01-02

 長谷川さんはティーカップの中に砂糖を一つ落とし込んだ。液体の中で固体が融解し崩れていく。

 あれ、でも待って。記憶処理しないんですかと私は聞いたけれど、それも変じゃない?だってそれならこの前Mezに来た段階で志久間さんなり、この人なりが来て記憶処理の…なんだろう。魔法だか魔術を使って記憶を消すはずなんだ。

 清代さんは静かにカウンターの中で本を読んでいるし、リルカちゃんは静かにこちらへ注意を払ってる。長谷川さんは砂糖を溶かすためにティースプーンをくるくるとまわしている。


「砂糖はいれない派なの?」

「ええと…気分によります」


 へぇ、と言って長谷川さんは出来上がった液体を嚥下した。私も視線を下の紅茶に移す。

 この空気の中で落ち着いて紅茶なんて飲めなかった。小さくため息を落とす。


「『“気を付けてね”、“何かあったら言うようにね”と言っておきました』と協会には報告したのよ」

「……?」


 うつむいた状態で彼女の口元にだけ視線を向けると、わずかに弧を描いていた。

 あれ、こんな笑い方を彼女はしていただろうか。


「清代、この子に“何かあったら”の確率はどのくらいあるのかしら」

「この先1か月後に何かある可能性は高いですよ」


 清代さんはこちらを見ながら笑顔でとんでもないことを言い放った。う、うん。また遭うかもしれないって言われてからお守りみたいなものは持ってるけど、あの時は確実に来るとは言ってなかったじゃない?


「嘘ぉ」

「ここの駆除担当の清代が言うんだから本当の事よ。そんな一般人の記憶を消したところでまたここに戻ってきちゃうのがオチなわけ。だから今こうして詳細を話してね、逆にどういう状況か説明しているの。お分かり?あなたは確かに一般人なんだけど、一般人じゃないわけ」

「……嘘でしょぉ?」


 飾りっけもないそのままの気持ちを出すと、長谷川さんは軽く噴き出して笑った。…それからすぐに元の意味深な笑みに戻る。

 あれ、今の素笑いですか?


「あの日志久間が説明したのも、私がここで説明したのもそういうこと。そうじゃなかったら何も言わずに記憶を抹消してるわ。尤も、あなたが遭遇したのもこれから遭遇する可能性が高いということも清代と志久間の予測なだけだから大きな声じゃ言えないんだけどね」


 もう一度カップの中身をあおる様に飲み、静かにソーサーに戻す。

 大きな声じゃ言えないっていうことは、予測については言ってないのかな。その辺聞いてもこの長谷川さんの様子だとはぐらかされそうだ。


「予測の確証が得られるまでは、少なくともあなたは私たちの保護下に入ることになると思う」

「保護?」

「保護って言ってもね、いつも通りMezに来てもらったり、んん、名刺に書いてあるけど家に遊びに来てもらっても構わないわ。それ以外でも何か怖い事や変なことがあったら私たちに相談や知らせてほしいの。もしかしたら異形かもしれないこともあるし。私たちは異形に早く対処できる、あなたは危険から身を守ってもらえる。イーブンでしょう?」


 確かにこの前は小七君が守ってくれた。あれに自分で対処しろというのは無理だ。

 だったら…あーっと。もし、もしまた同じような場面に出会ったときにまた助けてもらえたら安心する。もしももう一回遭遇するのだとしたらね。


「答えを一応聞かせてもらってもいいかしら」

「……わかりました。…とはいっても、全然わかんない事ばっかですけど」

「それで十分。全然わかんないほうがいいのよ」


 精一杯それを口にすると、長谷川さんはまたにっこりと笑った。

 

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