二十一、肉じゃが
一応ただいまと言う息子。約束したのに連絡ひとつよこさない夫。
正確には現地についたというテキストメッセージは届いた。でも、どうして普通の電話がかけられないのだろう。顔を見たいのに。
ユリは夫が連絡をあまりしてくれなくなったのはいつ頃からだろうと考えてみた。
独立した頃ではない。むしろ、独立直後は頻繁に連絡をくれた。
ヒデオが生まれた後でもない。仕事先から毎日電話をくれていたし、マサルさんのほうがヒデオの顔を見たがった。
そうなったのは本当につい最近のことだ。五年以上前ではない。連絡が減ったなと実感したのはここニ、三年だろうか。そうなるとますますわからない。きっかけになるようなことが思い浮かばない。仕事にも大きな変化はないはずだし、家庭にもなにもない。
まさか、と思っては打ち消す。
これまでも考えることはあった。マサルさんも男だ。現地で一夜限りということはあるかもしれない。それでも、日本に持ち帰らなければいいと思っていた。
わたしにわからないように隠すことと、後に引きずらないようにきれいに切り捨てること。
それさえ守れるならかまわないとすら思う。
若い頃だったら、結婚したばかりの頃だったらそんな考えは全身で否定していただろう。
でもいま、息子も成長し、家庭も安定している。そうなると、夫が少々羽目を外すくらいは許容できる。
いやいや、わたしがそう決めつけてどうする、とユリは苦笑してぬるくなった茶を飲む。われながら考え過ぎもここまで来ると病気だな。
そんな複雑な理由じゃなくて、もっと単純に、夫はそれほどこだわらない性格なのだ。家に連絡することだって気が向けばするし、向かなければしない。家庭が安定しているのが当然であって、確かめるまでもないと確信しているのかもしれない。
その時、夫から電話がかかってきた。ユリはすぐに出た。
「おう、いまホテル。相手と会って挨拶してきた。今日の仕事は終わり。どう、そっちは?」
「こっちも仕事終わり。ヒデオ帰ってきてるけど呼ぶ?」
「いや、いい。どうせ部屋で部活の論文だろ。邪魔しちゃ悪い」
映像の背景の壁紙からすると、あまりいいホテルではない。暖房の配管が見えている。スチームのうるさい音がする型だ。
「寒いの?」
「ううん、ここはいっつも寒いから室内に入っちゃえば効きすぎるくらい暖房効くよ。見てのとおり部屋じゃシャツ一枚だ」
「なに食べた?」
「機内でまずいパスタ。ここで硬い肉とじゃがいも茹でたなにか。この国じゃ料理は味わうものじゃないみたい。栄養と、身体温めるだけ」
「大丈夫?」
いつになく皮肉っぽい言い方をする夫が心配になった。
「まあ大丈夫。さっさと仕事片付けて帰りたいけど」
ユリは笑う。
「なに弱気になってるの。交渉ごとは狩りじゃなかったの」
「そうだな、そうだった。ありがと。助かった」
もうちょっとこまめに連絡してくれるよう言って電話を終えた後、ユリは自分のさっきの心配を頭から捨てた。マサルさんはそういう人じゃない。疑った自分のほうに気の迷いがあったのだ。
ユリは茶のおかわりを入れて飲んだ。夕飯、肉じゃがにしよう。
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