【12】藍と翡翠の邂逅
特別科校舎4階に位置する、生徒会室。
特別科生徒すら容易に近寄れない、厳然なる雰囲気を醸し出す異質な部屋だ。その部屋には入れる生徒に規制はない。生徒会役員であれば問題なく誰でも入れるが、役員はどの代も決まって【火宮】の姓を持っていた。
現生徒会長、火宮和妃はそんな部屋の窓際に立っていた。
彼女は普段ここにいる。ここで書類の確認や、生徒達の動き。風紀委員からの学園内の状態や、図書委員からの本の状況など、様々な情報をここでまとめている。
すべて1人で。
同じく役員の【火宮】はあまりここには来ない。
理由は把握している。厳然たる部屋に近寄りたくないのでもなく、役員の仕事をしたくないのでもなく、自分と関わりたくないのだ。
和妃の父はこの【国】を治める頭首。頭首の娘と接するのを嫌う。
その気持ちが分からないわけでもない。
自分のことを毛嫌いしている人もいるだろうが、大半は関わって自分が父の偉功がある自分に畏敬の念を抱いている。住む世界の違う、格の違う、そう言う存在だと思われている。
血の繋がっている兄弟姉妹は、父親からの愛をすべて和妃に奪われていると自分を好いていないし、血の繋がっていない兄弟姉妹は気を遣うばかりでろくすっぽ会話もしない。同じ家に住む家族だというのに。
だから内心、珍しく喜んでいた。
この部屋に客人が来たことに。それも、自分を訪ねてきていたことに。
その内容が、喜ばしかろうが愚痴であろうが、なんだろうが。
「ここに来ればいるだろうとは思ってました。――和妃姉さん」
名前を呼ばれて、振り返る。
近くでその姿を見るのは何年ぶりなのか覚えていない。自然と、「久しいな」という言葉が溢れ落ちた。
相手の顔は面を付けているため、みえていない。
どういった心持ちでこの部屋に来たのか。どういった表情で今自分と対峙しているのか。そういうものを一切悟らせないための面なのか。
「……この面がそんなに気になりますか」
「そうだな。だがお前が顔を晒すのを心底嫌っているのは知っているつもりだ。無理に取れとは言わんよ」
相手は面にかけた指をゆっくりと下ろした。
「それで、お前がわざわざここまで来たからには重要な話があるんだろう?」
「そうですね。重要です。姉さんにしか頼めない」
「買いかぶりすぎだな」
「そんなことないですね。姉さんに出来なきゃきっと誰にも出来ない」
人目を嫌う弟が、特別科を嫌う弟が、わざわざここまで来た。
自分を頼るために。
そこまでしなければいけない案件があるのか。
「……聞こうか」
和妃が言うと、相手は面をゆっくりと外した。
外に跳ねる緑色の髪。同年代の兄弟の中ではとりわけ華奢な体つき。それに似合う童顔。特徴的な、緑の目。
「外すのか」と尋ねると、「お願いするのにさすがに失礼だと思ったんで」と苦笑した。
だが、すぐに真剣な顔つきに戻る。
緑柱石色の瞳が、和妃の藍の瞳をしっかりと見据える。
和妃は相手のその瞳から目を離さなかった。ないとは思っているが、自分を攻撃してくるかもしれない。目を見ていれば、その予備動作が分かる。
その理由もあるが、純粋に、彼の瞳には不可思議な魔術的な魅力がある。美術的観点から見ても、宝石のように煌めくことから高く値段がつくのだと父が語っていたこともある。悪趣味な話だ。
「単刀直入に言います。姫更姉さんを止めてください」
改まった口調だった。
和妃は窓枠に腰掛けて、「姫更がお前に何をした?」と聞く。
「和妃姉さんの耳にも入ってるはずです。特別科の生徒を利用して普通科の生徒を襲っている件を」
和妃は前に垂れてきた髪を背に流す。その動作に交えて小さく息をつく。
「姫更は、私には止められない」
「どうしてです?」
「なにやら、【国】の外の組織と手を組んで悪事の荷担をしているという話もある。そんな規模で悪戯をしている悪ガキが『姉』の言うことを聞くと思うか?」
学園内だけでは物足りず。【国】の外にまで手を出している。
そんなことさすがにあり得ない――そう断言できなかった。
それほどの力が彼女にはある。
規模の大きさにひるむが、そうもいっていられない。
「和妃姉さんから、姫更姉さんの両親に言いつけることも出来るはず。そうすれば止まる」
「姫更の父も母も、自分の娘を縛ることをしない。世界が奴を縛るからだ」
「……、」
「言うだけは言ってみる。だが、期待は出来ないぞ」
世界の【各国】が彼女の『紫』としての力を恐れている。つい最近の話じゃない。彼女がその能力の頭角を見せた幼少の頃からずっとだ。
言い方を変えれば、彼女の力があれば世界を揺るがすことができるということだ。彼女からすれば世界はちっぽけで仕方ない。
「確か……今はヒトオミと名乗っていたか?」
小さくうなずく。
「その件は、確かに姫更が悪さをしている。だが、別の件も同時に起きている」
「……え?」
「むしろ、姫更はそれを真似した愉快犯だ」
「……別の件の方はどうなってるんですか?」
「そっちの件は、特別科の生徒が主に普通科の2年を中心に暴行を加えているというものだ。お前が首を突っ込んでいるのは、姫更の方だろうがな」
「姫更姉さんがランダムに特別科と普通科の生徒を選んでいたのとはまた別に、目的を持った特別科の生徒が動いているってことなんですよね?風紀委員はそれを?」
「どこまで知っているのかは定かではないが、予感はしているだろう。したところで、区別はできまい」
両方とも『特別科の生徒が暴行を加えている』という点で共通している。それを判別する方法がまだない。
そうですか、とヒトオミが言うと、和妃は本当に小さく首を縦に振った。
「……分かりました、用はそれだけです」
失礼します。
そう言ってヒトオミは生徒会室のドアノブを捻り、ドアを押す。
だが、ガチャガチャと音を立てて開かない。
ドアノブの下を見ると、鍵があるが閉まってはいないようだ。
「ヒトオミ」
名前を呼ばれて、振り返ると先ほどと同じ姿勢の和妃がこちらを見ていた。ドアを閉めているのは間違いなく彼女だ。
「はい」
「ここ最近、姫更の動向を探らせた。その結果の1つとして、奴がお前の身辺を探っていることが分かった」
「な、」
なんで。
驚きのあまり声が詰まる。
「ここ最近、姫更と接触したか」
「全く。ここ最近どころか、この学園内で姿も蝶も見たことない」
食い入るように否定する。彼女を相手に弁論したって意味はないのに。
滅多に表情を見せない和妃の「そうか」と神妙そうに頷く様子に、ことの重大さを感じる。
顔がこわばる。のどが干上がる。
自分の知らないところで、誰かに魔の手が伸びている。
彼女は世界を自分で動かせると思っている。全世界でなくとも、彼女を取り巻く世界は、彼女の手中にある。
すべてが彼女の描いたとおりに運ぶ。運ばなくても強制的に運ばせてしまえばいい。その力がある。
その順調具合をほんの少しでも妨げた要因は、気がすむまで痛めつける。
自分が置かれている立場は今まさしくそれだった。
自分が姉の気分を害した。姉は自分ではなく、自分の知り合いを痛めつけることで自分への復讐にしようとしている。
誰が狙われてるのか全く分からない。検討もつかない。
いつ自分が姫更を怒らせたのか、記憶にない。
「私の方でも動きは探る。だが、十分用心しろ。今回お前の頼みを果たせてやれないあたり信用を失ったかもしれないが、私に出来ることは手を貸す。忘れるな、お前には味方がいる」
「……はい」
ヒトオミは頷いて見せた。
もしかしたら味方はいるかもしれない。けどそれは、多分彼女じゃない。
つなぎ止めておきたいのは彼女の方だ。
ヒトオミはまたドアノブを捻り、ドアを押す。
今度はドアが開いた。
ヒトオミは彼女に一礼してから部屋を去った。
◇
詰るような視線を感じた。
ついさっきなんてもんじゃない。教室を出たあたりから、ずっとだ。
エイムはその視線が今も自分を付け狙っているのを感じながら、首をかしげた。
ストーカーされる理由はないし、自分を付ける必要も感じられない。
だけど、視線を感じるのは事実だ。勘違いか?と思ったが、自分の鍛えた第六感を疑ってたら何を信じればいいのか分からない。それぐらい自分の勘とも言える感覚を頼りにしていた。
エイムは視線に気づいていない素振りを見せる。
振り返ったり立ち止まったりせず、とりあえず歩く。だが特に当てがあるわけでもない。
相手は自分に何がしたいのだろうか。
後を付けて、どうしたいのだろうか。
まぁ、考えて分かるはずがない。なら考える必要はない。時間の無駄だ。それに考え事は好きじゃない。
廊下の突き当たりを曲がる。この先にあるのは空き教室で、人はあまり来ない。ここに誘い込んだ――というわけではなく、柄にもなく考え事をしていたらここまで来てしまったのだ。完全に偶然である。
偶然だけど、好都合だ。
曲がり角から少し離れた場所で仁王立ちをして相手を待つ。
どれぐらい待ったか分からないけれど、1分は待っただろうか。
相手が来ない。
エイムが疑問に思い、来た道を少し戻る。曲がった角を曲がり直すと、スッと目の前に拳が飛び出した。
エイムはそれを反射的に必要最低限の後退で躱す。
向こうも似たようなことを考えていたらしい。こちらを追い詰めるのではなく、戻ってきたところを迎え撃つ。
なるほど、向こうは単純馬鹿じゃないらしい。
自分を狙ってきたのは3人だった。それは予想通りだ。その人数分の視線を感じていた。
3人の顔を確認する。どこかで喧嘩を売られたことがあるのかと思ったが、3人とも見知らぬ顔だった。
着ている制服は自分と同じ普通科のもの。他クラスか、他学年か。どちらにしろ狙われる理由がない。
スッと今度は上段の蹴りが飛んできた。
エイムは更に後退し、それを躱す。
見知らぬ相手だが、とりあえず喧嘩を売られているらしい。
向こうから売ってきたのだし違いないだろう。
「……誰だお前ら」
エイムは尋ねる。
機械のような、否機械で造ったような、無機質な声。
棒読みにも近い、平坦で抑揚のない音。必要最低限の声量。
相手は答えなかった。
ただ、「『赤』の眼鏡の知り合いだろ?」と言われて、全てを納得した。詳細は分からないが、自分は逆恨みに巻き込まれているのだと理解した。初めてのことではないからだ。
知り合いの『赤』はそれなりにいるが、眼鏡は1人しかいない。
そいつはどうも好戦的で、売られた喧嘩は大体は買う。そして、大体は相手を言い負かす。その逆恨みをしてやろうにも、奴は『赤』であの目だから敵わない。
だから身近にいる知り合いを狙ってやろう――そう言う考えが産まれるらしい。
なんで本人にやり返さないで気が晴れるんだと毎回思う。
だが、その『赤』に反撃してやりたい気持ちが分からないわけでもない。自分たちもぎゃふんと言わせてやろうと馬鹿みたく作戦を立てたことがあった。
分かるけど、そのまんま殴られてやるつもりはない。
見知らぬ相手を殴るのは少し気が引けるが、まぁ仕方ないだろう。
3人とも腕輪を付けている。媒体だろう。
魔術を使われると、少しまずい。魔術は苦手だ。
魔術発動までには数秒かかる。
それだけあれば十分だ。
エイムはポケットに手を突っ込んだまま、3人を蹴り飛ばす。
迷わず、腹を蹴り壁にぶつける。
相手は3人ともそのまま動かなくなった。
その3人の服が変わる。普通科の制服から特別科の制服へ。
魔術で偽っていたらしい。
高等な特科生が下等な普通科生の服を纏うだなんて、魔術だろうとプライドに触るはず。
プライドを捨ててまで、あの『赤』に復讐したいのか。
そこまで怒らせるとは、何したんだか。
少し動いたせいで、首に巻きいていた季節外れのレッグオーマーがずれた。エイムはそれを元に戻し、さっきよりもきつめに締める。
そのまま教室に戻ることにした。
何か用があって教室を出たのだが、もう忘れてしまったらしく思い出せなかった。
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