第3話 分離
「ただいま」
「……邪魔します」
すると数々の不気味な骨董品に紛れて一脚の椅子が背もたれをこちらに向けて置かれていることに気づく。視線を向けるタイミングを見計らったかのように一人の男が立ち上がって勇治達の方へ振り返った。
「駆婁か。学校はどうだった? さっそく友達ができたようだが……店まで連れてくるとは、よほどうれしかったのか?」
黒いロングコートを着込んだ彫りの深い30代くらいの男――髪は黒いが日本人ではなさそうだ――はそう言って駆婁に笑いかけるが、駆婁が無表情なことに気づくと途端に表情を引き締める。
「……そうでは無いようだな」
「うん。僕が連れてきたわけじゃない。勇治は一人で来たんだ。奴の新しい標的にされたらしい」
男は駆婁の言葉を聞くなり、顔をしかめてため息をついた。
「”ライター”か……勇治君と言ったな。私はここの店主で、ノット・ノクロイアーという。まず聞かせてほしいのだが、夢の中で本を渡され、それが現実に出てきたのか?」
勇治が頷き”地底の物語”を左手に出して見せるとノットは大して驚いた様子もなく慣れた様子で本を観察し始めた。
「”地底の物語”か……これだけでは特定が難しいな」
「この変な文字、読めるんですか?」
「おおよそはな。君はどうだ? 読めるか?」
「タイトルだけなら」
「なるほど……ページは開けるのか?」
「表紙だけです」
「そうか。ならばまだ大して取り込まれていないはずだが……身の回りで何か異変は?」
「……人の心の声っていうか、考えてることが聞こえてきて……ここに来てからは聞こえなくなったんですけど」
勇治がそう答えた瞬間、ノットだけでなく隣で聞いていた駆婁までもが目を見開く。
「すでに能力が芽生えている……?」
「マズイね……勇治、夢の中に化け物みたいなのは出てこなかった?」
「あ、ああ……出てきた」
夢に出てきて勇治を丸呑みにした怪物の特徴と、さらに昼の夢の中では勇治がその怪物になっていたことを話すとノットは目をさらに見開き、切迫した様子で声を張り上げた。
「クトーニアンか!? よりによって邪神の一族とは! 駆婁、今すぐに分離の準備だ。私は奥から必要な物を取ってくる」
「わかった。勇治、そこの椅子に座って」
駆婁は言われるまま椅子に座った勇治に向けて左手を突き出して何かを唱え始める。
「おい、どういうことだ? なんであの人あんなに慌ててるんだ?」
「……本が現実に出てきたように、このままだと現実の君が夢の中の怪物と同じになってしまうから。ひょっとしたら今すぐにでも変化が始まるかもしれない」
「なっ……」
「あれはそういう本なんだ。もう何人も怪物にされてる」
勇治が絶句して固まっている間にノットが店の奥から戻ってきた。その手には球状の小さな鉱石が握られている。
「駆婁! 準備はできたか!」
「今終わった……
駆婁が言うと同時にその左手の皮膚が剥がれて宙に浮かび始めた。よく見るとそれが本のページだという事が分かる。やがて皮膚に偽装されたページがすべて剥がれ、中からは緑色の義手が現れた。義手の手の平には口のような形の彫刻が成されている。
「お前、その手……」
「説明が聞きたければあとで私の方から聞かせよう。今はするべきことがある……これを左手で持ってくれ」
勇治の左手にノットが持ってきた球状の石が握らされる。
「駆婁」
「うん、始めよう」
「「け・はいいえ えぷーんぐふ ふる・ふうる ぐはあん ふたぐん んぐふ しゃっど める……」」
駆婁とノットが奇妙な呪文のようなものを唱えだすと同時に勇治に異変が起こる。体の内側で何かが這い回っているような強烈な不快感が全身に発生し、徐々に左手の方へと移動していく。たまらず顔をゆがめて歯を食いしばる勇治。
「ぐっ……」
やがて不快感が左手に集まり、そのまま手の平から抜けていく。より正確には左手に握った球状の石に吸い込まれていく。すべて吸い込まれたところで呪文のようなものが止まる。
「……終わったか。何とか間に合ったな」
「うん、良かった」
駆婁が最初に会った時のような笑顔に戻る。
ノットは表情をいくらか緩めて息をつくと、いまいち状況が分からず黙っている勇治の方へ向き直り説明を始めた。
「ひとまず君が怪物になってしまうという事は無くなった。安心してくれ。これからはその石が本の影響を引き受けてくれる。いつもそばに置いていて欲しい」
「……この石、何なんですか?」
「これ自体はケイブパールと言って……まあ、特別な力があるわけではない。つまりただの石だ。しかし君の夢に出てきたという怪物……ある邪神と関連付けることのできるものでね」
「邪神? 悪い神ってことですか?」
「ふむ……君はラヴクラフトという作家を知っているかね?」
聞き覚えのない名前だ。勇治は素直に首を横に振る。
「そうか……細かい説明は省くが、そのラヴクラフトを始めとする数々の作家が書き上げた小説群があってね。クトゥルー神話と呼ばれている」
「あ、そっちはどっかで聞いたような……」
クラスの連中がそんな話をしていたような気がする。
「今言った邪神や怪物というのはクトゥルー神話の作品群に登場するものだ。たいていの場合、人間は彼らになす
「……で、俺はその怪物にされるとこだったって事ですか?」
「そうだ。先ほども言ったが、今後はその石が本の影響を引き受けてくれるので心配はないがね」
確かに左手に乗せた石に自分の中の何かが今も流れているのが感覚で分かった。
「……小説に出てくる奴らなんですよね? なんで現実でこんなことに……?」
「夢の中の本が現実に出現しているんだ。本の中身が現実になっても私は驚かないがね……と、言うのが私の考えだったのだが、最近は逆ではないかと思っている」
「……逆?」
「つまり、ラヴクラフトたちが現実の邪神をもとに、もしくは何らかの影響を受けて小説を書いた、という考えだ」
「小説の中身が実体化するのに比べたらまだありそうな話ですけど……」
そうすると邪神などと言うものが世界のどこかに潜んでいることになる。これはこれで小説に出てくる邪神が実体化するのと同じくらい荒唐無稽だ。
「少し話がそれたな。それでその石がどう邪神と関わるのかという事だが……シャッド・メルと言う邪神が居る。その一族……クトーニアンと言うのだが、彼らは卵で繁殖する。その卵が鉱石でできていてね」
「……この石を卵に見立てればそいつと関連付けられるって事ですか?」
「その通り。関連付けてしまえばあとはこちらのものだ」
そう言って石に本の影響を肩代わりさせる方法について説明を始めるノットだが勇治にはさっぱり理解できなかった。
「ちなみに僕の左手のコレもそうなんだよ」
ノットの説明に首をひねっている勇治に駆婁が緑色の義手を見せながら言う。
「ってことはお前も夢の中の本が?」
「うん。普段はこうやって義手を隠すのに使ってる」
駆婁がそう言うと宙に舞っていた本のページが次々と義手に貼りついていく。貼りついたページの表面が変質し、義手はたちまち生身の手そっくりになる。
「そういえば、何人も怪物にされてるって言ってたな……この本、そんなに数があるのか?」
「かなりね。しかもそれぞれ関係する怪物が違ってる……夢の中にドレス着た子供が出てきたでしょ? 店主は”
駆婁はそう言って両手を強く握りしめる。再び無表情になるが、今度は瞳に強い怒りが燃えているのが分かった。
何か言うべきかと勇治が口を開こうとしたその時だった。
「まあ、怖い。そんな恐ろしい人がいるのね」
聞き覚えのある声が横から聞こえてきた。二人が同時に振り返るとそこには見覚えのある姿……夢の中に出てきた、黒いドレスを着た少女が無邪気な表情で笑いかけてきていた。
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