第二章 始まり

Ⅱ-Ⅰ


翌朝。


昨日の様に寝返りをした途端、ベットから落ち、頭を打って目が覚めた。

ズキズキとぶつけた箇所を摩りながら、身体を起こしてベッドを見て苦笑する。

シーツや毛布は見事にぐしゃぐしゃになっており、自分の寝相の悪さを物語っていた。

つい先日まで、自分は床や地面で眠っていたのだから、ベッドの広さや感覚に慣れていないともいえる。

ベッドを綺麗にしなければと思い、ゆっくりと立ち上がってみる。


「...およ?」


身体が不思議と軽い事に気が付いた。

それに、何処か気分も凄くスッキリしている。

今までは眠りから覚めると何故か身体が重く、馴れていても身体が重い事には変わらず、思う様に動けない事も多々あった。

何故だろうと首を傾げながらも、ベッドのシーツを整え毛布を丁寧に畳めば、寝巻き替わりにしていた服を脱いだ。

修道服に着替えようと服を取り出し、何となく足の痣に視線を移した。


「....ふぁっ!? えっ、なんだこれ!?」


眠っている間に何かあったのだろうか。

青紫色で対してあまり目立たない痣が、今見たら赤色に変わっており、何処か少し大きくなっている様な気がする。

そういえば、神父さんは痣のことを「術式」とか言っていた気がする。


何かの予兆だろうか。

もしかして、爆発とかしないだろうか。

いやいや、そんな恐ろしい事が起こるはずがないと...思いたい。

昨日まで何事もなかったモノが突然変化した事に戸惑った俺は、とにかく神父さんに報告しようと着替える事も忘れ、慌てて外へ飛び出した。

ところが、まだこの地下の事をよく理解していない俺には神父さんの居場所など分かるはずもなく、とにかく片っ端からドアを開けて部屋を探す。


息を乱しながら駆け回って数分後、ようやく神父さんがいる部屋を見つける事が出来た。

神父さんは、修道服を着たまま毛布も被らず、ベッドでぐっすりと落ち着いた様子で眠っていた。

テーブル周辺には、何か調べ物でもしていたのだろう...分厚くて古い難しそうな本が床いっぱいに沢山散らばっていた。


「し、神父さぁあん!!」

「ぐうぇっ」

「やっと部屋に着きましたぁ!」


思わず神父さんのもとへ飛び込んでしまった。

何故だかわからないが、神父さんからは蛙の様な鳴き声を発した気がする。

冷静になっていればすぐに《状況》に気が付いただろうが、この時は痣の事で頭がいっぱいだった。


「聞いてください、神父さん!脚にある痣、朝起きたら何か大きくなって...真っ赤になってるんです!

 今まで何ともなかったのに今日起きたら急に変わってて...!爆発したりしませんよねコレ ― っでぇ?!」

「...おい、糞餓鬼。」


言葉の途中、明らかに怒りを含んだ神父さんの低い声がしたかと思えば...何故か頭部をがっつりと掴まれた。

心なしか、だんだん頭蓋骨にヒビが入るんじゃないかってくらいミシミシと掴む手に力が込められていく。

これは完全に怒っている、だが心当たりがない。

冷静になって視線を動かすと、神父さんが突然怒った原因がすぐそこにあった。


俺が飛び込んだことによって、神父さんは《俺の下敷き》となって潰れていたのだ。

状況を理解した俺はすぐさま謝ろうとしたが、気付くのがあまりにも遅かった。


「るっせぇ!!さっさと退けぇぇえ!」


神父さんの馬鹿力によって投げられた俺は、そのまま勢いよく廊下の方へと閉め出されてしまった。

廊下の壁に頭をぶつけた俺の事など完全に無視し、何事もなかったかのように部屋のドアが目の前で閉められた。

俺が爆発する前に、神父さんの方を爆発させてしまった...。


.

.

.


「...なんだよ、その頭。」

「...ナンデモナイデス...。」


早朝の出来事の後、渋々と頭に大きなコブを作ったまま部屋に戻り、着替えを忘れていた俺は修道服に着替えてから神父さんの部屋へ再度訪れる事にした。

背中のチャックの開け閉めがどうもうまく行かず、予定より時間が掛かり部屋へ行くと神父さん居らず、キッチンで朝食の用意をしてくれていた。

俺を投げ飛ばしたことなど覚えていないのだから、寝起きは悪い方だと何となく思った。


「そんなことより、神父さんに聞きたいことがあるんです。」

「あ?なんだよ。」

「足の痣、朝起きたら変なことになってたんですけど...これって大丈夫なんですか?」


サンドイッチとやらを口いっぱいに頬張りながら、先程から聞きたかった痣の事を聞いてみる。

頭のコブなんかより、そっちの方が不安でならない。

それを聞いた神父さんは、紅茶を飲みながら席を立った。

何も言わずに椅子を動かして俺の身体の向きを軽く変えてきたかと思えば、ロングスカートを顔色一つ変えずにひょいと捲り上げてきた。


「ああぁああぁっ!?」

「...あー、コレか。俺が術式を上書きしたからな...多分その影響だろ。うん、問題ない。」

「今の現状に問題アリです!普通に捲らないでください!」


拳を作り殴ろうと試みたが、神父さんはそれをいとも簡単に避けて手首を掴み、徐々に力を込めてくる。

手首を締め付けられ、俺が根を上げるとパッと離され、掴まれた箇所にふーふーと息を吹き掛ける。

ぐう、神父さんには全然敵わない。


「...んで、どうして術式を上書きなんかしたんですか?」

「...やっぱりお前、昨晩の事全然気付いてなかったんだな。お前のせいで教会が丸ごと凍る所だったんだぞ。」

「およ!?何したんですか、俺っ!?」


話を聞けば、正確には俺が何かしたわけではなく...俺の足にある一部の術式が激変した環境と年月の影響を受けてか、俺が眠りについた頃に不具合を起こしたらしい。

廊下やら部屋中やら氷や雪で覆われて大変だった様だ。

俺が気付かなかったのは、己の力で傷付かぬようにと別の術式が働いているから部屋が凍っても俺には肌寒い程度にしか感じなかったりするらしい。

神父さんが気付かなかったら、確実に俺は自分で自分を氷漬けにしていたのだろう...考えただけでぞっとする。


「おかげで俺まで巻き添えになるところだったぞ。」

「す、スミマセン...。あっ、もしかして...その時に怪我...とか?」

「あ?コレか?」


俺の視線の先に気が付いた神父さんは片手だけに嵌めている手袋を外した。

思っていた通り、神父さんの手袋の下の手は包帯で巻かれていた。

昨日はしていなかったのに、朝起きたら手袋を嵌めていた。

寒い時期だ、手袋を嵌めていてもおかしくはないのだが...《片手だけ》というのが何処か引っかかっていた。


雑に巻かれた包帯の隙間から見える手は、僅かに皮膚が痛々しく赤くなっている事が分かった。

自分のせいで怪我をさせてしまった事がなんだか申し訳なく感じて、罪悪感から思わず下を向いてしまった。


「テメェが気にしてもどうしようもねェんだよコイツは。言ったろ、俺は魔術師じゃないんだ。長時間使うと、こんなふうに火傷を負っちまうんだよ。」


所謂、力を使う上での『代償』というヤツだ。

いつもの事だと言いながら、何事も無いように紅茶を啜る神父さん。

そうか...神父さんは魔術師じゃないって昨日も言ってたな。

そこまで考えて、あれっと疑問が一つ生まれた。


魔術師になる条件は『血筋』と『才能』が必須で、どちらも欠けてはならない。

どちらかが欠けていれば、力を扱う事は出来ないと言っていた。

でも、神父さんは魔術師じゃないと言った。

神父さんの場合は、様々な事に詳しいから...恐らく才能があっても血筋がない方なのだろう...。

だが、神父さんは長時間は扱えなくても魔術が使える。

何故だろう?


「そんなことより、お前...今日買うモンとか考えてんのかよ。」

「えっ!?か、買う物...ですか?」

「ったりめェだろうが、お前の為にこの俺が忙しい中付き合ってやるって言ってんだ。」


んで、どうなんだと此方に視線を向ける神父さんを見て、俺は苦笑いしか出来なかった。

実は何も考えていないのだ。

いや、正確には何を買っていいのか、町には何がどんなモノがあるのかなんてすら俺には分からないのだ。

何もかもが俺にとって初めてな事が多くて、自分ではどうしたらいいのか分からないのだ。

俺の表情を睨む様に見た後、神父さんが溜息を吐きながら一枚の紙とペンを前に出した。


「んな事だろうと思ったぜ。そこに一通りお前に必要なもん考えてやったぞ。」

「え、あっ!本当ですか!?」

「昨日でどんだけ馬鹿か理解したからな...。あっ、お前にメモ渡しても意味ねェか。字読めねェよな...。」

「えっと...、『えんぴつ』...と『のーと』...。ぐう...他は難しくて分からないです...。」

「...あ?お前、字...読めんのか?」


一瞬だけ驚いた様に目を見開く神父さんの様子を見て、俺は首傾げた。

神父さんの話では、これは『文字』というもので学んでいなければ読めないものらしい。

貧民が独学で文字を学ぶことは難しいらしく、大抵の者は読めないという。

俺が読めるのは、数字とひらがなだけ。

何故自分はそれらが読めるのか...過去に何かがあったのだろうが、覚えていない俺では考えてもどうしようもない事だ。


「お前が文字読めるったぁ驚いたぜ。」

「俺もちょっとビックリしました...。」

「誰かがお前に教えたんだろうな。まあいい、他に必要なもんは俺と回って探せばいい。」

「分かりました!」

「お前が食い終わったら、食器片してさっさと出掛けるぞ。」


紅茶を飲み終えた神父さんが席を立ち、自分が使った皿とティーカップを持ってキッチンの奥へと進んでいった。

それを見た俺は後を追うべく、サンドイッチを口いっぱいに詰めた後、慌てて神父さんの背後について行った。







*







「...す、凄い~!町ってこんなに凄いんですか~!」


朝食と教会の掃除を済ませた後、神父さんと共に町へとやって来た。

町外れにある教会とは少し距離があったが、頑張って歩いてきた甲斐があったというものだ。

俺が考えていた以上に、町というものはモノと人で溢れ、何とも楽しそうで賑やかな場所だった。

本当にあの場所を出て良かったと、この光景を見て改めて感じた。


「おい、キョロキョロすんな子羊野郎。」

「わああ!凄いー!あっ、アレなんですか?!」

「聞いてんのか、あ?」

「ず、ずびまぜん...。」


ガシッと顔面を掴まれ宙吊りにされ、ようやく心を落ち着かせる。

町を早く見て回りたいのだが、神父さんの話ではお城に行かなければいけないという。

身分がど底辺である俺なんかが一緒にお城へ行っても良いのだろうかと考えるが、何やら俺に関わる事らしい。

何の為に城へ行くのかと聞けば、昨日話した身分証明とやらを作る為にはこの国の王子様の協力が必要らしい。

町を動いて回る以上、身分証明は必ず必要だと神父さんは言った。



「まあ、アイツが協力してくれるかは知らんが...なんとかなるだろ。いいか、誰かに出身国とか身分に関わる事聞かれても本当のことは喋るなよ。あと、匂わす様な事も絶対にすんな。」

「はい、分かりました! あの...王子様ってどんな方なんですか?」

「あー...、金髪双葉。」

「えっ?」


流石王子様、俺の想像を遥かに上回る存在らしい。

とはいうものの、神父さんの説明が悪いのかもしれないのだが...。

でも、これほど賑やかで素敵な国なのだ。

王子様もきっと凄く優しくていい人なんだろうと一人勝手に納得する。


「早く行くぞ、見失っても知らねェからな。」

「あっ...!ま、待ってください神父さん...!」


慌てて先に行こうとする神父さんの後を追う。

だが、身体が小さく大した力もない俺では上手く人混みの中を進むことが出来ない。


「し、神父さん!俺じゃ迷子になっちゃいます...せ、せめて手ぐらい繋がせてください!」

「は? やなこった、俺は他人に触られんのが嫌いなんだよ。」


俺の頼みを無視し、人混みを掻き分けて先に進んでいく神父さん。

なんとか必死に後を追おうとするが、人混みに逆らえず少しずつ神父さんと距離が出来てしまう。

このままじゃ剥ぐれて置いていかれてしまう。

それだけは避けねばと思い、偶然人気が少ない薄暗い路地を見つけた。


路地裏の道なら俺も向こうでの生活でよく利用していた為、使い慣れている。

運がよければなんとか神父さんの所まで行けるかもしれない。

そう思った俺は、路地を目指して人混みを掻き分け...なんとか抜け出すことが出来た。

これ以上進めば、一人では危うく押し潰されてしまうところだ。


「...早く神父さんのところに行かなきゃ...。」


取り敢えず、神父さんが向かった方角を目指し、路地を使って奥へ進んでいった。

俺が居た町と比べると思ったより複雑ではない為、これならなんとか神父さんのもとへと行けそう一安心した。

その矢先だった、誰かに腕を引っ張られ...行先を阻まれてしまった。

一体なんだろうと振り返ると、そこには大きな鞄を背負った見知らぬ小柄な男が俺の腕を掴んでいた。


「頼む、追われているんだ...!助けてくれ!」

「えっ...!お、俺は...。」


そう言うと男は俺の返答も聞かずに、俺の手を引っ張って奥へと進んだ。

背後からは複数の声が響き渡っている事から、どうやら言われていることは本当らしい。

背負っている鞄からは不思議な甘い匂いが溢れ出て、俺の鼻を掠めていった。

何処かで嗅いだ様な甘い匂い。


この男は一体何をして追われているのだろう...。

振り解こうにもしっかりと掴まれて離れる事が出来ない。

神父さんの行先もすっかり分からなくなってしまった...。

完全に迷子になってしまった事から、頭の片隅では神父に怒られるのだろうとその程度しか考えていなかった。


『自分の身分を明かすな。』

神父さんに注意する様言われたのに、これから起こることを俺は全く理解していなかった。


.

.

.


後ろを振り返ると子羊野郎の姿が何処にも見当たらなかった。

ちゃんとついてくる様にとあれほど言ったはずなのに、アイツは迷ってしまったのだろう。

探しに行くのも面倒だし、身分は明かさない様に注意もした。

修道服を着ているから、滝王子が保護してくれればすぐに俺に連絡が来る。

この辺りで少しのんびりするかと店の品を物色しようとした時、兵士が慌ただしく走る姿が目に入った。

何事だろうか、もしや子羊野郎の事ではないだろうか。


「おい、何事だ。随分と忙しそうじゃねェの?」

「この国の住人ですか?心配はいりません、今...」

「待て、コイツは《例のヤツ》だ...。話しても問題ない。」

「...この人が。なら、話はそこでします...付いてきてください。」


まだ新人の兵士だろう。

俺が特権を持つ《アレ》だと理解すると、一瞬だけ嫌な表情をした後、俺を人気の少ない路地へと案内した。

どうやら住人に聞かれてはならない内容らしい。

話を聞けば、闇商人だと疑いのある人物が無理矢理この国に入国し、この辺りに潜伏しているらしい。

先程まで目撃情報が確認され、今も追っている最中だという。


「その不審者の身元は?特定出来ているのか?」

「ああ、出身国は火の国。国で広まった麻薬を他国で高く売りに回っているらしい。」


一枚の書類を渡され、内容からして指名手配されている闇商人だと調べて分かったらしい。

そんな事はどうでもいい、問題はコイツが火の国出身だということだ。

子羊野郎のことだ、裏側での生活が慣れている為...人目が多いところを避けて路地裏を使って移動しようなんて考えるかもしれない。

そうなれば、コイツに遭遇して絡まれているなんてことも有り得る。


もしも、この闇商人に子羊野郎の出身が火の国だと知られてしまっては俺にとって良くないことが起こる。

コイツに殺されるか、もしくは母国に脱走者として連れて行かれてしまうかのどちらかだ。

子羊野郎が人体実験の被験者なら、王から褒美が貰えても不思議じゃないからな。

身元を明かさぬ様に注意をしたが、アイツは嘘が下手くそだからすぐにバレてしまうかもしれない。

これだから餓鬼は嫌いなんだ。


「俺の連れが居たんだがよ、はぐれちまってな。コイツに巻き込まれてるかもしれねェ。」

「そのお連れ様は?」

「昨日から俺の教会にいるシスターだ。修道服着てっからすぐ分かるが、放っておくと場合によっちゃ殺される。

 悪いが、この件は俺が引き受ける。お前らは王子を呼び出せ、すぐにだ。」


渡された書類を畳んでポケットに詰めれば、兵士らの言葉を無視し俺は路地から出て行った。

一人では全ての路地を探し回るには無理がある...此処は影の住人に頼んだ方が早いだろう。

そう考えた俺は舌打ち零した後、彼らが多く住まう場所を求めて町の中を探し歩いた。



.

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