そしてきゅきゅは魔法を教わる

「ええん、いたいよう」

『馴れ馴れしくしないできゃ!』

「シクシクシク……」

 リミルリは再び老婆に手を出し、老婆もやれやれといった感じで治癒魔法を使う。

「お前さん、人間だった割には躊躇なく噛んだな」

『これでもフェネ歴1年きゃ。流石に慣れたきゃ』

 動物として生きると決め、もうじき1年経つのだ。今では虫やネズミですら食べられるようにまでなった。なかなかたくましい。

「……きゃ?」

 突然現れた語尾を老婆は不審に思う。

『これはフェネックの証、言わばフェネ魂きゃ!』

 家族がいつも使っていたフェネ語尾だ。フェネックとして生きると決めたきゅきゅは家族との繋がりを忘れぬよう、これから使うと決めた。


「ようわからんが、それよりうちの孫にもう少しやさしくしてやってくれんか?」

『あいつ馴れ馴れしいから嫌きゃ』

 きゅきゅは人間時代、たくさんの取り巻きがいた。

 だがそれらは皆、淑恩寺の娘だからという理由で傍にいただけだ。その証拠に彼女らは不治の病になった稲穂へ見舞すら来なかった。

 そのせいで自分に近付く人間は全て打算だと思っている対人障害を持っている。


「まあ無理して寄っても互いのストレスになるだけか。だが血縁ひいきを除いても、あれはよくできたいい子だぞ」

『関係ないきゃ。家族以外は敵きゃ』

「家族か。人間だったときのものも含めるのか?」

『人間の家族なんていないきゃ。あたしの家族はここにいるだけきゃ!』

 首に下がったペンダントの石を鼻で指しながら答える。

 人間だったころの両親は、ほとんど彼女と会っていない。顔を合わせても、○○の出来が悪い、何故これが出来ないのだと文句ばかり。そして病に侵された彼女に失望したのか見舞うことすらなかった。そんな人間に家族は感じられるわけもない。


「まあ互いに深く詮索するのはやめよう。んで、我々も敵ってことかね」

『……今はただ敵対していないってだけきゃ』

 そう言ってきゅきゅはぷいと顔をそむけ、老婆は苦笑する。こいつの問題は根深く、そして容易く片付くものではなさそうだと。そのうえで孫に心からエールを送る。


「そんできゅきゅよ」

『なにきゃ?』

「当面の目標はどうするんだ?」

『元の世界へ戻ってみんなとまた暮らすきゃ』

「それは最終目標だろ。それまでやるべきこともあるはずだ」


 先の目標を立てるのも重要だが、それまでの行程を考えることもまた重要。

 ただ単に、『今日生きる』『明日生き抜く』では駄目だ。『今日生きる』『明日生き抜く』ために『なにをするか』を決めなくてはならない。

 しかし彼女はただの小狐だ。身の丈以上の力を有しているが、所詮小動物。戦うことになっても逃げるくらいしか満足にできない。


『……あたしの魔力は強いって言っていたきゃ』

「ん? 確かにとてつもない力を持っていそうだが……」

『だったらあたしに魔法を教えてきゃ!』

 この世界には魔法がある。それを使えば体が小さくとも大きな相手と戦えるはずだ。


「残念だろうが断る」

『な、なんできゃ!』

「お前さんは自分で言っただろ。今はまだ敵対していないだけだと。敵になるかもしれぬ相手にわざわざ戦う術を教えるものかね」

 一緒に来ていいというのはリミルリ、そしてこの老婆の好意なのだ。だというのに味方でないと言っている。そんな相手に教える道理はない。

 とはいえきゅきゅとしても見ず知らずの相手だ。絶対に敵対しないと今の時点ではわからない。

 だけど全く知らない世界へやって来たため、きゅきゅの気が張っているということを老婆も理解している。


『……わかったきゃ。ここの人たちとは敵対しないきゃ』

「もし戦わないといけなくなったら?」

『逃げるきゃ』

 逃げることこそが真骨頂だ。特に砂漠であれば犬なんて数頭いても相手にならないくらいすばしっこい。


「じゃあま、基礎くらいは教えてやるかね。後は自分で考えな」

『恩に着るきゃ』

 きゅきゅは頭を下げた。老婆は基礎だけでどの程度できるか面白半分で教えてみようと思っている。異界の人間の能力を試してみたいのだ。



 魔力の扱いは、彼女にとって非常に簡単なものだった。

 感覚と肉体の剥離。簡単に言えば、腕を上げる感覚があるのに実際は腕が上がっていないという状態を作り出す。

 この感覚は人間のとき病の際散々受けている。水が飲みたくて手を伸ばしているのに実際は動いていない。

 そしてフェネ体になってからは人間のように動こうとしてしまうことが何度もあった。それをやればいいだけのことだ。


「ほう、狐なのに魔力体は人の形か。前世は人間だったという話は本当だな」

『わかるのきゃ?』

「魔力体は自分が一番動かしやすい形が形成されるからな……いや」

『いや?』

「……なんでもない。気のせいだ」

 なにかを含んだ言い方をし、老婆は黙ってしまう。不審に思いながらもきゅきゅは魔力体を制御する。



「そうだ。その調子で感覚を肉体からゆっくりと完全に剥離……できているな」

『まかせてきゃ』

 きゅきゅの横には人の形をした魔力が立っていた。普通のひとには見えないものだが、この老婆にはその姿が確認できている。


「魔力体と肉体がきちんと離れていない状態で魔法を使おうとすると、もし魔力が足りなかった場合、肉体から力を消費しようとするから気を付けるように」

『ふむふむ……きゃ』

「そして離れた感覚──魔力体の手の先に加熱や冷却のイメージをして出すんだ」

 人の形をしている魔力の手先に加熱を集中させ、それを撃ち出すように発射させると、切り離された熱は火炎となり、その姿を現し飛んで行った。


『す、凄い……』

「『きゃ』を忘れてるぞ」

『あぅ』

 言い慣れていないのだから仕方ないが、あまりの驚きに素が出たのだ。


『魔法って思ったより簡単きゃ』

「普通ここまで数年かかるんだがな」

 普通は肉体と感覚はイコールであり、動かそうとイメージするとその通りに体が動く。だからといって縛って動きを阻害しても駄目だ。縛られているという先入観と、痛みなどの刺激があるためそこで止まってしまう。


『ところでこの魔力体、あたしよりも大きいんだけど、この中にあたしが入ったらどうなるのきゃ?』

 本来は肉体に内包される魔力体。体に入っているのだから体よりも小さいのが当たり前である。だから通常ならばその中に自らが入れるはずはない。逆に何故これだけ小さな体に人ほどの大きさの魔力体が入っているのか不思議なくらいである。

 きゅきゅとしては気軽に聞いた質問だったのだが、老婆の顔は険しくなった。

「それはやっちゃいかん。法則に反した行いは、法則によって潰されてしまうからだ」

 強い言葉にきゅきゅは所謂フリではなく本当にやってはいけないのだと感じ、頷いた。法則によりなにがどう潰されるのかわからぬため、へたなことはしないほうがいい。


『じゃあ次、治癒魔法教えてきゃ!』

「基礎しか教えんと言っただろうに」

『治癒魔法の基礎を教えてきゃ!』

 ものは言いよう。きゅきゅの言い回しが気に入ったのか、老婆は苦笑しながら教えることにした。


 (まさかこんな世界があるなんて。もっとファンタジーを知っておけばよかった)

 彼女の人生において、そういった知識を取り入れるような余裕はほとんどなく、せいぜいテレビでやっていた有名どころのファンタジー映画を見た程度しかない。

 動けたころは勉強とお稽古ばかりで趣味も特になかった。

 だがそのあとの彼女にはたくさん考える時間があった。病床に伏していた時間も無駄にしていない。

 妄想の中で、もしこんな世界があったのなら自分はどうしたいといったものだ。それが現実になるなんて思っていなかったが、無駄にはならなかったようだ。


 何気なく魔法を使う練習をしていたところで、ふとした疑問が出た。

『ちょっと聞きたいきゃ』

「どうした?」

『この世界には魔力があるきゃ』

「そうだ」

『そのせいでママたちが動かなくなった。でもあたしが動けるのはなんできゃ?』

「きっと考えることができるからじゃないか? 人間なら問題なく動けるみたいだぞ」


 動物は本能で生きる。だから本能で対処できないものは受け入れられない。その抵抗に魔力が加わり自らの時間を停止させた。

 動物全てがそういうわけではないが、小動物はとりわけその傾向が強い。なにせ彼らの本能が未知なものを相手にできる対応策は逃げるくらいしかなく、それができない魔力なんてものにどうすればいいのかわからないのだから。

 だが人間は理性が強く、見たことや感じたこともないものでも許容できてしまう。だから魔力が魂に流れ込むなどという現象を初めて体感してもなんとかなる。


 そしてきゅきゅは自分のいた世界からこの世界へ来た人間が他にいるであろうことを知ったため、とりあえず留意しておくことにする。

 人間自体に興味はなくとも、元の世界に戻る方法は知りたい。きっかけ程度でもわかるのならば、コンタクトを取ってみるのもいいだろう。


 まずはひとつ、目的ができた。




「きゅきゅちゃーん」

 魔法の練習中に突然声をかけられ、きゅきゅはビクッと跳ね上がり声の方向へ威嚇する。

「ご、ごめんびっくりさせちゃったね」

『近寄らないできゃ! 人間は嫌いきゃ!』

 きゅきゅは頭を低くし腰を高くする。前足に力を溜め、いつでも襲い掛かれる姿勢だ。

「う、うんごめんね。でも見てるだけなら、いいよね?」

『……それくらいならいいきゃ』

 とても申し訳なさそうな顔をしているリミルリに、きゅきゅは強く言えなかった。


「ねえきゅきゅちゃん。えっとフェネックだっけ? 肉食なの?」

『雑食きゃ』

「じゃあ果物とか野菜も食べるの?」

『大好ききゃ』

「そうなんだ! じゃあ今度いっぱい採るね」


 なんでこいつはこんなにかまってくるのだろう。きゅきゅは考えた。

 そりゃフェネックはかわいいが、ここまで無下にされても話しかけてくる。なにか企んでいるに違いない。そう思い警戒を怠らないようにした。

 とはいえただの小狐が金や財産を持っているはずもなく、利用する意味もない。あるのは絶滅危惧種になった原因のひとつである毛皮くらいだ。だがこんな小さな生き物1匹から取れる量なんて微々たるものだ。

 では何故か。答えは出ない。

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