十六、まずいパスタ

 ササキリエは上得意だが、なんども呼び出されるのには困ったものだ。地衣類は売るが、老人の茶飲み友達になった覚えはない。

 ただ、ほかの客のように値切ったりしないのはこういう付き合いをしているからだろうと思う。こちらの言い値を疑うことなく了承するし、払いもきれいだ。


 今日は早めに辞去した。あさっては永久凍土の上に立っていなければならない。依頼主とわたしの利益を最大限にするために交渉術の限りをつくす。

 いずれヒデオにも教えてやろう。意味のなさそうな世間話にこそ、大きな意味が隠れている、と。

 これはマサルの経験上、どこの国のどんな人物であっても例外のない原則だった。


 マサルは事務所へ向かうタクシーで自分を仕事の態勢に切り換えていた。いったん事務所に寄り、旅支度をして現地へ飛ぶ。交渉という狩りの用意は万端整っているか、漏れはないか。自分で自分をチェックする。いつもの手順だった。

 その心の準備ができかけたときだから、角を曲がった時にヒデオがいたのを見たときには驚いた。一気に家族との日常に引き戻される。

 向こうはこちらに気づかなかったようだった。学生服を着たままで、となりにおなじ高校の制服の女の子がひとりいた。振り返ると背中になにかを背負っていた。


 なんだろう。こんな高級住宅街になんの用事だ。しかも女の子連れで。それに背負っているのはなんだ。小さくなっていく後ろ姿に目を凝らしたがよくわからない。業務用の背負う型の掃除機に見えなくもないがはっきりしない。

 歩いている方角からすると、ササキの家に近づいていくことになる。嫌な感じがするが、それは気を回しすぎだろう。

 しかし、こんな身近にいきなり謎が提示されるとは意外だった。すぐには解けそうにない謎だ。見かけた場所が場所だけにあとで聞くのもはばかられる。


 結局、仕事のための心の準備ができたのは、飛行機で食事を摂っているときだった。

 謎については、どうせ子供のすることだし、大したことではないだろうと高をくくる。それでも、こちらから聞くのはやめておこうと決めた。ヒデオがこっちを見ていなかったのならあえて話題にすることもないだろう。もし見ていたとしても、ヒデオから言い出さない限りは忘れていたことにすればいい。

 とにかく、あそこにいたことは伏せておけるなら伏せておきたい。


 マサルは芯まで柔らかいまずいパスタをすくいながらそう考えた。

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