第17話『漆黒の魔獣 3』

 漆傑衆を輩出する郷は、王都南東にある静かな山野にあった。林業と炭焼き、そして製鉄を含めた鍛冶で細い煙を上げる郷だった。

 表向きの生活を装い、しかし郷はバードル権力者に向けて腕利きを養成し提供する裏の貌を持つ。このような郷は漆傑衆の郷の他にもいくつもある。間者と呼ばれる者たちの派閥は、この郷を根にしたものがほとんどであるという。

 郷の主は齢八十に手が届き始めた老爺で、小柄ながら巌のような体躯で、顔もまた荒く削り出した鬼のような重さであり、白髪と白髭に覆われたそれがつまらなさそうに手元の文に目を落としている。


「いかが致しましたか」


 自室に籠もったままの彼に、若い女間者が問う。彼女は彼が目を落とす文を届けた者で、郷の内外を繋ぐのを役務とする、比較的表側の人間だった。


「鳥が――」


 郷主さとぬしは文を畳むと、灯りの蝋燭へとふと目を向ける。もと漆傑衆の壱である彼は、現職の彼らが尽く討たれたという報告を信じられぬ思いで噛みしめていた。

 死ぬのは構わない。しかし、何事も成せずに失敗して総て死に絶えたことが信じられなかった。

 ――『力及ばず』。

 一族の頂点を送り出してなおその評価は、郷を無価値たらしめる。なんとしても挽回せねばならなかった。


「カヤリィ」

「は」


 名を呼ばれた女性、カヤリィは膝を進めて畏まる。


「『番外』を解き放ち、大公へとお届けせねばならん」

「番外を!?」


 郷主の重々しい声に、カヤリィははっとして顔を上げる。

 ――『番外』。

 漆傑衆は、壱から伍までの番号を与えられた者が郷を代表して権力者に召し抱えられる。技術に秀でた者たちだ。しかし、道を究めるにあたりその方向性を大きく逸脱する力在る者が生まれ出ずることがある。

 能力こそ特筆すべきものだが人格に於いて問題があり、とうてい郷の代表として送り出すことができぬ者。あるいは、者たち。

 番号を与えられぬ、『番外』。

 それが彼らを呼ぶ符丁であった。


「あの四人を解き放つと?」

「郷の浮沈、まさに奴らに掛かっておる。大公は彼奴らの術を解き、かくれ郷から解き放てとのお達しだ」

「術を解く……」


 カヤリィは息をのむ。

 それは彼らに施した安全装置を解除することを意味する。首輪のない彼らは、野に放たれた獣だ。漆傑衆の番外、漆黒の魔獣を呼び覚まさなければならない。


「術を封じるに、何人死んだか」


 郷主の重い言葉に、しかし彼女は頭を垂れ「下知あれば私が」と申し入れる。

 かつて番外が己が力を不当に封じられそうになったとき抵抗を試みた。強者が何人か死に、番外たちは枷を嵌められ裏の郷の更に裏、隠里での隠遁を余儀なくされた。恨みもひとしおだろう。それを解き放つ際に、どんな意趣返しがあるか分からない。彼女はそれを引き受けようと申し出たのだ。


「お主も里の者か」

「では――」

「私が行こう」


 しかし、郷主は自分が赴くといいだした。彼女は食い下がらずに「承知いたしました」と部屋を後にする。


「……――」


 彼女の気配が途絶えたとき、郷主は片手を振るうと遠間にある蝋燭を消す。とうてい風が届く距離ではない。炎に揺れていた影がふと闇に馴染む。月の明かりが差し込む部屋に、もはや誰も残ってはいなかった。




***



 番外は、速やかに集められた。

 術の封印、枷が付けられた彼らには郷主の命に背くという意志すら奪われている。彼ら――あるいは彼女らは、みな己が技術を向上維持し、生き、ただただ老いて死ぬことを義務づけられている命たちであった。

 業巌洞。

 郷と、かくれ郷を繋ぐ洞穴。郷主の自宅から闇の岩肌の続く穴を抜ける途中に、ここだけは人の手が加えられたと覚しき間がある。均された足場には踏みしめると音が鳴る大小の石材と金属片が敷かれている。


「――番外か」


 郷主は鳴き石の間に到達したとき、静かにそう呟いた。

 ここに来るのは久方ぶりだった。番外の烙印を押した最後の女の術を封じたとき以来だった。臭いは変わらず、死臭。彼は鳴き石の中に人骨が混ざっていることを知っている。

 一族の墓でもある広間の奥は、かくれ郷に続く。ここは冥府魔道の一里塚のようなものだった。先は、魔界なのだ。


 控える影。「番外の壱、まかりこしてございます」――ひどく痩せこけた白髪の、まるで骸骨にぼろを纏わせたのかのような、恐らく男の声。

 控える影。「番外の弐、ここに」――老爺だった。ガシャリと鳴る肉体。四肢は異様に長く、腕も足も幾重にも折れている。多関節の昆虫を思わせる。

 控える影。「番外の参、馳せ参じましてございます」――女。微笑めば妖艶な三十路に見えれば、澄ませばあどけない少女のような、やや骨張った間者姿。

 控える影。「番外の肆、御前に」――少年。あどけない無垢な表情だが、鳴き石に沈む体は誰よりも深い。


「鳴るはずのない無音の晩鐘、入相の鐘を聞いたときはもしやと思いました。郷主、我らの力が要りようと――。……」


 探るような、骨の男。

 郷主はひとつ頷くと「漆傑衆が尽く討たれた」と告げる。告げられた四人は「――ほ」と、気が抜けた息を漏らすだけだ。


「体術だけの猿の如き壱の字らではありましたが、果たしてどんな手勢に討たれましたやら」


 骨男が代表なのだろう。彼が紡ぐ言葉に差し挟もうとする者はいなかった。彼の言葉に郷主は腕を組み、フムと唸る。彼にも詳細は知らされていなかったのだ。


「大公どのは」と答えず話を進めると、「お主らの枷を解き、参上せよとの仰せだ」と、やや重く繋ぐ。


「枷を?」


 これには四人が四人とも反応した。

 虐げられし異能、漆黒の魔獣と蔑まれた失敗作に、さも極上の待遇とは。枷、首輪は安全装置だ。今も彼らの首に燐灰石りんかいせきの護符とともに着けられている。


「自由に?」

「自由ではない。漆傑衆の郷の代表として、大公のために尽くすのだ」


 この者たちの自由は、勝手と変わらないのをよく知っている。

 かつて、いったい何人が死んだことか。


「よいのですか?」


 と、女が顔を上げる。


「よくはない」


 ここばかりは正直に郷主は答える。しかし首を振りながら「よい悪いではない。下知である」と、「我が郷は大公の御為にある」と腕を解く。

 そして右の拳を握りしめ、ぶつりと人差し指で親指の腹を押し破る。珠のような血がツ――と漏れる。

 郷主の血で封印は解ける。が、彼の意志なくしては呪いまでは霧散し得ない。彼らを解き放つには郷主としての合意がなければならないのだ。

 四人は顎を上げるよう首を差し出す。そこに郷主の右手が振られるや、護符に数滴ずつ彼の血が付着する。


「おお」


 四つの声が漏れる。

 歓喜の色だ。


「ぬぅ」


 郷主の押し殺した呻き。

 塊根の色だ。


「番外の壱」「は」、「番外の弐」「は」、「番外の参」「は」、「番外の肆」「は」。四つのいらえ。


 郷主は念を込めると術を解く。

 心を操っても、体を操っても、枷は解けない。彼の信念あってこその解呪。かちりと音を立てて四つの首かせが鳴き石に落ちる。郷主――チィンと鳴るのは、石の泣き声のように思えた。


「――」


 微かな殺気を郷主は感じた。

 漆黒の魔獣。壱ではない。弐からのものだ。


「実力の順である表番とはちがい、裏番はあくまで郷から捨てられた順番。かつて十五人いたが、いまはもう四人」


 ゆっくりと老爺は首筋をさすりながら立ち上がる。にたりと笑う。自分の首に長い腕を巻き付けるように、いくつもの関節を曲げながら、ゆっくりとさする。指までも関節が多い。まるで蛇のような四肢指先。


「尽く貴様ら家族の犠牲になりおった」

「術のためならば、致し方なく」


 答えたのは骨だった。

 骨男は父だった。

 蛇の老爺はその父であり、遅れてかくれ郷送りになった。

 妖女は骨の妻だった。

 そして少年は骨と妖女の子だった。外界を知らぬ彼は生粋の番外として育てられた。

 この家族に、他の番外は皆殺された。

 捨てても惜しくない命たちは、ただただ術の向上と維持のために消費され合うものだった。

 この一家は、すでに完成された漆黒の魔獣ということだろう。

 いつの間にか立ち上がっていた四人を見、郷主は「――いつ発てる」とは問わない。彼は滲むように立ち上る四つの殺気に祈るように目を閉じる。


「どうするつもりか、とも聞かぬのですね。郷主」

「答えるつもりもなかろう。――ただ」


 そこで郷主の言葉を継いだのは少年だった。


「我が忠誠は変わりませぬ」


 それを聞き、やや郷主は安堵した。

 安堵したまま、一息つく。

 それが彼の最期だった。


「難儀な物よ。私が直裁すれば煩わしくないのだが、動けばが揺れてしまう」


 衣服もろともボロボロの灰となり散りゆく郷主の心臓、それを握りつぶした暗灰色の魔術師が重く呟く。いつの間にか現われた導師カヴァン=ウィルの姿に、四人は一歩退き畏まり――跪いた。


「導師」

「よい。貴様ら眷属が完成するまでまだしばし掛かると思うておったが、ことは急ぎだ。ふふ、漆傑衆の番外、漆黒の魔獣。漆黒の術式の正統、魔性と人の混沌が為す正道。――壱と呼ぶか? 骨よ」

「名は捨てもうした。導師の御心のままに」

「ふむ」


 明らかに恐怖と畏怖を持って畏まる四人。異能を持つ彼らであっても、目の前に現われた老魔術師を斃すこと能わぬのは彼らがよく分かっている。彼らにしか分からぬ格というものがある。魔性の格だ。その気迫に抑え込まれている。


「では壱よ」


 導師は告げる。


「大公の元で働いていた表は尽く討たれたのは知っていよう」


 壱は「は」と頷く。郷主に聞かされたときは聞き流した情報だが、導師の口からとなると話は別だった。


「女王の剣士が現われた」

「あの男が――!」


 と、顔を上げたのは多関節の老爺。


「戻ってたのですか」

「いや、その弟子がな。そやつが漆傑衆を斬った」

「弟子? あの隻眼の狼は――」

「死んだか隠居したか。とにかく、女王の剣士はシャールに舞い戻った。あの落葉を携えてな」

「落葉を!」


 老爺は控え直す。


「バードルとシャールの和平が為されようとしている。王族の聖域、キルリアスの墓所を魔獣に蹂躙汚染させるには、魔獣との戦いに慣れたシャールの手勢と知恵がもたらされるのは、チと困る」


 導師は「直裁はできぬ」とひとつ念を押しながら、「だからこそのお主らだ」と繋ぐ。


「して、我らができるのは殺戮と蹂躙でございますが」


 政治の話は余所でということは導師も心得ている。

 彼は視線ひとつで骨を黙らせると、「タリム=ハウトの首」と彼に。


「女王の――落葉の剣士は虫に」

「御意」


 多関節の老爺――虫は頷く。歓喜に満ちている。


「狐白の娘、夕闇は貴様ら母子に任せよう」

「御意」

「なに、豪猪なる遣い手も一緒に始末しろ。これでひとり一殺」


 導師はふぅと息をゆっくりと吐く。死の香りが満ちる。


「では往け。やり方は好きにしろ。巡礼の路に散り、己が術を馴染ませながら仕掛けろ」

「は」


 唱和。

 そして骨は「導師」と一声かける。


「路銀などはいかが致しましょう。道すがら村落を襲うのもよいのですが、やや手間が掛かりましょう」

「もっていけばいい」

「もっていく?」

「この郷はもう用がない。郷のを好きにしろ。命も金もな」


 郷を殺し尽くせという導師の言葉だった。

 使う者がいなければ、彼らのものだ。

 命も金も。

 滅ぼす集落はひとつでいい。


「私も少々、命を吸うとしよう。ひとりでは足りぬ」


 導師は彼らを促す。

 詳しい話を聞きながら、四人は郷へと歩き出す。鳴き砂の音、そして死の香り。

 この夜、漆傑衆の名もなき郷は消える。

 そして漆黒の魔獣が世に解き放たれることになった。


 

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