スター候補はベンチウォーマー。

神宮司亮介

俺がスタメンに上り詰めるまで。

 俺の名前は藤本篤史。右投右打。小さい頃から野球が好きで、高校時代には地元の名門校の主将として、高校球児なら誰もが目指す甲子園の舞台に立った。惜しくも決勝で敗れはしたが、次世代を担うゴールデンルーキーとして二〇〇六年度のドラフト一位で、地元の球団、横浜シースターズに入団した。

 守備位置は主にセンター。外野であればどこでも守れるし、内野もセカンドやショートの守備はお茶の子さいさい……ってわけじゃないけど、まあそれなりには大丈夫。いわゆるユーティリティな選手扱いを受けている。

 が、プロ六年目になった俺は、未だにレギュラーを取れずにいる。一年目は五試合の出場にとどまったが、代走だけで三盗塁。俊足はアピール出来たのだ。しかし、二年目から五年目にかけての四年間、レギュラーはおろか、一軍のベンチにすら一年間帯同出来ないシーズンが続いた。とは言っても、五年間で二〇九試合に出場。盗塁数は六四個。代走と守備要員として、そこそこ、戦力にはなっている……はず。しかし、通算打率は二割を少し超す程度。

 プロの世界は厳しい。高校生、大学生、社会人、独立リーグ等で活躍し、プロ野球の世界に飛び込んだとはいえ、プロで結果を残せないままユニフォームを脱ぐ選手は大勢いる。俺のように一軍で出場機会が与えられることは、ファンが思う以上に難しいことだ。二軍にだって活躍している選手が沢山いる。だからといって、その選手たちに平等な機会が与えられるわけではないのだ。

 とまあ、堅苦しい話は置いといて。

 俺は今シーズン、一度も二軍に落ちないまま、前半戦を終了した。全七〇試合中、スタメンは二六試合。合計で五二試合に出場。盗塁数は十八個で、自己最高だったプロ四年目の時の二三個を超えることはほぼ間違いない。

 また、課題の打撃も少しずつ改善されつつある。今のところ九一打数で二八安打。打率は三割八厘。去年一年間が一〇三打数二六安打、打率二割五分二厘だったことを考えると、確実に成長している……と思いたい。

 とまあ、自分のことばっかり語ったけど、俺が所属しているシースターズは五年連続でリーグ最下位爆走中。今シーズンも前半戦二四勝、四四敗、二つの引き分け。チーム全体の士気が下がったまま、後半戦へ突入するわけで。

 まあ、後半戦の開幕試合に、俺はスタメンを外れる。前半戦の終盤はスタメンが多かったせいで、てっきり自分が今日もスタメンで出場できる気になっていた。

 ところで、シースターズのベンチには野手が少ない。投手に一軍の登録枠が割かれており、ベンチ入りの野手は六人。しかも、その顔触れはあまり大きく変わることはない。それが、最下位に甘んじる原因なのかも……。



 事務所のゴリ推しで売れたように思われている女優が始球式を終える。たいして埋まらない観客席。まばらな応援。試合が始まってすぐは、俺はベンチでだらだらと過ごしている。

「今の時代、武山沙希ちゃんが一番でしょ!」

 ゴリ推しにまんまと洗脳された選手が、ベンチに一人。原博司内野手。右投右打。茶染めの似合わないロン毛と、南国の民族と間違える程の焼けた、正しくは焼いた肌が印象的。俺は原さんと呼んでいる。一部のファンの間では『腹黒』と呼ばれており、原さんはそのことを気にしている。ただ、この愛称の意味は、原さんのプレーを見ればよくわかる。

 原さんはプロ一一年目の三三歳。入団時は堅実な守備力と、シュアなバッディングを評価され、将来的にはセカンドのレギュラーを期待されていた。

 しかし、原さんがシーズンを通してレギュラーを守り抜き、規定打席に到達した年は一度もない。

 理由は、怪我だ。原さんはプロ三年目の年に開幕戦のスタメンを勝ち取り、その年の五月には月間のMVPにも選ばれ、順風満帆に見えた原さんの野球生活は、その翌月に終焉を迎えた。

 アキレス腱断裂。その日から一年以上、原さんは一軍に戻って来なかった。

 今ではすっかりチャラ男キャラになってしまった原さんであるが、その練習量は凄まじい。誰よりも朝早く球場入りし、誰よりも遅く球場を出る。もちろん、遊ぶ時はとことん遊んでいるけど。

ファンしか知らないのだけど、怪我をする前の原さんはとても真面目そうな風貌の選手だった。怪我をしてから、暫く自暴自棄になった時期が続いたらしく、ロン毛と日サロ通いはその名残らしい。かつての自分を忘れないために……チャラチャラしているみたいで。俺は少し変だなと思いつつも、その姿勢は尊敬している。

 原さんはとにかく粘る。追い込まれたら、きわどい球を全てカットし、球数を増やす。ヒットでの出塁はさほど多くないが、フォアボールでの出塁率が高い。怪我の影響で足は速くないが、堅実な守備は相変わらず。さらに、隠し玉を一シーズン中に二度も成功させたり、ライナー性の打球をワザと落球してダブルプレーを取るなど、セコイ守備をすることからあの愛称がついている。

「そうですか……大島まさみちゃんの方が僕は好きですね」

 原さんの隣でボソッと呟いているのは、寺原千尋捕手。右投右打。名前で女性と勘違いされることが多いらしいけど、確かに顔は、美形。イケメン。アイドルグループに混じっていてもおかしくない男前。

 プロ五年目の二六歳で、歳が近いこともあり俺はちーちゃんと呼んでいる。ちーちゃんの凄いところは、走攻守三拍子そろった選手であること。社会人からのプロ入りということもあり、即戦力で入団したちーちゃんは一年目のオープン戦から一軍に帯同。そしてこの五年目まで、シーズン中に一度も二軍を経験したことがない。にもかかわらず、にもかかわらず、一軍での出場試合数はたったの四八試合。

 理由は、ちーちゃんが入団した年に、フリーエージェントで獲得した捕手の存在だ。そして、聞いてもらいたいのはその契約内容。五年間スタメンフル出場を絶対条件として、入団交渉をしたらしい。シースターズはそれを承諾したが、結果、キャッチャーの競争力は一気に低下してしまった。ちーちゃんは「僕に実力がないだけだよ」と謙遜する。でも、謙遜してほしくない。膨大な量の配球メモに、各球団の選手のデータを集めた資料。勉強熱心な彼が、契約に乗っかって怠慢プレーを続けているキャッチャーに負けてなんかほしくない。

 あ、大島まさみちゃんは僕も好みかな。ショートカットが可愛いよね。

「つーか、女優の名前がわかんねえ……」

 俺の隣で試合の状況を見守りながら、嘆いている選手が俺の隣に一人。こいつは将来を期待されたスラッガー候補、古木大輔。右投左打。古やんと呼んでいる。プロ四年目の二二歳。一年目から五本塁打。二年目には一三本塁打。三年目は一一本塁打。コンスタントにホームランをかっ飛ばしている古やんは今年、レギュラー獲りを目指していた。まあ、後は言わずもがな。守備位置はサード。しかし、そのサードの守備が……酷い。古やんの送球は『魔送球』と言われ、並のファーストでは捕球出来ないような球を投げるのだ。しかも、狭すぎる守備範囲と不安定な打球処理が魔送球に拍車をかける。

 シースターズが所属しているPOリーグはピッチャーも打席に立たないといけないが、別のCOリーグでは指名打者といって、守備に就かずピッチャーの代わりに打席に立つ制度が採用されている。COリーグなら、きっと古やんはレギュラーを勝ち取れている気がするんだけど……。ただ、勝負強いバッティングは貧打のシースターズには必要で、ライトスタンドに描く放物線を期待するファンは大勢いる。うらやましい。ちまちま盗塁しても見向きもされないというのに……。

 ちなみに古やんはゲーマー。よくおすすめのゲームを教えてくれるが、一つ思うことがあるとするならば、古やんは女性キャラに何の興味も持たないことが不思議だ。と、いうか、その……少年が好きなんですね。そんなあなたに美人女子アナの奥さんがいること……世の中不公平だ。

「というか、熟女好きは他にいないんですか……」

 ベンチの一番前で声援を贈りつつも、俺達の会話に参入してくるのは、川崎雄一内野手。俺は川崎さんと呼んでいるが、華麗な守備と俊足、そして、かつてシースターズ公式サイトの動画で、『好きな歴史の人物』という質問に『間宮林蔵』と答えたこと、その間宮林蔵は忍者だったという説があることから、周りやファンからは『林蔵』『アサシン』とも呼ばれている。

 川崎さんはプロ五年目の二九歳。球団としてはさほど期待していなかったのか、ドラフト八位指名での入団であった。それでも、一年目から一軍に定着。そのままレギュラー定着かと思われたが、打力中心の編成がメインのシースターズにおいては、川崎さんはあくまでも控え要員としか考えられていなかった。

 また、川崎さんには重大な欠陥があった。それは、盗塁が苦手なことである。俺は代走で出ればササッと盗塁を決めてしまおうと思う程度には得意なわけだが、川崎さんにとってそれはあり得ないことらしい。ちなみに、俺の五〇メートルの記録は六、〇秒。川崎さんは五、七秒。ベースランニングも川崎さんの方が上手い。ただ、盗塁の数は四年間で僅かに二一個。しかも、その四年で二八三試合に出場している。俺と比べたら、その差は歴然としている。また、川崎さんは特別バッティングが得意なわけではない。それで盗塁が苦手だということであれば、首脳陣は川崎さんを重要な戦力としては認めない。

 関係はないが、野球選手としては珍しく眼鏡を着用している。お洒落なんだけど……壊れたりしたら嫌じゃないかな。後、人柄はとても温厚で優しいのに、帽子を脱ぐと真っ赤な髪の毛が姿を現すのは、大きなギャップだ。

 ここ最近はその五人が大体ベンチでスタンバイしている。試合開始直後こそ揃っているが、ピッチャーのキャッチボールの相手をしたり、グラウンドに立つ選手たちに声援を贈ったり、代打に立つスタンバイの為に一度ロッカールームへ戻ったりと、試合中をダラダラ過ごしているわけではない。みんなが勝利を、レギュラー獲りを諦めていない。一生懸命なのだ。

 そして、ベンチにはもう一人、選手がいる。ただ、あまりベンチで姿を見かけることはない。試合が終盤になり、グラウンドに立って大歓声を浴びる姿なら、この目に焼き付けられることが出来る。

 前田孝市外野手。プロ二二年目の大ベテラン。今年で四〇歳。俺は前田さんと呼んでいて、俺が一番尊敬する野球選手の一人だ。

 二二年間、シースターズ一筋の前田さん。五人目の二五〇〇安打を三年前に達成し、現在は代打専門となっている。ちなみに代打では通算で一二八安打。歴代五位の数字だ。

 三年目の年からレギュラーに定着し、走攻守三拍子そろった選手としてあっという間にチームの顔となる。これまでに二度の首位打者と三度の盗塁王、八度のベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得する活躍を見せ、強かった頃のシースターズを支えていた。

 もちろん、そんな前田さんにも衰えはあり、特に脚力の衰えは顕著であった。二〇〇六年のシーズンから出場試合数が減り始め、ここ三年はスタメンの回数も数える程となっている。

 それでも、勝負強いバッティングは健在。打数こそ少なくなったものの、打率は三割前後をキープし続けている。年輪を重ねる大木のようなドッシリとした下半身には、前田さんの二二年間が詰まっている。

 そして今日も、前田さんは打席に立つ。相手のピッチャーを威圧し、観客を沸かせる。熱に包まれる、一瞬。

 心が踊る音。バットに乗った想いが、放物線を描いてスタンドへ飛び込む。

 見事なホームランだ。今シーズン三本目の、代打ホームラン。ちなみに、試合の方は五対二で負けましたよええ。



 そんなこんなで、レギュラー奪取を目指す日々。俺は何とか前半戦の調子を維持し続けた結果、後半戦もそこそこスタメンで出場する機会があった。しかし、チーム状態は上がらず。ベンチ内のムードも悪く、八月中にはAクラス入の夢すらも潰えてしまった。

 九月五日。早朝練習に参加した俺は、前田さんと原さんが話しているところに割り込んで行った。先輩方には、色々可愛がってもらっている。いつも二人の会話に首を突っ込んでは、能天気な部分を露呈してしまっているだけなのだが。

「おはよーございます! 今日もいい天気っすね!」

 普段と変わらない、渋く険しい顔つきのまま、前田さんは言う。

「昨日は良かったな」

 昨日の試合では、バントを決め、盗塁も二つ成功し、本塁でランナーを刺す場面があった。ヒットも二本打ち、チームの勝利に貢献した。前田さんに褒められると、すごく嬉しい。

「僕にも何か言ってくださいよー。昨日決勝の代打ホームランを打ったのは僕ですよ!」

 前田さんの隣で原さんが頬を膨らませている。さっき散々話しただろうと言わんばかりに、前田さんは視線を逸らした。

「篤史はとにかく、塁に出ろ。フォアボールでもエラーでも振り逃げでもなんでもいい。お前の足は、他球団にとっては脅威になる」

 前田さんはそう人を褒めてはくれない。一試合のプレーの中で見つかった欠陥を指摘してくれることはよくあるが、今日みたいに激励をしてくれることはあまりない。だから、とても嬉しい。

「まあ、確かに昨日の篤史は輝いてたな。篤史の三盗があったから、相手は動揺して、失投をした。サンクスな!」

 原さんも前田さんの後について俺を評価してくれた。そんな原さんだって、昨日は一二球粘った末のホームラン。俺には真似出来ない芸当だ。

「最近は控えの面々が良く頑張っている。お前たちはもちろん、千尋も、大輔も、雄一も」

「みんなレギュラー定着が目標ですから。僕や雄一は、年齢も考えないといけない時期ですから……」

「原さん……」

「そりゃ、僕は故障持ちだし、そう野球人生は長くないと思う。雄一は大学野球も社会人野球も経験しているからな。経歴上結果を出さないと生き残れない」

「だが、博司や雄一には経験がある。それを活かして、シースターズを引っ張っていってほしい」

 前田さんはしんみりしそうになった空気を振り払うような言葉を投げてくれた。

「前田さんもまだまだですよ! 俺たちの勇姿をロッカールームから見守っててください!」

「……さあ、練習再開するぞ」

 はぐらかされた気がした。まあ、褒められたし良いか、と俺はその時思っていた。

 その日の昼。記者会見が開かれた。

 前田さんは、引退を発表した。

『私自身、まだまだやれるとは思っています。ただ、先日のプレーで、もう私はプロ野球選手としてはやっていけないと、そんな気がしました』

『そのプレーというのは……』

『先日、代打でヒットを打った試合です。左中間を破ろうかという当たりを、センターが回り込んで後ろに逸らしませんでした。しかし、並の選手であれば、その間に二塁に到達することは可能です。私は、二塁へ踏み出せませんでした。もう私の脚力に、プロとしてプレーする価値はありません』

 それを、俺はテレビの前でただただ見ていた。何の前触れもなかった。予告なんてなかった。気が付いたら、大量のフラッシュをたかれる前田さんがいた。打席に立った時の威圧感はどこにもない。あるのは、これまでと寸分も違わない険しい顔つき。気分のことを追い込み続ける、前田さんの姿は、いつも以上にかっこよかった。

 翌日、前田さんは何食わぬ顔で早朝練習に出ていた。

「前田さん、引退って……」

「何も言わずに、悪かった」

 俺の第一声。何も聞いていなかった。昨日褒めてくれたのもそのせいなのかと思うと、前田さんには怒りを感じる。

「本当に、急でしたよ。球団も良く引退を受け入れてくれましたね。いや、うちのことですから、戦力の構想外だった……とか」

「ああ、雄一の言うとおりだ」

「そんな……」

「ベテランは一年勝負だ。調子が悪ければ、戦力から外されても仕方ない。それに、引退は私が決めたことだ」

 いつもは冷静な川崎さんが思わず悲嘆の声をあげた。前田さんは相変わらず、厳しい表情のままだ。

「でもなあ……。前田さん居なくなったら俺たちやばいっすよ! この球団の人気なんて、前田さんでもってるようなものなのに」

 古やんの言う通りで、グッズ売り上げの一番は前田さんだ。レギュラーで活躍するチームのキャプテン、高橋勇人内野手や、エースの和田孝浩投手も、前田さんの人気には劣る程だ。

「大輔なら、きっとチームの顔になれる。もっと守備の力をつけて、レギュラーを獲れ」

「そんな……もっと一緒にいたかったですよ……」

「……なあ、みんな」

 しんみりとした雰囲気の中、原さんだけは少し違う熱を持っていた。悲しみに暮れる俺たちとは違う、熱い意志が。

「僕たちが目指していることは、本当にレギュラー獲りなのか。ベンチの選手同士でぬるま湯に浸かって、仲良くなることなのか? いや、違う。シースターズの、優勝だ」

 原さんは帽子を取る。普段のロン毛……かと思いきや、原さんは、その毛を取った。俺たちに披露される、丸坊主姿。カツラをバッグの中に入れると、原さんは前田さんの方を見つめてこう言った。

「僕は、前田さんの夢を、必ず叶えます。レギュラーになれなくてもいい。優勝して、日本一になる夢を叶えられるなら、僕は僕の仕事をやるまでです」

 原さんは泣いていた。目の前で悟りでも開いてくれそうな気迫があった。

「いや、どうせなら、原っちにも、レギュラー獲りは諦めないでほしい」

 原さんの後ろから、近付いてくる人影。野球選手としては小柄だが、神聖な場所を守る騎士のような風格を漂わせる人物。

「キャプテン!」

 原さんとは同い年であり、プロ一五年目のベテラン選手。そして、チームのキャプテン、高橋さんだった。俺は思わず、声をかけた。

「篤史、お前はこれから、このシースターズを背負うべきうちの一人だ。自覚を持ってほしい。もちろん、大輔も、雄一もだ。ここにはいないが、千尋にも、正捕手の座を奪い取ってほしい。今のレギュラー陣には、自分の成績しか頭にない」

「ハリーは真面目だねえ……。まあ、真面目なお前の話を、あんな選手たちが聞いてくれるはずがないよな」

 正遊撃手として、センターラインを守り続ける高橋さん。しかし、レフトとサードのレギュラー選手には怠慢守備が目につく。どちらもあまり守備が上手くないこともあり、あまりボールを一生懸命追わず、送球もやる気がない。また、双方とも全試合フルイニング出場のインセンティブを獲得するために、試合を休むつもりはないそうで。打つことは打つのだが、肝心な場面では尻すぼみの感がある二人に、ファンの視線も冷たい。セカンドとセンターにはそれぞれFAで獲得した選手が守備位置を陣取っている。うちのチームは金は余るほどあるので、補強には動く。しかし、チームの底上げというところには目がいかない。個々の力があっても、それぞれの目指す道がメジャー行きや出場機会の確保では、チームのことなど後回しになる。

「最近はライトに篤史、ファーストに大輔が入って、レギュラーの雰囲気も大分変ってきていると思う。ただ、二人にも足りないものがある。それは、勝利への執念だ」

 高橋さんはそう言った。キャプテンの熱意が、俺たちの胸に飛び込む。

「僕が言いたかったのはそれだよ。もちろんレギュラー獲りは大切だ。でも、チームの勝利を考える野球が出来ない限り、このチームは何年経っても最下位を脱出できない」

 前田さんは原さんの言葉に頷く。

「野球は野手だけでやるものじゃないですよ」

 そしてまた一人、俺たちの輪の中に入ってくる選手が一人。若きチームのエース、和田孝浩。通称ネクサス。一九六センチの長身から繰り出される最速一五七キロの直球が武器だ。俺と同期のプロ六年目でありながら、一年目から一〇勝を挙げ、この弱小球団で五年連続二桁勝利を達成している。今シーズンも既に一二勝。むしろこんなピッチャーがいながら他の先発は何をしているんだという話なのだが。ところで、『ネクサス』という愛称の意味は、決め球が必殺技みたいな名前だったら面白いということで、新人王を取った年のシーズンオフに『ネクサスボールを開発します』とバラエティ番組で発言したのがきっかけ。ちなみに、ただのフォークボールです。あと、ネクサスの愛車は、ネクサス。

「ネクちゃんも思うところがあるの?」

「もちろんですよ。というか、原さん、ネクちゃんって呼ぶのやめて下さい……」

「案外しっくり来ますね……ネクちゃん」

「川崎さんまで……まあ、ネクちゃんでも構いません。とかく、僕もこのチームで優勝したい。でも、いくらプレーで引っ張ろうとしても、それでついて来ない選手は沢山います。これからは気持ちを前面に出して、投手陣を引っ張っていきます」

 ネクちゃ……ネクサスの一言で、また気合が引き締められる。若きエースが頑張っているのだ、俺も頑張らないと!

「遅い。どいつもこいつも、私がユニフォームを脱ぐと言ってから危機感を感じるとは。だが、危機感を持つことは重要だ。レギュラーである勇人や、エースである孝浩は、それぞれ己の地位を自覚し、チームの優勝を目指してプレーしていかなければならない。それに、控えの面々は、レギュラーの地位を奪うことに執着して、チームプレーを忘れる様では、レギュラーなど遠い話だ。これからは、チームのため、そして、我々を応援しにやって来るファンのために、戦おうじゃないか」

 打席に立った時の威圧感を感じる。堂々とした立ち姿にファンなら誰しもが酔いしれる。

「行くぞ!」

「おう!」



 前田さんが引退することを発表した日から、シースターズの調子は一気に上がった。二〇試合を戦い、一五勝五敗。こんな劇的に変わるなら、今までの低迷は一体何だったのかと思うわけであるが、大きいのはキャッチャーが変わったことだ。正捕手が故障で離脱し、その代役を務めたのがちーちゃんである。彼がマスクを被ってからというもの、失点の数が激減。まあ、前のキャッチャーは膝を故障してからあまり変化球を要求しなくなったというのもあるけど……。まあ、元々の平均防御率を計算すると、一試合に五点近くは取られる状態なわけで。並のチームの失点数に戻っただけと言われればそれまでなのだけど。

 何はともあれ、俺と古やんは九月中はレギュラーに定着。川崎さんもレフトでの出場が増えてきた。本職は内野だけども、外野守備も上手な川崎さんも、俺のライバルだ。

 不甲斐ないレギュラー陣が控えに座ることが多くなり、ベンチのムードは些か悪いが、ブルペンの方は活気が戻りつつあるらしい。ネクサスGJ。まあ、元々投手陣は頑張ってた方だし。

 そんなわけで、シースターズの最終戦は本拠地、神奈川シーサイドスタジアムで行われることとなる。相手は今シーズンのリーグ優勝チームだ。

「今日は、前田の引退試合だ。勝って、現役生活ラストを良い形で締めくくってやろう!」

 試合開始前に、珍しく円陣を組む。隣の選手の熱が伝わっていく。監督の言葉が終わると、選手たちは猛々しく声をあげた。

 もう最下位が決まっているチームの最終戦だというのに、スタンドには空いた席が見当たらない程の観客の数。シースターズファン以外にも、多数の野球ファンが訪れているようだ。

 こんな日に、俺は一番センターで出場できることとなった。センターこそ、俺の定位置。この場所で試合に出れることは、俺にとっては最高の歓びだ。バックスクリーンが背後にそびえ立ち、声援とブーイングが交錯する。前を向けば、全ての選手の守備体系と確認できる。スタンドではファンがメガホンやフラッグを持って応援したり、ビールを飲みながら野次を飛ばす姿が映る。

 ショートのキャプテン、高橋さん。セカンドには久しぶりのスタメン、原さん。ファーストは古やん。キャッチャーにちーちゃん。サードは川崎さん。内野陣は、ほぼ控えの面々が出場している。レフトは今日昇格したばかりのルーキー、川端省吾くん、ライトは故障から復帰した、栗山秀章選手。マウンドにはエースのネクサス。地味に最多勝を賭けた試合になっている。

 この日のグラウンドには、開幕戦に出場していたレギュラー陣が殆どスタメンの中に居ない。監督もついに重い腰を上げたのか、やる気のない、勝つ気のない選手は使わないと、レギュラー陣を切ったのだった。実は、監督も既に退任が決まっている。まだ一年目だというのに、結果を残せなかったということで、もう一年残っていた契約も破棄されてしまったらしい。

 監督は試合前にこう言った。

「私にはもう失くすものはない。でも、これからこのチームに入ってくる若い選手たちが、くだらない大人の事情でその芽を摘まれていく姿は見たくない。だから、私は決心した。野球を楽しもうじゃないかと!」

 監督の出した答え。それは、勝ちにいくということではない。冷めきったチーム状態の中で勝っても意味はない。チーム一丸となって、頂点を目指していく。それが、本当に目指すべきチームの形なのだ。

 球審が、プレーボールの合図を出す。サイレンが夕暮れ時の空に響き渡る。歓声があがった。

 ネクサスの気合はいつもに増して十分だ。初回から、一五〇キロを超える速球を投げ込む。更に、落差の大きいネクサスボール(ただのフォークボールです)を解禁。ちーちゃんもその球をしっかり捕っている。一回表は三者連続三振であっさり終了する。

「流石だな! ネクちゃんよ!」

「その呼び方はやめてくれよ。お前ももっと変なニックネームでもつけられたらわかるさ」

 打席に立つ前に、俺はネクサスに声をかける。汗一つかかず、涼しげにベンチへ帰る姿は、エースの象徴なのだろうか。余裕、その一言に尽きる。

「じゃあ、行ってくるわ」

 俺も、負けてられない。何でもいいから、出塁しなければ。

 相手もチームのエース。しなやかな左腕から伸びのある直球を投げ込み、多彩な変化球で打者を翻弄する。簡単に打たせてはくれない。まず初球は様子見。甘い球が来ても、簡単に手は出さない。

 初球はボール。内角に曲がるスライダー。曲がり具合から、ストライクを取りにいった球のように思える。振らなくてよかったと、改めて思った。

 二球目は外角低めのストレート。ストライクが宣告されるが、全く手が出ない。表示された球速は一四〇キロだが、それよりも五キロは速く感じる。

 三、四球目は内角のストレート。俺がライト方向を狙っていることくらいはわかるようで、厳しいゾーンを突いてくる。しかし両方ともボール球で、カウントはスリーボール、ワンストライク。バッターが有利だ。俺は元々拳一つ分短く持っていたバットを、さらに人差し指と中指分短く持った。

 五球目。内角へのカーブは、曲がりきらずに真ん中近くへ入ってきた。俺は逆らわず、ライト方向へ流し打つ。ファーストの頭を越え、長打コースに入る。ライトが球に追いつけないことを確認し、俺は二塁へと駆けた。ライトスタンドからの応援の熱が熱くなる。水色の旗が八の字を描き、鳴り物の音が鼓動を打ち鳴らす。

 二番は高橋さん。初球できっちりバントを決め、一死三塁のチャンス。三番はセカンド、原さん。

「落ち着けよ。まだ一回だ。打球の方向をしっかりしてからスタートを切って構わない」

 三塁コーチからの耳打ち。俺はそれを頭に入れ、原さんにサインを送る。左耳、右肩、左肩、メットの鍔。原さんが頷いた。

 原さんも初球の落ちるボールを掬い上げた。体勢を崩しながらもレフトへ持っていく。一塁へ走る原さんの顔は「これでもお前の足なら十分だろ」と言っているように見えた。

 三塁コーチの合図で、俺はもう本塁を目がけてスタートを切った。この一点は大きい。だから必ず、ホームベースを踏んでやる、その気持ちを込めて、キャッチャーのブロックの前に滑り込む。審判の腕が水平に伸びたのが分かった。

 堅実に一点を先制。ベンチに戻ろうとすると、原さんが俺の頭をバンバン叩いて来た。

「ナイスラン! お前の思い切りがなけりゃあれはアウトだったな」

 確かにタイミングはギリギリだったが、走っている最中はそんなことを考える暇もなかった。自分の足で、一点を稼いでみせる、その気持ちで一杯だった。

「熱いプレー見たら、ファンも応援してくれますよ」

 川崎さんが俺の帽子とグラブを渡してくれた。ふとフェンスの向こうのスタンドから、俺の名前が聞こえる。「ナイスラン!」「流石フジモン! 次も期待してるぞ!」「守備も頑張ってー!」俺は恥ずかしくなって、急いでメットを直し、帽子を深く被って、センターへ駈け出す。後ろで「あいつシャイなんですよ!」と古やんが言っている。後で一発殴ってやろうかな。

 試合はそれからは膠着状態。ネクサスは毎回三振を奪い、七回まで一人のランナーも出していない。ただ、それは俺たちも同じ。ギアが何段も上がったのか、相手のエースも多彩な変化球で的を絞らせない。それでいて精密なコントロール。見逃し三振の山が築かれていく。

 八回表も三人であっさりと終わり、八回裏。打順は俺からだった。しかし、俺はベンチにいた。

 


代打、前田。

 球場に響く、男の名前に、人の歓声がうねった。

 左打席に入る前に、ヘルメットを脱ぎ、軽く礼をする。これが、前田さんのいつものスタイルだ。

 右足を少し前に出し、オープンスタンスを取る。バットは左肩に置く。フォームは独特だ。野球好きの友達と教室でバッティングフォームの真似をしていたことを思い出す。

 思い切りのいいスイングから飛び出す白球は、とても伸びやかで、美しかった。通算本塁打数は三八六本。広角に打てるバッティングは、チームの危機を救い、希望を掴み取ってきた。

 そして、今夜も。落ち着く暇もなく、白球は水色の波の中に飛び込んで行った。ベンチから俺たちは乗り出して、声をあげる。

「ナイスバッティング!」

 普段は打っても顔色一つ変えない前田さんが、拳を突き上げた。どんな闇をも振り払ってしまえそうな、力強い拳だ。

 九回表。前田さんはセンターの守備位置につく。久しぶりの守備だから、大丈夫かと心配はしたが、ネクサスのピッチングは相変わらずで、ポンポンと二人を三球三振に取った。今日はこれで一七個目の三振。

 そして、最後のバッターが、打席に入る。最後じゃないかもしれないのに、最後だと思ってしまう自分がいた。

 二球で追い込み、ついさっきまであと一人コールを叫んでいたファンが慌てて、あと一球コールに切り替える。

 三球目。味方からすると、嫌な音が響いた。ボールはネクサスの積み上げたアウトを引き裂かんばかりに、闇夜に溶けた。照明に姿を隠し、センターへ飛んでいく。俺なら出来る、でも。そう思った。

 重力に逆らえず落下するボールは、フェンスギリギリのところで前田さんのグラブに収まった。



 ***



「うひひ……一〇〇〇万円アップだってさあ……」

 契約更改が終わり、俺はホクホク顔で家へ帰った。明日は皆と遊びに行くから、今日は家でゆっくりDVDでも見ながら過ごそうかな、と。

 背番号が三〇から八に変わった。実は、八番は前田さんが背負っていた番号だ。本人から、この背番号を俺にやってほしいと通達があったらしい。

 あの引退試合のお立ち台に呼ばれたときにも、前田さんは俺のことを「これからこのチームを引っ張っていくべき選手なので是非応援してやってください」と言ってくれた。すごく嬉しかったし、励みにもなる。ちなみにあの試合、ひっそりとネクサスが完全試合を達成していたのに、前田さんのことばかり取り上げられてしまっている。何かかわいそうな気がするけどまあいいや。ネクサスは一億円プレーヤーとなったみたいだけど、一勝につき一〇〇万円を寄付するとかなんとか……。スゲー奴だよ。

 原さんはオフも自主トレに励んでいる。もう過去には縋らないといって、お酒もやめたらしい。これ以上自分を追い込める人は、そうそういないよなあと、俺は改めて尊敬する。

 ちーちゃんはガーデニングに目覚めたとメールが来た。ブログでも「花が咲きましたー」とか言ってます。どこまでイケメンなんだよこいつ。そしてどうやらモデルデビューするらしいです。そんなに活躍してないのに……あ、なんか嫌な予感……。

 古やんはオフはお家でゲーム三昧らしい。一つゲームを貸してもらったけど、これ、全年齢対象じゃないよね。それも未成年アウトっぽい……よね。それで奥さんが居るって羨まし過ぎて。

 川崎さんは今絵を描いているらしい。暫く集中したいから連絡しないでと言われたけど明日は一緒に遊びに来てくれるらしい。どんな絵なのかは見せてくれないようだけど見たいなあ。



 そして、俺が手に持つスポーツ新聞の一面。

『ゴールデンルーキー中谷潤! 開幕スタメンは俺だ!』

 また、とんでもないライバルが現れた。なんでも、大学野球で打率の記録を残したとか、残してないとか。要は俺の地位は来シーズンも不安定ってことだな!

 ちなみに、俺は今シーズン四〇個の盗塁を決めた。打率も最終的に二割七分八厘とまずまずだった。もちろん、こんなところで満足はしていられない。どんな挑戦も受けて立つ!

 俺は左腕につけたリストバンドをグッと握りしめる。

 これは、前田さんから貰ったものだ。今までは赤いリストバンドをつけていたが、お前にはこの色の方が似合うと、頂いたのだ。水色の、チームカラーの、リストバンド。

 前田さんは解説者の道を歩むそうだ。キャンプが始まったら、また来てくれるらしい。でも、まだマイクを向けられるような選手じゃないから、直接話すのは難しいかもしれない。

 それでも、来年はこのチームを背負って、優勝してやる。皆の決意を決して、忘れたりはしない。俺はこのチームのスターになって、優勝してみせる!



 ***



 という、一年前の俺。

 さあ、現実を見ろよ。

 俺の前には、とんでもない世界が、広がってるんだから。



 さあ、プレーボール。戦いの時間だ。

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スター候補はベンチウォーマー。 神宮司亮介 @zweihander30

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