第31話 ネイティブダンサー
言継を終えて、斎の宮に退く。ため息をつく。つまるところ、私は正しいものを見極められなかったし、何も変えることができなかった。「そのままであるべきだ」と今のあり様をそのまま認めたにすぎないのだ。なんと力なき巫女だろうか。
ただ、肩の荷が下りたような心地がする。何かを終いまで遂げたような。兄をヒコの世継ぎとしなかったことと関わりがあるのかもしれない、と思う。諦めたからこそ、何かが見えるのかもしれない。
テルセが火を灯しに来た。
「ねえ、テルセ。あなたは一つだけ、物語を
「……いいえ」
「そーなの? じゃあさ、私にその物語聴かせてよ」
「……え」
「いーでしょ!? 私の他にここにはいないんだから。物語は継いでいかねば」
「……」
テルセは黙ったまま目を伏せて考えるような面持ちだった。
「テルセ、物語を語るのが恥ずかしいのですか?」
「いえ……そうでは」
「では良いではないですか! 聴かせて下さいなー」
またしばらくテルセは黙った。そのあとに小さな声を出した。
「……まことに、……まことに聴きたいのですね」
「うん!」
「……わかり、ました」
テルセは
テルセの物語。昔、イトのクニには二つの
テルセの詠い。人が死んでそれを悼むときに語られる時の詠い方だ。一つだけ継いだ物語がこれとは……。
あるとき、西にある大きなクニの商人が多くやってきた。イトのクニにないものをもたらした。そして、イトのクニの向こう側へもモノを運んで行った。帰りには、イトのクニに向こう側からの品物を置いて行って、さらに西のクニへも持っていった。そのうちにイトのクニの商いに障りがでてきた。西のクニに商いの大きさでは敵わないのだ。だから兵たちは、西のクニの商人を退けようとした。いつの世も兵たちは負け知らず。この戦も必ず勝つだろう。
西のクニの商人がやって来た。
兵たちは夜に彼らを殺そうとした。だがその朝に、兵たちは殺された。殺したのはイトのクニの商人だった。イトのクニの商人は、すでに西のクニの商人と繋がっていて、富の分け前の話はすんでいた。
こうしてイトのクニは滅びた。西のクニが、イトのクニの主になった。イトのクニの二つの職。一つではクニを保てぬ。
ここでテルセは語りを強める。長く声を出し終わりを振るわせる。まるでモガリにいるような心地がする。そして、手ではなく、代わりに持っている剣で床を叩き始めた。
商人に恨みは無い。商いは繋がりだからだ。まことに恨むべきは、西のクニの主だ。イトのクニの兵と商人とを仲違させて、クニを滅ぼしたのは西のクニの主。兵たちは多くは死んだ。
テルセは立ち上がり、鞘から刀を抜く。歌に合わせてゆっくりと舞い始める。床を叩く音は、剣から足を踏みしめる音に代わった。時折、緩やかな舞のなかに素早い動きが混ざる。手首を巧みに使って剣を舞わせる。間を切り裂く短い音が聞こえる。
生き残った兵は恨みを忘れぬよう唄い舞う。いずれ西のクニの主を殺す時のために。子や孫が恨みを晴らせるように、兵の技と、唄と舞が伝わった。恨みを晴らせるように、技と唄と舞と……
テルセの黒目がちな瞳が、いつもよりずっと黒く見える。いつの間にか後ずさりしていた。テルセは舞いながらゆっくりを私の方に近づいてきた。刃を振り回す音がどんどん大きくなる。茶色い刀の、波打つ綾まで見えるほどだ。
「テルセ、やめて」
テルセは唄と舞とを止めない。じわりじわりと、私へ近づいて来る。私は後ずさりして、踵が壁についたことで、もう後ろが無いことがわかる。
「テルセ」もう一度叫ぶ。
テルセは低い落ち着いた声で、技と唄と舞のくだりを繰り返している。黒目は闇のようだ。恐ろしいのに眼を外すことができない。思わず壁にへたり込む。
テルセはへたり込んだ私を見据えて唄を止める。テルセは左手で捻るようにして私の襟首を掴む。服が捩じられ首を絞めるが、息をできなくして殺すためではない。首を動かぬようにして刃を確かに突き立てるためだ。テルセは目にも止まらぬ速さで刃を逆手に持ちかえて、恐ろしい早さで私の首めがけて突き刺した。
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