第23話『光の小鳥』


 宝玉奪わる。

 その一報が飛び込んできたとき、エレアはまだシーツを取り替えたベッドの上だった。失礼しますと声をかけて駆け込んできたベイスを、エレアの着替えを済ませたばかりのコティが迎え、魔女セイリスの蘇生と、詰め所のひとつが壊滅し六人の死者が出たこと、そして第一王子配下の浸着装甲の遣い手であるアリッサと文官ダランがセイリスに襲われ気を失うも、三つの宝玉のうちふたつは通りすがりの傭兵『鈍色のマルク』により守られたことを簡単に説明する。


「追っ手は放っておりますが、魔女の行方は未だ」


 ベイスは鼻息荒く体中の筋肉を緊張させ、それでも婦女子、それも目上の長官と姫殿下に向けるには憚りのある、闘志に満ちた眼はギンと天井に向けられている。


「……魔女か」

「姫さま、まだ起きては」


 コティの制止に「よい」と微笑み、手を貸して貰いながらも、顔だけをベイスに向けるように寝返りをうつ。エレアは真っ赤に憤怒したベイスの姿に「ふふ」と笑う。その力のない吐息のようなか細い呼気に、ベイスがハっとして表情を改めて視線をエレアにと戻す。

 彼もよく知る、疲弊しきった姫の姿であった。

 その肉体からありとあらゆる力をむしり取られた、しかし気丈な姫の姿であった。


「にび……いろの――」


 言葉を口にするだけでも相当の苦労なのはベイスもコティも知るところであり、その呟きからなお魔女を退けた傭兵への気遣いも伺え、巨漢はヒンと鼻を鳴らすと湧きこぼれそうになる涙を必死に堪えるために再び天井を睨み付ける。


「鈍色のマルクからは事情を伺うために、配下の者が数名付いております。街中での立ち回りについては、お咎めは――なしで、よろしゅうございますな」


 ベイスはエレアがかすかに頷いているであろうことを天井を睨み付けたまま信じると、ズビと鼻を鳴らし向き直る。


「まだ街を出てはいないと思われますが、逃走のときに見せた身体能力を鑑みるに、されど追いつけるかどうか。姫、自分も捜索に戻ります。まずは、宝玉の奪還を。あれは、人の手に渡るべきものではありません。――では」


 一礼し踵を返すベイスを見送り、コティもひとつ息をつく。


「よもや、宝玉が狙いだとは」

「金の卵を産ませてこそ、価値があるか。なるほどな」


 言葉にもならないような吐息の流れに、コティは頷く。付き合いの長い彼女は、エレアが何を言っているのかがよく分かるのだ。


「クライフは?」

「ベイスと入れ替わりに、アリスに連れられて出ました。今はもう、襲撃のあった大通りに着いているでしょう」

「そうか」


 魔女の遂げた復活は、蘇生というほど生易しい物ではないだろう。食屍鬼の話もある。それに、文字通りの化け物と成り果てた魔女を斃すには、おそらくクライフの剣『落葉』が要る。エレアが赴くことができるならまだ戦いようもあるのだろうが、体内から力という力が抜けきった今の状態ではそれもままならないだろう。


「魔剣の類いがあれば、下賜もできるのだけどね」

「無い物ねだりです。古代王国時代の逸品も出回ってはいますが、すべてが前線に送られております。今もなお、名うての傭兵でも入手は困難です」

「値も張るしな。我が身が恨めしい」


 自力で体も動かせぬ有様にも、慣れた。麻痺にも似た脱力で、満足に動けるようになるには数日かかる。それまではコティは長官としてではなく、側御用としてつきっきりの生活になる。

 エレアは身じろぐ。かすかに揺れる前髪が流れると、ひとつ息を吐く。


「だからこそ、兄上たちは浸着装甲を作り出した。魔を討てる剣を。強靱な騎士を。だがそれも、摩耗していく。心が。命が。あの騎士たちも、長くは生きられまい」


 シャールの業。

 エレアは意を決する。


「コティ」

「はい、姫さま」


 その言葉だけで、コティには彼女が何をするのかが分かった。

 この幽閉に似た境遇である姫も、獄鎖に絡められた姫も、しかしただでは起きない強さを持っている。それをよく知っているからだ。

 まずは水。

 そして新しい宝玉の装填。

 やることはいっぱいあるのだ。






 騒然としていた。

 クライフはアリステラの案内で駆けつけたそこに、壁に背を預け座り込む二人を見つける。未だに意識は取り戻してはいないが、あの護衛のひとりである少女と、文官の男だった。


「あっちがアリッサ、むこうがダランよ」


 耳打ちするアリスは、クライフが頷くや通り向こうへと駆け出す。彼女と入れ替わりにやってくるのは、三つの担架だ。布が駆けられているが、その中には運ぶ衛士と同じ装備をした死体があるのだろう。それは、そばにある潰された三つの肉塊――鎧ごと圧縮された衛士の死体の側へと並べられる。


「なんだ、これは」


 折れた長剣の刃は丸まるようにめくれている。血糊を伺うと、この長剣で三人の衛士は鎧もろとも頭蓋を粉砕する圧倒的な力で叩き潰されたのであろうことが分かる。長剣の持ち主は、アリッサの腰にある空の鞘でそれとわかるが、奇妙な破れ方をした制服と何故に彼女らが気を失ったのかは分からない。

 魔道の力。

 だがしかし、浸着装甲とはそれに対抗するために作られた物ではなかったのか。

 クライフはひとつ唸ると、アリッサの元にかがみ込む。

 うつむくように項垂れたその顔を伺う。

 若い。幼さが残るその顔立ちには、苦悶の色すら窺えない。そのままストンと寝たかのような、穏やかな物だった。制服の、切れ目。


「刃物で斬られたなら、致命傷となる場所か」


 大動脈。太い血の管が流れる場所だった。そこが深く斬られている。視線は下に向けないが、注意深く腕や脇を見ると、傷はない。それどころか、その切り口を伺うと繊維は内から外に向かっている。刃が引っかかるように流れたようには見えない。


「どういうことだ?」


 そのとなりのダランに目を移す。

 こちらは転じて、苦しそうな表情のまま項垂れている。

 クライフの胸に、ちくりとした痛みが走る。このダランという文官がエレアにしたことを思い出さざるを得ないからだ。いたいけな少女を組み伏せ拘束し、骨肉を引き裂くように宝玉をむしり取ったのだ。

 必要なことだったとは言え、さも心を殺して作業に徹していたとはいえ、わだかまる何かが腹に溜まる。

 宝玉を収めた箱は今はウラルが確保しており、衛士たちを率いて守りを固めるため詰め所のひとつへと向かっている。「目が覚めたら文句を言われるかもしれんが、不覚を取ったこいつらが悪い。起きたら取りに来させろ。なんなら護衛もやってやるとな」とはウラルの言だが、裏表を見せぬ彼の言であることを鑑みても、言うほど嫌味は籠もっていなかったように思える。

 ダランには目立つ怪我も衣服の損傷もなかった。

 双方息はしている様子であり、ひとまず立ち上がって再び唸る。

 そこに声がかけられる。


「よぉ、確かクライフだったな」

鈍色にびいろのマルク――! ここで活躍したと聞いていましたが」


 彼は鉄棍で鎧の肩辺りをゴンゴンと叩きながら笑うと、アリッサを見下ろしながら「ふうむ」と唸る。


「活躍ねえ。まあ、先日の借りを返すために、魔女の動向をうかがっていたんだが、案の定、一筋縄じゃいかん状況になりやがった」

「聞かせてもらえますか?」

「ああ、いいぜ。さっきも散々聞かれたんだがな。お前にも話しておこう」


 マルクは顎で潰れた三人を指し示す。


「あの魔女が額に矢を受け死んだのが昨日。そして検分のために運ばれたのが、あの六人が詰める職人街手前の詰め所だ。あそこは死体の安置ができるからな。で、俺はこのまま終わらぬだろうと、今日すこし詰め所の中を覗いてみたんだ。そうしたら、あの――」


 と、担架から下ろされた三つの死体を見る。


「あの三人が、首を半分食いちぎられ、血を啜られた姿で倒れてるのを見つけてな。魔女の所業よ。屍人となって蘇ったばかりで、腹が空いていたんだろう。真っ先に襲われた三人は根こそぎ喰われ、残った三人はそこそこ喰われて食屍鬼に変えられた」

「食屍鬼?」

「ああ。命を失った体にがたまると、命を求めてさまよう怪物に成り果てる。生きていた頃の人格も喪った、ただただ生きている物を襲うバケモノさ。戦場で、たまに傭兵の死体が食屍鬼になったのを見かける」


 そこでマルクは話を戻すぞと仕切り直す。


「追ったよ。何かやると思ってたからな。魔女は認識を乱す。っていうから、用意してたこれを使った」


 と、マルクは兜の面を上げる。その目元に張ってある異風な呪符に目が行く。


「腹が満たされた魔女が認識を阻害しながらこっそり動いているのは察しが付いた。この札は、見えないものを見るためのものなんだ。意図的に認識阻害を叩きつけられたらあぶないが、薄く振りまいてるもんなら問題ねえ。しかも、振りまいてる物が逆によく見える。ニオイを辿ってきたら、ここに着いた」


 便利な物があるんだなと頷くが、マルクの四角い顔がくしゃりと歪む。


「あっという間だった。浸着装甲を纏ったあの娘が、瞬く間に――」


 言葉は視線が受け継いだ。

 叩き潰されたような死体は、やはり叩き潰されたのだ。


「魔女を斃そうとした娘だったが、糸が切れた人形のようにあのザマだ。浸着装甲を身に纏った物を昏倒させる何かしらの業。これがひとつの謎」


 指をひとつ折り数える。


「で、そのオッサンの持ってた石を奪おうとしてた魔女を俺が殺したんだが、頭吹き飛ばされたにも関わらず、隙を突いて石の一個を持って逃げた。これがもうひとつの謎」

「頭を吹き飛ばしても生き返った?」

「ほら、あそこだ。お前んとこのちっちゃいのが回収してるあれだ。っか~、よくあんなもん拾えるよなあ」


 アリステラが壁に半ばへばりついたままずり落ちた魔女セイリスの頭部を、慎重に剥がして、石畳に広げた布の上に置いている。


「ともあれ、礼を言わねばならないでしょう。鈍色のマルク」


 クライフは騎士の礼に則り、姿勢を正し頭を下げる。生まれた国の倣いだが、マルクには通じたのか背中がくすぐったそうに身もだえをしている。


「やめてくれ。かしこまった口じゃなくてもいい。俺は意趣返しをしただけだ。なんも気にするな。それに、一個は持って行かれちまったからな」

「それでも、ひとつで済んだ」


 あの、少女が文字通り身を切るように生み出した、国のため万民のため役立てんと生み出した、あの宝玉を。取り戻さねばならない。なんとしても。奪い去り、捨て去るだけが目的ではないだろう。必ずあの力の源は、悪用するために持ち去られたのだ。


「足取りも何も、北に消えたからな。屋根までひとっ飛び。ありゃ、肉体の限界を使ってるな。屍人にはお似合いだ。ま、長くは保つまい。引き離されたが、追いつけないわけではないだろう。ただ、どこに向かったか、だ」

「それが分かればな。さて、どうするか……」


 腕を組み唸るクライフだが、それを見ていたマルクがふと視界の端に光る物を見つけて顔を上げる。


「なんだありゃあ」


 彼は一直線に南から飛んでくるものに目を留める。つられてクライフも、顔を上げる。それは、光る小鳥のような物体だった。


「あれは……」


 思い出す前に、その小鳥はスー……っと空から滑るように彼らの前を滑空すると、アリステラの元へと――あろうことか魔女の頭蓋の上にチョコンと留まる。


「クライフ」


 と、アリステラは彼を呼ぶ。

 クライフはマルクと顔を見合わせるが、二人揃って彼女の元へ、魔女の頭蓋の元へと足を向ける。

 チチチ……と、小鳥は小さく鳴いている。場所が場所ならば可愛い仕草だが、それが留まっているのは魔女の頭蓋、それも鼻から上、目玉も吹き飛び潰れた何かの上である。かすかな腐臭をまとうが、虫の類いも寄らぬ禍々しさに満ちた気配に、腰の落葉がピシリと震えたような気がした。


「なんじゃあ、この鳥は」

「なんでアンタが来るのよ」


 アリステラが顰めっ面でマルクを見上げるが、向けられたほうは気にした様子もない。


「アリス、この鳥は?」

「あんたたちねえ。ま、いいわ。この鳥は、エレア殿下の小鳥よ」


 途端に「殿下の!」とマルクは面を戻して姿勢を正し、「これはご無礼」と、のぞき込むような距離から一歩下がる。


「いま、この魔女の脳から情報を引き出してる最中よ。ほんと僥倖もうけもの。誰かさんが吹き飛ばしてくれたおかげね」

「横っ面じゃなく、首を狙ってよかったってことか」


 マルクも頷く。


「あのネズミも、この小鳥のおかげで情報が引き出せた。獣の脳みそからは人の残滓はさすがに読み取りきれなかったらしいけれど、今回は人の脳みそ。情報の塊。いかに屍人と成り果てたとは言え、その呪縛からは逃げられないわ」


 チチチと、小鳥が鳴く。

 茫洋と輝く小鳥の体から、燐光のような温かい光が暗く淀んだ頭蓋に吸い込まれていく。ピシリと空気が鳴るような鋭い気配が、二度、三度。

 チと、短く強く小鳥は鳴く。すると軽く羽ばたき、ちょんと、クライフの肩に留まる。


「――聞こえますか、クライフ」


 エレアの声だった。耳ではなく、小鳥の脚から己が肩を通じ、染みこむように聞こえてくる不思議な声だった。


「魔女の名は、セイリス。『奏者そうしゃ』という何か巨大なモノに隷属する魔術師で、宝玉の奪取が目的だったようです。頭を失い、宝珠もひとつのみ奪うにとどまり、今は肉体に残ったかすかな記憶の元『目的の場所』へと向かっていることでしょう」

「目的の場所――」


 クライフは問う。


「その場所とは」


 エレアの声が告げる。


「かつて私が産まれた地、ベルクファスト銀嶺士ぎんれいし領にある、北の小さい城です」




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