Episode 002

【01】緑色の身傷

彼女は人気者だ。

壁を作られてもおかしくない家柄なのに、彼女のことを知った人間は彼女のことを毛嫌いしない。もちろん、人間である以上性格上の相性が悪ければ嫌われることも避けられないけれど、でも彼女の悪口を聞いたことはない。


その人柄を、本当に尊敬している。

そんな風に思われてるだなんて、向こうからしたら気色悪いだろうけど。


勝手にそんなことを思って、ヒトオミは深くため息をつく。


「ぜーったい聞いてないよね、ヒトオミ君」


じろりと軽く睨まれて、ヒトオミは今の状況を思い出す。

「あ、ごめん」ととっさに謝ると、ヨウがけたけたと笑い出す。


「何の話だっけ?」

「ヤエちゃんの話」


あー、だからあんなことを改まって考えてしまったのか。


「……東雲さんが、なんだって?」

「そういえばヒトオミ君って頑なに名字呼びだね」


サクが苦笑交じりにそう言う。

高等部に上がって、初めての自己紹介の時に彼女が言っていたことだ。

だから彼女と交流のある人は下の名前で呼ぶ。だけれど、中等部の頃はそうは言ってなかった。


先の世代からの文化で、魔術師は他人に本名を明かさない。

自分が普段から呼んでいる友人の名前も、大半が渾名だ。敵に魔術をかける際には敵の本名が分からなければならない。名前を明かさなければその危険はないのだ。

その時代の名残が今でも残っている。


自分も『ヒトオミ』というのは渾名でしかない。


だから、大抵は自分をどう呼ぶのか相手に知らせておくし、それに従うのが普通だ。


「中等部からそうだからさ、今更変えるのも、なんかね」

「いやがってるかもしれないのに?」


ヒトオミは視線をそらす。

そうは言われたって今更呼び方は変えられない。自分だって、嫌がられているかもと思ったことはある。けど、変えられない。

むしろ気軽に呼べる3人の方が不可思議で仕方ない。

とはいえ、先の時代の名残なのか知らないが名字は家柄を示す。狭くなった世界、さらには【システム】により世界中の情報を容易く閲覧できる今、名字だけで他者の恨みを買う恐れがある。どこでどんな因縁があるのか分からないからだ。

自分とて名字で呼ばれるのは嫌だ、心底。名前ならいいと言うわけでもないが……。


「で、……話の続きは?それとも、もう終わった?」


話を晒したい。それが伝わったのか3人に笑われた。


「続きってか、体調辛そうだなぁっていう心配?」


そう言ったサクの口調はいつもと変わらず、本当に心配しているのか?と疑問を抱く。


ヒトオミは少し八重の方に目を向ける。

確かに、顔色が悪い気がしなくもない。普段から見てるわけではないないので確証はないのだが。

だが、目にいつもの明るさがみられない。無理して笑っているように見えなくもない。

……そうか?いつもと変わらないんじゃないのか?人に言われたからそう見えてるだけなんじゃないか?


ヒトオミは無意識に面に手を伸ばす。


「あ、テツ君だ」


唐突の声に我に帰る。

ゆっくりと手を元に戻す。

教室後方のドア付近に立っていた彼に、サクが手を振る。テツは軽く手を上げてそれに答える。


「どーしたお前。何の用だ?」

「教科書貸せや」

「ハッ、忘れるとかダッセェなぁ!」

「この前忘れたダセェ奴に言われてもなぁ」

「俺はもう置き勉してますぅ、もう忘れません」


ヨウはテツと互いをなじるやり取りをしつつ、そちらに歩み寄る。そんなヨウにサクがついていく。好奇心旺盛というか、社交性がカンストしてるサクは一度話した相手には友人として接する。

事実、既にテツと馴染んでいるようだった。世渡り上手というか、何事においても器用な奴だと感心する。


3人のやり取りに目を向けていたヒトオミの視界に金色の鱗粉が舞う。

鱗粉ーー蝶が纏っているものだ。あの蝶も光る鱗粉を纏いながら飛ぶ。


思わず身構えたヒトオミにトワが控えめに声をかける。


「ヒトオミ君、こいつらの話聞いてやってくれない?」


そう言った彼の頭には掌サイズの妖精が座っていた。

小さい顔の割には大きい瞳でヒトオミの方を深刻そうに見つめていた。

小さいのに下手したら特別科の生徒よりも威圧感を放っている。


「……なんて言ってるの?」

「それが、」

『あの子どうにかしないの?』


まるで脳内に響くような甲高い声だった。

空気を伝っている感じはせず、直接語りかけてくるような、そんな感覚。


「……どうにかって」

『あなたは前祓魔師の仕事だって言ったわね』

「言ったね」

『その【目】ならできるでしょ』

「……これがなんなのか、そっちにも伝わってるんだ?」

『いいえ。けど、ニンゲンが使う媒体ってやつと似たものを感じる。それに兵器に似た危ないニオイもするわ』

「危ない、ね。人間以外が見てもそう思うんだ」

『えぇ。相変わらずニンゲンは危ないことが好きね。勉強熱心だこと』


トワが首を傾げている。

おそらく今はヒトオミと精霊間とのテレパシーなのだろう。トワには声が聞こえていない。ただ家族同然の存在の不機嫌を察知したのだ。

精霊が、というよりも他種の生物は人間を好んでたりはしない。それに巻き込まれた世界がどんな目に会ったのか、知ってるからこその軽蔑と警戒。

されて当然だと思う。ヒトオミからすれば他種に殲滅されてない方が奇跡にすら思える。


「できるよ、やろうと思えばさ」

『やってあげれば?辛そうよ、あの子』


あの子ーー緑色の彼女は自分を気遣うクラスメートのために無理して笑っている。

その彼女には、得体の知れない黒い塊がしがみついている。今の所手は出していないようだが、彼女の体調不良の原因だろう。そういう意味でなら既に手を出されてると言うべきか。


「……おたくらには関係ないでしょ、お節介なんだね、結構」

『トワがいつもお世話になってるからね。親切心のつもりよ』

「なぁ、なんの話してるん?」


痺れを切らしたトワが口を挟む。


『あんたが気にしてたニンゲンの話よ』

「あ、あぁ……そりゃヒトオミ君にも話すわな。……助けてあげられるんか?ヒトオミ君」


顔を歪めるトワにそう聞かれ、ヒトオミは苦笑する。


「なんでトワ君がそんな顔するの」

「しんどそうやん。ヤエちゃん、周りに気を使うタイプだから無理してるに決まっとる」

「……優しいね、トワ君」

「中学ん頃何度も助けられてるしね」

「……そうだね」


チャイムが鳴り、トワが自分の席に戻っていく。

後ろのドアで駄弁っていた3人もそれぞれの席に戻っていく。


ヒトオミは面を外した。

緑色の少女には黒い影が張り付いて動かない。つい最近までは害を与えられるほど大きくなかったはずだ。

それが一気に成長し、そして害を与えている。

八重の魔力を吸って成長したのなら、それは早すぎる。とある教師にも似たような生き物がくっついているが、4月から今までの期間でようやく成長したのだ。

八重のはいくらなんでも早すぎる。


【ゴースト】を成長させる手段が無いわけではない。どの【ゴースト】にも当てはまるわけではないが、人の感情を食らうものもいる。


感情。

脳裏に嫌な姿が浮かぶ。嫌な予感が加速する。


胸中がざわめく。

三年間同じクラスだったとはいえ、他人だ。気にかける必要なんてない。

自分の知らないところで、どうか、終わってくれ。


……もし最悪な終わり方をしたら?

取り込んで、八重が人外になったら……?

彼女は人気者だ。きっと周りの人間は悲しむ。たくさんの人が、きっと。


自分は今あるもの以上の大事なものは持つ気はない。あの2人、もしくは3人。それが定員だ。それ以上はこの【目】に付き合わせる気はない。

それ以外は他人。……他人だ。


ヒトオミはウインドを開きメールを受信しているか確認してみる。

受信はない。目当てのものは見たらない。


すぅ……と指先が冷える。

直接味わったことはない。だからこそ未知への恐怖で身体がすくむ。

【蝶】の鱗粉は気づかないうちにすぐ傍まで迫ってくる。


もしかしたら、もう手が伸びているのかもしれない。


人をたやすく扱える『彼女』には、そんな自分の考えすら見抜かれているのかもしれない。脳を覗かれているのかもしれない。


ウインドを閉じようとすると、1件新しくメッセージを受信していることに気づいた。

すぐにそれを開き、メッセージを確認する。


――久しぶりにお茶しよ


なら場所を言え、場所を。どこに行けばいいのか分からないだろ。

そんなことを内心でツッコみながら、ヒトオミは教室の雰囲気に目を配る。担当教師はまだ幸いなことに来ていない。クラスメート達は友人たちと騒いでいる。だれもこちらを気にしている様子はない。


ヒトオミは面を手にして、すばやく音を立てずに教室の後ろのドアから出た。

場所は記載されていないけれど、送り主のことは分かってるつもりだ。今日もあそこにいるに違いない。

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