第6話 取り巻き=腰巾着

自己愛種は取り巻きを作る習性があります。まず前提として、自己愛に対等な友人はいません。上に見ているごますり対象か、見下し対象のどちらかです。立派すぎる人物は惨めになるので関わりたがりません。上に見ながらも、自己愛が自己ルールで馬鹿にできるポイントがあり、取り入って恩恵に預かれそうな人間に擦り寄ります。物でしか愛情表現をできないので、プレゼントなどもよく贈ります。これは離れていきそうな下僕にも贈りますが、離れることへの罪悪感を植え付ける行為なので、受け取らないか、受け取った場合はお返しをしてはいけません。敢えて無礼にして切ってもらいましょう。

逆に、見た目やスペックが低すぎると判断した人物も、いかに見下していても側には置かないようです。遠巻きに笑い者にします。


取り巻き=腰巾着は、自己愛の最初の好印象に惹かれて親しくなり、その後おかしな点が見え出しても相手のイメージを書き換えることができず、頑なに自分の中の自己愛様を信仰してしまう人がなるようです。共依存に陥っている場合も多いとか。あまり治安のよくない地域でたまに見かける、Vシネごっこをしてるのかな?と思うようなアニキが、弱そうな子分に「うるぁ?なあ?俺の言う通りだよなぁ?」と話しかけ、子分がありったけの思考停止した大声で「はいっっ!!」と叫んでいるあれです。笑いを堪えるのが大変です。子分は、自己愛に貼り付いていると何かのおこぼれを頂戴できる、と考えている場合もあります。


私が遭遇した自己愛はこの腰巾着との繋がりすら深くはできず、今は自己愛から呼び出さないと会えないようです。常に下々の者から先に声をかけてくるべき、が信条の自己愛様にとってこれは大変な苦痛のようです。意固地になって自分からは飲み会の詳細すら伝えない(聞いてくるのを待っている)ので、ますます忘れ去られていきます。


生ものをあまり食べられない腰巾着が、「生ものは至高。これを食べられない奴は馬鹿舌の下層民族なのだ!」という自己愛の御高説に頭を下げて「おいしいです〜!うえっぷ…」とやっているのを見て胸糞が悪くなり、自己愛と腰巾着のセットもあまり見たくなくなりました。

私がお世話になった方に何か消え物をお返ししようと探していた際も、自己愛は「私が好きな珍味にしろ」と言いましたが、目上に見ている人が「あの人は珍味系は食べられないから、オーソドックスな物がいい」とアドバイスをくれた事にぶすくれ、でもあれは美味しいのに、味の分かる人は好きなのに…とブツブツ言っていました。自己と他人の線引きが出来ない障害なので、自分の正義が他人の正義だと思っています。ちなみに自己愛にもお裾分けがいったので、あなたもお返しに一口(千円)乗る?と聞きましたが、無視されました。お返しはいらないと言われているんだからしなくていいと言っていました。一円も出さないが口は出したかったようです。


取り巻きさんは幸い昔からの良い友達がいたようで、自己愛を忘れそちらに戻っていきましたが、一番癒着が酷かった時期はなかなかの子分ぶりを見せてくれました。自己愛様が「あたし様が女王様なのよ!」と叫ぶ隣で首輪に繋がれて「のよ!!」と叫ぶポジションをしていました。悪い夢だったと思って忘れて、次の自己愛の犬にはされないよう生きてほしいものですが、まだ時々呼び出されているようです。


自己愛が「さあ手下ども、たまには店を決めなさい」を始め、この取り巻きがすぐに候補を出したものの、自己愛様の思う店ではなかったために、突然自己愛様の耳がシャットダウンして、一切シカトされたことがありました。先ほどまでと同じ会話音量で、目の前の店を指差しながら「私ここがいいな!」と二度ほど繰り返すも、すぐそこにいる自己愛は無視。自己愛の心を読んで正解を導くべきと考えているので、余計な言葉は一切発しません。突然存在を無視された取り巻きは怯えた目で私に何か訴えてきましたが、首を横に振って「無駄だよ」と伝えることしかできませんでした。取り巻きさんが「前から入ってみたかった」と語っている店をシカトで素通りされたこともありました。

こんな扱いを受けても、頭堅めの常識人だった取り巻きさんは「何かの間違いだった」とこれを書き換え、立派な取り巻きに成り下がってしまいました。


頭の良い自己愛は、取り巻き信者を何人も作りコロニーを形成し、そこの王になれるようですが、私達が関わった自己愛は非常に愚かで浅はかだったため、取り巻きをこの一人しか作れず、それも離れてしまったようです。常に自分を讃える信者がいないと精神のバランスを崩すので、この後何度か発狂しました。


自己愛は、少数の年下や初心者が集まる場所に入り込み、そこで女王様になるのが好きだったようです。私の地元ではこれを馬鹿にして「猿山の大将」と呼びますが、猿に失礼ですね。謝ります。

たまに思惑と違う上級者が存在し、自分が一番になれないと解ると、なんとかその上級者がダメだという説を作り出し、無関係な場所で執拗にこきおろします。自分がその人に追いついたり、努力して超える発想はありません。そして相手の人は、自己愛の存在を知りません。それでも少し前までは、子供や初心者やメンヘラを信者にすることに成功していたようです。しかし数年経つと時代はSNSがメインとなり、若者は基本個人主義になりました。初心者から成長する知識もネットで得られますし、上手な人と会って話して感動してもそれはそれ、帰宅すれば自分一人です。自己愛は世の中が変わった事について行けず、王国を作れない事に苛立っていました。元々自己愛種は悪い意味で保守的で、変化についていけません。携帯電話からは悪い電磁波が出ているから持たない!という謎理論をかましていたのもこのタイプではないでしょうか。そして周りがみんな持ち始め、すっかり常識になると、電磁波のことは記憶から抹消し、周りに自慢できる最新機種を買います。


取り巻きが一人しか得られず(それも微妙)、王国を作れない自己愛は苛立っていました。そもそも昔持ち上げられた特技もやらなくなって久しく、なんの取り柄もない普通の人を祭り上げる理由がありません。しかし自己愛の脳内で、私と友人A、友人Bは最初から取り巻き=腰巾着=子分だったようです。子分、は自己愛自身がしきりに「子分が欲しい」と繰り返していた単語です。

「何もしない自分には価値がない」と一応落ち込む自己愛に、全員「そうでしょうな」と思ってはいましたが、この頃は「この人は承認欲求を拗らせた何らかの障害を持っていて、可哀想」と特に私が自己愛を憐れんでいましたので、思い切り上から目線で「自己愛さんは無価値なんかじゃないよ!」と励ましていました。今思うと自己愛にとって侮辱です。

そして三人で自己愛を囲んで、

「やる気が起こらない時は無理にしなくたっていいよ!趣味なんだから」

と強く励ましました。

これで自己愛は発狂しました。


自己愛様の脳内では、我々腰巾着は尊敬する自己愛様が素晴らしい成果を出せるよう、土下座をしてお願いするべきだったようです。「できない子なんだから仕方ないよね」は一番の地雷でした。

立ち上がらんばかりの勢い、大声で、

「私がやる気出ないって言ってるんだぞ!おまえらは手伝いに来い!!道具が合わないって言ってるんだぞ!買って来い!!前はそういう連中がいたんだ!」

と叫び出し、我々はあぜん。ガヤついた居酒屋でなければ、周囲に我々が謝罪しなければならないレベルでした。見下している連中に憐れまれた事が、精神の限界を突破したようです。この一件で、私と友人Bの中で「こいつは精神障害を抱えている」という考えがはっきりしました。友人Aは「おまえ頭おかしいんじゃねえの〜!」とゲラゲラ馬鹿にしていました。

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