第5話 長い1日の終わり

(……あれ? 俺、今どうなってるんだ?)

(……勇治ゆうじ?)


勇治と駆婁かけるはまず自分たちの手を見た。右手は漆黒の鎧のようなものに包まれている。鎧は右腕だけでなくほぼ全身を包み隠しており、唯一の例外である左手には鋭い爪が備わっており、その手のひらには爪と同じく鋭利な牙がずらりと並ぶが存在していた。

そして顔を見合わせようとして、ことに気づく。「彼ら」の首の部分から上には何も存在しなかった。目も鼻も口も耳も存在しない。だというのにたった今自分の手をことができ、しかも頭部が無いという事まで把握できている。これまで頼ってきた五感とは違う何かが今の彼らには備わっていた。そして顔を見合わせられなかった理由がもう一つ。彼らは物理的に一体化していた。鏡もないのにことはできない。


(どうなってんだこりゃ……!?)


勇治の混乱は加速するが、駆婁はこの姿に心当たりがあった。特に、頭部の無い体とこの左腕には。彼が付けていた左腕の義手はこの手を模したものだからだ。自分たちが一体化している理由については全く見当がつかなかったが。


「この姿、まさか……駆婁なのか? なら勇治君はどこへ?」


ノットの声が聞こえた。困惑した表情で駆婁達を見上げている。


(店主がこの姿を見て僕の名前を出すってことは、やっぱりそうか)

(え? どういうことだ?)

(もし僕があいつライターに渡された本を最後まで読んでたらこうなってたんだろうって事。義手に引き受けさせてた本の影響が僕の体の方に戻ってきちゃったみたいだ……それでどうして勇治と混ざってるのかは全然分からないけど)

(……これ、もとに戻れるのか?)

(それも分からない)

(マジか……っと、あの化け物まだ動くぞ!)

(……今の僕たちなら、多分止められる。行こう)


店の方で烏賊のような怪物……クトーニアンが起き上がろうとして身をよじっているのが見えた。混乱は何とか一旦頭の片隅に追いやり、駆婁達……黒い鎧の首なし巨人は姿勢を低くして戦闘態勢を取る。


「「邪神変化ステージ3」」


駆婁達は起き上がったクトーニアンに向けて駆け出す。

それを見たノットがハッと我に返ったように呪文の詠唱を再開する。


再び殴りつけようと鎧に覆われた右腕を後ろに引き絞り、地響きを立てて飛び上がった駆婁達。漆黒の拳が叩きつけられ、せっかく起き上がったクトーニアンの体は再び地面に戻される。すかさず駆婁達はクトーニアンの上に馬乗りになって抑え込もうとする。しかし抑え込むには重量が足りずそのまま持ち上げられ、放り投げるように振り払われてしまった。


(なんて力してんだアイツ!)

(まともに組み合う必要はないよ。店主の魔術が完成すればこっちの勝ちだ。時間稼ぎに徹しよう)

(わかった!……けど、どうするんだ?)

の力を使う)


勇治の問いに駆婁がそう答えた瞬間、二人の脳内――今の二人に脳があるのかは不明だが――に聞いたことがない言語で何かの呪文が流れ込んできた。それを二人がそのまま唱えると、この体でいかにして発声しているのか、先ほどのように音になって外に流れ出した。


「「おる・じ・うぁ・でばを・え・いがじ・ぇ只人に仇成す落とし子よ、げは・おえし・じ・ふぢ・おえらう今ここに生まれ出でて対象を害せ いあ・イゴーロナク」」


最後の一文を唱え終わったとき、駆婁達の左手の平に開いた口がと赤い舌を伸ばし、不意にそれをかみ切った。

地面に落ちた舌は溶けるようにして球体の形となり、その後人に近い形へと変化する。出来上がった真っ赤な人型の何かはよたよたと立ち上がってクトーニアンの方へ走り出した。

クトーニアンは事も無げにその赤い人型をその巨体で叩き潰す。


(おい、瞬殺されたぞ)

(まだだよ)


見るとつぶされたそれはアメーバ状に変化してクトーニアンの体に貼りつき、透明な液体をまき散らしだす。そしてそれと同時にクトーニアンが地面をのたうち回り始める。見るからに苦しんでいた。


(よくわかんねえけど、効いてる?)

(あいつは水に弱いらしいって、小説の話を思い出してさ。アレは今、体の水分を真水としてこれでもかと分泌してる。)

(へえ……)


効果は覿面のようで駆婁達が手を出さずともクトーニアンはその場から動けずただのたうち回り続けるだけとなった。しかし1分もしないうちに赤いアメーバ状のものは水分を吐き出し切って干からび落ちる。水による攻撃から解放されたクトーニアンは怒りからか触手を激しくうねらせながら起立して駆婁達の方へ向き直る。


(もう終わりか。次は……)

(うん。

(え?)

旧き印エルダーサイン!」


突然響いたノットの声に勇治がと、ノットは左手に勇治の”地底の物語”と似たような革表紙の本を持ち、右手で剣指を作りクトーニアンの方へ突き出していた。その指先には五芒星のような図形の光が浮かんでいる。


「捕えろ!」


ノットが叫ぶと同時に指先に浮かんでいた五芒星がクトーニアンの頭上へ飛んでいく。さらにノットの指先に次々と新たな五芒星が出現してはクトーニアンを囲むように飛んでいき、6つの五芒星が箱のようにクトーニアンを包囲して閉じ込める。

光の箱に閉じ込められたクトーニアンはもがき苦しみながらその体を小さくしていく。それに追従するように五芒星も小さくなっていき、やがてクトーニアンの姿が消え去り、ケイブパールのみが残って地面にポトリと落ちた。


(すげえ……)

(あいつが街に出る前に何とかなったね。良かった)

(そうだな……ところで話が戻るんだが、俺たちもとに戻れるのか?)

(そういえばそうだね。どうしようか……一生このままと言われたら流石に困るけど)

(怖いこと言うなよ……)


黒い鎧の首なし巨人とでもいうべきこの姿のまま日常を過ごすなど想像もできない。と言うか不可能だろう。


最悪の事態を想像した勇治だがそれは杞憂だったようで、数秒後に元の学生服姿の勇治と駆婁が巨人の左手に開いた口から”ぺっ”と吐き出された。

吐き出される勢いが強く、二人は地面に叩きつけられる。ただしケガをするほどの衝撃ではない。


「いってえ! そこから出るのかよ……」

「戻れたのは良かったけど、予想外だったね……」


吐き出された二人が見上げると、首なしの巨人の姿が徐々にブレはじめ、やがて端の方から本のページに変化して宙に舞い始めた。


「ページだったのか、こいつ……」


本のページのうち黒い鎧だった部分は地面に転がったケイブパールに、それ以外の部分が駆婁の左手の義手に吸い込まれていき、十数秒でその姿は完全に消え去ってしまった。

巨人が完全に消え去ったところでノットが二人のところへ駆け寄ってきた。


「無事だったか、駆婁! 勇治君!」

「うん、大丈夫。やられたケガも何故か治ってる」

「そういえば骨とか完全にやられてたよなお前……ああ、俺も大丈夫です」


二人が無事であることを確認するとノットは息をついて店の方を振り返る。

店があった場所は完全に更地になっているうえ真ん中にはクトーニアンが出てきた大穴が開いており、もはや店などとは呼べない状態になっている。

ノットは軽くため息をついて歩み寄り、地面に落ちたケイブパールを拾い上げると勇治に渡した。勇治は礼を言って受け取る。


「さて、勇治君。いろいろ聞きたいことや話したいことがあるし、君もそうだろうが……今日のところは家に帰って休みたまえ」

「いいんですか? この惨状を放って帰るのも何というか……」


店があった場所を見渡す勇治。店をこんな状態にしたクトーニアンは自分が石を奪われたせいで出現したのでかなり責任を感じる。


「あはは。大丈夫だよ、明日には元に戻ってるから」

「は? ……マジで?」

「マジだよ」

「本当だ。明日以降またここに来てくれ。その時にゆっくり話そう」

「とりあえず明日は学校で会えるね。そこでも少し話そう。ちょっと人目が気になるけど」

「そういえば同じクラスに転校して来たんだっけな」

「うん。改めてよろしく」

「おう……じゃ、お言葉に甘えて今日は帰るわ。一日でいろいろありすぎて疲れた……」


勇治が帰る直前、ノットは1枚の小さな紙を勇治に渡す。


「破れたり燃えたりすると我々にその場所を知らせてくれるようになっている物だ。先の二人の変化のこともある。何かあったらこれを破って知らせてほしい。電話で事情を言うより速く済む」


とのことだ。

心の声が聞こえる能力はケイブパールに移っているようで、帰り道は実にだった。

勇治は何事も無く家に帰りついた。保健室で休んでいたことが伝わっていたようで、さらに帰りが遅くなったことから珍しく杏理に心配された。その後は昨日までと同じように夕食をとり、入浴した後すぐに自室で眠りにつく。

今日1日で起こった出来事や聞いた話が頭の中でぐるぐると回るが、すべて睡魔にねじ伏せられた。


ここまでが”本”に関する事件に彼が巻き込まれることとなった、1日目の出来事である。

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