第三章 十年目
第33話 流行病
カラクニの書には色々なものがある。《医》は身体を健やかに保つやり方が書かれる。だが難しい考えが書かれていて、解らない所はさっぱりわからない。チョウセイも《医》には詳しくないそうだ。
春から夏にかけて、流行病が起こった。身体に
チョウセイが述べる所によれば、位の高い者は多くの食べ物を食べているから身体が強く、病に
何か恐ろしいことが宮の外で起こっていても、私には届かない。民を統べる巫女としてこれでいいのか、さっぱり解らない。斎の宮は、いつも通り静かで、何も起こっていないかのようだ。
流行病のせいで人が多く死に、作られなくなった田が多く現れたという。それでいつもより
ナシメは変わらず一日のどこかで宮に現れる。冬のある日、ナシメに、人々が飢えているのに私への貢物が変わらないのはおかしいと尋ねると、ナシメは「トヨ様の食べられるものを分けた所でどうなるものでもありません。トヨ様の食べ物を少なくした所で飢えを凌げるのは二人ほどでしょう。位の高い者が皆、日々の食べ物を少なくした所で、飢えているものすべてを救えないのです」と応える。
私はその考え方に何とか云い返したいのだけれど、上手くいかない。位の差ははっきりとしている。
飢えが最もひどくなるのは、米がとれなかった次の年の夏だ。秋にコメがとれるまで待たねばならないからだ。シマのクニなどの海の近くのクニは、魚や貝を食べるからいい。飢えるのは山にあるクニだ。
我がクニは大きくなりすぎた。夏に、飢えた人々が、我がクニの都まで押し寄せた。我がクニが
夏の終わり、ナシメがいつもの通りやってきた。嵐の後の風の強い日で、斎の宮の窓がバタバタと音を立てていた。
ナシメはここいらでならいになっている、人が多く死んだ時の祈りのまじないを乞うた。この飢えがいつまで続くのか、という占いはなされない。なぜならそれはわからないからだ。こんなことになったのは、我がクニ肇まってからなかったから。
ナシメにもう一度、飢えについて問う。位の高い者の食べ物を与えればいいのではないかと。
「トヨ様のお考えは良く解ります。前から申しまておりますとおり、位の高い者の食べ物をわけた所で、足りないのです。それにあまりトヨ様にはお話ししたくないのですが、一度分け与えたら、浅ましい者はまた貰おうとします。さらに、多くを求めるようになります」
「なんとか都まで来た者を助けられないのですか?」
「全ては助けられません」
「戦をなくしてクニがまとまろうとしているのに、それでいいのでしょうか。古のカラクニの《徳》のある《王》や《帝》ならば、どうしたでしょうか。飢えて困っている者をそのままにしておくのでしょうか」
ナシメは何も語らなくなってしまった。目を伏せようとするから、じっとナシメを見据えることにした。私は何も間違ったことは言っていないはずだ。何か、手立てはあるはずで、それを考えることくらいしたっていいじゃないか。一年も病と飢えが続いているのだ。位の高い者は、低い者を救う務めがあろう。
風が強く吹いて、宮の中に入り込む。何か遠くの、嗅ぎなれない香りがする。何かを焼くような、あるいは、古い建物のような。病を運ぶ風ではないかと少しだけ恐れてから、改めてナシメを見据える。
そこで初めて心づいたのだけれど、ナシメは前よりもずっと痩せてしまって、そして老いていた。日に日に会っているのに、変わりに心づかなかった(あるいは、日に日に会っていたから少しずつ変わっていくのに心づかなかったのかもしれない)。
風がナシメの方から吹いて来て、鬘の毛がわずかに揺れる。髪の艶も、大婆のように時を刻んだそれになっている。色は灰。昔はもっと黒かった。跪く手も足も、細くなり皺が現れ、血を巡らす筋が顕わになっている。
少なからず驚いたそのすぐの間に、ナシメは「なかなかそう上手くいかず、大人たちで日々話し合いを積んでいるところなのです。今のあり様を良いものと考えている者は、誰も居りません。大人たちも務めておりますから、トヨ様はどうか心を安らげて、占いとまじないとに励まれていただけますよう」と話して去る。
私はナシメの声がかつてとうだったか、すっかり忘れてしまっていた。
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