第30話 y_cloud

 次の日の朝、秋の晴れ渡った空を眺めていた。雲をじっと見つめる。集まっていつの間にか大きくなったり、あったはずのものが消えていたり。流されて形を変えたり。あったりなかったりする。


 ナシメの足音が聞こえる。

「ナシメ、昨日は取り乱してしまいました。もう、心は落ち着いていますから。昨日も言いましたけれど占いを違えることなど、ありません」

「そうですか。私もそれを聴けて心を安んじております」

「と言いながら、いきなりおかしな占いしたらどーします!? 私トヨ姫こそが新しいヒコの世継ぎにふさわしいって、なんか占いでやたら出るんすけどぉー!?……なんてね」

 ナシメはにっこりと笑う。そして「ヒコの子二人が、ほぼ時を同じくして夢を見たそうです。近頃、ヒコは世継ぎを考えるみぎり、何か関わりがある夢かもしれません。お占いいただけますか?」

 私は厳かにこれを受ける。「かしこまりました。夢見のなかみを正しく伝えなさい」


 ナシメが語ることには、ヒコは二人の息子がどちらも優れているので、世継ぎに迷っていたのだそうだ。そこで二人に、近ごろいかなる夢を見たかを語らせた。イキメさんは、山の上で旗を振る夢を見た。我が兄は、山の上から東側に剣を振るう夢。これらは何を示すのだろうか。


 わかっていたことだ。我が兄はヒコになれぬのだ。そして、東に剣を振るうというのは、遥か東へつわものを率いて赴き、まつろわぬ者を平らげることを示している。これはヒミコおばさまの生きた世に、東西南北それぞれに兵が遣わされた時と同じ夢だ。

 兄は遠くへ退けられるのだ。私が宮に篭められて子を産めぬようしているのと同じように。


 《女たち》から継いだ通りに夢見について占う。ヌサを振り、鹿骨に火を当てる。心の揺らめきは、うつつの宮には届かない。教わった通りに振る舞えば、教わった通りの事柄が導き出される。占いを違えて、兄がヒコになるようにできたら……と考える。考えるだけで、私の振る舞いはそうは決してならない。身体が定められているかのようだ。ヒコをイキメさんにするように導かれている。あるいは囚われている。

 占いについてナシメに示す。ナシメは頷いて、一つ間を措いてから、宮から下る。これで我が兄とは遠く離れて暮らすことになるだろう。まぁ、もうずっと会っていなかったのだから、あまり変わらないのかもしれないけれど。それでも、兄が慣れ親しんだ我がクニから東の遠くへ去ってしまうことを思う。

 冷たい風が吹いてきた。御簾を下げる。私はいつまでここに居るのだろうか。子を産めなくなる時までだろうか? 女というのは三十でも四十でも子を産めるとも聴いたことがある。年増で夫を得るのに相応しくない年ごろまでになれば、ここから出られるかもしれない。

 短く息を吸ってから、ため息をつく。ため息をついてから、ため息をついたことに心付く。

 しばらくしてから、言継があることを思い出した。大きな占いがあろうとなかろうと、大婆たちが集ってくる。ちょっと慌てて仮宮に下る。


 大婆たちは、今日も物語の違いについてわいわいと語り立てる。女たちは、心の底で思っているだろう。これを繰り返しても終わりが無いということを。何故にそうと解るかというと、私も《女たち》に連なるもののひとりだからだ。

 物語には少しずつ違いがあり、それは限りなく続いて行く。ナシメの言うとおりだ。物語の細かな違いを極めた所で何になると言うのだ。譬えるならば、夕焼けの赤い色の空と、まだ昼間の青さが残る空との境目を探るようなものだ。あるいは、嵐の後の濁った河の水が次第にもとの澄んだ水にいつから戻るのか探るようなもの。境目はない、のだ。

「皆さん、多くの物語を語ってくれていますね。ですが、もうわかっているはずです」

 にぎやかだった皆は打って変わって押し黙り、私をまなざす。息を吸って、そして吐いてから語り始める。

「もう……切りがないことがわかってきたのではありませんか。私は、あるいは私たちは、物語を集めて違いを調べることで、正しい物語が何であるか確かめようとしました。でも、でも……。違いが増えても増えても、出口は見えてきません。それぞれの違いは面白くあるのですが……。違いがただあるだけ。どこまでも少しずつ、違いがあるだけ。とても調べきれないほどの……。私……、何が正しいかわかると思っていたのに。それは叶いそうもありません」

 《女たち》を見渡す。どの顔も、どの顔もだ。心の内では、違いを見極める営みの虚しさに心づいていた顔つきだ。先ほどまであんなに明るく振る舞っていたのに。

「どうしたらいいのか。全くわかりません。でも、一つだけ言えることがあります。これをやってみてわかったこと。物語がこんなにたくさんあって、こんなに違いがあって、それを見極めるのがなんだか面白いこと。だから、このまま。このまま、それぞれがそれぞれに語り継ぐのを、止めてはいけないと思うのです。何が正しいか分からのであれば、正しいかもしれないモノをずっと残して、語り続ける、そうした仕組みのままにしておくのが良いのではないかと思うのです。だから皆さん、自らが語り継いできたものを大いに子や孫に語り継いでいってほしいのです。私には子が、……」

 言い淀む。

「……ええと、雲のようなものです。消えることもありましょうが、どこかで膨らんだり、繋がったり。大きくなったり小さくなったり。大いに語り、多くの物語が後の世に伝えられて行く。そのうちに、物語の違いの全てが分かるかもしれないし、もしかしたら何が正しいかわかるかも。その時まで、それぞれが語りを辞めないこと。それぞれが語り続けていること。そのあり様が要になりましょう」

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