【07】浅葱色の姫君
ヒトオミは顔を洗ってくる、と席を立った。
教室を出る前に自分の立った席にヨウが座っていた。それに関してトワがとやかく言ってるのは、俺も座りたいという話だと思う。誰が座ってもいいけどさ。
風紀委員に何か言うにしろ、独自で勝手になにかやらかすにしろ、気分を切り替えたかった。だから顔を洗おうと思ったのは事実。だが、本当に顔を洗いに行くつもりではない。
廊下に出て、何となく人目の少ないところへと流れるように足を運ぶ。
放課後ということもあり、昇降口に続く正面階段方面は人がいっぱいだったので、なんとなく東側階段へと向かう。
たぶん保健室に行けばあの怠惰の塊のような黄色い男がいるはずだが、顔を洗うと言ってきた以上そんなに時間はかけたくない。手短に連絡を取りたかった。尤も用があるのは『黄』ではなく、『青』の先輩だが。
階段の踊り場あたりでいいかな、と適当に決めていざ階段のところにたどり着く。
そこで思わず足が止まった。
一つ下に続く階段の踊り場に、中等部の制服を着た『藍』の少女と高等部の制服を着た『青』の男子生徒がいた。しかも女子のほうは、手で顔を覆い、おそらく泣いているのだろう。隠しているようだが嗚咽のような声がたびたび聞こえてくる。
そしてなにより、男子のほうは知った顔の気がした。
というか、イールドだった。
向こうもこちらに気づいたのか、青い目がこちらを向いた。
「……、」
「……、」
「……、」
「……、」
「………、」
「ちょっと待って!俺が泣かせたわけじゃないって!」
そんなごみを見るような目で見ないで!と言われ、自分がどんな顔をしているのか知った。顔に手を当てるといつもの感触と違う。面をつけてくるのを忘れているようだ。まだ動揺しているのかもしれない。
「……なら聞きますけどイールドさん、何してるんですか」
隅にしゃがみ泣く少女と、その傍らに座るイールド。
ヒトオミはその2人のそばにより、同じように腰を落とす。
「んー……俺的には慰めるなり送り届けるなりしたいんだけど、なんか、尋常じゃなくて」
泣き崩れてたから声かけたんだけど、どうしていいのかわからないとのこと。
「とりあえず、お名前伺ってもいいかな……」とイールドはヒトオミのほうを見る。
「なんでそんな
「えっ、ヒトオミ君、知り合い!?」
「誰もそんなこと言ってないです。知らないならいいですよ……というか俺が言うのも変な話ですし」
「まぁ、確かに……」
「中学生が高校生の校舎にいるってことは、誰かに用があるんじゃないですか?」
「まさかっ、迷子?」
会話を聞いていたのか、少女は首を横に振った。耳の上で二つに結んだ薄く淡い水色をした髪が左右に揺れる。違うらしい。
まだ泣きじゃくり続けてはいるが、答えてはくれるらしい。嗚咽で声にはできないだけなのか。
「どこか、行きたい場所があるの?」
イールドが問う。
少女はうなずく。
「どうして泣いてるの?」
イールドが優しく聞く。
少女は何かを言おうとするが、震えた声ではまだ無理そうだ。
「つらいこと、あった?」
イールドが親身のように尋ねる。
少女の泣き声がより一層増した。
「おーおー、よく分からんけど泣いとけ?俺でよければそばにいるし、何できるかわからんけど話聞くし」
イールドは少女の頭をぽんぽんと撫でる。
おさまりかけていた少女はまた大きく泣き出す。
「……イールドさん、慰めるっていうか泣き止ませる気はないんですね……」
「あるわ!」
「そんな優しくしたら余計泣くに決まってますよ……」
「まぁまぁ。泣いたほうが楽になるとか、なんか良いみたいな話あるじゃん」
「アバウトすぎでしょ」
「ってか、ヒトオミ君も大丈夫?どこか行く途中だったんじゃないの?」
イールドの青い目がヒトオミを気遣うように揺れる。
この間あったばかりなのに、ここまで親切にしてくれるのか。
「……大丈夫ですよ、待たせとけばいいんです」
呆れたように答えると、イールドはいつぞやみたく豪快に笑った。
「何がおかしいんですか」と顔をしかめると、イールドはいやいやと手を横に振った。
「カルトに似ててさ、思わずね」
「え……ちなみに、どこが?」
「ん?あぁ、なんていうんだろ……そっけない優しさ?」
「……」
「うわ、眉間の皺やばいよヒトオミ君」
「生まれつきです」慣れてなくてくすぐったい。
「あ、これカルトに言わないでね。俺焼かれて燃やされて灰になっちゃう」
焼かれて燃やされて灰にされるのどこに、曰く『そっけない優しさ』があるのか。
そんな話をしているうちに、少女は再び落ち着いたらしく、鼻をすすりながらも水色の瞳でこちらの様子を窺うように見ていた。
それにイールドが気づくと、「もう大丈夫?」と声をかけた。「おさわがせしました」と初めて声らしい声を聴かせてくれた。
「中学生がこっちくるなんて、よほどのことがあったんじゃない?」
罰が悪そうに少女はうつむく。「咎めてるとかじゃなくて、なんていうんだろ、こっち野蛮人が多いから危ないよ?って意味であって……」とイールドは慌てて言い訳をしだす。
「……野蛮人ってまさか
「あれは教養があってずるがしこい分もっとたちが悪い」
「イールドさん灰にされますよ」
「チクっちゃやーよ」
なんてしょうもないやり取りが可笑しかったのか、少女が少し笑ってくれた気がした。
「私、八重さんに会いに来たんです……」
自分の指がぴくりと動いたのが分かった。
「……『東雲八重』さんのことだよね?」とイールドが聞き返すと、少女は大きく首を振って、また項垂れる。また目をこすりだす。たぶん、彼女に何があったのか話は中等部にも届いていることだろう。だから、わざわざこっちに来た。彼女もまた信じられないのだろう。
「行方不明だって聞いたよ。俺より同じ学年のヒトオミ君の方が詳しいとは思うけど……」
誘拐らしいです、そう言おうとして首をかしげる。
【東雲】は今何をしているのだろう。担任の話を聞く限りは捜索要請ではなかった。情報の提供を求めただけだ。
「……捕らえられたのだろうと、八重さんのお母様がおっしゃってました」
「えっ、そう言う話なの?」
「……やっぱり、【東雲】ってことで狙われたってこと、ですか?」
ヒトオミは少女に尋ねる。「なんで下手なの」とイールドに少し笑われた。
少女は「おそらくは……」と首を縦に振る。
「捜索はどうしてるんですか?」
少女は答えようと口を開き、少し考えるようにしながらゆっくりと閉じた。
「ごめんなさい」と弱々しく言いながら、頭を下げる。
「無礼だとは、思ってます。でも、名前も知らない方に、お教えはできません」
たどたどしく、それでもはっきりと少女はそう言った。
彼女もまた【一国】の姫君。自分の発言の重さを把握している。【東雲】と【北郷】の友好関係が深くとも、【他国】のことを経卒に話してしまうのは1種の国際問題だ。
あまり他人に自分のことを言うのは好きではないけれど、この場合は仕方ない。
「名前は言えない。渾名はヒトオミ」
名乗ると、少女は赤く張れた目でヒトオミを見上げた。「まぁ!」と口の前で手を合わせる。
「貴方が『ヒトオミ』さんでしたか!八重さんからいろいろとお聞きしております」
……『いろいろ』?
「優しく、強い方だと」
「……勘弁してください」
面を付けていない今、もろに顔が晒されている。そんな熱を帯びる顔を片手で塞いで、顔を伏せた。
「八重さんの信用なさっている方なら、なんの問題ありません。たいへん失礼しました。あ……先に私が名乗るのが筋でしたね」
「いや、一方的に知ってるんで、大丈夫」
空気と化していたイールドが「なら俺は退散した方がいい?」と遠慮気味に口を挟む。少女は首を横に振った。
「なにより私自身が貴方に助けられていますので、貴方は私が信用しています。ありがとうございました。……あっ、お急ぎのところでしたら、どうか行ってください。私はもう大丈夫ですから」
「んー……」イールドは少し唸り、「中学生を高等部の校舎に置き去りはできないから、話が終わり次第ある程度のところまで送らせてください」
「だからなんで下手なんですか……」とヒトオミが呟いた。「それヒトオミ君が言う?」「なんのことです?」そんなやりとりをみて、少女がまた品良く小さく笑う。
「捜索の方は、私が聞いた話ですと、進んでいないそうです……」
「連絡が出来ない、とかですか?」
「はい。音信不通の状態が続いているので、おそらく電波妨害の様なもので邪魔をされているのかと」
「探知や魔術での通信などは?」
「同じように、ジャミングのような魔術を施されているらしく、八重さんの魔力を感知することができないそうです……」
「ならジャミングのような魔術が展開されている場所を突き止めれば……」
「場所の目星も付けられていない今の場合だと、無理です。闇雲にそんなことをしてしまっては八重さんの身を危険にさらすことになりますから……」
「なら、今誰が探しているんですか?」
「【東雲】の方々と【火宮】領の警察の方が手を尽くしているかと……」
「どのような手法とか……聞いてますか?」
「まずは情報収集をしているとのことです。八重さんが最後にどこにいたのか、誰かと会っていたのか、いつ頃まで学園内にいたのか、そんな些細なことも掴めていないようで……」
「……そうですか」
「『東雲八重』さんは寮生じゃないでしょ?【東雲】領に帰宅するとき、一人なの?」とイールドが聞くと、少女はイールドの方に体ごと向けて首を横に振った。
「普段は私が途中までご一緒させてもらってます、領が近いので。……用事があるときなどは、分りませんけど……」
「昨日は?」
「用事があるとだけお聞きしました」
「何の用事とかは言ってなかったの?」
「……はい」と少女は肩を落とす。「こうなるぐらいなら失礼を承知でも聞いておくべきでした……」とまた涙をこぼす。
「そんなに泣くと、明日目が開かなくなっちゃうぞ?」とイールドが優しく肩を叩く。
「……はい。泣いてたってどうしようもないのは分ってます。でも、何の力にも慣れない自分が醜くて……」
「というか、東雲さんが家柄で狙われたのなら、あなたも危ないんじゃ……」
「八重さんがもっと危ない目に遭ってるのに、そんなこと言ってられませんから」
少女は目をこすった小さな手を堅く握った。
此方から通信が出来ないのであれば、当然向こうからも出来るはずがない。魔術の方も、こちらから干渉できないと言うことは向こう側も使えない状態にあるかもしれない。ネットワークによる通信も、魔術的な通信も出来ず、完全に周囲から隔離された彼女の方が不安で仕方ないに決まってる。
まだ彼女から聞けることはあったかもしれない。だが、サクとヨウがいたずらに通信とメッセージを送ってくるので切り上げることにした。
情報をくれた少女と、その少女を送り届けるといったイールドに頭を下げて、ヒトオミは駆け足で教室に戻った。
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