第24話『ベルクファスト銀嶺士領へ』
「近衛はガランから出られん。いや、出るにはかなりの制限があるのだ」
そう悔しそうに歯がみするベイスに馬を借り、クライフはガランの港を再び北へと向かっている。騎乗する馬はよく手入れのされた駿馬で、武装したクライフを背にしてもその身のこなしは微塵も揺るがない。よほど訓練された馬なのであろう。
人通りの多い目抜き通りなどは迂回し、商用道路として使用される土が均された太い道を、まっすぐに、まっすぐに奔る。
単騎、腰の一刀を頼みに奔る。その引き締まる状況にクライフの顔は命を帯びた騎士のそれとなる。
いや――しかしその肩にはエレアの小鳥が向かい風に耐えながらもしっかりと止まっている。「案内が必要になる」ということで魔女の頭蓋から彼の肩に移ったエレアだが、鎧は爪も立てられず、滑るだろうと思うも、体勢を崩す様子はなかった。手綱を操作しても揺らがないところを見ると、まるで飾りの一部のように思えてくる。
「ベルクファスト銀嶺士は、私の母の実家なの」
肩の小鳥、エレアが奔るクライフに語りかける。
今語ると言うことは、今耳に入れておくべきことなのだろう。
「銀嶺士は、シャールの領主の格を顕すもので、上から二番目。王族は別個として、金竜士、銀嶺士、鉄山士の、みっつの家格があるの。他にも下にふたつあったけれど、私が産まれる前に――産まれる前に鉄山士に統合された。ほとんどが鉄山士、銀嶺士は王族の適正者を多く輩出した家柄で、女系。金竜士はなお功績多い者の家柄で、多くは男系の領主たち」
「黄金の竜は空を飛び銀嶺を臨み、鉱山を守る。……どこのお話だったか」
エレアの移し身とはいえ、小鳥相手だからであろうか、やや砕けたクライフの言葉にチチチと面白そうに鳴く。
「シャールも長い国だから。……クライフ、商用門はそこを右に」
即座に対応する。
クライフは良い馬だと頷き、エレアは彼を良い乗り手だと評価した。
「クライフ、あなたやっぱり騎士だったのでは?」
「私がですか?」
少し考え、しかしクライフは首をゆっくり振る。彼女への答えではなく、自分自身の気持ちに向き合った結果だろう。
「騎士には、なれませんでした」
ぼそりと言う彼の言葉に、エレアは万感の思いを感じた。この姿だからだろう、意識を向けるほどではないが、接する者の機微が窺えてしまう。少し卑怯だったか、とエレアは反省するが、黙っていることにした。それほどにこの剣士の顔には、苦悩の陰と、それを上回る明るい何かがあったから。
諦めたわけではない。
ただ、騎士という縛りは彼には少しきつかったのかもしれない。
「馬上にて失礼。傭兵クライフ、通ります」
門を守る衛士に書状を渡すと、すぐに通された。往来自体の自由はあるらしいが、後の説明と責任の所在を明らかにするため、コティが急ぎしたためたものだった。ガランの外で身寄りのない剣士に旅先での便宜をはかるためでもあった。
馬の速度が上がる。
整備されたシャール領内の街道を、ひたすらに北へ。
「余人に、コティにも聞かれたくなかったのだが」
そんなさなか、エレアがぼそりと呟く。今もなおその体は燐灰石の尖塔、その奥で力なく横たわっているのだろう。それを思い、クライフも「何でしょう」と先を促す。
「嫌なものを見せた。すまない」
すぐに思い至った。彼を立ち合わせた、あの宝玉の『収穫』の現場のことだろう。
「同情を引く卑怯な手だと、我ながらあきれる。ああいったものを見せることで、近衛の皆に保護してもらえるよう、仕えてくれるよう頼みやすくなった。今回もそうだ。見ての通り、感じた通り、何もできない哀れな小娘なんだ、私は」
クライフはそんな述懐を、ただ、静かに聞く。
そしてひとつだけ、聞き返す。
「宝玉の収穫、やめてしまいたいとは思いますか?」
チチと、小鳥が鳴く。
「あんなに痛く、苦しくないのならいいのだけれど」
静かな言葉に、クライフは肩の小鳥をチラリと伺うと、思い直したかのように前へ向き直る。ガランの外は、彼の故郷と同じような景色だった。街に流れる川があり、橋があり、木があり、山があり、まばらであるが人も住み生活があった。
どこも同じ、生き物が住む場所だった。
シャールの女王になる少女であろうと、痛いものは痛い。苦しいものは苦しいのだ。そこに何の違いもない。ただその立場で逃げられず、飲み込み、笑顔を返しているだけなのだ。
「……エレア姫」
「ん、なんだ?」
「同じようなこと、他の近衛にも話してるでしょ」
思わず、
「はははは、お前、朴訥そうに見えて結構女との付き合いが長いと見える。たいてい二人になったときにこういうことを話すと、コロっと落ちるからな。よく分かったな、クライフ」
「少し、他の仲間とは毛色の違う友人たちと話してましたからね。姫の言葉が、本当だってことも分かります」
「……――」
何かを言いかけたエレアの言葉が詰まる。
「ひとつの本当を隠すために、九の嘘で覆う……でしたっけ。助けを求めていいんです。イヤだといっていいんです。姫だからとか、王族とやらだとか、責任がとか、期待がとか、そんなものに潰されることはないと思います」
「生意気なことを。理想だが、ただの理想に過ぎない」
その言葉にクライフは頷く。
「理想なんてものは、夢です。夢を叶えるのは、いつだって過程を模索する者たちの努力です。過程が見えれば、夢は確固たる目標、目的になります。私は、過程を語れる者になりたいと思っています。ですから、殿下が苦しまない方法を、よりよい宝玉の作り方を見いだすための努力をしたいと思います。そのための過程として、この因習、そして敵に纏わるまだ誰も知らぬ情報を追います。私の生きている間に成し得るものかは分かりません。しかし、少しでも殿下の苦しみが少なくなるよう、動こうと思います」
「クライフ……」
「ですので、俸給のほうは弾んでもらえると助かります、殿下」
「……」
エレアは返事がわりに、剣士の耳たぶを思い切りついばむ。
「込み入ったことを言おうと思ったが、ヤメた。……もう賓客とは思わん。クライフ、三日も走ればベルクファスト銀嶺士領だ。明日か明後日、気が向いたら話してやる。急げ」
「承知つかまつった」
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