【11】青玉の英知

「――なるほどね」


ヒトオミはあらましを話した。魔具の件だけを聞きに来たつもりだったが、600年の時を生きる彼女の底の知れない知恵袋に図らずも触れられるのは嬉しい話だった。


「その東雲のお嬢さんを連れ去る前の気絶させた魔術、話を聞いた限りじゃ何も言えない。候補がありすぎる」


ノアは軽く手を上げ、指をくいっと曲げた。背の高さが統一された本棚が並ぶ中、唯一少し背の低めの本棚から1冊の本が飛んできた。本というよりもノートに近い見た目だった。


「話を聞いた感じ、確かに【東雲】だからという理由で狙われたわけではないのかもしれないって私も思う。でも、【東雲】だからの可能性が少しでもあるのならそれを疑うべき」


ノアが手を軽く振ると、飛んできた本が開いた。


「世界情勢が絡んでくるのなら、なおさら。彼女を殺したら絶対に動くから」


ノアは4人の少年の顔を順々に見た。

脅したつもりは一切ないけれど、それでも自分たちが何に首を突っ込んでいるのかこれで考えを改めて引いてくれれば好ましい――そう思ったのだが、誰も表情を変えなかった。至って真面目なまま。


「何でここまでして助けたがってるの?」


試しに聞いてみる。

予想していなかった質問だったからなのか、3人が首をかしげる。そんな中、ヒトオミの顔を覆う面が、驚いたように目を丸くした。


「なぁにその顔」

「ノアさんがそんな質問してくるとは思わなかったんで、つい」

「君たち3のことは聞かないよ」


ノアはヒトオミを指さした。


「君たちの周りには【火宮姫更】がいるから、ちょっとね」

「あの人って、そんなにヤバい人なんですか?」とヨウ。


トワも同じ事を思っていたのか、茶色に近い黄色の瞳をノアに向ける。


「昔と比べて大分数が増えた『紫』の、知る人ぞ知る代名詞だよ、彼女」


世界中に多々いる『紫』の中で、一番の実力者。弱冠18にして、否、彼女がその能力を開花した10歳の手前から危険視されている。

独裁国家として名を馳せていた火宮の影響力が更に増したのは彼女の影響でもある。


「【火宮】が【東雲】のお嬢さんを攫うよう【姫更】に指示し、彼女が見ず知らずの魔術師を操っている――そんな可能性だって実はある」

「……、」

「君たちの助けたいっていうのだって、気づかれないうちの洗脳だってこともある」


君たち。そう言ってまた指さしたノアの小さな子供の手は、間違いなくヒトオミを指していた。


「その全てを【姫更】が操っている、なんてことだってあり得る」

「……僕たちは火宮先輩の手のひらの上ってことですか?」

「あくまで可能性。だから聞いた。明確な意思があるならそれは私の妄想にしか過ぎないって事だから」


幼い見た目のまま時を止められたのにもかかわらず、彼女の表情は長い時を生きたからなのか、威圧感すら感じる。

薄く微かに青い瞳からは突き刺すような冷静さを向けられている。


「……警戒しすぎですよ、ノアさんは」


ノアは一度口を開けて、ヒトオミの傍らにいる3人を確認すると一端口を閉じた。「君の前で彼女の悪口は言うものではないだろうけどね」と言い直したあたり、『姉』と言いかけたのだろう。確かにその話はこの3人は知らない。


『弟』の前で『姉』の悪口を言うものではない、そう言いたかったのだろう。


「……別に」


血縁関係はないし、人として好いてるわけでもない。彼女に対する嫌悪に関しては、概ね同意できることだろう。


「世界があーだこーだとか、そういうのはどうでもいいっすよ」


吐き捨てるようにヨウが言う。馴染めば霞んでしまうが、そうだった。ヨウは口が悪いほうだった。彼と風紀委員の因縁は見た目が不良だからというものだった。


「そっちは一切こっちのことを考えちゃいない。ならこっちだってそっちのことを考えてやる義理がない。自分たちの都合だけで人の価値を決めてやがる連中なんてクソ食らえだ」


一介の高校生である自分たちが世界のことについてなんて語る機会なんてないので、彼の真意に触れたのは初めてだった。いつも気丈に振る舞っているとはいえ、彼の故郷は他でもない戦争で滅んでいるのだ。今じゃ立入禁止区域だ。そこには一切『北の国』の意思はない。

そのことに、『北の国』の人間が憤りを感じない、はずがない。


普段喜ぶも怒るも煩い赤い目が、静かだった。


「ただヤエちゃんを助けたいだけっすよ」


せやね、とトワが続く。


「他人の目ェ気にしながら生きたかないねん。恩人――友達を助けたい、ただそれだけや」


ノアの視線がサクに移る。

「僕?」と自分を指さした。


「うーん……なんていうか、この2人みたいな譲れないもの?的なのはないけど……。強いて言うなら、見て見ぬ振りが嫌いなだけ」


ノアの視線がヒトオミに移る。

「俺もですか……」と言うと、「うん」と上機嫌な返事があった。


「俺は……」


言い出して、すぐに口が動かなくなる。

何でなのか、いまいち分からない。『姉』の陰がちらつくから、巻き込まれてしまったのならその外に出してやらなければという責任感。会う約束をしていた人物が唐突に姿を消してしまった不安感。いつも見ている顔を見られなくなってから気づく消失感。沸き上がるように焚きつける焦燥感。

『姉』や『自分』の件がなかったら、自分はどうしていたんだろう。いつもどおり、自分とは知らないところで終わってくれ、とそう思っていたのか。

いや、それは、なんというか恨めしい。


「眉間の皺。以外と深い表情もできるんだね、このお面」


ノアの小さい手が面の目と目の間に伸びてくる。

だけど触れる前に、触られるという感じを覚える前に、その手が下りた。


前にもこんなことがあった気がする。

気がする――なんて、曖昧なものじゃない。ちゃんと覚えている。そのときの会話も。彼女の表情も。……そのとき何を思ったのかも。


「俺は、彼女の味方でいたいだけ……です」


彼女がどこの誰だって良い。味方でありたい、そう望む。そう願う。

あわよくば、向こうも同じであってほしい――押しつけたいとかではなく。

そんな高望みをしたことに少し羞恥を覚え、ヒトオミはノアから目をそらす。


「その癖は変わってないのねー」と笑った彼女から先ほどの冷静さはかけていた。


「OK。確固たる意思も、曖昧さも、『紫』じゃ真似するのは難しい。君たちを信じる」


ずっと宙を浮いていた本にノアがなにやら指示を出すと、4人とノアの間にふわりと舞って入ってきた。


「長い間生きてるし、私の記憶をあてにしてくれる人もいるけど、割と私は忘れっぽい部類の人間でね、400年前のこととかは思い出せないことの方が多いからこうして毎日日記を書いてる」


自分の身に起きたこと。図書館に起きたこと。

それだけではなく、世界のことも記してあるその日記は、そんじゃそこらの歴史書よりも信用できる代物だ。そのときを生きた彼女がその目で見たことを書いているのだから。

彼女が取り出したのは、そんな中の1冊だった。


「話を聞いた感じ、当てはまる一番最近の記録はこの魔具」


日付と付加させた魔術名と、依頼してきた人物の名前と『色』、そして所属。

ヒトオミはその所属の部分を指でなぞる。


「……聞いたことないや」

「僕もない、初耳」

「無理もないよ。【十一都市】にも入っていない更に下の、言うなれば下部組織だから」


世界に君臨する4つの国家。更に、それには及ばずとも独立している都市国家が11存在する。それ以外は国というくくりではなく、人が集まっているだけの場所ということで組織と見なされる。

【四大国家】や【十一都市】が先進国で、他が後進国というわけだ。


魔具を持っていたあの人物は、その後進国の1人であるということだ。


「でも、下部組織ってどういう?」

「彼らからすれば隠していたのかもしれないし、実際袖に隠れていたんだけど、右の手首部分に印をみた。都市国家との同盟を表明するための、印をね」

「そんなのあるんか?」といまいち理解できていないような顔をしたトワが言う。

「公認じゃないよ。暗黙のルールっていうのかな。印刻んだからには服従しろ、っていう脅しと、印を与えたのだから役目をよこせ、っていう主従の証」


だから国ごとで違うし、印をつけない国もあるし、印とは違う形で証を残すところもある。


ノアがまたくいっと指を曲げる。今度はどこからか羽ペンが飛んできた。先のとがったペンだ。人に当たれば怪我をすることだろう。けれど本棚の間を縫うようにして飛んできたあたり、障害物はよけるのかもしれない。


「あ、日記じゃやだな。無駄な紙が良いや」とノアが呟くと、またどこからともなく紙が一枚飛んでくる。風の抵抗を感じさせずに、まっすぐと。


「Thanks」と【火宮】領ではあまり耳にしない言葉をノアが言う。それがお礼の意味だというのは教養の一部として4人は把握していた。


「図書館が生きてるみたい」とトワが高い天井を見上げながら呟く。

「ずっと一緒にいるからね、私のことは大体分かってくれてて助かるよ」


さきほど飛んできた紙に紙ペンでなにやら書き始める。空では書きにくいだろうと察したのか、先ほどまで見ていた本がひとりでに閉じ、ノアの前で停止した。物に言葉も感情もないけれど、まるで「使ってくれ」と言っているようだった。

「merci」とまた先ほどとは違う言葉を耳にする。これもまた礼の言葉だったはず。


さらさらと何かを書き出したノアがそれを4人の方に向ける。


「見えてたところだけになるけど、この印だったはず」

「これが右手部分に入っていたと?」

「そゆこと。けど、さすがにこの印がどことどこの同盟なのかは分からない。下部組織の方は分かっても、どこと繋がってるのかは分からない。……まぁ、君たちの話を聞く限り、そこは興味はなさそうだけれどね」


ノアは先ほど印を書いた紙から手を離す。これもまた、その場にとどまり、宙に浮く。


「君たちは興味なくても、向こうは【火宮】にやられたって思うだろうね。……いくら向こうが先に手を出したとしても」


今思えば、【東雲】が情報だけを求めた理由がそこにあるように思う。

情報をしっかり得て、敵が誰なのかを把握してから、娘を奪還しようとしていたのだろう。


「でも、向こう側も正体はばれたくない。【火宮】に仇なしたと世間にしれれば、その下部組織も、その都市国家も、反乱因子と捉えられて監視下に置かれる。……下手したら『北の国』の二の舞になる。その件で、国家は手加減なしで潰すって知ってるだろうから、配慮はしたいはず」


サクが言う。好奇心に判断を委ねているようだけれど、根はしっかりとした奴なので考えなしというわけではない。

ノアも「そこなのよね」と同意はしてくれるようだった。


「東雲のお嬢さんの力がほしいのなら、こんな乱暴な手に出るのはおかしい。断られるに決まってる。断られて、腹いせに『なら死ね』とはならないだろうし。彼女が遺体となってしまうことは、世界としても、誘拐した連中としても、本望と対局に位置することだろうから」

「確かに」


サクが頷く。


「【東雲】のお嬢さんと認識しない場合のことを考えたとしても、【火宮】への宣戦布告ならやり方を間違っている。……もちろん【東雲】への宣戦布告なのかというと、それも筋違い。あそこは認められてはいるけれど、国家でも都市でもない。保護すべき一族と世界から認識されているとなると、【火宮】への宣戦布告より痛手は大きい」


【東雲】への攻撃は、世界への宣戦布告に等しい。四大国家が黙ってはいない。


「彼女を――【火宮】の管理下にある誰かに手を出して、それで別の誰かを怒らせたかったのだとしても理解できない。下部組織が【火宮】に勝つ方法はそれこそない」


最悪【火宮】現当主1人に滅ぼされかねない。……いや、火宮和妃だけでも十分かもしれない。


いや、とノアが首を捻る。


「【火宮】と【東雲】を切り離す算段、だとしたら?」


【火宮】や【東雲】に挑むのは無謀すぎる。

なら直接的な攻撃ではなく、その両者の間の関係を少し変え、間接的に影響を与えることが出来るとしたら。


「自分の娘が誘拐されるほど手ぬるい場所なのだと【東雲】の【火宮】に対する信頼が失墜したら?」

「……そしたら多分、【東雲】は【火宮】に娘達を送る、基、協力することは今後ないと思います」とヒトオミが答える。

「今の【東雲】の六つ子は【火宮】以外の場所にいる。【火宮】以外の他の四大国家に手を貸しているかもしれない。その下の都市国家にも手を貸しているかもしれない。そしたら、【火宮】は他との差が生まれる。劇的でなくとも戦力が落ちる。……下克上を企む国は他にも沢山ある。力のない存在が【火宮】を潰すなら、これが一番現実的かもしれない」


ノアのその意見にサクとヒトオミは唸る。参謀のように頭が働くというわけではないけれど、反論のすきや、穴が見つからない。

それならわざわざリスクを冒してでも学園内で犯行に至った理由や、八重を狙った理由も明確になる。


トワとヨウはもはや何を言っているのやらと言いたげに、2人顔を見合わせて首をかしげていた。ずっと姿を消したように口を閉じていたエイティが、少しは考えなさいとトワの頭を小突いた。


「信頼の失墜なら、殺す必要はない。【火宮】領から【東雲】のお嬢さんを拉致できた、その事実があれば十分」


ノアの意見にサクとヒトオミはハッと息を呑む。


「誘拐犯は八重をどこかに連れ去っただけで、もう立ち去った可能性もある……?」


サクの顔を見ながら、「大いにあり得る」とノアが頷く。


「もし救出の際に大勢で攻め込まれたら、下部組織には為す術がない。逃げるが勝ち、その一言に尽きる」

「……今、東雲さんと連絡が付かなかったり、探知ができないのは時間を稼ぎたいから?」

「拉致されたあげく、長時間見つからない。見つけられない。失望するには十分かもしれない」

「それなら戦闘準備よりも、ジャミングや妨害に全力を注いだ方が得策ですね」


大方意見はまとまった。今手に入る情報からこれだけまとめられれば上等だろう。

問題なのは、一向に八重の捕らわれてる場所の予想が付かないことである。

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