長いエピローグ

第62話 二百二十三年目 埼玉某所

 灯火を前に、男が一族に語っている。

「ついに剣ができたぞ。できたぞ!」

 それを受けた、年の近い男が応える。

「正しく文字は書かれているのだろうな? 我らが祖はオホヒコ。その子はタカリノスクネ、その子がテヨカリワケ…」

「次の子がタカヒシワケ、次がタサキワケ、んでその次がハテヒ、その子がカサヒヨ。俺の父さんで、お前のおじ。で、俺オワケ!!」

「子供のころからばーさんに何度も何度も教えられた、我らが祖たちの名前だ」

「忘れずにずっと継いできたんだ」

「それを鉄に刻んだんだ」

「これで消えねえ。遠い世に我が一族の名を残せるんだ」

「剣は明日、日のある時に届くそうだ」


 次の日、梅雨の時期の今にも雨が降り出しそうな曇り空のもと、位の高い者たちが、村の主の家に集う。白い装束に身を包んだ男が、袋を携えて入ってくる。この鍛冶を掌る者はシキの宮から来た者で、そこの匠が剣に文字を施したという。

 男は多くの貢ぎ物を捧げて、この剣を作ってもらった。鉄を鍛える術はこの地にも伝わるが、鉄に金で文字を入れ込む術はシキの宮にのみ知られる。

 シキの宮からの使者は厳かに踏みわけ家を歩く。男たちはひれ伏して出迎える。これまた厳かに、使者は皮の袋から剣をゆっくりと取りだす。男は、曇り空にもかかわらず、光を跳ね返して文字がきらめいていることに気がつく。鉄の照りとは異なる、金で出来た細い線が見える。

 使者を丁重にもてなした宴が終わり、翌日使者をシキの宮に返す。

 使者が峠の向こうに見えなくなると、すぐに男たちは家に引き返す。革袋から勢いよく剣を取り出す。そこには、金色に輝く、文字の彩が見える。

「おおおおおおおおおおお」

「読めるか?」

「読めん」


 二つ離れた村に住む爺は、昔シキの宮に仕えていたことがあるという。男たちはその爺を呼び寄せる。

「じーさん! これを読んでくれ」

「俺は字はわからんぞ! そんなことでわざわざ遠くから呼んだのか」

「シキの宮で働いてたんだろ! 俺たちは兵としてしかヤマトに行ったことがねえんだ!」

「働いていたからって文字をいつも読んでたわけじゃねえんだ! このすったこどもめ!」

「くそじじいなんとかわからんのか!」

「あああ? どれどれ。これはすごい造りだ……お前さん貢ぎを相当積んだな?」

「そうよ」

「辛亥七年……これは今の世がいつであるかを示すもの。で、これが……なんだ? オ、獲る、居る……人の名? オ、ワコ?」

「俺はオワケだ!」

「お前がオワケか!」

「そうよ!」

「これ、オ。これが、ワ。で、多分これが、ケ」

「うおおおおおおおおおおお、すげえぞくそじじい。俺の名前が文字になっているのか! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

「そうだそうだ。これは嬉しいな。それで……かみつおやの名前が……オホヒコ、かな。お前さんの祖にオホヒコ……」

「いる。最も初めの祖がオホヒコだ!」

「これがオホヒコ。で、その子が」

「タカリノスクネ!」一族みんなの声が揃った。

「おお。そのように書かれているぞ。そしてその子が……」

 一人ひとり、祖の名前が刻まれていることが解る。男をはじめ男の一族は名が示されるたびに驚き、声を上げる。ついには剣にひれ伏す者も現れた。

「後ろ側は難しいな。これは刀、と読む。全部は読めないが、お前さんたちが兵として祖から仕えてきたことが書かれている。それと、お仕えしている大王の名前がこれ。《獲加多支鹵大王》」

「ワカタケル大王。俺のオワケのワと同じ文字だぞ!」

「当たり前じゃ! ワという音を《獲》で表しているに過ぎない。特別な意味はない!」

「そうか」

「それにな、ワカタケル大王は、音を文字で示すとこの《獲加多支鹵》で間違いがないのだがな、タケルという名の意を活かして、カラクニのような名も持っておるのだそうだ」

「どーいうことだっぺか!」

「タケル、とはどんな意味かわかるか」

「勇ましくて猛々しい、大王に相応しい名だ」

「そーだ。カラクニの文字で勇ましくて猛々しい、兵を動かす戦を表す文字がある」

 というと、爺は地面に文字を書く。剣に書かれた文字とは異なり、曲がって形は悪く、線のそれぞれの大きさも見栄えが悪い。《武》と言う形が見える。

「じーさん下手糞だって俺でも解るぞ」

「うるせーすったこめ。俺は文字なんかほとんど書いたことないんだ。んでこの字。「ブ」、と読む。これが、さっきいった勇ましくて猛々しい、兵を動かして戦をすることを表す文字なんだ。わかるか? ワカタケル大王は《武》を名乗ることがある」

「なんだそれすげえ」

「そうすることで、カラクニのものとやり取りすることもできるのだ」

「はああああなるほど。さすが我が大王。文字で我がクニのことを表すのでなく、逆に我がクニの言葉を文字で表すのか。なあじいさん俺の名前もぴったりの文字あるのかなあ?」

「オワケとは何を示すのだ」

「……わからん!」

「じゃあできん!」

「そうか」

「まぁいいだろう。お前さん方の家の筋は示された。何百年前からだろうかね。ともかく筋が示された。すばらしいことだよ」

「そうだなぁ。ここは田舎だけどさ、子供たちにも、文字を示しながらずっとずっと昔のことを継いでいきたい。祖がしてきたように、これからもずっとずっと……」

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