【02】北国の石礫
◇
9月20日2時限目。両科の境目に存在する大教室。
席順は3回目の時と同じで、集められた人数も変わりは無かった。
強いて変わっていることと言えば、前回閃光魔術を使った普通科の一番窓際に座る『黄』の魔術師の近くに、風紀委員が固められていることだった。
『黄』の本人もその異変に気づかないはずがなく、「なんかここ男の人口密度が高すぎてキモいんですけど」と『赤』の相方であるカルトに嘆いていた。カルトは大分見慣れてきたペストマスクを手でもてあそびながら、ハハハと高笑いをする。
「そう言ってやるなよ、ビビってんだろーからさ」
風紀委員の監視の目が鋭くなる。
「つーか、俺ら見張るのは別に良いけど、俺に反撃したい連中はどーなったんだよ。ってか、俺被害受けてないんですけど」
ハッ、と鼻で笑う。目も口も愉快そうに弧を描く。
特別科の生徒達も冷ややかな目をカルトに向ける。その視線に気づかないはずがないのだから、そうとう怖い物知らずだ。
「かっけーな」とヨウが呟いたのが聞こえた。どうか真似だけはしないで頂きたい。
けれどあの肝の座り様は堂々としていて、確かに憧れに近い何かを抱く。そういう性格なのか、それとも『目』や『血』に自信があるからなのか。後者ならとても真似できない。
自分の『目』は存在してはならないものだからだ。
だけどどうも恨みきることが出来ず、受け入れることも出来ず、ずるずる引きずって今に至る。
ヒトオミは俯きながら、面を顔に押し当てた。
純粋な普通科と特別科の対立だけでなく、誰しもがそれぞれの価値観で赤の純色を認識している。敵味方、そんな単純なものではなく、きっと畏怖に近い。
ヒトオミから遠い方のドアが開く。
絹の様な藍色の滑らかな髪を真っ直ぐと垂らす特別科生徒会。火宮和妃。
特別科の生徒達が軽く頭を下げる。
そういえば、と思い出す。
昨日の件で、結局、風紀委員会は和妃の許可を得られたのだろうか。彼女の居場所を探れたのだろうか。
何をしていたのだろうか。彼女の妹を本当に探していたのだろうか。
「クリムゾン」と繋がっているであろう『火宮』の人間は、今何を企んでいるんだろう。
「始めてくれ」
凛と澄んだ大きくも小さくもない声が、室内を裂く。
強制的に現実に連れ戻され、また胃を鷲掴みにするような重たい空気に晒される。潰される。
委員会が開始されると、生徒会役員により各前列に座る生徒の席に白い小さめの紙が配布された。
「クラス名と出店で何をやるのかその紙に書いてください。やらないクラスは、クラス名のみ書いてください」
普通科の制服を着た、赤茶の髪を耳の少し下で団子状に結んでいる生徒会役員が普通科と特別科をそれぞれ見ながらそう言った。
すぐに筆記用具を手にする普通科。特別科の少数はその団子髪の役員を一瞥して、ただ白い紙に視線を落とした。
「書いてください」
にこやかに、はっきりと彼女がそう言うと、その少数も筆記具を手にした。
特にすることもなく、頬杖を突きながら下を向いていると、とんとんと机を叩かれた。
顔を上げると、ヨウが紙を片手に「これでいいんだよね?」と聞いてきた。
「じゃない?なんで俺に聞くのさ」
「だって、ヒトオミ君が発案者じゃん」
紙には『謎解きゲーム(複数)』と書かれている。色々と改変されたが、派生元は確かにヒトオミだった。
「あれだけ飲食系の案出てたのに……」
「他に案がなかったからねー。大体出店は食い物系じゃん?憧れるもんじゃん?」
「んー……」
目立つことは嫌い。けど、分かる気がする。
クラスでおそろいのTシャツを作って、着て、わいわい準備して、終わったら打ち上げ。面倒だろうけど、楽しそうだなぁと思う。思い出になるだろうなぁと想像する。
「回収します」
お団子結びの生徒会役員がそう言って、1枚ずつ回収して回る。窓際から順番に回ってきて、ヒトオミ達の番が近づくとヨウは前に向き直った。
特別科の方はまた別の人が回収した。
「確認が終わるまで少し待っててください」
生徒会役員達が手分けして紙を確認する。
被っていないか、無理なものでないか、危険なものではないか。両科の生徒会のチェックを通れば実行可能とみなされる。
「どーなるだろ」
ヨウが再び椅子に横向きに座り、背もたれに肘を突き頬杖をつく。
「通ると良いね」なんて他人事みたく言うと、「落ちたらあいつらに責められるなぁ」と身震いするように、でも楽しそうに言った。
確かに責められるかもしれない。でも、責める方も多分楽しそうに責めるだろう。
まぁ、俺だったら気持ち悪いぐらい気を遣われるかな、とヒトオミは勝手に苦笑いする。名前を把握できていないとはいえ、7割方は3年分の積み重ねがある。なんとなく、どういう人達なのか分かる。そう勝手ながらも前向きに考えれる余裕が今のヒトオミにはあった。
少しすると、作業が終わったらしい役員達が元の席に戻った。
今回の会議の仕切りは多分団子髪の女子生徒なのだろう。また彼女が仕切り出す。
「普通科、特別科とも被っていませんでした。両会長のGOサインもでました」
「被んなかった?珍しな」と普通科3年の男子達が笑いながら口にすると、団子髪の彼女も「ですよね!奇跡ですよ!」と破顔した。
「今回の会議のメインは終わりです。何かあるかたいらっしゃいますか?」
彼女は片手を上げながら、両科の席を見渡す。
す、と特別科の中央やや右よりに座る男子生徒が静かに手を上げた。こんな場でにこにこしてるほうがおかしいから真顔で居るのが普通だろうけれど、その生徒の顔は冷ややかすぎていた。
「文化祭は【他国】の方の割合の方が上だ。だから、言語制限をするべきかと」
「制限?というと?」
「私たちが普段使っている
今この場に居る全員が話している言語が
だけれど、【火宮】のある一般に東洋と呼ばれている地域は、
静かに普通科側がどよめく。理解が置いて行かれている。
特別科が一切動かない。事前に全員に知らされていたのだろう。特別科全体の意見だ。
和妃はただただ何かの資料をひたすら目に通しているだけだった。
「……ハァ?」
普通科の窓際で風紀委員の注意をひたすら引きつけている『黄』の生徒、ラディが地を這うような声を出す。
吐瀉物を見るような、射る視線。
「頭湧いてんのかよ」
後ろに座るカルトが口角をおかしく上げて、吐き捨てる。
ぞわり、と魔力が肌を逆撫でる。
提案した特別科の生徒らと冷めた黄と赤が静かに互いを見る。
気まずさと敵視で中途半端に濁っていた空気に訛る類とはいえ殺意が混じり、一気に塗り替えられる。
拳を握りながらヨウは思わず震えた。抗えない、逆らってはいけない、誰に言われたわけでもない。けどそれが絶対で揺るがないような物に思えた。わずか1年しか差がないことが、その色をより濃くする。
誰も動かなかった。
同じように反抗の意思を抱いた仲間である普通科生も。正しいと決めつけて疑わない意見を提示した他の特別科生も。場の空気を整える風紀委員も。この場を仕切るために居る生徒会役員も。
ふぁぁ……、と小さく聞こえて、ヒトオミは伏せがちにその声の方を見る。
保健委員長の席に座る金髪が涙を浮かべるほどの大あくびをしていた。やはり、あの男は演技すらしないか。ヒトオミはわざと入れていた肩の力をすとんと落とした。
「俺らさぁ、アンタらより頭の出来がクソだから理解できないんだけどさぁ、喧嘩売られたって事だよね?」
ラディが真顔のまま、口のみを動かす。平坦な声が室内に渦巻く。
ガツン!と机を軽く蹴飛ばす。カルトだった。何人かの生徒の肩がびくり跳ねた。
「文化祭実行委員じゃなくて文化部の一部員として言わせてもらうんだけどさぁ――俺らのこと舐めすぎデショ」
冷え切った口調でそう続けるラディの肩をカルトはノックするように、1回だけ力なく叩いた。噛みつくような勢いで肩越しに振り返ると、無表情の環輪眼が見えた。
止めてくれるな。これは死んでも譲れない。燃えていたそんな感情が、赤い目を見ていると静まった。
こんな連中にキレるだけ時間の無駄。そう達観した目だった。
2人は静かに立ち上がり、普通科側のドアに向かう。
先ほどみせた威圧感は纏っていないのに、2人が近くを通ると風紀委員達が半歩後ろに引いた。
2名はそのまま振り返ることなく退室した。
◇
「お。おかえり」
カルトとラディがクラスに戻ると、待機していたクラスメート達に迎えられた。
すでに段ボールや画用紙など、準備に必要な物がそろえられていて、その上どういうデザインにするかの話の痕跡が黒板に残されていた。数人の女子生徒達が油性ペンを手に、何か集中して描いている。
「気早すぎー」
ラディがへらっと笑う。
「で、どうだったの?出店の方は通った?」
クラス委員の女子が2人の顔を見てそう尋ねる。
ラディは人差し指と親指をくっつけた手を高々と掲げた。
「オッケー出ましたぁ!やるぞお前ら!盛りあげんぞ!」
廊下にまで響くラディの高い声に、沢山の拳が突き上げられた。
控えめの生徒や社会性がちょっと欠ける生徒はそれに参加しなかったが、ラディが手を招くと戸惑いや呆れを見せながらもクラスの中心に集まってきてくれた。
全員が、というわけではないが5年目の付き合いだ。ここで断ってもラディは諦めない。その諦めの悪さに折れた経験がある。
クラスメート達はさっそく作業に入る。それをひっぱるラディを見ながら、「無茶苦茶な野郎だな」とカルトは呆れるように笑った。
「なーんでいつもあんなテンション高いんだか」
出会った時から一貫され続けているテンションお化けっぷりに、イールドも呆れたように笑う。
「あのロン毛もそうだけど他の連中も元気有り余りすぎ。盛りあがんの早ェよ、うるせぇし」
ケッ、とつまらなそうに一蹴するカルトを前に、イールドはぱちくりと瞬きをする。騒がしい教室なのに、先ほどまで眠りこけていたまだ眠たげなエイムの目に視線を移す。目が合うと、エイムはけだるそうに手のひらを上に向けて肩をすくめた。
何かあったの?
さぁ?
沈黙のやりとりを終えると、エイムはじれったそうにカルトの肩を叩く。
「なした?」
3人の生まれ育った地域の訛り。その言葉をエイムは掠れた不自由な声で言う。
「あぁ?なにが」
「あぁ、分かった!お前ェ、また特科に喧嘩売ったんだろー」
イールドが自分を指さしてきたので、その手を上から引っぱたく。
「今日は売られたんだよ」
「あ、そうなの?」
反応は軽かった。一瞬でもム、としないあたりとてつもなく大らかな野郎なんだなと思わされる。呆れるほど競り合うことを好まない。
その隣に居るカルトよりもタッパのある緑も似たように、拍子抜けと言わんばかりの顔だった。いや、ただ眠くて興味が無いだけなのかもしれない。
これじゃ自分が器の小さい奴みたいだ。それはむかつく。
「なぁ、部長」
無茶ぶりな頼みの時などに用いる呼び方をすると、イールドが「なに」とおそるおそる返す。
「文化祭、最悪言語規制かかるかもらしーぜ」
とりあえず無茶ぶりでなかったことに、イールドは力を抜く。が、ん?と疑問符が浮かぶ。意味がよく分からない。
「え?何か問題ある?」
額に手を当てて、大きくわざとため息をつく。
「え、なになに」と標的を移されたエイムも、カルトの真似をしたため息をつく。
「え、なに。エイム意味分かってんの?」
「まぁ一応。ってか、俺らよりお前らにとっちゃわりと死活問題じゃないの?」と掠れ声。
死活問題。その言葉に、自分の予想以上に事が重大なのだと気づかされるが、それでもいまいち分からない。
「どーゆーことじゃあ!」と自分より背の高いエイムの肩を激しく揺らす。抵抗するのも面倒なので、エイムは何もしなかった。
「
カルトがそう言うと、うん、とイールドは首を1回縦に振る。
「同じように放送部も
うんうん、とイールドは2回頷く。
「更に、放送してるときのBGMとして
イールドの動きが固まった。
「同じ理由で、軽音学部は
イールドはようやく気づいたらしく、教室の一番後ろに並べられているロッカーに置かれたギターケースに焦った様子で目を向ける。
さっきまでの大らかさがどこかに吹っ飛び、右も左も分からなくなった迷い子のような顔でカルトを見た。
文化祭は10月。
文化部は4月の新入生に披露する部活動紹介が終わると、夏時期の大会などの準備をする部活もあるが、それ以外は文化祭の準備に早速取りかかる。軽音部もそうだった。
新入生歓迎会には出るように言われたので出たが、ありがたいことに新入生は入ってこなかった。夏時期の大会もない。4月からひたすら好き勝手個々に活動してきたが、披露の場である10月に備えてきていた。
使用言語の変更は、その準備の全てを水の泡にするということだ。
カルトとエイムは顔を見合わせる。自分たちは廃部にならないように名前を貸しているだけで軽音部らしいことは一切出来ないが、イールドは違う。固まった親友に、気休めの言葉をかけるのはむしろ酷なことだった。
決定したわけではないけれど、ほぼほぼ決定されてしまったに近い。特科は押し切る。
「……文化祭まで、あと何日?」
大体2週間。掠れた声が答える。
2週間で今用意できている曲を全て変更できるか?――無理だ。自分にそんな才能は無い。イールドは自分のギターケースをみる。できないなら演奏は諦めるしかない。諦める?……それは嫌だ。相方のラディもそう言うはずだ。でもどうする。
「2週間でやれるだけのことをするしかない……」
睡眠時間削るしかないな、とか呟く親友に頭が痛くなる。
なんで刃向かわない。なんで反抗しようとしない。なんで受け入れる。そういうのが相手をつけあがらせるんだろうが!と指を指したくなる。
けど、多分、平和主義者なのだと思う。8年ほど前の戦争で、イールドは家族を失っている。両親が死亡しているのか、どこかで今も生きているのかそれすら分からない状況だ。そんな奴が争いごとを好む、はずがなかった。
もしかしたら利口なことなのかもしれない。けど、カルトにはそんな選択肢はゴミだった。捨ててしまえ。
「まだ修正加えるのは早いんじゃない?」
眠たげなハスキーな声がゆったりとそう言った。
「でも」
「まだ決まったわけじゃないんだし」
「そうだけど……もしそうだったら」
「そしたら、クラスの準備抜ければいい」
放課後だけでなく、一日中使えば、確かに挽回できるかもしれない。
「でも当日はクラスの方なんもできないのに抜けんのはまずくない?」
「カルトが変わってくれるってさ」
「ハ!?お前勝手言ってんじゃねーぞ!?お前がやれや!」
「マジでェ!カルトくんやっさしー!」
「とりあえずラディと話しといたら?最悪のことまで踏まえて」
「あぁ!確かに!」
サンキュ、とイールドはエイムの肩を雑に叩き、なにやらクラス委員と話し合っていたラディの元に向かった。
「なんでテンション高ェんだよ」
カルトが遠ざかった後ろ姿に悪態をつく。さっき勝手に言ってしまったことに対しての文句はなかった。
自分たちの故郷の姿はもはや日常のどこにもない。他国に奪われ尽くした。自分たちの当たり前を取り上げられる。屈したと思いたくなくとも十分な心的外傷だ。
だから死ぬほど腹立たしい。殺したいほど苛つく。黒く渦巻く。
誰かの同意がほしくて、隣に居座る緑を横目で見た。それが失敗なのは見る前から分かってたはずだった。あったのは何も感じていないようなけだるげな無表情だった。この黒い感情に居座られるのは迷惑だ。でも見失ったら、大事な物をこぼしてしまう、そんな気がした。
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