようになっている」

「ほんとぉ?」



そう言うと、子供は母親の手を離れ、すぐさまソフィアの下へと駆け寄り、小さな右手をソフィアの方へ向けた

恐らくは握手を求めているのだろう



「こんにちは! わたし、レラ」



レラの挨拶にソフィアは、言葉を出せずにいた



 私は、勇者だ。魔物を蹴散らし、魔王を殺す勇者としての使命を果たすために生まれてきた

 目の前に現れた魔物は、例え下級の魔物であるスライム一匹とて容赦はしなかった

 その魔物が、人間を襲う可能性が万に一つでもあるなら、私は容赦しなかった

 けれども、今目の前にいる相手は、子供だ

 しかし、彼女とて魔物の内の一匹に過ぎない

 そして、成長すれば魔王の指示の下、人間を襲うようになる

 今は奴と王たちの間の契約でエレメンタリアへと攻め込まないが、いつそれが破棄されるか分かったものではない

 だから、魔物と関わりを作るのは出来るだけ避けるべきなのだ



 レラはソフィアが何も反応を示さないのを感じ取ると、朗らかだった表情が徐々に元気を失うとしょぼくれた表情でソフィアに背を向け、母親の下へと歩き始めた

バッタに食い荒らされた、実りのない畑へ



 私は勇者。決して魔物とは、関わりを持っては・・・・・・

 だが、だがしかし、今は、この状況でこれは

 勇者としてとか、相手が魔物相手だとかを抜きで、人として、“無い”だろう



「待て!」

「え?」



ソフィアはレラを呼び止め、ユニコーンから降り、レラへと歩み寄ると腰に携えていたポーチから何かを取り出した

レラはソフィアの掌に乗っている物を見て、目を輝かせた

 ソフィアがレラに見せた物は、発光石だった

魔力を秘めた水晶で、使用者の魔力を注ぎ込むことでランプのように光り輝くアイテムだ

本来ならば、闇夜や洞窟で扱う物であり、魔界に入る際に何があるか分からないため一応持ってきた代物であった

ただの水晶の破片だが、レラから見れば、宝石のようにも映っているだろう

ソフィアはそっと優しく、レラの両手に発光石を手渡した



「君にこれを」

「いいの?」

「ああ。私には必要のないものだ。生憎、これくらいしか君が喜びそうなものがなくてな」

「ううん! 私、大事にするね!」



レラはポケットに発光石をしまうと、何やらワンピースに付いている二つのポケットを探り、顔を俯かせる

それを見ると、ソフィアは慌てて彼女の前にしゃがみ込んで彼女の様子を窺う



「ど、どうした? やはり、気に入らなかったか?」

「ううん。そうじゃないの。わたし、ゆうしゃにあげられるもの、ない」



悔しそうにレラはワンピースの裾を握りしめる



「ほんとうはね、まおうさまにも、ゆうしゃにも、わたしたちがつくったパプバリをたべてもらいたかったの」

「パプバリ・・・・・・」



ソフィアはレラの言葉に彼女の後ろにある荒れ果てた畑を改めて眺める



 他の畑は無事であったと言っても、ここの畑だけで甚大な被害であることに変わりはないだろう

 この広さならば、どれほどの麦が生っていただろうか

 この子を含め、多くの農民たちが汗水を流して苦労して作ったことだろう

 それが、たった一度の、たった一瞬の出来事で全てが水泡に帰す



その虚しさと悔しさ、悲しさは農民の出であるソフィアにとって、心の底から共感できた



「わたしたちのつくるパプバリはね、まおうさまもいつもたべてるんだよ! やきあがったパンをたべて、まえにきたときもおいしかったってほめてくれたの!」



レラの言葉にソフィアは今朝の出来事を思い出した

 自分が起きた時に置かれていた、トレイに乗った紫色のパンと赤黒い液体。あれは、ソフィアを小馬鹿にした悪戯や毒物の入ったものではなかったのだ

レラたち農民が苦労してこさえたパプバリで作られた、パンだったのだ



 それを、私は、なんということを



レラと入れ替わるように顔を俯かせたソフィアを、レラは心配する



「どうしたの? おなかいたくなっちゃったの?」

「・・・・・・いや、なんでもない」



ソフィアは首を横に振ると、レラの顔を真っすぐ見つめた

魔物ではあるが、穢れのない奇麗な瞳だ。この世の全てに希望を持って生きている、輝きを持つ目だ

見ているだけで、自身の全てを見透かされてしまうようだ



 何も知らなかったとはいえ、魔物を殺し続けてきた私の瞳は彼女にはどう映っているのだろう

 いや、今更考えてもどうしようもないことだ。それよりも、今は



ソフィアはレラの頭を撫でると、立ち上がった

そして、バエルの方へと力強く歩み寄る。バエルもまた、ゆっくりとソフィアの方を見つめ、悠然と彼女の姿を見つめる



「魔王、魔界の全体図は城にあるのか?」

「ああ。ある」

「そうか。なら、戻ろう」

「・・・・・・いいだろう。アスタロト、城に戻る。モラクス、すまぬが、お前はここに残って被害の詳細を記録しておいてほしい。食べられた作物、パズズの痕跡、魔物の被害、被害範囲全てだ」

「りょ、了解しました」



慌てて敬礼をするモラクスは畑の中に入り、農民たちの方へと駆け寄っていく。その横をバエルとソフィアは歩き、アスタロトが抑えていたユニコーンたちの下へ戻った

静かに乗り込むアスタロトにバエルは少々驚いていた



「どうした? いつものお前なら、勇者の提案で戻るなどと小言を言うじゃないか」

「もう、諦めましたよ。魔王様はお好きに勇者の遊びに付き合ってください」

「・・・・・・ソフィアの行動が、遊びと決めつけるのは早いぞ」

「はい?」



アスタロトはバエルの言葉の意味が分からずに意図を聞こうとしたが、バエルはもうこちらを振り向く素振りも見せずにユニコーンへと跨っている

アスタロトが軽く息を吐いていると、ソフィアがユニコーンに跨ってきた



「貴様が何を考えているかは知らぬが、ふざけた結果ならば、貴様の牢屋を針山にしてやるからな」

「別に、これはただの罪滅ぼしという名の、自己満足さ」

「ほう? 勇者様は魔物にも慈悲をくださるか」



皮肉めいた言葉を放つアスタロトをソフィアは軽く一瞥し、再び前を向いた

静かな反応を示すソフィアにアスタロトは舌打ちをする



 流石に安い挑発には乗らなくなってきたか。まあ、よい

 今回の問題は奴にどうこう出来る問題ではない。すでに魔王様が何年も悩み続けておられるものだ

 奴が来たところでどう変わるわけでもなし、奴が失敗をすれば責任を負わせることも出来よう

 さすれば、魔王様も勇者を庇いきれまい



魔界の安寧のためにも勇者は邪魔だと考えているアスタロトは思いを秘めたまま、ユニコーンに跨る

バエルたちが帰ろうとしているのを察すると、レラたちは深々と頭を下げた



「魔王様、どうかお願いします」

「ゆうしゃも、おねがい」

「「当たり前だ」」



その言葉にソフィアとバエルはほぼ同時に同じ言葉を発した。そのことに発した本人たちも含め、その場に居た全員が目を丸くする

バエルの高笑いがその沈黙を破り、ソフィアは顔を赤くして、怒りを表す



「わ、笑うなぁ!」

「いや、なに。やはり私とお前は似ているようだ」

「どこが!」

「ゆうしゃ! まおうさまといっしょにがんばってね!」



バエルを更に怒ろうとするソフィアはレラの眩しい笑顔の手前、これ以上怒号を飛ばすことも出来ず、振り上げた拳を下げるしかなかった

ご機嫌になったバエルはそのまま軽快に言葉を発する



「いいだろう! 人間界の至宝である勇者と魔界の頂点たるこの私、魔王が手を組んで、魔界の問題を解決してやろうではないか!」




                   §




 帰城したソフィアはバエル、アスタロトと共にシャイターン城に戻ると三階にあるという会議室へと向かうこととなった

魔王が歩くだけで周囲の魔物たちは即座に、敬礼をする。彼に対する忠誠心が如何ほどか伺える

と、二階から三階へと向かう途中、シトリーと偶然鉢合わせした。シトリーは魔王の姿を確認すると、彼女もまた、すぐに傅くと頭を垂れる

頭を下げているシトリーをバエルが面を上げることを許可していると、直属の上司であるアスタロトが彼女に問う



「シトリー、会議室は空いているか?」

「はい。会議も終わりましたので、すぐにでも」

「分かった。魔王様」

「うむ。丁度良い、シトリー。会議終わりですまなんだが、再び我らと共にしてくれぬか」

「仰せのままに。何か、なさるおつもりなのですね」



魔王の前であるため、平静を装ってはいるが、彼女本来の性格がこれから起こるであろうことに興味深々という態度がちらちらと見え隠れしている。何処かそわそわしている様子が、ソフィアにも感じ取れた

そして、シトリーを交えた四人は会議室へと入っていった

 ソフィアはアステの王宮でも会議室で軍議に参加したことはあった。そのときはおよそエレメンタリアの平均的な民家三部屋分ほどの広さを持っていた

 魔界の会議室は、バエルやモラクスのように巨体の魔族が多いせいだろうか、アステのものより倍以上の広さと高さを誇っていた。中央には無骨ながらも奇麗に造られた木造の巨大テーブルが置かれており、部屋の八割近くを埋めている

 その縁には大小様々な椅子が置かれている。これもまた、多種多様な魔物のためであろう

バエルは辺りに目を配るソフィアに声を掛ける



「好きなところに座れ」

「魔王、地図は」

「そう焦るな。シトリー」

「ここに」



シトリーが入り口付近に置かれていた木製の物置から、自身の大きさほどのある巻物を取り出していた。テーブルにそれを広げると、見たこともない形の大陸図が描かれていた

エレメンタリアのものではない。思わず、ソフィアは声を漏らす



「これが、魔界の全土か」

「そうだ。ここが今、我々がいるシャイターン城だ」



ソフィアの横に立っているバエルは彼女に覆いかぶさる形で身を乗り出し、地図の一部分を指し示す

そこには、城を象った模様が描かれており、下には何やら文字が書かれているが、ソフィアには読めなかった。魔界での文字であろう



「そして、ここが先ほどまで我々がいた農耕地帯だ」



バエルはシャイターン城が描かれた場所から少しばかり行った場所を丸く指でなぞる

それを見て、先ほど掛かった時間と距離から地図に表記されている縮尺からソフィアは魔界大陸の大きさを考えていた

文字は読めなくとも、地図の右下にある記号は縮尺の説明で間違いはないとソフィアは踏んだ



 およそエレメンタリアより二回り小さい程度か

 なるほど、これでは人口増加で飽和状態になるわけだ

 いや、それよりも今はバッタ対策か



ソフィアが考えを脳内で纏めていると、口を開く



「まず、パズズはエレメンタリアではバッタという生物。虫の一種だ。」

「ムシ、か。人間界にそんな生物がいたとは見落としていたか。いや、眼中になかったか」

「バッタは主に植物を餌に生きている。大体は群れで行動することは無いのだが、ある一定の時期、特定の季節になると身体の色が変化して、狂暴化する」

「呪いや病の類じゃないのか?」

「違う。そういう習性なんだと思ってくれ。エレメンタリアでも、ああいったバッタの被害は頻繁に起きて、悩まされていた」

「それで、古くからバッタがいる人間界なら対策の一つや二つ持っているんでしょぉ?」

「一応は、な」



ソフィアはバエルの方を見て、彼に伝える



「魔王。これまでのバッタの被害地域は分かるか?」

「全て記録してある。アスタロト」

「はっ、これに」



この話になることは分かっていたアスタロトが事前に準備していたのであろう。脇に携えていた袋から数枚の紙を取り出した

バエルはそれを受け取ると、本来は戦術指南に用いるための駒を手にし、地図上に次々と置いていく

そして、全ての被害場所に置き終えたようだ。およそ十五の場所といったところか



「これで全部だ。同じ場所に何度か襲来していることもある」

「成程。これを見ると、ほぼ同じ地域内に留まっているな。珍しい」

「珍しいのぉ?」

「奴らはとにかく餌を求めている。食べる物が無くなれば、どこか別の地域に飛んでいくのが普通だが・・・・・・。魔王、この地域で農業を行っている場所は他にあるのか?」

「いや、無い。農業は未開拓の地域が多い。適当に生っている植物は把握できぬが」

「そうか。だとすると、意外と早く決着がつきそうだぞ」

「本当か?」

「それでも、年単位の対策になるけどな」



ソフィアは期待の眼差しを向けるバエルに対し、冷静に答えながら、地図上の駒を指差す



「この地域の近くに必ずバッタの生息地があるはずだ」

「ふむ、つまり奴らの棲家を根こそぎ絶やすということか」

「違う。確かに根絶はさせるが、あくまでバッタだけの話だ。貴様、他の生物の棲家まで奪う気か」



ソフィアはバエルとの見解の相違に心中で溜め息を吐く



「魔王、今までバッタはどう対処してきた?」

「大体はその場しのぎだ。農民たちによって、パズズが入ってこないように仕切りや布で作物を守ってきた。私がたまたま現場近くにいた時は火の魔法で焼き尽くしていた」

「そのせいで畑にもパズズの死骸で火が回って散々でしたけどね」

「むう」

「それでは駄目だ。成虫だけを殺しても、すでに卵が何処かに生みつけられている」

「卵。それはどこにある?」

「浅めの地中に産んでいる。被害地域の近く、草木がある場所を主に探索させろ。地面を掘り返して、細長い管のような物が連なっている物が見つかる筈だ。それが卵だ」

「成程。すぐに手配させよう。アスタロト」

「はっ、探索ならばゴブリン隊に任せましょう。奴らの偵察術ならば見つけられる筈です」



アスタロトが手にしている紙にバエルの指示を書き込んでいく



「次いでにそこら辺りに生息している個々のバッタも駆除していくといい。数年掛かりになるが、今よりは遥かに被害は減るだろう」

「おお、そうか」

「良かったわぁ。これで毎日美味しいパンが安心して食べられるわぁ」



シトリーが喜んでいる横でソフィアは心中でほっと胸を撫で下ろす



 子供の頃に両親が教えてくれた聞きかじりの知識だが、何とかなりそうだ

 後は魔物たちに任せておけばよいだろう

 もう、あの悲劇を繰り返すことはない。悲しみに暮れる子供はいなくなる



ソフィアが安堵していると、バエルが傍にまで寄ってきた。彼は無言のまま、ソフィアを見下ろす



「な、何だ」

「感謝する」



バエルは両手でソフィアの手を取り、感謝の意を述べた。その光景にシトリーは興奮気味の顔をし、アスタロトは目を見張る

ソフィアもされていることに混乱している

よもや、魔王が勇者に感謝を言うとは、この世の誰も想像していないことだ



「ソフィアがいなければ、この事態を早急に解決することは出来なかっただろう」

「き、気持ち悪いことを言うなっ! 私の自己満足に過ぎんっ! もうこれ以降は手など貸さんからな!」

「それでも、感謝する」



目を離さずに話し続けるバエルにソフィアは言葉を詰まらせる



 コイツの実直なところは非常に厄介だ。どうしても、抗うことが出来ない気がする



ソフィアは強引にバエルの手を振り払い、そっぽを向く

と、会議室にオークがいびきをかいたような音が響いた

バエルたちは何事かと目を丸くしたが、すぐにその正体が分かった。ソフィアが、腹を抑えていたからだ



「ぐ、ぐぐ・・・・・・」

「あらあら、ソフィアちゃんったら」



ソフィアは顔を赤らめ、音を発した腹を恨めしく睨む

昨日から何も食べていないソフィアの腹の虫が鳴くのは当然だ。朝食を蹴ったことは自業自得だが

バエルは笑いながら、ソフィアを見る



「勇者とて腹は減るものだ。良い。食事にしよう。シトリー、ソフィアを風呂に入れてやれ。今日の視察の礼だ。その間に食事の用意をさせておこう」

「了解致しました。さ、ソフィアちゃん、一緒にお風呂入りましょうねぇ~」

「え、ちょ、わ、私は別に」

「まあまあ」



シトリーに強引に背中を押され、ソフィアは会議室を後にするのであった






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