【05】緑と逢引き
「俺に負けず劣らず不良だよね」
合流するとヨウにそういわれた。ふてくされた顔を見る限り、なんで自分ばっかりと思っているのかもしれない。
サクが気を利かせてくれたらしく、自分は体調不良で前の授業から保健室で寝ている、そう伝えられていた。そのせいか、担当の教師は何度もヒトオミを気にかけた。先ほど、1人の生徒が体調不良を訴えて教室を出て行ったこともあり、教師は不安らしい。事実を知っている側からすると良心が痛む以外なんでもなかった。
そして、胸ポケットに入れた手紙。
あの時の自分は苛立ちにすべてを任せすぎた。
落ち着いてから考えれば、自分から声をかけるなんて無理難題だ。無茶苦茶すぎる。バカなんじゃないのか、と頭を抱える。
隣に座るサクに何度か話しかけられ、それに応じる。話に夢中になろうと意識を傾ける。自然といつもよりも話が長引く。
「まだその話しとんのか」とあきれながら笑うトワを何度見たか。
気分的には5,6回見られた。そのうち、サクが「今日はなんかノってくれるんだよね」と怪訝そうに、でも相手されてるのがうれしいのか楽し気にそう口にする。
「なんかいいことあった?」とヨウに聞かれ、首を横に振る。
「じゃあ、なんか悪いことあった?」続けざまにそう聞かれ、言葉が詰まった。
サクの好奇心を満たすのはそれだけで十分だったらしく、「え?なになに?」と身を乗り出された。
「別に悪いことじゃ……」
目を輝かせ始めたサクを制しながらヒトオミはそう答えていた。
その通りだった。戸惑ってはいるけれど、それが最悪だとは思わない。表面上だけ見れば、の話だが。
こうなった経緯を思えば苛立ちは蘇るし、あの蝶には嫌悪感がある。巻き込んでしまった感は否めないのにどこか浮き足立とうとしてる自分が嫌になる。それに隠れた本音に勝手に恥ずかしくなる。
「お面、結構表情変えてるけど大丈夫?」
サクに笑われながらそう言われ、顔を背ける。少し特殊なこの面は豊かではないが持ち主の表情に合わせて表情を少し変える。
面よりももちろん本人の方が表情の変化は大きい。指摘されるほど動いているということは、隠された自分の顔はどうなっているのやら。自分でも予想がつかない。
「へぇ珍し」
トワも少し身を乗り出す。からかうのが好きだな、こいつらは。そう思った直後、一番やかましいやつが「なになに」と口を挟む。
「ヒトオミ君が隠し事してますー」
「んなのいつものことじゃん」
チクるようなサクの言い分に、冷めた口調のヨウ。
口を挟むものかと思っていたが、「俺そんな隠しごとしてなくない?」と口を突く。
「顔隠してる人がいいます?それ」
「顔ぐらい隠したっていいでしょ」
「圧倒的に隠してる時間の方が長いしね」
「僕、ヒトオミ君の顔思い出せないかも」
「サク……それはないわ」
「そんなやつだと思わんかったわ……」
「あれ?僕が責められてる」
違うんだって-、となにやら言い訳を始めようとしたサクの名前を教師が呼ぶ。前に出て魔方陣の続きを書いてみろ、とのこと。
話を聞いていない生徒を腹いせに当てたのだろうけれど、成績に関しては絵に描いたような優等生であるサクはさらさらと手を止めることなく続きを書く。
「……正解だ」と教師の悔しげな表情が少し可笑しかった。
授業終了のチャイムが鳴り、ヒトオミは3人と共に教室を出る。
昼休みと言うこともあり、廊下は騒がしかった。
さて、どうしたものか。ヒトオミの脳内は同じ場所から前進しない。
チキンな自分は多分人がいるところでは話しかけることは出来ない。かといって2人では多分緊張で口が動かなくなる。ある程度人がいるのが好ましいが、とりあえずこの3人がいては無理だ。茶化される。放課後の帰宅するところを呼び止めたらどうだろう。周りは帰宅なり部活なりで自分のことを考えている生徒しかいないはず。なら目にとまることはないかもしれない。でもそれはつまり追いかけて呼び止めると言うことになる。……追いかける?なにそれ変態みたい。じゃあどうすんだよ自分。メッセージで呼び出してみるか?……いやいやそれ二人きりと変わらないし、その前に連絡先知らないし。
策が浮かんでは否定し、思いついては却下して。
「また百面相してるの?ヒトオミ君」
なんて、既視感の感じることをまたサクに言われた。
他の2人は少し前を歩いている。廊下で4人並ぶのは邪魔なので、大体2人ずつに分れる。
「そんなに今日の晩ご飯のメニュー気になってんの?ヒトオミ君」
「違うし。ってか、そんなに顔に出てる?」
「出てるよー。ね、ヤエちゃんもそう思うでしょ?」
サクはわざわざ振り返り、少し離れた、しかも廊下の反対側を歩く緑の彼女に声をかけた。なんでわざわざ声をかけたんだ、と不思議で仕方ない。隣にいたわけでもないのに。
「ん?なに?サクくん、呼んだ?」
俯きながら歩いていた八重は慌てて顔を上げた。
その顔色を見て、彼女の体調が優れていないことを思い出す。尚更話しかけてやるなと言いたくなる。
「ヒトオミ君のお面、いつもより表情ついない?」
「そうね……いつもより眉間に皺が寄ってるかも」
八重の細い指が面の眉間に触れる。感覚は無いけれど、視覚はある。まるで自分の眉間を触られるように思えて、伸びてきた彼女の手を思わず掴む。自分の手にすっぽりと収まるほど華奢な手の感覚に何をしてしまったのかを嫌と言うほど思い知り、慌てて離した。
「あっ、ごめんなさい……感覚、あるんだっけ?」
「あっ、いや……そうじゃないんだけど……、てか、手、痛くない?結構、握――ってはない。掴んだ気が……」
「え、あ、大丈夫!全然。大丈夫」
「そ、そう?」
テンパって2人して手を上げている様を、「何してんの?」「万歳?」と前方を歩く2人に変な目で見られた。
「面白い2人だよねー」と。先ほどまでヒトオミの隣を歩いていたサクはいつの間にかトワの横に並んでいた。お前が声をかけたんだろうが、と苦情を言おうにもサクは振り返らずに3人でなにやら話を始めた。
ヒトオミと八重は上げていた手をゆっくりと下ろし、2人顔を見合わせて苦々しく笑顔を取り繕う。そのまま離れるのも不自然で、なし崩しに少し距離を開けて2人ならんだ。
「……何か、考え事?」
ほんの少し歩くと、そう話しかけられた。
横を見ずに「いや、特には」と答えると、「本当に?」と疑うように見られた。
「ヒトオミ君、全部自分でどうにかしようとするから、少し心配……私にされても迷惑だろうけど」
後半をまくし立てながら八重ははぐらかすように右手を小刻みに横に振った。
「それは……どっちかっていうと、俺のセリフ」
「え?どうして?」
「え?いや、だって……そういう人じゃん」
「私が?」
ヒトオミが頷くと八重は少し驚いてから、ヒトオミを見て小さく笑った。
「私は、友達とか姉様達に結構話を聞いてもらってるから、そうでもないわよ」
「そうなの?」
「ヒトオミ君も残念ながらそのうちの1人よ」
八重はいたずらっ子のように無邪気に笑う。初めて見たかもしれない表情に少し目を奪われる。
「迷惑だって思われても、私はヒトオミ君の味方のつもり。……何があってもね」
嘘だとか、理想論だとか、そんなことは思わない。自分だってそうだから。
味方。声に出さずに復唱する。その心地の良い響きに、ヒトオミは意を決した。
「あのさ」
彼女の目を見て、そう切り出す。「なあに?」と彼女は微笑んで、自分の目を見る。面を外そうと少し浮かせて、思い直して元に戻す。多分顔を見たら言えなくなる。だから、ゆっくりと自分と同じ緑をしたその瞳から視線を外す。
「話したいことがあるんだ、できれば2人きりで」
八重の時間が少し止まる。耳から入ってきた言葉を、しっかりと脳でかみ砕く。意味が分かった途端、八重の意思とは関係なく少し血色の悪いその顔に朱が混じった。
それを見ていたヒトオミは自分が何を言ったのか思い出し、ぎょっとする。
「ちょ、ま、待って!そういう意味じゃなくて!えと、その……そういう意味じゃないから!」
「へ!?え、あ、ごっごめんなさい!分かってるわ!分かってるんだけど、ごめんなさい!」
「……『ごめんなさい』?」
「違う違う!その話にじゃなくて!」
◇
放課後。
ヒトオミは捕まる前に教室を出ようとしていた。早く帰ることに執着したことはないので急いで帰りの支度をしたことはなかったが、今日初めてそれをした。
ホームルームが終わり、誰よりも先に教室を出ようとしたが部活のあるクラスメート達が前後のドアからなだれるように外に出て行く。さすがにそれに混じる気は無かった。結局、ある程度経ってしまったがいつもよりも断然早く教室を後にした。
「お急ぎですねぇ、お兄さん」
廊下に出た瞬間聞こえてきたヨウの声を無視しようとしたが、肩に手を回された。たちの悪い不良同然の絡み方に、ヒトオミは隠さずに嫌な顔をする。
「やぁヨウ君。何してんの」
「廊下掃除でーす。この前特科に忍び込んだときのペナルティでーす」
「そりゃ随分と大変そうだね」
「あと1ヶ月近くはこの掃除でーす」
多分たちの悪いチンピラの絡み方はこれと同じだと思う。
もしくは、酔っ払い。
「そろそろ離してくれないですかねぇ」
「そんなに急いでどこ行くんですかー。人でも待たせてるんですかー」
「……意地悪言うね」
「俺が掃除してる最中、ヒトオミ君はデートするんですかぁ?」
「死ぬほど違いますね」
「えぇ?この後おんなのコに会うじゃないんですかぁ?」
「……」
「え。まってなにそのドン引きした目」
「言い方が……おっさん臭くて、キモい」
「はーい傷つきました。この罪は深いぜ?覚えとけ!?」
ヨウはそう言って離れていった。
多分何でもいいからいちゃもん付けたかったのだと思う。
「ヨウ君仕事さぼって何してんのさー。散歩?」「ジジイか俺は」なんてサクとヨウの会話を背に、ヒトオミは約束の場所へと向かう。
ヒトオミとしては昼休みの時に少し時間をもらって手紙を返す予定だった。
だが、中等部の知り合いと約束をしているということで空いている放課後に返すことにした。くしゃくしゃにならないように、普段持ち帰ることのしない教科書に挟んで、今鞄の中に入っている。
とりあえず約束をしたのだから行くのは当たり前だ。そんな義務感で足を動かす。余計なことを考えたら踵を返してしまいそうだった。
◇
校舎裏に、園芸部が所有する花壇がある。【火宮】領でならどこにでも咲くような花もあれば、他の領でしか咲かない花もある。数多くの種類の植物があり、もちろん植物により背丈が違う。乱雑に植えてしまえばそれは見るに堪えないものになるかもしれないが、さすがは園芸部と言うべきか。しっかりと美を起点に置かれていた。
園芸部員達の誇りでもある花壇を多くの生徒に見てもらいたい、ということで部員達がおいたベンチが複数存在する。
そこが2人の待ち合わせ場所だった。
部員が来るのではないのか、そう八重に確認をとったら今日は部活は休みとのこと。だからこの場を選んだらしい。
逆を言えば、園芸部員達のベンチは特に利用されていないと言うことである。花に詳しいわけでも美に詳しいわけでもないが、目を奪われる花壇だとは思う。それでも人が来ないのは純粋に場所が悪いのだと思う。
校舎裏に来る生徒なんてそうそういない。
ヒトオミはベンチに鞄を置き、花壇に近寄った。よく見ると花の種類の描かれた本当に小さめの立て札も立てられているようだ。
ちゃんと手紙を持ってきているのか。それが少し不安になって、ベンチにおいた鞄を開ける。大丈夫入ってる。それを自分の目で数回確認し、最後に指を指して確認する。
支度ができ次第すぐに行く、彼女はそう言っていた。
あとは待つだけ。
ヒトオミは完全下校時刻までそこにいた。
八重が来ることはなかった。
そして、彼女が誘拐されたという話を聞いたのはその翌日のことだった。
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