【02】純色の赤
ヒトオミはそのドアを開けた。
壁際に置かれた複数のベット。計画的に配置されたソファーや事務机。清潔感を思わせる白い棚には様々な薬品が並べられている。
日差しを取り込む窓には遮光カーテンが全面を覆っていて、室内は薄暗い。何故電気を付けないのかと疑問だが、不思議と付けたいとは思わない。この暗さがちょうどいい。落ち着く。
ドアを開けた音で室内にいた生徒達がこちらを振り返った。
『赤』の魔術師でありながら、黒い髪を持つ生徒。
『黄』の魔術師であり、無駄に整った顔をしたこの部屋を根城としている生徒。
『青』の魔術師であり、腰付近までその色の髪を垂らす生徒。
計、3人。全員知った顔だ。
「やっほー、待ってたよ」
ここを根城にしている『黄』が手を振ってくる。
それには特に応えずに、ヒトオミはドアの鍵をしめた。鍵がしまったのを目で確認し、顔をあげるとまだ『黄』は手を振っていた。呆れた目をむけても、笑みを絶やさずに手を振り続ける。
そんな『黄』から視線を外し、ベットに腰掛けていた『青』に目を向ける。
「この前の件はありがとうございました、時宗さん。急な話だったのに」
「華麗なるスルーだね、ミオちゃん」
「気にするな。断る理由もないし、むしろ成果を上げた分、今後少しは手を抜いてもしばらくは文句を言われなそうだ」
「時宗さんらしくない発言ですね、それ」
「好きで風紀委員をやってるわけじゃないからな」
時宗は肩をすくめる。
彼から少し離れた位置に腕章が放置されていた。
「あの作戦、意味ありましたか?風紀委員はヨウ君に目を付けました?」
「意味もなにも、特別科といざこざ起こす気じゃないのかと未だに見張ったままだ」
「前科が前科ですしね……」
「愉快だとは思うがな」
時宗は硬い表情から少し笑みを覗かせてそう言った。あくまでも時宗個人の感想なのだろう。風紀委員は愉快だなんて思ってるはずがない。
「ねぇねぇちょっと」
しびれを切らした『黄』が露骨にふて腐れた表情でヒトオミを見る。
ベットがあるのにもかかわらず、何故かこの部屋ではソファーに寝っ転がるのが好みらしく、彼の指定席は決まってソファーだ。
「久しぶりに会ったのに冷たくない?」
「そうですか?」
「ほら、それそれ。今回の件頑張ったの俺もだからね?俺にもお礼言ってくれていいんだよ?」
「何かしたんですか?」
「ミオちゃんのお友達の手当てしたから。ほら、感謝は?」
「時宗さんには頼みましたけどツルギさんには何も頼んでないっすよ、俺」
「ほらぁ、冷たい」
だだをこねる子供のようにひたすら同じ言葉を繰り返すツルギに、「まぁまぁ」と『赤』のなだめる声が入る。
「ツグトさん、お久しぶりです」
時宗とは違うベットで靴を脱ぎ胡座をかいてた生徒にヒトオミは軽く頭を下げる。ツグトはそれにつられて、思わず正座に姿勢を正し、「お久しぶりです」と軽く頭を下げた。
「なんで正座したんですか」と思わず笑うと、「何でだろ」とツグトも笑う。それが気に入らなかったのか、「俺だけ塩対応過ぎない?」とツルギの不満がふくれあがる。
「それで、何の用が?」
久しぶりに会った先輩への挨拶はこの辺で、閑話休題。
授業中にわざわざ呼び出した理由を聞こうと3人に――正確には時宗とツルギに目を向ける。ツグトはあまりそう言うことをする性格ではない。
「まぁいろいろ迷ったんだけどさ」
ツルギは髪を掻きながら言いづらそうに話を切り出す。
視線を他の2人に向けると時宗は相変わらず硬い表情で、ツグトはヒトオミ以上に怪訝そうな顔をしていた。多分ヒトオミと同じで来るように言われただけなのだろう。
「やっぱりミオちゃんのお姉さんの話はしとこうと思ってさ」
「……姫更姉さんのことですか」
「あらー、迷わず出てきたってことは予想できてた?」
「いや、もう1人の姉に忠告受けてるんで」
ふーん、とツルギは興味深そうに頷いた。
「生徒会長が気にするほどヤバいってことかな」
「わざわざ忠告したということは、ヒトオミ、お前に関係があるからなんだろう?」と時宗に指を指される。
彼らに隠し事をする必要はなにもない。
ヒトオミは間髪入れずに「はい」と答えた。
「俺の周りを探ってるそうです」
「聞くまでもないだろうが、怒らせるようなことをしたか?」
「全く。身に覚えのない話です」
時宗は顎付近に手を持っていった。
深く考え込む時宗の姿につられて、ヒトオミは自分の記憶をもう一度さかのぼる。間違いない。最近彼女と関わった記憶はない。怒られるようなことをしていない。
「なら、お前の近しい誰かが怒らせたのかもしれんな」
そう言われ、ヒトオミはあの3人を思い浮かべる。
サクは好奇心旺盛で何にでも首を突っ込むような奴だがしっかりと線引きは出来る常識人だ。問題を好んで起こしたがるタイプではない。
トワは慣れれば口数は多いが、そうでなければ控えめな奴だ。彼の周りにいる精霊が何かしたと仮定しても、それでトワに利益はないし、まず姫更に精霊の姿は見えない。何かされたとしてもそれが精霊の姓だとは気づけないし、仮にそれが出来たとしてもそこからあトワとの関連性を結びつけられるはずがない。
何かしでかすとしたらヨウだが、あれは問題児だが誰かを困らせるような、まるでいじめととられるようなことはしない。小さな規則を破ったり、人をからかったり驚かしたりと、いたずらしかしない。それも範囲は普通科内だ。最近はちょっかいを出してくる特別科の尻尾を掴むために少し首を突っ込んだが、もうそんなことはしていない。
その際に何かやらかしたのか。だとしても、その日からさほど日付は立っていない。姫更のやったことが和妃の耳に入るまでが早すぎる。姫更はそこまで詰めの甘い敵ではない。
「……特には」
ヒトオミ自身も極力は特別科と関わることを避けているし、彼女が嫌がりそうなことはそれなりに把握しているつもりだ。逆なでするようなことをしたはずがない。
「あの子が何かしたとかは?」
「『あの子』……?」
「ほら、ヒトオミ君の大事なコ♡」
うざったい話の振り方に冷ややかな目線を送りながら、「誰のことですか、それ」と冷めた口調で答える。ここで誰かの名前を挙げてみろ、死ぬまでネタにされる。
「ひっどい、そんなことしてると嫌われちゃうぞー」
「心当たりないしうざい」
「うざい!?」
ハァ、とツルギは肩を落とす。
それから少し気を取り直したように、「ヤエちゃんだよ」とその名前を出した。
「……えぇ!?それ1種の国際問題じゃない!?」
今までただうんうんと意味もなく首を縦に振っていただけのツグトが、突如声を荒げる。
「さすがの脳筋でも分かるかー」と感心げに呟くツルギにツグトが野生の動物のように唸る。そんないつものやりとりをスルーして、ヒトオミは言う。
「ツグトさんでも分かるんですから、向こうだってわかってると思いますけど……」
「そりゃ波風立てないのがベストだよ。でもさ、だからと言って提案を全て飲むの無理くない?」
ツグトに手を出されながら、眼だけはしっかりとヒトオミを見てツルギは言った。
「特にここは【独裁国家】だ。話が通じてると思ってる阿呆ばかりだ。【火宮姫更】なんてのは代表格だろう」
時宗はうんざりしたように言う。心底あきれ返っているような嫌悪感丸出しの表情に、ヒトオミは苦笑した。
次に何かを口にしようとしたツルギは、視界に入っていたツグトの様子を見て「どしたの?」と切り替えた。
何かに反応してドアの方を見たツグトは、「足音、近づいてる」とドアを指差した。
直後、ガチャン!とドアを開けようとする音がした。ヒトオミが鍵をかけたそのドアだ。
「あれ?」とドアの向こうから声がする。
「何してんだテメェ。注射にごねるクソガキみてぇだぞ」と同じく向こうから別の声。
「違う違う!ドアが開かなくて」
「あ?……仕方ねぇ、壊せ壊せ」
「いやいやいや!乱暴者かあんた!」
「このいっそ清々しい暴言は、カルト君かな」
「カルトだろうな」
「カルト君だろうね」
ツルギの呟きに他2人が頷く。
聞いたことあるような無いような声にヒトオミは首を傾げる。3人が知っているということは多分2年なのだろう、それは分かった。
ツルギが指でツグトにドアを開けるようジェスチャーを送ると、軽やかにベットを越え、飛ぶようにしてドアの元まで行き、鍵を開けた。
ガチャガチャしていたその生徒は突然開いたことに激しく驚き、思わず後ろに転んだ。それを見て傍にいた生徒がけたけたと笑う。
外にいたのは青の生徒と赤の生徒だった。
そして、赤の方は眼鏡をかけていて、顔の見たことある生徒だ。
「笑ってねぇで手ェ貸せや!」
こけた生徒も笑いながらそう要求する。
楽しげな雰囲気に、ドアの正面にいたツグトもつられて笑い出す。
「えー」と笑いながらも不満そうな声を漏らしながら傍の生徒が手を伸ばす。が、こけた生徒の手が重なる直前にすっと引っ込める。腰を少し上げていたために、またすてんと廊下に転ぶ。
2人して顔を見合わせてまた笑い出す。2人の笑い声が廊下に響き、表情の硬い時宗の口元がつられて緩む。
「随分と楽しそうだけど、今授業中だからね?一応」とツルギが呆れつつ声をかける。
「うるせぇ、サボってるテメェに注意されたかねぇんだよ」と赤の生徒。
「サボってるから注意してんでしょーが。バレたらどうしてくれんのよ」
「ちょ、カルトさんカルトさん、手貸してくれないんですか!?」と手を伸ばす青い生徒を無視して、赤の眼鏡をかけた生徒は保健室に入り込み、ツルギが座っているものとは違うソファーにどかりと座った。
ぶつくさ文句を言いながら立ち上がる彼に、ツグトが手を伸ばす。
青い生徒が立ち上がり、保健室内に入ると、ツグトはドアに鍵をかけた。
「てか、何の用よ?」
「んあ?あぁ、あのクソ野郎が怪我したから治せ」
「君怪我人差し置いて先に入ってきたわけ?」
「何。文句でも?」
「文句はないけどさぁ」
「ツルギさん文句言ってよ!」と青の生徒が抗議するが、ツルギ特に気にせず「入っておいでー」と手を招く。
「怪我って、何したの?こけた?」
「殴る蹴るの暴行」
カルトのその言葉に時宗とヒトオミは顔を見合わせる。
「誰にやられた」と時宗が前のめりになって尋ねると、カルトは手のひらを上に向けて首を傾げてみせた。
「分からんね。俺はバカでけぇ声が聞こえて様子見に行ったまでよ」
「バカでかい声?」と時宗。
「そいつの『痛い痛いやめてくれー』って声」
カルトの身振り手振りの入った真似に「そんな変な声じゃないでしょうが!」と青の生徒が思わず叫ぶ。
「まぁ特別科って言ってるし、俺個人への嫌がらせに巻き込まれたんだろうな。ざま、じゃねぇや。どんまーい」
「特別科に?どこで」と時宗が冷静に戻りつつ、青い生徒に顔を向ける。
「俺らの階の廊下っすよ。便所行こうとしたら掴まれて、殴られてボコられて」
「殴られるとボコられるって意味同じじゃねぇか」「じゃかしい!細かいよお前は」とカルトらは互いを見て笑う。
「カルトが喧嘩売るからイールドにまで危害が及んだんじゃないのか?」
「いやーまさかプライドの高い特別科の方々が姑息な真似するとは思わなかったからねぇ」
時宗は傍らに放り投げた腕章に手を伸ばし、少し考えるようにしてから手を引っ込めた。
それを見ていたカルトが「仕事しないんすか」と茶化すように言う。
「個人的な興味はあるから話は聞きたい。仕事はしない」
「報告はしない?」
「報告はしない」
「はは、風紀委員としてだめだろ、それ」
「知るか」
拗ねたように首を横に一度振った時宗の仕草にカルトは手を叩いて笑った。
「で、どうよ保健委員長さん。手当終わりそうっすか?」
「んー。まぁ手当は終わったね。あとは安静にするなり暴れるなり好きにして」
「いや冷静にしますけど」
イールドは手当てされた腕を確認してから、「体温計ってありません?」と尋ねる。
「あるけど、なに?風邪気味?」
「わかんないっす。ただめちゃくちゃだるいんすよね」
「だーから、それ風邪じゃねぇし、治んねぇから」とカルトがやけくそ気味にイールドを指さす。
「なんでさ」
「あ?言ってもわかんねーだろ」
「……あ。え?憑かれてるって話!?」
「そーそー。昨日は憑いてなかったのにな。どこで誰にもらってきたんだよ、その黒団子」
「黒団子!?え、デカいの!?」
「でっけぇよ。お前の頭から背中に負ぶさってる感じ」
「マジで。そりゃだるいわ」
2人の会話が進む中、ツルギの黄色い目が何かを訴えるようにヒトオミを見た。それの意を汲み、ヒトオミは面を外す。
人並みよりも広い面積をした緑の目で、イールドを見る。
深い青色の髪を垂らす頭部に、腕でしがみつくようにして黒い物体が乗っかっている。足は全部で4本あり、前足とも言える部分を肩に乗せ、後ろ足2本を腰に絡みつけてしがみついていた。
それを確認すると、面を付け直してツルギに向かって首を縦に振る。
「ふーん」と納得するように首を数回縦に振った返事が戻ってきた。
「カルト君、そういうの見えるんだ」
ツルギが前触れなくそう言うと、「まぁ……」と濁すように答えた。
「なんで見えるの?って聞いても?」
「あ?そりゃ見るつってんだから目になにかあるに決まってんだろ」
「その眼鏡に秘密がある、とか?」
「いや。眼鏡はむしろ逆。『視界』に関与はしてねぇけど抑制作用が付いてる。そういうンが見えるのは普通に生まれつき」
「生まれつき【ゴースト】が視える体質ってこと?」
「体質ってか、聞いたことない?【純血】とかってワード」
「あー授業でやったよ。【純血】と言っても今じゃ【準純血】のことを指すとかいうやつでしょ?」
同じ『色』同士の魔術師の親から産まれた魔術師のことを【純血】と世間一般ではくくる。だが、戦争時代が終わり国が築かれ平和になりつつあると、『色』に対する考えは薄れ、違う『色』同士で家庭を作る魔術師が増えた。その結果、今となっては【純血】の魔術師は未だ戦争をしている地帯にしかいない――そう言われるぐらい絶滅危惧種となり、【純血】より少し純度の劣る【準純血】というカテゴリーさえ派生した。
その【準純血】すら希少種であり人生で一度会えれば運がいい、そう揶揄されている。
「ま、俺は【準純血】だけど」
「あ、準なの」とイールド。
「お前今更かよ」
血液の純度は専用の機材で検査する必要はなく、通称『環輪眼』と呼ばれる同心円状の模様が瞳孔に浮かぶ。
試しにカルトの目をじっくりと見ると、鮮やかな赤の瞳に円状の模様が見える。
環輪眼の副作用として、人間でありつつそれ以外の生物を視ることが出来る。むしろ昔の魔術師は基本は【純血】であったのだから、むしろ退化したのだとも言える。
「つか、なんでこの部屋電気ついてないの。暗くね?」
カルトは首から提げていたペストマスクを外し、側に置いた。
教室に戻るつもりはないということなのか、それを見たイールドが「あいつらに怒られそ」と呟く。
「聞いといて何だけど、そういうの話しちゃって良かったの?」
「ほんとに聞いといて何だな。まぁ俺らがガキの頃に目に何か能力を宿した魔術師だか魔女だかが、逃げたか捕まったか、みたいな話もあったし警戒したこともあったけど、今は別に気にしてないわ」
「ふーん」
「まさか売る気か?」とカルトが試すように言う。
「俺のこと何だと思ってんの。売りませーん」
「で、風紀委員。……あ、仕事しねぇんだっけ?」
時宗は放っていた腕章を更に遠くに追いやった。
「まぁいいわ。最近ってかここ数日の間に【ゴースト】に憑かれた連中が増加してんだけど」
「不自然に?」
「そう。誰かに操られたみたいに」
「……暴行事件もあるし【ゴースト】の件もあるし」
はぁ……と時宗は深くため息をつく。
仕事はしないと言っても関係ないと割り切れない当たりが生真面目だと言われる原因だろう。
「犯人の検討はつくのにね、これが捕まえられないのよねー」
ツルギの一言に時宗は更にうなだれる。
「検討ついてんだ」
「検討ついてんの!?」
カルトの呟きをかぶせるような大きい声を出したイールドを、カルトが「うるせぇ」と蹴飛ばす。
「……【火宮姫更】だと思われる」
「わぁお、【姫サマ】かよ」
「大体、暴行事件の方はカルト、貴様が余計なことをしたせいで愉快犯が出たんだぞ」
「愉快犯?それが【姫サマ】かよ。まじか」
「遊び道具を取り上げようにもまた違う道具を見つけてきてきりがない。その前にお前を狙う連中すら普通科じゃ手が付けられない」
「相手は特科だもんな。普通科の石頭な風紀委員じゃ真面目に手ェださねぇだろ」
「全くだ。解決する気が見受けられない」
「その上、何故か蔓延る【ゴースト】たち。ハッ、ざまぁねぇな。特科に気なんか使ってるからだろ」
「お前は少し使え」
「俺は元々ここ出身じゃねぇからここの決まりなんて知らんね。それに好きで
子供みたいな言い分だ。多分誰しもが思ったことだろう。
だけれど、「あぁ違いない」と一番大人な時宗が断言し、全員で小さく笑った。
互いが互いの事情をしっているわけではない。ただ毛嫌いしているだけなのかもしれないし、もしかしたら大きな理由があるのかもしれない。細部は知らないけど、満場一致なのがおかしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます