第5話『蛇は二度翻る 1』
地続きであっても、民族と文化が異なれば違う国ということをクライフは肌で感じていた。言葉も通じる、貨幣も両替すれば問題ない、食事の風習こそ慣れるまでは出入り商人御用達の店でなんとかなるものの、気を遣う風習ばかりはさにあらず。
馬上の外国人というだけで目立つ上に、声をかけられること、止められて嫌疑をかけられることが多い。なにぶんシャール方面からの人間に対しては目そのものが厳しい。
「ここが橋の街」
それでも蜘蛛の巣を辿るように北上を続けることしばし、丘から大きな街を一望し、クライフは西の空に沈みゆく太陽を伺いながら、あと一踏ん張りとばかりに馬の腹に遠慮がちな鐙を入れる。
「夜は暗いが、治安は良い。そこにバードルの強さがあるのか」
先ほど差し掛かった宿場からこっち、たいした距離は進んでいない。徒歩なら半日区切りで宿舎や宿場が用意されている。その半分の数だけの馬場もあれば、人間目当ての盛り場も多い。
いったいどれほどの労力を国造りに費やしてきたのか伺い知ることもできない。還していえば、魔獣魔物の侵攻からこうも外れるだけで国内の情勢はがらりと変わるのだろう。壁も塀もない村落の多さがそれを如実に物語っているかのようだった。
「鑑札、拝見。鑑札、拝見。どう、どう」
四人一組の門兵が南の入り口前でクライフを止める。みないずれもバードルの兵士で、着込みの上に兵士の制服を着ている。鎧姿ではないのには最初こそ驚いたが、この国の流儀なのだろう。
未だ入り口まで数十メートルはあるが、橋を越えたこの広場にはまだまだたくさんの門兵がひしめいており、もっとたくさんの人間の足止めと鑑札の確認に忙しい。
馬の脚を緩め下馬すると、クライフはワタリから持たされた鑑札を提示しつつ、大きく息をつく。やっと、ここまでたどり着いた。
「傭兵のようだが、仕事か」
鑑札を返されながら訪ねられることは、ここにきてずっと変わらない。「魔物の影におびえる雇い主に請われて道中共にするため」との名目に嘘はない。
「腰の物は抜くなよ。何か事あれば、外国人は不利になるからな」
「肝に銘じておきます」
クライフは騎乗せずにそのまま馬を曳き、南の門をくぐる。外壁こそ低いが、大河の支流をいくつも跨ぐように作られた街だけあって、足下から立ち上るような活気はひどく懐かしさを感じるものがあった。
ガランと似た空気だ。
内陸から流れてくる大河、そして支流は、流通を支える要因だろう。聞けば多くの商会が川沿いの一等地を支配し、利権闘争に明け暮れている。上流であれば上流であるほど力関係は強く、文字通り上流商族ともなると配下末席に至るまでその構成員は数知れずという。
「人がいる限り、どこもかしこも商売とは無縁でいられないらしい」
苦笑交じりに仕切り直すようクライフはワタリの言葉を思い出す。『合歓の樹木より、ただ一葉』という、その文言。落ち合う宿は、執務殿がある小高い丘の手前。
急ぐかと、クライフは騎乗する。ここまで来れば道も広いし、往来の邪魔とはなるまい。
鞍上の人になると、そこかしこから視線が注がれるのを感じる。もう慣れたのだが、この国では騎乗することが認められているのは帯刀を許された戦士の一族のみらしい。外国人の自分が許されているのは、あくまでもお目こぼしに近い、相手の職業を慮っての配慮だった。クライフは傭兵然とした姿と鑑札の所持故に許されているようなものだ。それを知らぬ一般の者は、珍しそうに彼を見上げるのもそのあたりが理由となる。
「……目立つのも仕事のうちとは、誰の言葉だったかな」
さて、とクライフは軽く鐙を入れると、だく足で街を往く。日はすっかり落ち、途中で馬を一回休ませてから目的の宿に着いたときは晩飯時になっていた。
賑わう店内を伺いながら、裏手の厩舎に回って馬を留め休ませる。中には数頭の馬がいるが、どれも荷馬。聞いていた武家用の馬は留まっていなかった。
「ごめんください」
酒場の扉をくぐると、食堂とは別に誂えてある宿のカウンターへと寄ると、壮年の男がクライフをちらりと伺い、「聞いてるよ」と鍵を用意する。ワタリのひとりだろう。
「一晩泊まることになるだろうが、いつ出てもいい。料金はもらっている」
「もらっている?」
不要ではなく、支払い済みという。
「相手はもう来てるよ。いまは、今夜やることがあるとのことで川向こうの小山に出かけてるよ」
「そこには何が?」
「霊廟――。でっかい墓というか、そういったもんがあるよ。旅の前に挨拶するのが武家の習わしだそうだ。小山一個が聖域だから、宮司をのぞけば誰もいない寂しいところさ。こんな夜更けに提灯ひとつで四半刻もご報告たァ、ぞっとしねえもんさ」
「……馬で?」
「ああ、ふたりで
「ふたり。……対象はひとりでは」
「おつきのじいさんだよ」
クライフは「そうでしたか」と、鍵を手にしばし考える。
「なんだ、あんたも行くのかい? やめとけって、部外者は立ち入り禁止だ。バチがあたるってもんだぜ」
「……皆、そう考えますか」
「ん? ああ、まあなあ」
鍵の柄が、くるりと返される。
「詳しい場所を。入り口までならば問題ありますまい」
***
気ばかりが焦っている。
それは自覚していた。いち早く、護衛対象の無事を確認したい。そこまでかき立てられたのは、果たして何が原因だったのだろうか。今はもう考えてはいなかった。
気がつけば馬を飛ばしていた。
小山の霊廟の前に灯りが見えたとき、クライフは老人がギョっと自分を見返して立ち上がるのを見た。馬の速度を緩めながら降りると、素早く確認する。
馬の数はふたつ。
「合歓の樹木より、ただ一葉。――殿下は」
静かだが鋭い問いに、老人――ゴードンは「う、うむ……」と頷きつつ、社の階段の先へと視線を促した。
「ご無礼仕る」
いうや、クライフは手綱を預けるとゴードンの制止を聞かずに脛を飛ばして石段を駆け上がっていく。鎧の音はごく静か。滑るような繊細さで上がっていく。
周囲は夜闇。
月の明かりもごく僅か。
――いるな。
クライフは歩調を緩める。だが確実に急ぎ足で登りゆく。
山林険しくなる拝殿の奥へと踏み込んだとき、肌にひりつく闘争の気配に息をのむ。声が聞こえたようにも思えた。
静かに体制を整え、自然体のまま、己が気配を隠すことなく、クライフは石段をひとつ踏みしめる。
その動きに、ふたつないしみっつの気配に波が立つのを感じた。
一歩一歩、踏みしめるように階段を上がる。
篝火の明るさと、濃密な香の香りがふわりと。
ひりつく殺気に対して、クライフは己が剣気を叩きつける。
息を抑え叩きつけられる
そこには三人の姿。
ひとりは少年。
ふたりは刺客。
手練れをふたり闘争を忘れさせるほど、おのれに注意を引きつけるほどの剣気を叩きつけながら、クライフは「やはりな」と頷き、少年に静かに視線を向ける。
「――タリム=ハウト殿下でしょうか」
月光に揺れる金の髪。そして意志の強そうな引き締められた眉と、切れ長の目。真一文字の口は今し方投げかけた問いの答を知っている様子だった。
闇夜に浮かぶ黒き鎧。
鋼のような印象の、若い剣士。
その腰には一振りの剣。
「貴様」
「何者」
暗殺者が、各々、問う。この男は石段を滑るように登ってきた。武器を抜いてはいないが、一挙同で間合いを詰めるほどの猛者であろう。負けるとは思えぬが、そこで彼らは思い出した。「ああ、殺す相手はこれで三人になったのだな」と。
しかし石段を登り終え現われた剣士は、暗殺者の二人を間合いに入れたまま、しかし彼らを見ていないような面持ちのまま、タリムをじっと見つめている。
タリムは、微かに頷いた。
それを確認し、剣士はゆっくりと息を吐き脱力する。
脱力とは、彼にとっては闘争に備えたことを意味する。
「クライフ――クライフ=バンディエール」
クライフは名乗り、やや左胸を前に向ける。
鎧のその胸には、月の銀に光る落ち葉。
「お相手仕る」
鞘に左手、柔らかく開かれた右掌をだらりと臍の前。
暗殺者たちは悟った。
まずこの者を殺さねばなるまいと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます