逃げたふたりは世界を滅ぼす

 旅を始めてから3ヶ月ほどが経過し、魔力体の出し入れに慣れたきゅきゅは、シュッと出してはサッと素早く引っ込めるというのを何度も繰り返していた。


「それにしてもきゅきゅちゃん、魔力体の出し入れ凄い早いよね」

 そんな様子を眺めていたリミルリが関心するように呟いた。

『他人の見たことないから知らないきゃ』

 きゅきゅは────というよりも、リミルリたちの部族以外は自分の魔力体しか見えない。だから自分で見て比較することができない。

「おばあちゃんよりも早いかもしれないよ。それに……」

「魔襲だ!」


 突然前方から聞こえた声に、きゅきゅはまた気を抜いていたことを悔やんだ。今更だが周囲にはたくさんの音がすることに気付く。


『なんか囲まれてるきゃ』

「じゃあ遭遇だね」

 斥候が引き連れて来る場合はうまくまとめてくるのだが、そうでない場合はこうやって囲まれることが多々ある。


「野郎ども、武器を持て! 魔術隊! 魔力体準備!」

 ひげ面の男が斧を携え叫ぶと、他の男たちは武器を持ち荷車から離れる。

 200人の部族で戦えるのはその半数くらい。残りは隠れるように後方へ回った。

「大丈夫だよきゅきゅちゃん。みんな強いの知ってるよね」

『……これはどうにもならないきゃ』

「どういうこと?」

『この騒音、多分5000とかの規模きゃ』

 今までの経験から、凡その数がわかるようになっていた。

 数を聞き、リミルリは青褪める。こちらの戦力はせいぜい100人。とても勝てるとは思えなかった。


「おばあちゃん!」

「早く逃げな! 南方ならまだ大丈夫なはず!」

 老婆はリュックをリミルリへ投げると、杖を構え魔力体を使える姿勢になった。

 そしてリミルリは急いでリュックを背負い、きゅきゅを抱き上げると一気に走る。

「きゅきゅ」

『なにきゃ』

 老婆は離れた位置から囁くように呟いた。人の耳には届かなくとも、その声はきゅきゅへしっかりと届く。「孫を頼むよ」と。




『リミ、離れすぎきゃ。これ以上離れたら戻れなくなる』

 かれこれ10キロは離れてしまっている。爆発音など空気を大きく振動させるものでなければ音が届かない。

「で、でも、たくさんいるならもっと離れないと……」

 魔物が死んだとき、毒を発する。普通の人間であれば大した影響はないが、リミルリたちの部族はこの毒に弱い。そのため倒したらすぐ距離を置く必要があるというのは以前に聞いている。

 そして魔物を多く倒すということは、その毒が濃くなるということになるため、倒した数に応じて距離をとらなければならない。

 きゅきゅが述べた通りの数であれば、この距離では危険だ。

 例え戻れなくなったとしても、命には代えられない。




「はあ……はあ……」

『降ろしてきゃ。自分で走れるきゃ』

「……お願い。持たせて。……心細いの……」

 そう言うリミルリの手は震え、少し力が入った。

『仕方ないきゃ』


 みんなと離れて3時間以上が経過し、距離も50キロは離れただろう。もうきゅきゅの耳に届かないし、匂いも確認できない。大多数が蠢くとき発する大気のゆらぎすら感じられない。既に安全圏だと思われる。

 それでもまだリミルリが恐怖しているのは、自分が襲われることではなく仲間の安否を思ってだろう。自分を抱くことでそれが少しでも和らぐのなら大人しくしていようときゅきゅは思った。


 だが離れたからといって、そこが安全とは言い切れなかった。


『この先、多分魔物がいるきゃ』

「えっ?」

『周囲にも結構いるきゃ。まだ数キロは離れてるからこっちに気付いてないはずだけど』

 リミルリはへたりこんでしまった。折角隙を見て逃がしてもらったのに、これではあの場にいたのと大差ない。


 きゅきゅは考える。自分だけなら逃げられるかもしれない。素早さもそうだが、この小さな生き物を魔物たちがそこまで執着することはないだろうからだ。しかしそれは確実ではないし、リミルリは魔物を呼び寄せてしまう。

 それにきゅきゅは自分ひとりじゃない。家族の命もこの身にあるのだ。無理をして自らにもしものことがあったら、家族まで危険に合わせてしまう。


 しかし彼女は頼まれてしまったのだ。あの老婆に。

 そうでなくとも、目の前で小さく震える少女を放っておけるわけがない。


 (あいつらこっちに向かっている。隠れたほうがいい? でもリミたちの部族は魔物を引き寄せるって言ってたし、リミがいる限りこちらへ向かってくるのは確実だ)

 きゅきゅは模索した。起死回生の一手はどこかにあるはずだ。

 考えれば考えるほど時間が経過し、包囲が狭まり不利になる。だがピンチはチャンスにもなりえる。力さえあれば。


『ここで迎え撃つきゃ』

「そんな! きゅきゅちゃんだけなら逃げられるよね! 逃げて!」

『……お前なんでそんなにあたしのことを考えるのきゃ。あたしのこと嫌な奴だと思わないきゃ?』

「私は……きゅきゅちゃんが羨ましいんだ」

『……は?』

 なにが一体羨ましいというのだろうか。この愛らしい魅惑のフェネボディのことだろうか。それは確かに羨ましい。なにせ彼女自身が熱望していたくらいだから。


「きゅきゅちゃんを最初見たときさ、私から必死に家族を守ろうとしてたよね。こんなに大きな人間に敵うわけないのに」

『それは……家族が大事だからきゃ』

「私は、逃げ出しちゃったんだ。お父さんもお母さんも、魔物にやられちゃったのに、私には逃げることしかできなかった」

 きゅきゅは黙って聞いていた。リミルリの心の傷から這い出す言葉を。

 じわりじわりと、傷口を広げつつ蟲のように蠢き出てくる。吐きたいほどに痛く苦しい記憶だ。


「おばあちゃんはそれで良かったんだって言うんだけどさ、良くなんかないよね。だって、こんなにも後悔してるんだから」

 リミルリは目から大粒の涙を流していた。あのころ受けた苦しみを、またやってしまったのだ。


「だけど今回は私がきゅきゅちゃんを助ける! 数匹くらいなら道連れにできる! 時間を稼ぐから逃げて!」

 リミルリは震える脚で立ち上がり、頼りないナイフを抜く。そしてようやく見えてきた魔物たちを睨みつける。

 目に力を入れたせいで、目に浮かんでいた涙が押し出されるように流れる。それでも拭うことなく周囲の隙を探す。

 これは覚悟を決めている顔だ。己のためではない。きゅきゅのためだ。それが切り刻まれるようにきゅきゅの心へ伝わってくる。


『……嫌きゃ』

「えっ?」

『もう嫌な思いをするのはたくさんきゃ! リミはあたしの家族みたいなものきゃ! 絶対見捨てない!』

 きゅきゅはリミルリの前へ立ち、威嚇の姿勢をとった。


 きゅきゅには考えていたことがある。自らに内包している魔力体を外へ出してから使用するのが魔法。

 だがきゅきゅの魔力体は本来内包できるようなサイズではなく、本体よりも巨大だ。となると、通常なら内包することしかできない魔力体へ、逆に体を入れることができるはずだ。

 これは老婆から止められていたことだが、それでもどうなってしまうのか興味が尽きない。世界の法則を捻じ曲げるとなにが起こるのか。


 この土壇場で一か八かというわけではない。半月ほど前に一度だけこっそりとやったことがある。なにが起こるかわからないため、夜中にそっと抜け出しかなり離れた場所で。

 そのとききゅきゅは恐怖と後悔をした。これはやっていいことではないと心が叫んだ。


「きゅきゅちゃん、魔物が!」

 考えている暇はない。あのときもうやってはいけないと封じたのは何故だったか。


「──えっ?」

 これが答えだった。

 本来内包することしかできない魔力。本体よりも必ず小さいというのがこの世界の理。つまり逆になることはあり得ない。


『これがあたしの最強魔法、「魔狐・イナホ」だあぁぁ!』

 魔力体を出現させ、きゅきゅは飛びながら丸くなり、その中へ自らを放り込む。

 その瞬間、魔力体が現実に出現。同時にきゅきゅを中心に直径1キロの光の玉が一瞬だけ現れ消滅。残ったのは炭の森であった。

 時間にしてほんの1秒足らず。それだけの間に木々は芯まで炭と化した。それは火を放ち外側から燃やしたのではなく、そのが燃焼したということだ。物体の内や外関係なく、範囲内のもの全ての細胞、全ての分子の同時燃焼。

 防御や抵抗なども役には立たない。爆発などとは違うのだ。例外はきゅきゅを中心とした半径5メートル以外に一切存在しない。

 例え直径100メートルを超える大岩の中心だろうと、水深200メートル以上の海底だろうと関係なく。

 世界の一部を完全燃焼させる、電子レンジや放射線をより酷くしたようなものだった。


「……凄い……」

 リミルリにはそう呟くのがやっとであった。

 光ったと思った次の瞬間、周囲にあったのは炭の森だ。自分ときゅきゅ以外に生きている感じが一切ない。凄まじい熱とは裏腹に石牢よりも冷たい感覚がする。


「きゅきゅちゃん、今の逆姿アンティストロフィだよね!?」

『な、なにきゃそれは』

「私にもよくわかんない。だけど魔法の極致、伝説の大魔法なんだって」

 伝説の大魔法。確かにそんな感じなのだろう。あんなものをポンポンと出されては世界が滅んでしまう。


 ────いや、今滅んだのだ。世界の一部だけであるが確実に。

 星を人間のサイズで例えたら、ほんの毛穴1つ程度の被害でしかない。しかし一度滅んだ毛穴からは二度と毛は生えてこない。これが星にどのような影響を与えたのかは現時点で誰もわからぬことだ。

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