【15】緑の居場所


 ◇



エイティの手を借り、いつも通っているあの学園に戻ってきた。

学園の正門前で降ろしてもらい、透明化を解く。時刻を確認すると、3人と開かれてから8分程度しか経っていなかった。


「もはやジェット機だよね」


関心からそんな感想を呟くと、エイティは『凄いでしょ?』と得意げに答えた。精霊の事は詳しくはないが、速さ自慢の生物だとは驚きだった。何か天敵から逃れるためにその速さを得たのか、それとも生まれつきの小柄さがその速さの理由に直結するのか。


『じゃあ、森に帰るわね』


エイティは長距離を超スピードで飛行したのにもかかわらず、疲れを感じさせることはなかった。ただ1人だけの移動ではなく、1人の人間を飛行させ続けていたのに。小さな体の割に、タフい一面も持ち合わせているらしい。


「無茶なお願い、聞いてくれてありがとう」

『別に。1人ならどうってことないわよ。それにトワが世話になってるみたいだし』


精霊達とトワとの間にはなにやらあるらしい。それが気にならないこともないが、今じゃなくてもそのうち聞ける機会はあるだろう。そのときに聞こう。そう決めて、ヒトオミは学園の中に戻った。


正門から図書館塔に続く大通りの普通科側をこそこそと歩く。もちろん学園内ではいつもの面をつけることを忘れない。

近くにあるグラウンドでは、なにやら野球部が活動をしているらしく、がやがやと声が聞こえてくる。いつもと変わりない光景だ。


ヒトオミは足を速めた。

1人の生徒の行方が分からなくなったって、自分と関係が無ければ世間は無関心だ。おかげで、自分は自分の瞳の原因である人物の行方を掴めないでいる。このまま、八重がその人物と同じように消息不明になってしまったら――そんな考えたくもないことがよぎって、歩速を速める。


誘拐した下部組織の連中は、まだ学園内にいるのだろうか。

拉致をした八重を見張っているのだろうか。もしそうなら、戦闘もやむを得ない。『媒介』は持ち歩いている。最近乱用していないし、今日使ったのは透明化の1度だけだ。消耗具合も問題は無い。


速度を上げる。

速さに足が付いていけず、駆け出す。

目的を一つに見据える。一点に見つめる。

視野を狭める。


そんな彼の頭上を、1匹の光る蝶が飛び去った。




 ◇



 生徒の立入を禁じる


そんな紙をくっつけたひもが入り口であるドアの取っ手にぐるぐる巻きにされていた。アナログな手段に手抜きだと思わなくもないが、意外とアナログな手段は役に立つ。事実、引っ張ってみても弛むことなくきつく結ばれているようだった。

……いや、結び目がない。

ひもの切れ目部分を魔術でなくしてしまったらしい。確かに実技棟は最近一切使われていないからこんな方法で閉じてしまっても誰も困ることはない。気づけば怪しさの塊だった。


これを切ってしまったら侵入はもれなくばれる。

転移で中に入るのは用意だが、中に侵入したことを知らせる「何か」が備えられているかもしれない。懸念だけしておく。

そんなこと、どうだっていい。


ヒトオミは素早く建物内に入り込む。初めは不慣れな作業でも、数をこなせば効率化できるように、魔術も慣れれば術式を端折る事が出来る。もちろん慣れないでそんなことをすれば、例えば転移なら壁に埋まって窒息することだってある。変身が解けなくなることもある。


建物内は静寂そのものだった。

歩く自分の足音しか聞こえない。空っぽの空間に足音が響いて消える。控えめに歩いても無になることはなかった。

とりあえず1階に人の気配は感じない。

この建物は4階建てで、地下は1階だけある。上の階の可能性もあるのだろうけれど、もし窓で中の様子を見られでもしたら意味が無い。やはり地下が有力候補だ。


地下にそのまま転移してもいいのだろうけれど、まだ用心しておこう。気配を消すのが上手いだけかもしれない。自分の足音で侵入に気づき、身構えているかもしれない。

ヒトオミは下に下る階段に近寄る。最大限の気を配る。あたりを見渡す。敵も、手がかりも、何もかも見逃さないように。鬱陶しい面を外した。


立入禁止になっているだけあって、埃っぽい。掃除は当然されていないのだろう。そういえば、文化祭の模擬試合だとこの建物を使うはずなのだが、今年はどうする気なのだろう。もし使うと決まっていたら、ここではない場所に八重を隠したのだろうか。それとも使うと決まっていないからここを最適の場所だと思ったのだろうか。だから攫った。


今からでも足音を消しておこうか。無音の魔術――自らの出す音を周囲に漏らさない魔術。だがそんな魔術を使う機会はあまりないので少し時間がかかる。そんなことをしているよりも特攻した方がいいのかもしれない。

基本自分はサポート系で収まっていて、暴れるのはツグトが担当していたのでいざとなるとどうしていいのか勝手が分からない。


時宗に連絡をいれたのは、風紀委員の話を聞きたかっただけじゃない。彼の冷静さを取り入れたかった。口では不満を言っても、感情の振れ幅は極めて少ない。非常事態だから冷静さがほしかった。どうも、無理っぽいけど。


下に続く階段を上から覗く。

人の気配はやはりない。もしかしたら死角に隠れているかもしれない。けど、もういい。


ヒトオミは階段を一気に飛び降りた。飛行魔術で落下速度を軽減する。

踊り場に1度足を着け、息つく暇無く地下一階に落ち立つ。

1階よりも埃っぽい。窓がなく、薄暗い。

元武器庫で今は使われていない。だからなのか、ひどく閑散としている場所だった。学園の賑やかさとは切り離されたような「無」の空間。


そこに彼女はいた。

薄汚い床の上に力なく横たえていた。


床に垂れた緑の髪で顔がうかがえない。

目視した途端、バランスを崩しながらも彼女の元に駆ける。

意識を失っているのか。息は。怪我は。


手が届く。そう思った瞬間、ドン!と何かと思いっきり正面から衝突した。ぐらりと頭が揺らされる。軽く視界が乱れる。

堅い何か。壁のような何か。

手を伸ばす。すぐそこに八重がいる。けど何かに邪魔されて届かない。両手で目の前の壁を叩く。少し位置を変えてもう一度。どこにも抜け目はなく、全方位に張り巡らされているようだった。これが探知の出来ない理由で間違いない。どれほどここに閉じ込めておく気だったのかは知らないが、1日以上持たせるのなら魔方陣が適している。魔方陣ならそれを発動させるための装置のような物があるはず。それを壊せばこの壁は消える。


ヒトオミは周囲を見渡す。

魔方陣は大体は円形で、原則その中心部に魔術を形成する。だが目の前にそれらしいものはない。結果としてでるはずの魔方陣のみ。

薄暗く陰になっている天井を見上げる。原則なだけで、手を加えてしまえば例外もある。上下を反転させる魔術を使えばこの現状もおかしくない。


ヒトオミは天井に向かって閃光を放つ。姿を隠している術式も他者で魔力に障られると姿を表す。

明かりに照らされた術式を読み取る。外からの全てを受け付けない、1種の防御魔方陣だった。抗争や戦争で非戦闘員を守るためのものだ。


魔方陣は崩すことは比較的難しい。だが、元である術式が少しでも乱れれば発動はしない。

ヒトオミは術式の一カ所に座標を定め、そこを指さす。そこを中心にに天井の表面部にひびを入れるように衝撃を与える。術式を構成する文字が崩れる。

上に伸ばした手をそのまま前へ突き出す。さっきまで確かにあった壁はそこにはなくなっていて、彼女の方へと腕が伸びる。距離が足りない。一歩踏み出す。更にもう一歩。

やがて彼女の傍らに辿りつく。


見たところ人による外傷はなさそうだ。

膝をついて、彼女の顔をのぞき込む。顔を隠すように垂れる髪が微かに動いている。息はある。とりあえず無事そうだ。

体の中にあるすべての二酸化炭素をはき出す。そのまま項垂れる。見つけられて良かった。少し視界がぼやけるが、きつく目を閉じて奥に追い遣る。


何故倒れているのか。おそらくは体力の消耗による衰弱。魔術が使えない空間内にいたのだから、その原因は魔術の使用ではない。もちろん体を動かしていたわけでもない。その原因を取り除くのが先かもしれない。けど、まず、彼女の声を聞きたかった。


手を伸ばす。触れて良いものか――いや、別に何かしでかそうって言うわけじゃない。彼女の肩に手を乗せる。見慣れた制服に包まれたその奥に、自分よりもずっと細い身体があって、触れた手がとび跳ねる。覚悟を決めて、もう一度手をのせる。


ほわんと淡い光が彼女を包む。治癒魔法だ。ツルギならすぐに治せるのだけれどそんな贅沢は言っていられない。少しずつだけど回復しているはず。得意じゃないのだから焦れば余計に時間がかかる。

のせた手に力が入る。空いた手を強く握る。

どうか、はやく。目を。声を。


「……ヒトオミ、君?」


自分を呼ぶ掠れた声。彼女の指が微かに動く。同じ緑色の瞳がわずかに開く。

顔を覆う彼女の髪を除ける。まだ顔色が悪い。彼女の体には未だ厄となる塊が住み着いている。




八重は自らの体を起こす。まだ腕に力が入らない。なんでこんなにへろへろなんだっけ。気を失う前のことを思い出す。

そうだ、敵の包囲網を突破しようとして、自分は力及ばずに力尽きたのだった。外と遮断されていたあの壁を取り除かなければ。


「……えっ」


包み込むような暖かさを帯びている。自分を癒やす魔力。それに覚えがあった。前にもかけてもらったことがある。この感じは彼だと直感で思った。けど、それはおかしい。彼が自分のもとに来てくれるはずがない。


なら目の前にいる彼は幻なのか。

見慣れた制服。見慣れた外に跳ねる緑の髪。そして、顔。滅多に見せたりはしないけれど、間違えるはずがない。


「……ヒトオミ君?」


もう一度名前を呼ぶと、「はい」と小さく返事があった。




「え!?なんでここに!?っていうか、そのおでこどうしたの!?」

「え?」


指摘されて、軽く触る。触れた指には血がうっすらと血が付いていた。

怪我をするようなことした記憶が無い。そう思った直後、一つ思い当たった。さきほど思い切り魔方陣と正面衝突した。多分そのときだ。

「ちょっといい?」と八重は手を傷口の上に翳す。怪我をしても治癒を使わずにツルギの傍に居ただけだから、治癒の感覚は久しぶりだった。


「はい。もう大丈夫よ」

「……ありがと。来るの、遅れてごめん。けど無事そうでよかった」

「全然。大丈夫――と言うか、ヒトオミ君が治癒してくれたんだよね?ありがとう」


ヒトオミは目を伏せ、黙って首を横に振った。


「でも、なんでヒトオミ君が……」


一番聞きたかったことだった。誰かが探してくれているだろうとは思った。母はそう言う人だからだ。そのうち誰かがきてくれるだろうと思った。けどそれはミドルの兵だろうと思っていた。できることなら自力でどうにかしたかったけれど、力不足だった。

それで何人の人に迷惑をかけてしまったんだろう。そう思うと気が滅入る。気が沈む。情けない顔を伏せる。

「なんで東雲さんが落ち込むの」というヒトオミの声が落ちてくる。そっくりそのまま返してしまいたい言い草だった。


「とりあえず風紀委員に連絡をいれないと」

「私がするよ。もう大丈夫だし、お騒がせしましたって」

「東雲さんはそれより保健室……」


ヒトオミは言葉を途中でやめて、ウインドを開いた。

風紀委員に連絡するのだろうか。捕まっていた自分がいきなり連絡を入れたらパニックになってしまうだろうか。


八重はウインドを開き、時刻を確認する。

普段なら5限を受けている時間帯だ。それなのにヒトオミがここにいるということは、もしかしなくとも臨時休校なのだろう。自分のせいで。


「もしもし、ツルギさんですか?」


ヒトオミがウインドに向かってしゃべり出す。誰かと通信をしているらしい。ツルギ、という名前を聞いたことがあるような気がする。確か、クラスの友人達が目の保養だと騒いでいた。


『なーに、ミオちゃん。武器庫はどうなった?』

「今保健室空いてますか?」

『超無視。空いてますけどなにか』

「ツルギさんはどこに居ます?さっさと帰りましたか?まだいますか?」

『人の居ない保健室で何する気よ。オンナノコでも連れ込む気?』

「いないんですね。ってかそんなことすんのあんたしかいねーし」

『安心して。今ファミレスでツグの胃袋満たしてるから保健室は人いない。ご自由にヤエちゃんを連れ込んでどーぞ』

「ぶっ殺されたいのかあんた!」

『やーだ、ミオちゃん物騒』


ぶち。

ヒトオミはウインドのおそらく通話終了ボタンを、突き指するような勢いで押した。というか、突いた。

叫んだからなのか羞恥なのか赤い顔のまま、肩で息をする。

「あのクソ野郎、肝心なときにいねーんだから」と小さく舌打ちをしながら悪態をつく。

なにやら通話に自分の名前が出てきた気がする。顔が熱い。

沈黙が続くのが気まずくて、八重はさっきのやりとりを聞いていて思ったことをそのままとくに考えず口にした。


「意外とヨウ君みたいな言葉使うのね」


あと不思議な呼ばれ方。

声のした方――八重の方にヒトオミは顔だけ向けた。失態だったのか、その表情が次第にこわばる。言い訳を探すように緑色の目が慌ただしく移動し続け、落ち着いたかと思ったら観念したように一息ついた。


「ヨウ君達には秘密ね」


自棄にも思える言い草だった。

内情を晒してしまった。自分らしい自分の最深部をいきなり見せてしまった。その手前、いきなり取り繕うのもおかしい話だ。

自制の効かない子供の癇癪のような彼の姿に、くすりと笑ってしまう。それが気に入らなかったらしく口がへの字に曲がる。

彼のことはあまり知らない。今まで見てきた姿が偽りだとは思わない。けれど、きっと今の姿は限りなく本物に近い。


「とりあえず、風紀委員に知らせます。保護されたらちゃんと治療されてください。……の前に」


やけくそ気味にヒトオミは八重の方に近づき、肩をぽんと叩く。

正面に見据えたヒトオミの緑柱石色の瞳が怪しく煌めく。吸い込まれるような、摩訶不思議の緑。偽りではなく、本物の。正体。

得体の知れない輝きに目を逸らせなくなる。やっぱり自分は、彼の何もかもを知らない。

緑柱石が微動しているようだった。見ているのではなく、別の意味を持った動きをしているようだった。双眸が同じ動きをしている。

何をしているのか。何をされているのか。それを聞こうとすると、体に異変が表れた。何かの圧を感じていたようなけだるさが一気に解かれ、鈍く重たかった身体が解消され、どことなく息苦しかった胸元が透く。


正体不明の違和感が解かれていく。

彼の手が遠ざかっていく。

その手が乗っていた肩に、自分の手をのせる。感触がある。ちゃんと目の前に居る。そこにいる。

それが嘘っぱちのような儚い煌めきに見えた。


「あの、ヒトオミく――」

「――あぁ時宗さんですか。八重さん見つけました。さっきツルギの馬鹿野郎が言ってた実技棟の地下です。怪我は見た感じないです。あ、それと天井に例の下部組織の痕跡が残ってました。調査よろしくお願いします」


先ほどとは違い、冷静に通話を終えたヒトオミが振り返ってから「呼んだ?」と首をかしげた。

呼んだ。用事があった。聞きたいことがあった。確認したいこと。だけどそれを拒むようだったから、八重は無かったことにした。


「じゃあそのうち風紀委員の方々が来ると思うから、俺は退散しとく」

「退散?どうして?」

「ここ一応立入禁止だから、別件で捕まっちゃう。多分八重さんは風紀委員にあれこれ聞かれると思うけど、正直に話していいから」

「……」

「……?八重さん?」


聞き間違えかと思ったが、やっぱりそうじゃないらしい。訝しげな顔をするヒトオミは多分無意識なんだろう。掘り返すのは不躾なことかもしれないが、聞かずにはいられなかった。


「……"やえ"?」


手探りで自分の名前を口にした。

一瞬時が止まる。

ヒトオミは何か言う前に、逃げるように虚空に消えた。

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