きゅきゅは魔物の群れと遭遇する

 きゅきゅがこの地へやって来てから早2カ月。ようやくリミルリたちの部族の生活に慣れてきた。

 彼らは2週間ほど同じ場所で過ごし、1日かけて10キロほど進み、またテントを張り2週間ほど過ごす。

 だがその移動は不規則だ。

 東へ向かって移動しテントを張ったと思ったら、次の移動は北。その次は西へ向かい、今度は北。

 南へ向かうことはないようだから北へは向かっているのだろうが、移動距離は短いし、東へ西へと余計な動きをしている。

 彼らはなにを目的としてこのような移動を繰り返しているのだろうか。




『おばあちゃん! おばあちゃん! 見てきゃ!』

「今度はなんだい?」

 きゅきゅはすっかり老婆に懐いてしまったようだ。

 入院していたとき、いつも自分を気にかけ声をかけてくれたのは談話室にいる老婆だけだった。それもあって彼女は老人に心を許しやすくなっているのだろう。


『これきゃ!』

「……なんだいこれは……」


 老婆に見えている魔力体の腕が物質として存在している。一体なにをどうやったらそのようになるのか。今まで見たこともない現象に老婆は顔をしかめた。


『魔力体に石を纏わり付かせてみたきゃ。これで普通の手みたいに動かして物を掴んだりできるきゃ』

「おまえさんはほんと……」

 呆れた声で返事をする老婆。

 まさかこの歳になってまで初めての魔法の使い方を目にするとは思わなかっただろう。そして昔から伝わる『異界の人間に魔法の神髄を教えてはいけない』という言葉を実感する。きゅきゅは中身が人間でも狐だとして面白半分に教えてみたのだが、まさかこんなことになるとは。


「もう教えることはなさそうだね。ついでだから孫に教えてやってくれんかな」

『いやきゃ』

「ひとに教えるのも勉強のうちだぞ。そもそもなんでそこまでリミルリのことを嫌うのかね」

『だって……』


 きゅきゅが説明した内容はこんな感じだ。


 彼女は人間時代、お嬢様だった。そして女の子というのは常に周りを意識して一挙手一投足に気を使うものだと教え込まれて育った。

 だというのにリミルリは自由奔放。歩き方も適当だし、食べ方も粗雑。そのうえそこらへんで下をまくって用を足す。到底淑女といえるものではなかった。


 今となってはきゅきゅも野性としての生活に慣れ、そこらへんでプリプリ出しているのだが、それは動物なんだから仕方ないと割り切っている。だが女の子が目の前でそういった感じであったらつい顔をしかめてしまう。


「ふむ、そういうことか。そりゃ仕方なかろう。我々はそんなことを気にして生きているわけではないし、誰も咎めたりしないからな」

 町とは違うのだ。それにいつも一緒に移動している部族の人間であれば家族のようなものだし、いちいち気を遣ったりするものではない。

『う、うーん……』


 きゅきゅは少し考えた。

 今のリミルリを認めるということは、人間時代に自分が育てられてきた全てを否定することになる。

 だがきゅきゅは人間時代のことを捨て、今はフェネックの家族と過ごした生を基本としたいと思っている。


 だからきゅきゅはリミルリを少女というよりも、人の姿をした自分たちの仲間、野生生物だという認識に切り替えることにした。

『わかったきゃ』

 ここまで教えてもらったのだ。恩は返せるうちに返したほうがいい。きゅきゅは後ろの荷台で遊んでいるリミルリのもとへ駆けた。



『リミ』

「うん? どうしたのきゅきゅちゃん」

『おばあちゃんがリミに魔法を教えてやれって言うから仕方なく教えてやるきゃ』

「ありがとう!」

 ようやく魔法の勉強ができることと、きゅきゅと話せることでリミルリは喜んだ。


『まずリミは魔力体をどの程度出せてどんな魔法を使えるのきゃ?』

「私は魔法しか使えないから、おばあちゃんにちゃんと魔力体を出せるまで止められてるんだ」

『きゅ?』

 きゅきゅは首を傾げた。普通の人のように使えるのならばいいのではないか。


『どういうこときゃ?』

「えっとね、魔力体を体から離さないと、魔力が尽きたら代わりの力を体から吸い出すっていうのは知ってるよね?」

『最初に習ったきゃ』

「普通の人っていうのは魔力体の存在も知らないんだって。だから体にあるまま魔法を使うんだけど、それだと命の危険があるんだよ」

『そうだったの!?』

 魔法の正しい使い方は部族の秘密である。老婆がきゅきゅに教えたのは、きゅきゅが他人に教えることはない────正しくは、他人に伝える術がないからだ。

 そのうえで異世界人がどのように魔法を扱うのか興味があったというものもある。


「あっ、でもひとつだけ使っていいって言われてる魔法があるんだよ」

『へー』

 雑な返事を返す。普通の人程度の魔法に興味がないのだろう。


『ちなみにどんなきゃ?』

「硬化魔法っていってね、自分の体とか、手に触れているものを硬くできるんだ」

 外へ放出させる魔法と違い、自身へ影響させる魔法は内側から作用させるため、体の中で魔力を使わねばならない。手に触れているものは手の延長として扱う。だから魔力体を出すことはない。

 そしてこの魔法は魔力を放出させるわけではないし、魔力が切れても体の強化と力の吸収での矛盾が生じ、効果が消滅してしまうため危険ではないのだ。だからリミルリにも使用を許可している。


『魔法は自分の体とかにも影響を与えられる?』

「うん」

 新たな魔法の可能性を知り、きゅきゅはニヤっと笑う。

『それはいいことを聞いたきゃ。ちょっと魔法を作ってくるきゃ』

「私に魔法を教えてくれるために来たんじゃ……」

 きゅきゅは走り去り、リミルリはそれを少し悲しげな顔で見送った。



「魔襲だ!」

 突然の誰かの叫びにきゅきゅはビクッと体を震わせた。

 魔法を考えていたせいで気付けなかったのだが、確かに遠くからいろんな音がする。どうやらそれは魔物の歩行音と呼吸音のようだ。


『きゅ、魔物?』

「そうみたいだね」

 きゅきゅの慌てように比べ、リミルリは特にこれといって気にした様子ではない。


『大丈夫なのきゃ?』

「大丈夫というか、私たちは魔物を狩るためにあちこち移動しているから」

『マジで!?』

 おかしな動きをしていると思ったが、そういった背景があったらしい。

 移動しては斥候を飛ばし、戻ってきたらまた移動という感じだ。今回も普段通り、斥候をしていたものが魔物の群れを誘導し引き連れてきた。

「前に話したと思ったんだけど」

『聞いてないよ!』

 言いかけてそのままにされていたのだ。


『それにしても結構な数きゃ』

「わかるの?」

『あたしは見ての通り耳がいいのきゃ。遠くの音だって聞こえるきゃ』

「そうなんだ。どれくらいいるのかな」

『アスファルトならまだしも土の上を歩いてくる連中の数はわからないきゃ。でも大体100とかそこらだと思うきゃ』

「だったら大丈夫だよ。いつもなら500とかだから」

 きゅきゅ驚愕。魔物の群れを倒すため移動しているというのだから、ここにいる全員が手練れなのだろう。ある意味安心できる場所ともいえる。



 そして魔物の群れと遭遇してからは早かった。魔法により大部分は壊滅させられ、武器を持った男たちが残りを倒す。攻撃開始から5分も立たず終わってしまった。


「全滅させたぞ! 離脱する!」

 魔物を倒した途端、全員は一気に加速して倒した場所から離れる。


『は、速っ』

 きゅきゅが驚くほど……といっても、きゅきゅの全力には及ばないのだが、今までゆっくりと移動をしていたのに、それとは比べものにならないほどの速度で移動しはじめた。

 馬車でもないのに、大荷物を牽いて人間が走れる速度ではない。


『どういうこときゃこれは』

「魔物は死んだあと毒が出るんだよ。私たちはその毒に弱いから、倒したらすぐ離れないといけないんだよ」

『そんな凄い毒なのきゃ?』

「うーんと……」

 リミルリが答えに詰まる。危ない危ないと聞いているだけで、どれだけのものか彼女は知らない。そこで同じ荷台に乗っていた老婆が割って入る。

「普通の人間であれば多少体調を崩すくらいだ。だが我々の部族は特にあの毒に弱くてな、命を落とすこともある」

『やばいきゃ……でもあたしなら大丈夫?』

「そうだな」

 きゅきゅ安堵。最悪でも自分は助かることがわかればいい。

 なにせ自分が死んでしまったら首にかかっている家族がどうなってしまうかわからないのだ。最優先事項は家族。そのためには自分が必要だから自分を守る。



 暫くして足が止まった。もう20キロくらいは進んでいるだろう。

『結構行ったきゃ』

「安全を確保するためにはこれくらい必要だ。魔物が増えたらもっと距離を取らねばならん」

『風で飛ばされてきたりするから?』

「単純に魔物が多ければそれだけ毒素が濃く広くなるからだ。この毒は魔力的なものだから風の影響は受けん」

 魔力は同時にそこへ存在する別の空間にあるため、この空間での出来ごとに左右されることはない。魔法を使うというのは、その空間からこちらの空間へ力を移送させているようなものだと思ってもらえればいい。


『みんなが魔物の毒に弱いのはわかったけど、それじゃなんで魔物を倒すために動き回っているのきゃ?』

 倒すことで毒が発するのであれば、倒さなければいい。単純な話だ。

 だがそう単純に話は進まないのが実情。そんなこと彼らだってわかっている。


「ある事情で我々は魔物を寄せてしまうからな。仕方のないことだ」

『えー……』


 このままここに居続けて大丈夫なのだろうか。少し不安になるきゅきゅであった。

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