【06】緑のみぞ知る

翌日登校すると、ただでさえ気難しそうな顔をしている担任の顔が、より一層近寄りがたい雰囲気を包んでいた。

教室がざわめく。

誰か何かしたのか。怒らせたのか。もしかしたら嫁さんと喧嘩したんじゃないか。いやいやヨウの問題児具合にほとほと呆れたんだろ。何を今更。おい待てお前ら好き放題言い過ぎだろ。でも他に理由が思いつかない。それは言っちゃいけない。ヨウ君そこは反論しないと――そんな具合でヨウがいじられていると、担任は咳払いをした。生徒達は口を閉じ、担任の方に目を向けた。

担任の初めて見る表情に、生徒達の姿勢が自然と堅くなる。


担任は重々しく口を開く。

八重が誘拐された――そこでヒトオミは初めてそのことを知った。


そんな情報は一切開示されていない。それが事実なのか、八重と親しくしている生徒が担任に詰め寄る。【東雲】が――八重の両親が世界に知らせることを拒み、だが【火宮】にだけそれを伝えた。


誘拐というのは犯人からそういう声明があったのか。身代金の要求など、接触があったのか。誰かがそう尋ねた。担任が言うには、昨日帰宅しなかったという事実があるだけで、それが誘拐とは断言できないと言った。なら何故そう定義したのか。それは八重の両親と姉たちが、八重は自ら失踪するはずがないと言ったからだ。

そして、八重なら誘拐をされる理由は十分にある。


誰か捜索しているのか。

それはこれかららしい。昨晩様子を見た両親から朝方に学園に連絡が入ったらしい。八重は学園を出たのか、ならいつ出たのか、どこから出たのか、最後にあったのは誰なのか――そういうことを教えてくれと【火宮】に言ったらしい。


なので、今日は臨時休校だ。どんな些細なことでも知っていることがあるのなら、風紀委員に伝えてくれ。

担任の話はそれで終わりらしく、その後教室を出て行った。


教室内が一気にざわめいた。

複数の生徒達がウインドを開いている姿が視界に入る。連絡が取れないのか確かめようとしているのだろう。本当に誘拐なら誰が実行したのか、教室内の話題は似たり寄ったりだった。全部、八重の話だった。


ヒトオミは何も出来ずに、教室内を見ていた。とはいっても首を動かしたり、目を動かしたりしていたわけではない。ただ目を開けていた。偶然自分の目は教室内の風景をとらえていた。視覚的な情報は何も取り入れられず、ただただ1人欠いた教室内を見ていた。次第にクラスメートの顔がぼやけていく。息をしているのか、瞬きをしているのか、今自分はどうしているのか、それらが曖昧になっていく。

今周りは何をしているのか。担任は何を言っていたのか。それらを分からないと捉えることはない。

まるで教室内の風景の一部と同期しているようだった。


そんなヒトオミの時間を動かしたのは、バン!と叩かれた机の音だった。

ぴくりと肩が跳ね、横を見る。

叩いたのはヨウだった。その傍らにはトワ。サクは席を立ったらしく空席になった前の席に座った。


「どういうこったヒトオミ君!」


そう言ったヨウの赤い目を見る。何が『どういうこと』なのか。唐突すぎて言葉が出なかった。

困惑するヒトオミに助け船を出したのは、焦った様子を一切見せないサクだった。


「昨日の放課後、会ったんでしょ?」


その言葉に、担任の言葉を思い出す。確か、昨日帰宅しなかった、そんなことを言っていたはずだ。


「……まさか、会ってないんか!?」


トワのその言葉に、ヒトオミの体がようやく動いた。

会ってない。その意を込めて首を横に振る。

八重は約束の場所に来ていない。顔を見ていない。会ってない。最後に彼女を確認したのは、校舎裏に向かう前の教室内だ。

その間彼女に何があったのはさっぱり分からない。何かが起こるだなんて考えもしなかった。忙しい彼女のことだから、来るのに遅れているのだろうと思った。これない急用が入ったのかと思った。

八重から何か連絡を受けたわけではない。ヒトオミから何か連絡を取ったわけではない。

自分たちは連絡先を交換する仲じゃない。


今日、何かしらの形で返せればいいかと昨日帰宅しながら考えていた。

真面目な彼女のことだから、約束を破ったことを謝りに来てくれるかもしれない。そのときに返せれば問題は無いだろう。そう考えていた。

そう、思っていた。


「……その話が事実で、ヤエちゃんの誘拐が本当なら、放課後に教室を出たあと何かがあったってことなんだろうね」

「そりゃ今の話を聞く限りはそうなんだろうけど……それがどうなんだよ、分かんねぇことだらけじゃん」

「いやいや、教室からヒトオミ君との待ち合わせ場所に行く途中で攫われたってことが分かるのと分からないとじゃ大分違うよ」


サクの言い分にヨウは首を捻った。

「なら、風紀委員に知らせた方がいいんじゃないか?」とトワが訛り気味に言う。

「そこなんだよ」と、サクの真面目な顔から好奇心が覗き始める。


「その情報を風紀委員が信じると思う?僕は最後に会ったヒトオミ君の捏造だと難癖つけられると思うんだけど」

「は?ヒトオミ君が疑われるの?」

「敵との密通者として檻の中に入れられてもおかしくない、って僕は思う」

「そんなバカな」

「まぁそれは流石に大袈裟だと思うけど、でも何されるか分からないよ?参考人ってことでずっと風紀委員室に閉じ込められるかも」

「えー?」

「だって、【東雲】だもん。他国の姫君様だよ?最悪、犯人が見つからなかったらでっち上げるしかない。放課後約束してた人物がいたら、適任だって『上』は思うよ」


【火宮】とて【東雲】を敵に回したくはない。円滑にことが進むなら何したっておかしくない。そして、それに他人が口出し出来るはずがない。


火宮ここ】は独裁国家なのだから。


サクの言葉に3人とも口をつぐむ。ありえないとは思う。だがそれを断言できる証拠がない。やりかねない、どこかでそんな考えがよぎる。


「ちょい待てや。なら、ヒトオミ君が疑われてもおかしくないってことか?」


トワがサクに詰め寄ると、「それはないかなー」とサクはお気楽に言う。


「運がいいことに、ヒトオミ君とヤエちゃんはID交換してないでしょ?口約束だから痕跡がないんだよ。だから風紀委員は一生気付かないと思うんだよねー」


文字通り2人だけしか知らない約束じゃん?というサクの言葉に他2人が頷く。どこで会うかなんて誰にも言っていない。

八重はヒトオミが目立つことを嫌っているのを知っている。それでいて、自分が目立ってしまう存在だということを認識している。だから多分他言はしていない。距離感をしっかり考えてくれている。ヒトオミの嫌がることをしない。自分のことを分かってくれている。


自分は、自分のことばかりなのに。


「逆を返せば、風紀委員がヤエちゃんを見つけるまでに相当時間がかかるってこと。その間ヤエちゃんは危険とずっと隣り合わせ」


可哀想じゃない?女の子の扱いじゃないよね、とサクの口は止まらない。


「なら情報を風紀委員に言えば!……あ、そしたらヒトオミ君が嵌められるかもしれんのか」

「いや、もしかしての話だけどね?絶対じゃないよ?」


多分、発破を掛けられているのだと思う。自分から言い出せない気弱な自分を煽っているのだと思う。言い出してもおかしくないように、誘導してくれてるんだと思う。

ここで乗ったらサクの考え通りになってしまう。それはなんか癪だけれど、それはつまり同調してやるというあからさまな協力。こいつの場合は、好奇心かもしれないが。


「……強引なんだよ、お前は」


ヒトオミがそう言えば、そお?とすっとぼけた。

取り乱すクラスメートたちとは違い、普段と変わらないサクの様子に次第に冷静さを取り戻す。取り乱していたって現状を変わらない。


「……考えがあるからそう言ってる?」

「情報の引き出し方はなんとかなると思ってる。そっから先は、なんとかなるって」

「適当すぎでしょ……でも、乗った」

「おぉ!やっぱりいても立ってもいられない?」


こんな時だって言うのに人を茶化すことを忘れない友人の足を蹴飛ばす。


「へい、話が見えねぇけど何かやらかすなら混ぜろや」


ヨウの赤い目が煌めく。悪戯心がくすぐられたのか、彼もあっという間に通常運転。そんなヨウを呆れた目で見るトワも同じだ。


「ってわけだし、ヒトオミ君。話してくれる?」

「……なにを?」

「難しい話じゃないよ、今、何がしたい?どうしたい?って話。それを口にしてもらえる?じゃないと僕はともかくヨウ君たちは分からないじゃん」


何がしたい。どうしたい。思い当たる答えは一つある。ただそれを自分が望んでいいのか。他でいいんじゃないのか。

……なんでこんな卑屈になるかな、自分。


「あ、待って。お面、とろ?」

「え、は?」

「僕真面目な話じゃなきゃやりたくないし」


お前が先に発案したくせに。

でも、道理に適っている。

ヒトオミは面を外し、素顔を見せる。この手関連の話は何でも顔に出るから嫌だけれど、仕方ない。ここでうだうだしてる間にも、彼女は――。


素顔になり、言おうとしたことが一瞬飛ぶ。

だけど難しいことを考えていたわけじゃない。思ってること、それを言葉で形にしようとした。それに面の有無は関係ない。


「東雲さんを、助けたい」


今はそれ一心でしかない。

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