第37話『獅子の瞳 3』
獅子王子の執務室は整然と散らかっていた。まるで倉庫の中にいるような気がするが、積まれたものの数々はそれでもシズカの腰までの高さまでの山々である。促されたソファに腰掛けると自分が首だけ出しているかのように錯覚する。
「わざわざエレアの部下である貴殿たちに来てもらったのは、つまりはそういう理由からだ」
一通りの事情を語り終えたゴルドは、自分の机で積まれた山々の決済を通しながら、シズカにちらりと視線を向ける。彼女は山々の間から首だけ覗くような格好で聞いていたが、視線を向けられて、話を聞き始めてから初めてゴルドに視線を向ける。
「結局のところ、鉄山士、銀嶺士、諸々の暗殺が計画されているのではなく、ただひとり、バードルの若き使者の命を守るためだったと」
「そうなのだ。この仕事も長いと、バードルにも思うところは多くなる。いいかげん、憂いはなくしておきたい。と、そこにきてのこの騒ぎだ。幸いなことに君ら近衛の話を聞き及んでいたので、こうして助力を請うたわけだ」
「よろしかったのですか?」
「……シグリスのところにいる『里の者』の話は、当然耳にしている。が、正直、弟に助力を請うのは嫌だったのでな。そんなことを言っている場合ではないのは承知だが、嫌だったのだ」
手を止めずに吐露する彼の正直な感情に、シズカは「そういうものですか」と頷くにとどめる。
「気を悪くしないで欲しいのだが、里の者を招聘したりするのは構わないが、伝統と実績のある帝国の仕組みを大幅に組み替えての体制改革までは許せんのだ」
「能力さえあれば、民間一般の者でも領地の運営に携わることができるとの話ですが」
そのおかげで、第二王子シグリスの街であるザンジヤードに里の者が重鎮、側近騎士のひとりとして招聘された。里にとっては喜ばしいことだったのだろうが、この古式縁を強固に守り育てるゴルドからすれば、比較的魔獣魔物の侵攻も緩い第二王子領の特性にあぐらを掻いた、ぬるま湯で危険な改革に見えて仕方がなかったのだろう。
「国として、安易に構えを変えるとするならば、幹が揺れる。隙ができる。咄嗟に動くと見切られやすい。良いことはないよ」
だからこそ、自分はかたくなに今を守らねばならない。その決意が伺える言葉だった。
父である皇帝からの許しを得た試験的な改革であれ、最前線のゴルドが従う道理はなかった。だからこその領地であり、各々の領主は国の、領土の運営を任されているのだ。
「そんなこんなで、シグリスが体制改革などと言うものを推進しているのも相まって、国外の憂いは少しでもなくしておきたい。というのが、話の発端でもある」
「停戦の条約ですか」
「和平までこじつけたいところだ。そのための使者がくる。ふたり目だ。最初の者は、中立地帯で殺されたよ」
そこで彼は手を止める。一段落付けたのだろう。
「楽団の者がからんでいるとか」
彼女の問いかけに、寛ぐように腰掛け直した彼は「おそらくな」とため息交じりに肩を回す。
「古来より、暗殺を十全に防ぐ手段はない。少しでも防ごうとするなら、討って出る方が望みはある。――起こす気にさせない、起こそうとしてるのを見つけて潰す、いろいろあるが」
「その手の者には、その手の者。暗殺者という技能者たちには、里の者を当てるのが良い、ということですね」
「有り体に言えばな。期待してる」
「もうひとりと分けてお話を伺うのは?」
「鼻の近衛には、部下が手がかりを見せている。邪魔をする不純物は少ない方がよろしかろうよ。その間、こちらは事情を語る。擦り合わせはのちに行う」
「なるほど」
頷く彼女が納得を見せたとき、やっとゴルドは背筋を伸ばすように立ち上がると、シズカの前のソファに移る。大きく腰を沈めるようにもたれ座るが、どう見ても肉食獣が寝床で寛いでいるようにしか見えない。
「――次に来る使者は、十四歳らしい」
しばし後に、そうぽつりと呟いたゴルドに、耳を疑いそうになる。
「十四ですか」
エレアと同じ年頃。エレアが特別であるのは考慮に入れるが、それでも国の趨勢を左右するには若い人材だろう。本国でならともかく、敵地であるシャールに送り込まれる使者、それも密使の類いという大任なれば、相応の者が任せられるはずである。
彼の口ぶりからすると、必ずしもそうであることはなさそうだ。
「何を考えているか分からないという言葉は、吐かんよ。きっと何か考えがあって動いているか、動かされているかだ。浅い深いはべつにしてな。そこでこちらが自国のいいように話を持って行くのが正しいかどうかは、私たちが考えるべき問題だ。……ただ、何をどうすればいいのか話し合える状況まで持って行けるようにして欲しい。今回の依頼は、そういうことなのだ」
「アカネが手がかりから当時の状況を把握するとして、まずは犯人の特徴を知るところから始めると?」
「そうだな。同じ者がまたくるとは思えぬが、駒自体は潰しておかねば。手練れは少しでも排除しておかねばなるまい」
「殿下」
そこでシズカは、コホンと咳払い。
身を乗り出すようにしたゴルドに静かに告げる。
「おそらくその暗殺犯ですが、私どもと一緒に来た少女でしょう」
間があった。
ゴルドは報告を聞いている。
シズカとアカネのふたりの近衛を招き、その部下として傭兵がひとり。三人の世話をする下女として、少女がひとり同行していると。その宿泊先は離宮を指定してあるのもだ。
「……エレアが噛んでいるのか?」
どういうことだ、とは聞かない。楽団の秘密がそこにあり、突破口にしろという示唆であると理解したからだ。
「感謝して欲しいと仰っていました」
「変わっておらんなあ、わが妹君は」
聡く、賢く、そしてまだ子供だ。
そう、あれもまだ十四、五の子供なのだ。
「楽団の……車輪の者たちについてこちらから報告を致します」
そこで彼女は知りうる情報をあらかた獅子王子へと伝える。
真顔に戻った獅子王子からは、疲れの気配が抜けている。
「目的が見えんな。いや、停戦、休戦の阻止は分かるが……」
「とある銀嶺士の一件もありますが」
と、シズカは軽くアイルストン=ベルクファスト銀嶺士、エレアの伯父にあたる男を匂わせる。
「ベルク……ファスト。彼のことか」
ゴルドは頷いた。すべてを飲み込んだ頷きだった。
未だ彼は、宝玉事件のあらましをまとめてはいない。詳しいことはエレアに聞けと、事件を解決した傭兵にいわれたと報告を受けて以来、なんとなく後回しにしてきていたせいもある。
「――君らの部下という傭兵とは?」
「あら、そちらに興味が移りましたか? そうですよ」
ゴルドは膝を打った。
そうか、共に来たのは宝玉事件の傭兵だったのか。
肝の据わった物言いをした傭兵だと伺えるが、獅子の瞳に来ているなら礼をせねばならん。彼はそう考えた。
「ともあれだ」
獅子王子はにやりと笑った。
「バードルの準備が整えば動くこともできるが、それまでしばし時間がある」
「傭兵を接待しようと?」
「君の部下を少し借りたいが、どうかね」
これはまた、予期せぬ面倒ごとが……とシズカは思ったが、ともあれ文官の長であるダラン共々、近衛と王子交えた会合の他に、あの剣士を巻き込んでおくのも悪くはないと考えた。
そういう意味では、この申し出はまたとないものだ。とは、顔には出さない。
「断る理由はありません。どうぞ、好きに使ってあげてください」
シズカはそのとき、微笑んだ。
ああ、裏のある笑顔だなとゴルドは思ったが、それを顔に出さないのは彼の番だった。
「では、適任者を迎えにやらせよう。……下働きの少女については、こちらでも監視を付ける。いいかね?」
「存分に」
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