第2話 いい奴といかれた奴と……

(ヤバい! 宿題忘れてた!)

(生活指導め、この程度でぎゃあぎゃあ言いやがって……)

(くっ! すでに腹が減ってきた! しかし今弁当に手を出したら……!)

(今日こそ呉井に告……! いや、やっぱ明日に……)



「……………」


教室へ向かう途中で四方八方から生徒の声が聞こえてくる。口に出したわけではなく、心の中で言ったことだ。普段はそれほど騒がしくない廊下だったが今の勇治にはうるさくて仕方がなかった。周囲にいる数十人の声が次々と頭の中で響き渡り、頭痛とめまいに襲われて足元がおぼつかなくなる。


(((((あがよ一あれおし時あ?今が限、あ日目い朝いもはがっつ一何あぱど日だあらこ頑っかあ行張たらあっっるあけただ?ぞあ?る!い)))))


「ッ……ぐっ!」


やっとの思いで教室にたどりつけば、一か所に集まったことで廊下よりも密度の高くなった声が出迎えてくれる。幾人もの声が重なり合って完全にただの雑音となり勇治の脳をひっかきまわす。倒れそうになるのを必死にこらえて自分の席に着くが、このまま授業など受けられるとは思えなかった。


沙渡さわたり君、だっけ? 大丈夫? 気分が悪そうだけど……」


声をかけられて顔を上げると、眼鏡をかけたロングヘアの女子生徒が勇治の方を覗き込むようにして立っていた。勇治達のクラスの学級委員で、名前は呉井 桜くれい さくら。去年はクラスが違ったので勇治と話すのはこれが初めてだ。勇治は周りから襲ってくる大量の声に頭を押さえながら少し考えて返答する。


「ああ……授業は無理っぽい。保健室行ってくるわ。先生に言っといてくれるか?」

「わかった。あと、保健室までは私がついて行くわね。歩ける?」

「おう……いや、ひとりで行けるぞ?」

「そう言う子に限って途中の廊下で倒れたりするの」

「……じゃあ頼むわ」


勇治としては少しでも人の少ない所へ行きたくて保健室と言ったのでついて来られても困るのだが桜は譲る気は無い様なので諦めてゆっくりと立ち上がった。



保健室は教室とは少し離れた位置にあるため、授業時間が近づけば保健室近くの廊下に生徒はほとんどいなくなる。どうやら”心の声”はある程度近づかなければ聞こえないようで、一気にことで耳鳴りのような”音”が勇治の脳内に響く。教室での騒音に比べたら遥かにマシではあったが、これはこれで不快だった。


(特に問題なく歩けてる。ちゃんと休めば元気になりそうね。よかった。でも念のため休み時間に様子を見に行った方がいいかな? でも、もし寝ててそれを起こしちゃったら可哀想よね……)

「……いい奴だな、お前」

「……? ああ、このくらい気にしないで」


思わず心の声に反応してしまい一瞬しまったと思ったが、桜は保健室までついてきたことを言っているのだと解釈したようで特に変な顔はしなかった。







「あら? まだ夜じゃないのになんて……眠り足りなかったのかしら?」


勇治が目を開けるとそこは壁も天井も見えない、薄暗い空間だった。

そして目の前には朝の夢に出てきたドレスの少女。


「ああ、寝ちまったのか。横になってるだけのつもりだったが……」


ぼんやりとそう言う勇治を見て少女は微笑み、話しかけてくる。


「本はまだ持っている? この短い間に捨てられていたらひどく悲しいのだけれど」

「ああ、持ってるぜ。ほら」


勇治は左手に本を呼び出して少女に見せる。

少女は満足そうに頷くと、ふと気づいたように本を指さす。


「あら? 本が開いてるわ」

「えっ?」


言われて本を見ると確かに本の表紙が開いていた。ただし1ページ目は白紙であり、中に何が書かれているのかは結局分からない。

しかし少女はうれしそうに笑う。


「この調子ならすぐに中を読めるようになるわ。ふふふ……楽しみね」


それだけ言うと朝の夢と同じように少女は歩き去っていく。


「あ、待てって! この本は何なんだよ! 人の心の声が聞こえるのと関係あるのか!?」


勇治のその言葉に少女はピタリと足を止め、信じられないことを聞いたような顔で振り向いた。


「心の声が聞こえる? 本当に……? ? …………まあ! まあ! まあ! まだ読んでないはずなのに! すごいわ! なら、中を読んだら……ふふふふっ あははははははははははっ! ……本当に、楽しみだわ」


突然狂気じみた顔で笑い出した少女に気圧されて勇治が一歩下がると、少女は笑いながら再び背を向けて今度こそ歩き去る。


「おい、質問に答えてくれ……」


呼び止めようと勇治はを少女の方へ伸ばす。そこまでやってようやく自分に体の違和感に気づいた。


「…………あれ?」


右腕を少女の方へ伸ばそうとしたのだが、そもそも右腕など存在しなかった。今の勇治は人の形をしていない。左腕はある。見慣れた左手がしっかりと”地底の物語”を持っている。そんな腕が肩ではなく腹と思しき場所から不格好に生えていた。

右腕と両足は無く、芋虫のように地を這う形になっていた。さらに頭のあたりには無数の触手。

人間の左腕が生えているという点を除けば、朝の夢に出てきた化け物にそっくりな姿だ。


「うわああああああああああ!」


思わず叫んで飛び起きると、保健室のベッドの上だった。

慌てて自分の全身を確認する。ちゃんと人の形をしていた。見慣れた自分の右腕と両足がある。頭に触手など無い。

ほっと息をついて壁に掛かった時計を見るともう最後の授業が終わる時間になっている。どうやら1日中寝ていたらしい。


やがてチャイムが鳴り、授業の終わりを告げる。それからしばらくして桜が勇治の荷物を持ってきてくれた。礼を言って、歩けそうなことを伝えると「お大事に」と言った後、そういえば、と付け加えた。


「クラスに転校生が来たの」

「始業式と一緒にじゃなくてか?」

「家の都合ですって。もう帰っちゃったから、会えるのは明日になるわね」


桜はそれだけ話すと保健室を出て来た廊下を戻っていった。これから部活動か何かに行くのだろう。勇治はそう言ったものに所属しておらず、杏理はあちこちの部を見て回っているところなので一緒には帰らない。このまま勇治一人で帰宅することになる。


外に出ることでまた多人数の”声”に多方向から襲われることを考えると憂鬱な気分になるが流石に誰もいない時間になるまで保健室に居座る訳にもいかない。

勇治はため息を一つついてベッドから立ち上がった。




(((あまよあいしあと宿とが題1いす0んる0きのめどだうるといる)))

(((おぶはおそやもうくうがかこっえんたっないてじふてかぁれんいびかばみたあいど)))


「……ああ、くそっ!ダメだ!」


外に出ると下校する学生や散歩中の人々、何かのイベント帰りの一団などかなりの数の人々に出くわし、まだ家まで距離があるというのに勇治はすでに限界を迎え始めていた。


「帰り道からそれちまうが、仕方ねえ……」


声の波から逃れるため近くの横道に入る。

道は分岐しておらず一本道で人々の”声”が聞こえなくなるまで歩くと、一件の古びた店にたどり着いた。道はここで行き止まり。


「店……こんなところにあったか?」


看板には”ノクロイアー骨董品店”と書かれている。骨董品に興味は無いので時間つぶしに入るのは少しためらわれた。


「だからって店先で突っ立ってるのもなぁ……声が聞こえないギリギリまで戻るか……?」


そう言って振り返ると、茶髪の男子生徒がこちらに向かって歩いてきていることに気づいた。向こうもこちらに気づき、軽く右手を上げてくる。挨拶のつもりだろう。

勇治も軽く手を挙げて応える。距離が近づくと茶髪の男子生徒は声をかけてきた。


「やあ、は珍しいね。その服、明霧高校の生徒?僕もなんだ。今日から転校してきてさ。2年B組に」

「あ、お前がか。俺も2年B組で、今日はちょっと調子悪くて保健室に行ってたんだ。名前は沙渡 勇治さわたり ゆうじだ」

「あ、同じクラスか。そういえば席が一つ空いてたね。同学年でよかった。いま敬語使わずに話しかけちゃって、先輩だったらどうしようかと思ったよ。ああ、僕は大多守 駆婁おおたもり かける。よろしく。 さて、せっかく来たんだから入りなよ。ちなみに僕、ここに居候してるんだ」


駆婁カケルはそう言って目の前のノクロイアー骨董品店を指す。


「いやでも骨董品ってよくわからなくてさ……」

「大丈夫だよ。僕もさっぱりだから。ていうか興味ないし」

「それでいいのか居候」

「店主は残念そうだけどね。あはは」


駆婁はそう言って無邪気に笑ったあと急に真面目な顔になってこう続けた。


「それに、ここに来たってことは来る必要があったってことなんだ。からね。」

「……おい、どういうことだ?」

「例えば君が何かに巻き込まれてるとか……そうだね、とかさ、なかった?」

「!」

「ああ、当たりか……」


駆婁の顔から表情がフッと消え去る。


「あいつ、今度会ったら殺してやる」

「お、おい……?」


昨日までそれが普通だったので今まで気づかなかったが、

無表情のままの駆婁は気圧されて黙る勇治に向き直ると、再び店を指して言う。


「とにかく入って。今なら君を助けられるかもしれない」


勇治は今度は無言で頷いた。

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