第3話 目覚め

 途切れ途切れの意識の中。

 私は泳ぐ。水鏡のかけらに、私の生涯を映す海を。

 あの影を、追いかけて、私は……


******


 ――父が、消えた。

 それは、何の比喩でもなく。


 通いなれた場所で。同僚たちの目の前で、私の実の父親は、文字通り消失した。

 この世に一片の断末魔すら残すことなく消え去ったのである。

 弟が、ちょうど2度目の誕生日を迎えた、そのあくる日。

 いやに月の大きい夜の事だった。


 今にして顧みれば、この父の消失にこそ、わたしたち二人の運命を変えた事件は始まっていたのだ。


 私の故郷――C-No.D34「サンマティア」は、いまだ歴史の浅い開拓惑星だ。

 外惑星連合の近隣4国家がテラフォーミングに参加し、60年ほど前からそれぞれで領地開拓を行っている。


 その鉱道で、事故は起きた。事故と言うのは、正しい言い方ではないかもしれないが。


 ……私の父は、まるで生きたまま丸呑みにされたように、鉱山の中で溶け消えていったらしい。


 父は鉱夫だった。

 私たちの一族は、4代前――私の曽祖父の代から、この星で鉱夫をしている。


 私の弟は、母の顔を知らない。弟を生んだその日の夜半まで、母の命は続かなかった。

 弟にとって、家族というのは、彼自身と私と父の、たった3人の世界だった。


 その父もまた、居なくなり。

 そこから先は、ずっと2人きりの家族だった。


 *****


 慣れない匂いと、鈴を転がすような音に。

 ふっと意識が浮上する。


 視界に広がるのは真っ白な天井。少しして、においの正体に気が付く。

 消毒液。コロニーの医務院でよく嗅いだ匂い。

 医者にかかることの多かった弟が、これだけは慣れないと顔をしかめていた匂い。


 体を起こすと、掛かっていた毛布がはらりと落ちる。こんなに柔らかいベッドはいつ振りだろうか。

 ふらつく頭を軽く振って視界を確かめる。室内にはベッドが恐らく3つ。

 それぞれに仕切りのカーテンがかけられ、向こう端のベッドは閉じたままになっている。

 音はそこから聞こえてくるようだ。


 眠る前、黒髪の男が言っていたことを思い出す。今日中には母船に着艦できる、と。

 つまりここは、あの男の船、ということだ。

 弟は恐らく、あのカーテンの向こう。そして恐らく、一人ではない。

 シーツを握り締め、体を緊張させる。目覚めたばかりの体に、凍るような怖気が走る。


 私は今、海賊船の中にいるんだ。


 少しずつ、鼓動が早まる。

 ああ、本当は眠ったりしてはいけなかった。嘆きながら辺りを見回すが、武器になるようなものはない。

 故郷から持ってきたはずの荷物も、既に別の場所に持ち去られてしまっている。

 大丈夫だ、そう自分に言い聞かせる。故郷の宙域にいたならず者たちとは違うはずだ。

 ……そうでなくては。


 そうでなくては、何光年も超えて、ここまで来た意味がない。

 意を決し、ベッドから足を下ろす。履物は見当たらなかった。衣服もいつの間にか清潔なものに変わっている。

 生唾を飲み下しながら、閉じきったカーテンへと迫る。一歩、また一歩。


 もしも、あのうわさが間違いで、もし、もう遅かったのだとしたら……。駄目だ、考えるな!

 混乱する思考を振り切って、カーテンに手をかける。たとえ他のすべてを失っても、弟だけは守らなければならない。


 息を吸い込む。はだしで床を踏みしめて、反対のこぶしを握り締めた―――


 ―――その瞬間、反対側からカーテンが開けられる。


「アンっ……!」

 アンタは、と叫びかけて、口をやんわりと人差指で押さえられた。

 とっさの事に、行き場のないこぶしが宙を揺れる。

 その様子を見て、ソイツ……金髪の、少し小柄な女性が、やんわりと微笑んだ。


 反対の人差指を自分の口元に寄せ、女性が首をかしげると、背中にまで掛かる長い髪がゆらゆらときらめく。

「静かにしろ」、ということだろうか。戸惑いながらも頷くと、指は私の口元からはなれていった。


「……アンタは?」


 できるだけ小さな声でたずねる。平静を装うが、心臓はまだ、跳ね回って自己主張している。

 女性は応えず、無言で微笑むと、カーテンをすべて開け放った。


 何の変哲もないベッド、私が寝ていたのと同じ、清潔な白いシーツと毛布。

 傍には、点滴のためのスタンドに、バッグがつられている。


 そのベッドの上に、私の弟――テオドア=D34・モールトンは横たわっていた。


「テオ……!?」


 テオの左手からは、点滴の管が伸びている。私は彼の右手に駆け寄ると、脈をはかるようにその手首を握りこんだ。


「……生き、てる」


 吐き出すようにつぶやく。

 当然だ、死んだ人間に点滴などしない。しかし、今の私はそれほどに混乱しているようだ。

 室内の静寂に耳を澄ませば、ベッドの上のテオは、すぅ、すぅと、少々弱弱しいながらも、確かに呼吸していた。


『彼の命に別状はありません。点滴は栄養剤です。』


 機械的な音声が静寂を劈く。視線を向けると、円筒形のコミュ・ドローンと寄り添うようにして、先ほどの女性が立っていた。


『C-BASICは、わかりますか?』


 ドローンのインターフェースに、踊るようにして指が走る。その度に、リリ、リリ、とタッチ音声が響いた。

 先ほどの鈴を転がすような音は、このドローンによるものだったらしい。


「あ、ああ、『わかル、よ。それで大丈夫。』」


 問いかけに、C-BASIC……太陽系方面の標準言語で返す。少し不慣れだが、私たちの星でも普通に使われていた言葉だ。

 それを聞いて、女性はまたインターフェースに指を走らせる。


『私はハンナ=L・クラーク。この船で主計長をしています。』


 そこまで言って、胸に手を当てて女性……ハンナは一礼する。

 それに合わせたのか、コミュ・ドローンもほんの少しだけ高度を下げ、礼をした。


『二人とも、軽度の過労を起こしていました。感染症などの心配はありませんが、衣服と荷物は一時こちらで預かっています。』


 そう聞いて思い出す、故郷から持ってきた荷物のこと。

 私たちの故郷を救うために、皆が持たせてくれた、「交渉」のための切り札のことを。


「『荷物、私たちノ、荷物、は……!』」


『外船倉に保管されています。申し訳ありません、隔壁内まで持ち込むには、内容の確認が必要なんです』


「『無事なのカ?』」


 ハンナが頷く。それを聞いて飛び出そうとする私を、ドローンがさえぎった。

 休息をとる事が推奨されています、と機械音声で警告される。

 入力無しで発せられたその声は、ハンナの意思ではなく、機械的なエラー・メッセージのようだ。


「『内容ノ確認、すぐニ、したいんダ』」


 ハンナに訴える。彼女は少し困ったような顔をして、ドローンを手元に呼び戻した。


『……ごめんなさい、船長の許可がないと、それは……』


「『お願イ、出来ルだけ、手許ニ置いておきたイ……』」


「駄目だ」


 会話の間に、一人の男が割って入る。いつの間に室内にいたのか、ドア・ロックに背を預けて、その男は立っていた。

 私たちと同じ船に乗っていた、黒髪の、男。


「『……おまえ、BASICも喋れたのか』」


 私たち外惑星の標準言語、BRIDGEで男がそういう。

 その細められた眼からは、表情を読み取る事はできない。

 しかし、声に含まれた怒気が、その男の不機嫌を十分以上に物語っていた。


「おまえ達の滞在許可が下りているのは、まだこの医務室だけだ。」


「『でモ!』」


「駄目だ!」


 男が声を張り上げる。


「この部屋以外への出入りは許可されない。暫くは弟と寝ていろ」


 有無を言わさぬ調子で男はそういった。

 背を向けてドアロックから出ると、それ以上の会話を拒むように、鉄の扉は閉められた。

 がっくりと、肩から力が抜けるのを感じる。


『ごめんなさい、悪い人では、ないのですが』


 ハンナがそう発言する。

 抑揚のない機械音声だが、どこか申し訳なく思っているように聞こえるのは、只の願望だろうか。

 首を振って答える。船のことを考えれば、真っ当な措置のはずだ。

 ……海賊船が、真っ当というのもどこかおかしい気はするが。


 ごそごそと、身じろぐ衣擦れの音がする。今の喧騒で、テオが目覚めてしまったのだろう。

 同じくそれに気付いたハンナが、点滴を確認しに戻っていった。


「『……私モ、もう少し休ム、よ』」


 それまでの緊張が抜けると、どっと疲れがあふれ出た。

 ハンナの言うとおり、まだ完全に疲労が抜けたわけではないのだろう。


『待ってください』


 ハンナが呼び止める。


『お二人の名前を聞かせてもらえますか?』


 何かの書類を準備しながら、ハンナがそういう。

 そういえば、ここに来るまでにも、名乗っていなかったのだ。相手の名前を聞いたのも、ハンナが初めてだった。


「『弟ノ、テオドア=D34・モールトン』」


 テオに目を向けて、そういう。なんてことはないそんなやり取りも、随分久しぶりの事だった。


「『私は、』」


 すぅ、と息を吸い込む。


「『リオ。リオナール=D34・モールトン』」

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