第7話序章5
「誰?」
声に警戒の色をにじませ問いかける。
「誰、と言われましても……一応この家の家主なのですが……」
はにかんだ笑顔でそう言ってくる影の正体は大人のゴブリンだった。
肩付近で切りそろえられた紫陽花の花で染め上げたような流麗な紫髪、過度な装飾を行わずシンプルにあしらった水色のドレスからはゴブリンの寸胴なイメージを払しょくするスラリと伸びた手足が見え、柔和な瞳と整った顔立ちはシャルに勝らずとも劣らない美しさを持っていた。しかしシャルとは圧倒的に勝負にならない部分が一か所……
(ミミミミミミミミ、ミルターーーーンクッ!!!!!)
そう、圧倒的に胸部のサイズでは完敗していたのだ。
(どうしてこんなに華奢な子なのにそこだけはヘヴィー級なんだ!? 魔法? 魔法なのか!?)
あまりの破壊力にさっきまで警戒に注がれていた神経が全て視覚情報処理に転換される。
(いけないいけない。初対面の人をいきなり視姦するなんて。ここはなんとか意識を逸らして――)
「何を食べたらそんなに大きくなるんですか?」
「えっ?」
(やってしまったぁぁぁぁぁぁ!!!! バカ! 僕の欲望のバカ!!!)
わがままボディの美少女は何のことについて問われているか理解できずキョトンとした顔をしていた。
「いやー、女性にしては結構背が高いなぁーと思って、ほんとそれだけだから」
「そうですか? ゴブリンの成人女性はだいたいこのくらいだと思いますけど……」
どうにか誤魔化しはできたがここから変にこの話が広がらないうちにかなり強引に話題を切り替える。
「そ、そうだよね! ちょっと暗かったからはっきり見えなかったよ。ところで家主って言ってたけど……まさか君がこの里の長なの!?」
急な話題転換に少女は戸惑いつつもしっかりとした返事を返す。
「はい、初めてお会いする方なので自己紹介を――私はティア、至らぬところも多々ありますがこの里の長を務めさせていただいてます」
流れるような所作で一礼するティア。その洗練された1つ1つの動作が本人の清純さを色濃く示していた。こんな子に出合い頭、邪な考えを抱いた自分が恥ずかしくなる。
「こ、これはどうもご丁寧に、ワカナです」
どうにもいたたまれず、早口で簡素な自己紹介になってしまう。
「ワカナさん……素敵な名前ですね」
そのとき僕は確かに感じた。吹くはずのない風を、聞こえるはずのない幸福を告げる鐘の音を、見えるはずのない宝石のような輝きを、
(――あぁ、天使ってこんなところにいたんだ)
神秘との邂逅に心を奪われているところに無粋な雑音が響き渡る。
「ワカナさん! なんであんなことするんですか! 私とってもとーっても、ほんとーに死ぬかと思うくらい怖かったんですよ!」
ようやく梯子を降り切ったシャルは地に足ついて早々僕の方をキッと睨み、鬼の形相で突っかかってきた。
「出たな、偽天使!」
「誰が偽天使ですか!!!! 開口一番がそれですか? 違いますよね!? 普通そこは「ごめんなさい」、ですよね!?」
謝罪どころかアイデンティティを否定されシャルの怒りはますますヒートアップしていく。
(全く、シャルはすぐに熱くなるんだから。ここは僕が大人の対応してあげないとね)
「シャル落ち着いて、あれは仕方のないことだったんだ。シャルが言った通り僕はその場を離れようとしたんだよ。だけどその時たまたま足元にあったくぼみに引っかかって転びそうになったから、たまたま目の前にあった梯子を掴んでなんとか転倒は免れたんだ、だけどその後たまたま足を何回も滑らしちゃってたまたま梯子を揺らすことになったんだよ。いやーほんとたまたまって怖いよねー」
(どうだ! 僕のこの完璧な理論、論破できるものならやってみろ!)
「よねー、じゃないですよ! たまたまって言ったらなんでも許されると思ってるんですか? そもそもどこにくぼみがあるんですか! まったいらですよこの地面!」
「なッ!?」
(バカな! ノータイムで論破だと!?)
渾身の言い訳が一瞬で看破され、隠せない動揺が表情や仕草に現れる。それを見たシャルは「今ので誤魔化せると思っていたのか」とでも言いたげなため息をつき、
「さっきも言いましたけどワカナさんは本当に私が天使であるということをもう少し――そちらの方は?」
お説教を始めようとしたところでようやくシャルは第三者の存在に気づき警戒気味に身元を尋ねる。
「この人はティア、この里の長らしいよ」
「はい、今ワカナさんの紹介に預かった通りです。……えっと、シャルさんでよろしかったでしょうか?」
いきなり大声で登場した奇人に対しても優しい笑顔で笑いかけるティアをシャルは胡散臭いものを見る目で一瞥し、
「こんな華奢な……(どうも一か所だけ違うようですね)」
ぼそりと、僕と同じ感想を呟いた貧乳(シャル)は自分のものと見比べたあと悔しそうな声で発言を訂正する。
「こんな、か弱そうな方がゴブリンの長ですか……どうも嘘くさいですねー……」
「ほ、本当にこの里の長なんですよ。その、証拠を見せろと言われても……何も提示できるものはありませんが……」
「そんな身元不確かな方にいきなり長って言われてもとってもとーっても信用できませんねー。「あなたはママの友達よ」って言ってくる人の言葉を鵜呑みにしてほいほいついて行ったりするんですかぁ?」
うぅ、と唸って俯きながら泣きそうになるティアにシャルは口撃の手を緩めない。
「そんな真似しないでもらえますか? まるで私があなたをいじめてるようじゃないですか」
「その通りだよ」
「痛い! どうして私がワカナさんに叩かれなければならないんですか!?」
シャルは小突かれた頭を擦りながらわけが分からないといった態度を見せる
「今のやり取りを見ていたら百人が百人、僕の行動の理由を聞いたりしないと思うけど。それよりどうしたの? 何でティアに対してだけそんなに当たりが強いの? メイちゃんにはそうでもなかったのに」
いくら相手がゴブリンと言ってもさっきのシャルのメイちゃんへの態度から魔族を見境なく嫌うような性格とは思えない。
シャルは微妙そうな顔をして言葉に困っていたが何かをぼそぼそと言い始めた。
「……です」
「えっ? 良く聞こえないよ」
「分からないんです!」
「ん? 何が?」
「はっきりした理由は分からないんです。けど私はどうもこの方を好きになれないんです」
(この子はたびたび僕の想像を超えてくるなぁ)
どうしようもないほど自己中心的なことを、申し訳なさを一切見せずきっぱりと言い放つその姿はいっそ清々しかった。
「うん分かった。寝言は後にして今は大人しくしててね。」
「そうですね。今はもっと大事な話がありますから、この続きはこの方と後で二人っきりでゆっくりと」
何一つ覚えのない理不尽な嫌悪を向ける魔族(シャル)に天使(ティア)はどうにか苦笑いを返すので一杯一杯だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます