第15話『漆黒の魔獣 1』

 「漆傑衆と申したのか」


 気を失った息子を背負いながら夜道をゆく豪猪は、右手を歩くクライフにそう言うや、フムとひとつ唸り考え込む。

 かの間者たちが名乗ったその名前を伝えたところ、どうやら心当たりがある様子だった。


はあくまで仮の呼称、本来は畏れ多く口には出せぬが、国の要職にあらせられる御方おんかただ」


 息子を殺されかけてもなお、要職者への配慮を忘れぬ男だった。


「シャールとの交戦激しき時代は国の内外にあまねく目を光らせる役職を担う家柄であり、漆傑衆はそのお役目を果たすために手足となる小物たちの総称と聞いている。……ここしばらくは、国の内に向けた間者というのが正しいところだろう」

「その手下が、四人……いや、五人のみと?」

「いや、漆傑衆は随一の五人の総称だ。斬り果てたなら、違う五人が新たに成ろう」

「つまり、まだ居る……ということか」


 クライフの推測に豪猪は同意した。


「あくまで裏だが、それでも公職を助ける信に篤いものが選ばれる。しかし、漆傑衆に成れぬからといって未熟ばかりではない。その者らを山の民と呼ぶ」

「山の民」

「バードルの山野に潜みし秘密ので、その全容は闇よ。ただ、要職の者らはひそかに徴用し、子飼いの間者として用いること多しと聞き及んでいる」

「一族ら、ということは、漆傑衆を生む一族は、多くの山の民の中の一派にすぎぬということに?」

「おそらくは」


 と、豪猪は重く息を吐く。


「大公どのはすぐに事の露見に気が付き手を打つだろう。我ら親子ばかりか、殿下まで命が狙われるやもしれぬ」


 背負った息子の寝息を感じつつ、豪猪はクライフを見やる。


「ゆくのか、シャールへ」

「ええ。――そちらは?」


 問い返すクライフから、彼は夜空に目を向ける。


「息子をひとりにはしておけぬ。もはや剣で身を立てることもできぬだろう。いや、それは良い、立合いで負けたのだ、それは良い。なればこそ、生きるすべを見つけねばならん」

「傭兵に?」

「バードルでは危ういだろう。大公の目がある」


 ひとつ案があるが、そればかりは軽率に持ちかけることは憚られる。クライフはタリムが待つ社近くの宿へと彼らを促しつつ考える。


「ひとまず、私たちのもとに。今後のことを殿下と話しましょう。息子さんも手当をし、ベッドでゆっくり休ませてあげなければなりません」

「かたじけない」


 もともと泊まっていた宿は引き払っていた。その宿の小僧が果たし状を届けた、タリムらが泊まっている宿へ向かう道すがら、ふと豪猪は剣士の思案顔に「もしや」とあたりをつける。


「もと刺客の今後を慮るか」


 苦笑交じりの豪猪にクライフは「いや、そういうわけでは」と返しかけるも、「いや、そうかもしれないな」と頷き返す。これをお人好しとは豪猪は思わなかった。この剣士は守るためにあの死地へ乗り込み、戦い、息子を救った。そして今は、今後を見据えているだけなのだろう。

 豪猪の身の振り方ではなく、それに左右されるであろう彼の息子への思いの表れなのだ。


「ふふ、いやはや、しかしてお人好しといえるのかもしれぬか」


 斬るとなれば躊躇なく殺人を行える剣士であろうとも、常はこうなのかと、豪猪は考える。我が身は果たしてどうなのか、と。


「あの白い魔女に、何を見せられた」

「いや、見られたというのが正しいようだ。おそらく、深いところを」


 何を見たのか、タリムと夕闇は知っている様子だった。しかし何を見たのかは狐白しか知らないのは伺える。しかし漆傑衆のひとりを倒したことにより追及している暇がなくなったのを思い出す。


「何者なんだろうか、あの狐白という女性は」

「魔性の者、というわけではないだろうが、かなりあちら側であるのは見て取れる。古い一族と聞くが、生まれは東国やもしれぬな」

「シャールのさらに東の?」

「うむ。かの国は、未だ古き魔物との戦いが繰り広げられる魔窟と聞く」


 そこで彼は苦笑しながら「火龍国ほどの地獄ではないようだがな」と付け加える。


「冒険者という傭兵たちがことに当たる国と聞き及ぶけれど、そこまで魑魅魍魎魔獣魔物がひしめくものなのですか」

「そうか、外国のことは知らぬものだな」


 簡単に豪猪は答える。


「魔を生む北の火龍国、魔の澱む東国、そして魔が行き着くシャール。バードルは長く平和であったのだがな、魔獣が北を掠るようになった」


 此度の和平推進の発端となった出来事だという。


「諸行無常。いつまでも同じまま、元のままには留まれぬものだ」

「去就を考えていると?」

「そうとも取れるな」


 あっさり首肯する。

 クライフはそんな豪猪へ「強いですね」と素直に認めた。

 池に潜ったせいか、いまだ落葉に削られた額から血がにじんでいるが、その顔は強かにほころんでいる。一己の父親であり、剣士であり、男の顔だった。


「お、帰ってきおったか」

「なぜあなたがここにいるんだ」


 宿の二階から窓を開けて顔を出す狐白を見上げ、クライフは思わずそう漏らす。

 狐白といえばころころと笑いながら「万事うまくいった様子だな」と、己が部屋のように手招きをすると顔を引っ込める。代わりに現れたのはタリム=ハウトだった。


「とまあ、そういうわけだ。少し話そう、も、その子を連れて上がってきてくれまいか」

「かたじけない」


 頭を下げる豪猪に、タリムは窓枠にうなだれながら申し訳なさそうに続ける。


「大公の馬が襲われたそうだ。事態はややこしくなる様相、早めに対策を講じたい」


 寝耳に水だった。

 大公は見逃した――はずだった。

 クライフも、豪猪も、かの大公が逃走するのを阻止しなかった。あえて逃がした。しかし、それが襲われたとは狐白か夕闇の情報だろうか。


「要らん敵が増えるかもしれん。知恵と力を貸してほしい。この魔女と女傑では話にならんのだ」

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