第6話『鳳龍橋の戦い(2/2)』
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道幅は余裕を持って馬車二台がすれ違えるほどの広さを持ち、大河の支流を横断するに百メートルを超える橋は、組み合わされた板の一枚一枚がさながら羽の一つ一つであると謳われているように、大きく羽を休める鳳凰のように弧を描き渡っている。
多くの板を組み合わせつつも、一本も釘を使わない特殊な工法で作られている。南方の通商の要としての重要性から、実用性と見た目を重視した三代前の領主によって作られた。川を龍とする民話や、龍鱗山脈からの流れを汲んだ意味合いから、この橋は『鳳龍橋』と名づけられることになった。
丈夫でしなやかな白木と、欄干を彩る朱塗りの細工が月光に茫と浮き上がる。
橋げたの近くに、馬が四頭繋がれている。
未だ息の荒い馬が、支流の水に口を付けていた。
たいまつから火を移したと思しきかがり火が設営されている。
赤い火蛇が舐めるように、四人の傭兵の顔を浮き上がらせている。
その左腕には赤黒い布が巻かれている。
カーライル傭兵団の者である事は明白であった。
山道と街道の合流地点は、わずかに鳳龍橋の北側になる。クライフは北側から南の鳳龍橋に気配を殺して接近し、現在は明るいかがり火側からは闇にしか見えない街道沿いの木立の影に身を潜めて彼らの動向を伺っていた。
斥候だけあって黙々と陣を張る準備に余念もなく、言葉少なく橋げたに細工らしきものを仕掛け始めている。
この鳳龍橋が落ちれば、少なくとも戦略的価値が変わる。
失うことに対するリスクは攻め入るグレイヴリィに大きくのしかかるが、それを握っている事実が拮抗をもたらすことになる。
遠間である。
冷静に彼ら四人を速やかに仕留める方法を模索する。
クライフの背には矢と弓が負われている。
「弓で二人、剣で二人……か」
おそらく、それがせいぜいであろう。
この奇襲が失敗すれば、どのみち自分の命もない。
腕に赤い布を巻く手練れを四人も同時に相手にするのは、無理だと冷静に判断する。彼らの装備は片手で振り回すのに塩梅のいい、五十センチほどの、幅広で厚みのある鉈のような剣。そして馬の元には弓と矢、そして見慣れた油の瓶が山になっている。矢を使われる前に、奇襲をかけるしか道はないと、判断する。
夜気を深呼吸し、月を見上げる。
震え始めた横隔膜と指先に活を入れるべく、胎の底に意識を集中する。思い浮かぶのは、守るべき娼婦たちの、とりわけ幼いオリビアの寝顔だった。
陣の設営が終わる前に倒さねばならない。
緑葉の本陣に報告に戻らせるわけにもいかない。
一人たりとも生かしておく訳にはいかない。
「迷うな、俺は騎士だ……」
――だから安心して人を殺せ。
戦う者が戦う瞬間に躊躇しては、自分、そして仲間を殺す羽目に陥る。戦いになってしまったからには……。
「いや、仕掛けるのは、今回は俺のほうからだったな」
クライフはゆっくり立ち上がると、背負った半弓を左手に持ち、矢を番えつつ足音を殺して橋の袂にゆっくりと歩み寄る。
革の甲冑を着込んだ傭兵たちの姿が見える。その細部までも、表情でさえ認識できる距離だ。
クライフはすでに弓を引き絞っている。
音で気づかれぬよう、あらかじめ引き絞っていた。
彼らからも視認できる位置に悠然と弓を構えて立ち、狙いを付ける。
かがり火の近くに川辺を向いて立つ男の、上から見えるむき出しの首筋。このまま射れば、鎖骨の付け根から心臓に突き刺さる。外すわけには行かなかった。
「……!」
ヒョウと風を切り、細い矢尻の、鉄で細巻きにされた矢は、男の首筋を斜めに射抜いた。
動く的であったため心臓まで貫けなかったが、息が詰まるような意外に硬い音を立て、突き刺さったその矢を手で確認しようとしたまま、男は血も吐けずに倒れ始める。
――次!
クライフは手早く矢を番えなおす。
男が倒れ伏す音に、残りの三人が一斉に向き直る。
矢を受けた男を確認し、狼狽を見せると踏んでいたクライフは、即座に矢の飛来位置に眼を向けた彼らの熟練ぶりに舌を巻きそうになる。
手近の、目を引いた男に狙いをつけ、第二射を放つ。
彼がクライフを確認したと思われた瞬間、矢は彼の喉元に深くえぐりこまれた。
打ち下ろし有利の弓であるが、第三射を番える前に残りの二人が抜刀して襲い掛かってきた。
一人を相手にしている隙に、相手が矢を使って来る可能性も半々であると踏んでいたが、その賭けにクライフは辛くも勝利したといっていい。しかし相手は歴戦、不利なことに変わりはなかった。
すぐさまクライフも長剣を抜刀し、諸手で上段に構え、雄叫びを上げながら土手を駆け下りる。
「小僧が!」
傭兵の一人が高低差を利用し、クライフの足元を薙ぎにかかる。
体捌きでかわしつつ、その伸ばされた小手に打ち下ろしを仕掛けるが、これはかわされてしまう。
もう一人はさすがに慣れたもので、すぐにクライフの後方に回り込もうとする。二人で押し殺す集団戦法であり、そこには一対一を矜持とする良く知る上級騎士たちの機微などはカケラもない。
――囲まれてはマズい!
奇襲は半ば成功、先ほどの一撃で正面の敵の戦闘力を奪えなかったことが悔やまれる。
「――!」
クライフは体を開き、剣に祈りを込めるように正中線にそって刃を垂直に構える。前と後ろではなく、体を横にひねり、右と左に相手を見るように移動する。相手が二人なら、まだ看れる。討ち漏らしがあったら、おそらく囲まれた時点でクライフの命運は尽きていただろう。
土手を後ろすり足で登りつつ、優位を保たんとする。
しかし二人の敵も、そうはさせじと回り込まんとする。
一足一刀、撃尺の間合いを気配で牽制しあう。
一方に切りかかれば、その隙を逃さずもう一方が仕留めにかかる。
クライフは完全に後手にまわり、囲む彼らもそれを敏感に察知して落ち着きを取り戻して待ちの姿勢に入る。
――くそ、やっかいな!
焦りが募る。表情に現れる前に、クライフはそれを飲み込む。
「こいつ、北側から来たように見えたが」
「うむ、まさかとは思うが、例の……」
「街を出ていたのか」
余裕の表れか、彼らはそんな遣り取りを口早に交わす。
――焦るな、落ち着け。
「娼婦も、近くだろう。仕留めたら――」
男が、呟く。
「――狩り出せ」
――!
その瞬間、クライフは長剣を拝み打ちに左手の男に叩きつける。
その言葉自体、男の誘いであり揺さぶりであっただろう。しかしクライフの動揺を誘うように突いて出た言葉にあわせ、まさか彼が打ち込んでくるとは想定してはいなかった。
体は無意識に打ち込みに対応するも、クライフの一撃は男の横に構えた鉈に激しく打ち付けられ、男は足元がおぼつかないままに体制を河川の方に崩し始めた。
「つぇい!」
クライフはそのまま押し込んだ切っ先に重心を引きあわせ、曲げた肘を素早く伸ばして雷光の突きを放つ。
高低差か、そして相手の捌きか、致命傷を与えることなく、喉元を狙った切っ先は男の右頬肉をえぐり飛ばすのみであった。
声にならぬ音を発しながら、もんどりうって転げる男に止めを刺そうとする隙に、左手の男が素早く回り込んだ背後から掴みかかってきた。
半ば飛びついてきた敵を、クライフは体の赴くままに重心を下げて背負い投げる。右手のみで己が剣を持ち、左手で相手の後ろ襟首を引っかき飛ばすように打ち振るう。
そのまま中空を仰向けに、受身も取れずに土手に背を強かに打ちつけ、男は息を詰まらせて胸をかきむしった。
その隙に、クライフは地面ごと両断する勢いで倒れた男の頭蓋に重い長剣を切り落とす。
ヒュンという風なりと、大きい瓜を両断するような鈍い水音がくぐもって響く。のた打ち回っていた男は、胸をかきむしるしぐさのまま、頭蓋を両断されて即死した。
――あと一人!
頬をそぎ飛ばされた男が、半狂乱な声と表情で踊りかかってきた。
「……ぬん!」
クライフは落ち着いた動作で斬撃を右に体を捌いてかわしながら、彼の左の頚動脈に切っ先を引っ掛けるように突きを放つ。
数瞬後。
彼らの立ち位置が変わったとき、おびただしい噴血が巻き起こり、倒れ伏す男の後ろで残心するクライフを、かがり火の炎を凌駕する赤で染め上げた。
暫時後。
息を吐く。
もはや大河のせせらぎと、薪のはぜる音、馬の息遣い。そしてクライフの荒い呼吸の音のみが夜気に流れているのみである。
――四人、か。
クライフは川辺に夢遊病者のようにフラフラと歩き寄り、膝から崩れ落ちるように川の水を浴びた。
墨のような水に、返り血が洗い流されていく。
乱暴に剣も水で洗い、こびりついた血と脳漿を墨の中に溶け落としてゆく。
洗い流される赤と灰を、墨がそれを見せる前に飲み込んでいく。
見えないことに、クライフはほっとした。
「死体を、隠しておかねばならないだろうな」
どこか冷静に彼は呟き、弾かれたように前のめりになり、胃の中のものを盛大に吐き散らした。
明け方も近い頃、喉の渇きを覚えてアンナは目を覚ました。
慣れない姿勢で寝ていたわりには、背中も腰も痛まず、ただ凝りだけで済んでいたのがありがたかった。いや、もしかしたらそれほど長い時間寝てはいなかったのかもしれない。
薄く目を開けたとき、荷物を置いている川辺から物音が聞こえた。
普段の習慣から、まずは盗賊の類を疑った。
そして次の瞬間には恐ろしい討手の可能性に、胃の腑に氷を流し込まれたかのような感覚を覚えた。意識が覚醒し、カッっと目を開き、様子を伺おうとして――彼女は帯剣したクライフを目にしたのである。
クライフは目を覚ましたアンナに気が付くことも無く、決死の面持ちで鎧の止め革を絞っている。そして川辺から自分のところに来ると、隣で眠るオリビアの毛布を直し、頭をそっとなでる。その顔を、アンナは寝たフリをしながら薄目で伺っていた。
呼吸の調子で普段なら気がつかれていたかもしれないが、このときはクライフも遠く鳳龍橋に意識が飛んでいたのか、至近距離で見られていることに気が付いていないまま、すやすやと寝息を立てるオリビアを優しい顔で撫でている。
そしてすぐ彼は立ち上がり、物音に気をつけながら疾駆ていったのである。
「…………」
アンナは足音が遠くなると、ようやく目を開ける。
クライフの姿は川辺から消えている。
――あの顔。
アンナはあの思いつめた騎士の顔を思い出す。
あの顔、ある種の覚悟をした男の目だ。
アンナが多くの人間を見てきた中で、ごくたまに垣間見るものだ。
彼女は娘を起こさないように立ち上がり、月に照らされる川辺を見回す。
クライフの荷物は残っているが、剣も無ければ弓も矢も無い。
戦いに行ったことは明白だった。
待ち伏せなのか、奇襲なのか。それは分からない。
そのまま彼は、夜明けまで戻っては来なかった。
寝なおそうとしていたアンナだが、彼が帰ってくるまで寝付くことができないままだった。そんな彼女が薄目で見たのが、打って変わって疲れ果てた顔のクライフだった。
――よかった、生きてたんだ。
彼の無事に安堵した自分に、アンナは内心びっくりした。
先ほどまではこの先、クライフ無しでどう逃げるか考えていたからだ。もう彼は死んだものと自然に考えていた自分の冷静さに、苦笑する。
彼は剣と弓を置き、少なくなった矢を無造作に投げ置く。
大きく、ゆっくり息を吐き、自分の寝床へと戻っていく――その途中。
アンナは目の前に立つクライフに気が付かれたと思った。彼は立ち止まり、しばらく彼女たちを見下ろしていたが、ゆっくりとしゃがみこむ。
アンナの心臓は大きく脈打った。
起きていても問題は無いのだが、おそらく彼はその姿を見られたくはないのだろう。
そう思った。
彼は行ったときと同じようにオリビアの頭を撫でようと手を伸ばす。
何かにすがりたいようなその右手を伸ばし、しかし頭の上で止め、何もしないまま立ち上がる。
逆光で暗く伺えない彼の顔が、なぜかアンナにはとても気になるものに思えた。
そっと抱きしめてあげたいような、そんな感覚。
結局、お互いが起きていることに気が付かないまま、横になったまま二人は明るくなるまで川辺を見つめていた。
そして夜が明け、朝が来た。
鳳龍橋を越え、馬場から雨滴の大河を北上するための朝が。
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