第4話『ふたりの刺客 結』

 ひと仕事のあとだった。

 報酬の金貨を受け取ったとき、その量の多さに夕闇はふと小首をかしげる。カウンター越しにそれを寄越したケチな親父は彼女の疑問の視線を受けると、あごで裏手の階段へと促した。


「帰ってきたばかりなのよ?」


 しっかりと革袋を腰のポーチにしまいながら、夕闇は厄介ごとの気配を感じつつも片手をあげて奥へと足を向ける。


「顔がにやけてるぞ」

「あらそう? 気のせいじゃないかしら」


 彼女がこの階段を上がるとき、決まって仕事が与えられる。商隊の護衛という、表の固い仕事ではない。彼女が本来請け負う、彼女だけが行える仕事の話だ。

 彼女は紫煙の香りを感じる木戸をノックする。


「どうぞ」


 夕闇のノックに応えるその声は女のものだった。まだ若い、少女のような声音。「ああ、こいつか」と夕闇は腰の重みの理由を察した。


「入るわよ」

「どうぞ」


 もう一度応える女の声に夕闇はドアを開ける。

 広い部屋だったが、ひどく手狭に感じるのは積み上げられた本が甚大な量だったからだ。いつもながら、よく底が抜けないものだと感心する。


「何か飲む? いいお酒があるのだけれど。あなたのお口に合うものかどうか」


 そういって夕闇に着席を促すのは、白磁のような色の綺麗に抜けた長髪の乙女だった。肌も白い。目は赤く、これまた赤い唇を恐らく笑みの形にゆがめる。

 歳は十五かそこらに伺えるが、実年齢を知る夕闇は騙されない。


「頂くわ」

「――かけて頂戴、いま用意するわ」


 彼女は立ち、夕闇は対面に座る。

 酒瓶はすぐに卓に置かれた。澄んだ色の、水のような酒だった。


「見た目よりもきついから、呷るように飲んだら駄目よ?」

「あんたといっしょだな。……親方、あなた自らお出迎えなんて」

「有望株への労いも大事な仕事よ。ふふ、まあ、一献」

「手酌でいいわよ」


 そうはいかなかった。

 互いの杯に注ぎあい、軽く掲げて口を付ける。

 喉を焼くその甘みと辛さに夕闇は「上物ね」とひとつ頷く。


「ええ、上物」


 応える白き乙女は首肯する。掻き上げる髪の間から耳の先がちらりと流れ出る。――。ツンと張るような、針葉のように切れ長の耳だ。白磁の肌が、酒精に促されるように赤みを増す。 


「ハウト侯爵の子息が殺されたのはご存じかしら」

「次男でしょう? 知ってるわ。楽団の仕業よ」

「知ってたの?」


 当然よと、彼女は杯を傾ける。

 ひどく馴染む味だった。酒も、話も。


「死んだ人間の話をする間柄でもないでしょ。あなたと、私。バードル商取引委員会元締めと、端役の護衛」

「あらやだ。母親と、娘……とはいってくれないのね」

「どっちが娘に見られることやら」


 夕闇は肩をすくめる。

 親方――バードル商取引委員会元締である白磁の乙女の名は、狐白こはく。見ため十五の乙女、その実、二十代半ばの夕闇を産んだ歴とした大人だ。魔性の者と恐れられている一方、古の一族の末裔と噂される、バードル最古老の内のひとり。

 日の光に肌が弱いとされ、彼女は人前に出ることはほぼない。彼女はいつも日陰から、裏から、闇から、妄執のために金を右から左に転がしては増やしていく。


「誰を始末するの?」


 母親の妄執のために剣を振るうのが、夕闇の役目だった。

 だが、それも事の初め。

 いまは金のために請け負っている。


「侯爵三男、タリム=ハウト」

「十五の子供よ?」


 命に情けをかけたわけではない。十五の子供を殺すのに夕闇じぶんを使うのかという気の抜けた返しだ。


「殺すだけならわけはないわ。でもね、『一派』が動いてるとなれば、手練れが邪魔をするでしょうよ」

「一派? ……タリム=ハウトの命が欲しいなら、ただ彼の命が消えるのが望みなら、ほっとけばいいじゃない」


 と、ここまでは彼女もいわずとも分かる。あえて口に出すのは、考えをそれでまとめるためだ。

 狐白は杯を呷って、ふふと笑う。その白い指先が夕闇の唇に伸ばされる。彼女はそれを拒まずに、触れられるがまま。笑みの形になるよう、狐白は下弦の月をなぞるように夕闇のそれを撫で、口の端を少し愛撫するように撫で、離す。

 愛情を感じる、母の指。

 しかし彼女が告げるのは冷たい一言だった。


「首が欲しいのよ。死んだのが、タリム=ハウトと知られないように」

「顔を焼くのではなく? 刻むのでもなく? ……首を、持ってこいと仰るのね」

「ええ。骨が残れば気付く者もいるでしょう。刻んだだけではなおさら。砕いて焼いて埋める時間がないかもしれない。それにね、生首は使い道がいくらでもあるのよ」


 夕闇のうなじに、ぞくりとした寒気が走る。

 この古の血族の末裔は、魔術を使うと噂されている。狐白の持つ白磁の美貌と長寿、その耳、特異な外見がそんな噂を口の端に上らせているのは知っているが、実の娘である夕闇自身、その噂が噂に留まらぬものであることを肌で感じている。

 シャールの魔法は、シャールの魔術の範囲。

 他方面の魔法というものが存在することを狐白は知っていたし、夕闇も感じていた。この狐白ならば、やるだろう。


「魔女――か」

「あら、母親に向かって魔女はないでしょう」

「あなたの娘であることを幸福に思うわ。少なくとも、敵として出会わなかったことを喜びましょう」

「そう」


 やや、寂しそうな笑み。


「じゃあ、首。お願いできるかしら」

「わかったわ。……でも、ひとついいかしら」

「いくらでもきいて」


 夕闇は杯を干しながら、ため息交じりに訊く。


「裁量は?」

「すべて任せるわ」

「邪魔者は?」

「流儀に則って処理しなさい」

「首の保管は?」

「腐っててもいいわ。首であった肉塊でもかまわない」


 ああ、そういうことか。

 納得した。


「さいごにひとつ」

「なあに?」

「楽団がからんできたら?」

「……重ねていうけれど、流儀に則って処理しなさい」


 夕闇はそのとき初めて笑みを漏らす。

 ああ、そういうことか。

 納得した。


「橋の街、墓所に出立の報告をしにいくでしょう。そこを狙いなさい」

「……同じことを一派も考えるのでは?」

「流儀に則って処理しなさい」

「ふふ、でしょうね」


 そこではじめて、狐白はス――と眉を引き締める。

 かつてない緊張に、夕闇はハタと目を見張る。


「ただ、ハウト側にシャールから護衛が向かったとの情報が」

「護衛?」

「ええ、だだ一人いちにん


 それだけではこの白磁の魔女は揺るぐまい。

 狐白はひとつ、酒瓶の横に亀裂の入った平たい黒鉄の円い板を置く。飛び立つ鶴の文様をあしらった透かしを持つそれを、夕闇は摘まみ上げる。


「これは、剣の――鐔? しかし、だいぶ古い」

「ちょっとした因縁があってね」


 初耳だった。

 母は自分の過去をあまり語らない。


「もし、あなたでさえ恐ろしいと思える片目の老人が現われたら、総てを投げ打ってでも逃げなさい。彼は片刃の剣を持っているはずよ」

「老人? あら、知り合いかしら」

「古い知り合いよ。まだ私がただのちんけな魔女だったときに、ちょっとね。友人ではないが敵でもない。ただ、因縁があるの」


 そっと彼女は右目を撫でる。


「いい? あなたなら直感で分かるはず。『ああ、この男は斬らねばならない』と思ったら、『ああ、いまなら殺せる』と思ったら、それは総て誘い。乗ったら、踏み込んだ瞬間に――」


 夕闇は息をのむ。


「ま、彼が出てくる可能性は、ほぼないけどね」

「ないの?」

「シャールに帰ってきてるはずもなく。剣は捨てられないでしょうから、きっと隠遁してるでしょうからね」


 狐白の呟き。

 しかし、いまこの鶴の鍔を出してきたということは、彼女自身何かを感じたのだろう。予感めいたものを。


「タリム=ハウトの首ね。確かに引き受けたわ」


 夕闇はその脚で、橋の街へ向かうと決めていた。

 誰が出ようと、任務はこなす。

 金のために。

 母のために。

 そんな母の因縁と対峙するまで、彼女は知らなかった。その因縁もまた、剣士の姿を取って現われていたことを。




 そして物語はあの夜へと繋がっていく。

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