第19話『漆黒の魔獣 5』

 幌馬車を牽く駿馬が二頭、かぽかぽと蜘蛛街道を南へと下っている。三番を過ぎ、環状外周四番に向かう古い道だ。御者は豪猪、幌の中には彼の息子であるハルト、護衛対象のタリムに、夕闇とクライフ。そしてなぜかまだ狐白がちょこんと座りながらニコニコとしている。


「カハ。大所帯なら、馬車がいちばんよな」

「これも組合の力か? クライフ、ほんとうに朝には厩舎に馬車が用意されておったのか」


 タリムは御者台のすぐ後ろに胡坐をかいているが、腕を組んで思案顔だった。よもや馬車の旅となるとは思わなかったからだ。それも狐白がいつのまにか用立てた代物となれば、警戒もする。しかしクライフはタリムの行程予定をいくぶんのんびりし過ぎと思っていたので、特に何も言わず「せっかくなので使わせていただきましょう」と肩をすくめるのみだった。


「子供がふたりにか弱い女、歩き旅はきついというものだろう」

「だれがか弱い女よ、老人の間違いでしょう」

「か弱い女は、お前よ」


 狐白は夕闇に笑いかける。そんな彼女が不機嫌になる瞬間に「女扱いされるのは嫌だったか?」と一歩退くあたりが抜け目がない。


「狐白さん、もしかして今朝方の話聞いてましたか」


 思い当たるからかい方にクライフが窘めると、狐白ではなく豪猪が「うぬ」と唸る。


「すまん。狐白どのにそそのかされて俺も聞き耳を立ててしまった」


 御者台からの謝罪にタリムは「なんのことだ?」と首を傾げる。

 彼ながら「これは聞いてはいけない大人の話だ」と、幼いハルトはそそくさと御者台の父の隣に移動する。豪猪は息子に微笑みかける。我慢させてきた息子の笑顔が返ってくると、ややひきつる傷。柔らかい笑みだ。


「こんな気持ちになったのは久方ぶりだな」

「父上と旅ができて、私もうれしいです」

「……そうか。そうか」


 ハルトには妻の故郷にはもう行けぬと話してあった。

 息子は父の言葉に頷き、母の墓所の方角に手を合わせると「いずれ戻れましょう」と、ただそれだけで納得した。

 我慢させてきた息子に、彼がしてやれることはは何か。豪猪自身、それを考える旅でもあった。


「あっちの親子はまあいいとして、こっちの親子はどうしようかの、夕闇」

「あなた、帰るんじゃなかったのかしら」

「冷たいのぅ」


 しかしタリムは思案顔だ。そんな夕闇と狐白のやり取りさえ、自分の首に就けられた縄を意識せざるを得ないのだ。


「よもや、シャールまでついてくる気ではあるまいな、

「まさか。南の六番まで行ったら引き返すわよ。安心して頂戴、あなたを殺したりもしないし、守りもしないから」

「どういうことだ?」


 反応したのはクライフだった。狐白の言葉に「よもや楽団のことか――」と唸るも、狐白は首を振る。


「私が介入したことで、あの暗き魔術師が動いたかもしれん」

「――導師、のことですか?」

「この世は面白い。あっちが動けば、こっちも動く。大きく動けば、大きく傾く。お主の目をしたことにより、あちらも何かしら動いたかもしれん。と、いうことだ」


 もういちどクハと笑い、狐白は「どう言っても理解はできんだろうがな」とクライフを見つめながら自分の右目に触れる。


「あまりにも深く関わりすぎたからだろう。私らはうかつには動けん。あの片目の男も、落葉と技術をお主に託すのがせいぜいだったんだろう。ああ、なんだ、つまりだ」


 狐白の指がタリムの気難しそうな顔に向けられる。


「そこなわっぱ殿下が為そうとしてることが、まわりまわって魔術師ウィルの企みを阻害するものであることは確実だろう。だから、必ず殺しに掛かる。配下の手で」

「楽団を操る黒幕だな? 彼奴、自らは動かぬと?」


 と、これは指先を向けられたタリムの言葉だ。自分が殺されるという認識を新たにされ身構えているが、気丈にも問うて先を促す。


「天秤に乗るには、あいつも私も重すぎる。――必ず配下を使う。脈々と用意していた者たちを、要らぬ者を間引き、極限まで研ぎ澄ませた逸材を用いるはずだ。過不足なく、お主らを倒す者を。あるいは、者らを」

「狐白さん。もしかして、漆傑衆の出所に心当たりがあるのでは」


 クライフの推察に目を見張ったのは夕闇だった。


「そこに思い至るか」

「ああ。夕闇、君だって気にはなっているんだろう?」

「この頭領は秘密主義だ。私にも重りがどうのと、のらりくらり。しかし、商家の情報網は確かにそうであろうと判断するだろう。なにぶん社で切り落とした生首からどんな情報を読み出したのか見当もつかないが、そういうのであればそうなのだろう」


 夕闇に水を向けられ、あっさり狐白は「そうだ」と肯定する。


「直接動かぬのはあいつも私も同じ。あの魔術師は暗躍し、天秤を揺らさぬ重さの部下を増やし、淘汰し、研ぎ澄まし、奏者召喚のための陰謀を巡らす。私は一族や商家の繁栄を支えながら情報を得るため根を張る」


 とん、と狐白の指が床を指す。


「漆傑衆の里は、導師カヴァン=ウィルが育てた施設のひとつだろう。常識を備えた奴らであの腕前。おそらく表に出せぬ番外たちの力はその常識を大きく外れたものだろう」

「番外――」

「記憶を読んだだけだが、人を人でくす実験の果てに生まれた外道たちがいるそうだ。――思えば、あの大公も駒のひとつだったのかもしれんな」

「駒か」


 クライフはもとより、あのエレアでさえ駒であるとあの魔術師が言っていたのを知っている。いったい幾年を生きているのだろうか、あの老人はこの世のあらゆるところに影響を与えているのだろう。


「だが、人を人でくすとはいったい」


 しかしクライフ自身、確かに見ている。

 かつて人だっただけの男が、武器が通じぬネズミの化け物になったのだ。そして夕闇の姉、今目の前で語った狐白の娘。あの魔女も屍人だったではないか。削ぎ飛ばされた顔面頭部が直っていくのを自分も見ているのだ。


「人を、別の物に変える」


 狐白が呟く。


「魔物に、魔獣に、幽鬼に。だがしかし、彼奴はそんなことをとうの昔に使えぬ技術として切り捨てておる」

「使えぬ技術? 今聞いたことは本当にできることなのか? このタリム=ハウト、人がバケモノになる話など書物の中でしか聞いたことがないわ」


 しかも物語のな、と付け加える。


「十の風の伝承? かの物語はいろいろ手を変え品を変え、遍く遠い国々にも広まっているものね」


 狐白は頷きながらそう補足すると、「でもあるのだ、若き殿下サマよ」とカハと笑う。嘲笑ではないのでタリムも唸るだけだが、クライフに目を向けると、剣士は静かに頷いてみせる。


「あるのか」とタリム。


 それに「ええ」と答えるのは、夕闇だった。


「末の弟を殺し、命を奪い、私の姉は――姉だった者は魔性に身を捧げたわ。人が、命を指先から吸えると思う? カラカラになるまで命を吸われた弟は魂までも枯渇させられ、魔女セイリスの礎となったの。それもこれも、あの魔術師の爺にそそのかされたから」

「奏者の使途、というやつだな。殿下、私が戦っている相手は、そのような相手なのです。今回の任務は、お察しの通り殿下の命を守ることがかの者の企みを阻止する一手であるからに他なりません」

「そんな者らと戦っているのか……」


 タリムはしかし、釈然としなかった。

 因縁はあるだろう。しかし、なぜここまでそれを持つ者同士が集う?


「それが運命というものさ、童殿下。たまたま無頼流浪の老剣士の弟子となった男が、たまたま任務の果てに運命を引き継ぎ海を越え、たまたま奏者の導師の因縁に巻き込まれた。みんなたまたまだ。だが、よき縁をたぐり寄せているかどうかだけは個々人の資質の相性だ」

「人の頭を撫でながら……ぽんぽんたたくな。もう子供ではないのだぞ」

「クハ。まあよいではないか」


 夕闇には、狐白が私心なく――いや、私心でタリムをかわいがっているのが分かっていた。一族商家のため殺すとなれば彼を殺すだろうが、そうする必要がなくなった場合、彼はただの少年だ。それも、死んだ狐白の息子に面影が似ているただの少年だ。


「そのくらい私もかわいがって貰えたのかしら」

「毎夜、物語を読み聞かせた思い出はもうないのか?」

「覚えてないわね」

「まあ、いいわ。ふふ。……で、話を戻そう」


 狐白はタリムをポイッと放すと、クライフに目を向ける。


「人が人を捨てて手に入れる力と、人が人のまま手にする力、はたして強大なのはどちらであるか。長い時代、我らは前者だと考えていた。人が竜になれれば、適う者などいまいと。だがちがう。人は人のまま力を手にした方が遙かに強いのだ。他の何かになるなど、最初から他の何かで生まれた者には適わぬ。そう生まれたならば、そのまま強くなるのがいちばん強いのだ」

「人のまま――」


 クライフは落葉の鞘を確かめるように軽く握る。


「男だ女だと、誰だ彼だと、、個々人が違う立ち位置なのに同じ立ち位置で勝負をするなら有利不利が出来上がる。えてして不利を背負う側しかそういう不満を指摘しない――」


 にやにやしながら狐白がそういう。

 夕闇とクライフが苦笑する。厩舎裏の会話を聞いていたと白状したようなものだ。しかし、この流れは本質を突いているように思えた。


「人が人のまま、か」


 タリムにはまだピンとこないが、ひとつ口を出してしまう。


「しかし、強き別のモノになってしまえば、すくなくとも変わる前の自分よりかは強くなれるだろう?」

「そうかもしれない。しかし、強さの本質は現状を土台に変わり続けることに他ならない。童殿下、違うモノに変わってしまった者は、もはやそのまま朽ちるしかなくなるのだ」

「かようなものか……。うまくいかんものだな」

「そうでもない」


 夕闇が引き継ぐ。


「そこまで変わらず、人のまま人としてれる。つまり。噂だぞ? あくまで噂だが、そのような存在が居るという」

「外道か」


 クライフは得心した。

 魔を利用する人の力。……そこで、ひとつ思い至ることがあった。いや、ひとつではない。いくつかだ。

 シャールの秘術の結晶、『浸着装甲』。あれは魔性を取り込み己が力とする秘術ではなかっただろうか。

 そしてもうひとつ。

 人が人の持つ力をそのまま育て上げる。

 近衛のふたり、シズカとアカネ。彼女らの耳と鼻、そして瞬発力。

 これは偶然ではないのかもしれない。


「縁。そして、天秤か」

「おいおい分かるだろう。そして、おいおい調べねばならないだろう。動くのはクライフ、お主かもしれん。あまり大きく動くと、相手も動くぞ。慎重に事を進めねば、手痛いしっぺ返しを喰らうものだ。お主も、相手も、他の者らも」


 カハ、と、これは話の区切りをつける笑いだった。

 そのまま狐白はタリムを膝の上に載せると、嫌がる彼を抑えるように頭をなで始める。

 

「なにをする。なでるなら豪猪の息子をなでればいいだろうッ」

「かの者の妻に悪いではないか。それに、豪猪に見られてるとなでにくいからの」

「横暴だ」


 タリムは目でクライフに助けを求めるが、剣士は夕闇と話している。

 夕闇の手から渡されているのは、彼女の武器だ。それを受け取り、剣士も落葉を彼女に渡す。


「なにをしてる、鑑賞なら落ちついてからやればよかろう」

「なに、大丈夫だ。今はまだ、敵はおらぬよ。だから安心してなでられておるがいい。ぬふ。それに、ああみえて夕闇も男同士が武器を鑑賞し合う姿がうらやましかったんだろうよ」


 そうなのか? と視線で問うクライフだが、夕闇は「戦士として興味があるだけよ。なにもしないわ」と静かなものだった。


「安心しろ。そう、まだ大丈夫。まだ、な」


 狐白の呟き。

 漆黒の魔獣。人のまま踏み外した外道たる番外との対決まで、あと数日――。

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