Ⅰ-Ⅲ
暖かくてふわふわして、心地いい感覚がする。
まるで雲の上で眠っている様な。
俺はあのまま凍えて死んでしまって、天国にでも来てしまったんだろうか?
それならそれでいいと思った、町を抜け出した自分が悪いんだ。
でも、あのまま過ごしていたらきっとこんな素敵な夢を見る事なんて出来なかっただろうから。
こんなに幸せな感じは生まれて初めての事だ、この雲から離れたくない。
そう思いながら寝返りをした瞬間、ずるっと滑り落ちる感覚がした。
「いでっ...!?」
ゴンッと嫌な音をたて痛みが走った時、自分は床に頭を打ったと気付くまでに数秒程
時間が掛かった。
ぶつけた部分を摩りながらゆっくり身体を起こして辺りを見渡す。
自分は確かに雪が降る中、寒い道端に倒れ込んでしまっていたはずなのに、今は全く見覚えのない部屋。
真横には、先程まで俺が眠ってたと思われるベッドがあった。
夢の中で出てきた暖かい雲は、このベッドなのだろう。
手当てもされており、手足には包帯が巻かれて痛みもかなり引いていた。
立ち上がって部屋のものに触れてみる。
ベッドは勿論、隙間無く難しそうな本がギッシリと詰め込まれた本棚にアンティークチェアやテーブル、ランプ。
俺にはとても縁のないモノばかりが目の前に広がっていた。
こんな素敵な部屋で俺は眠っていたんだ。
「...そういえば、此処は何処だろう...。」
目を輝かせている場合ではなかった。
外に居たはずの俺が見知らぬ部屋の中にいたという事は、誰かが此処まで俺を運んで来てくれた人がいるという事になる。
取り敢えず、誰かいないか探そうとそっと部屋のドアを開ける。
壁に設置されている灯りがその場を照らしてくれているが、少し薄暗く窓一つ無い広い廊下を見て、此処は地下なんだろうと何となく察した。
部屋を出て辺りを見渡すと、すぐ近くには上へと続く階段があり視線を上げれば扉があった。
階段を上がり、ゆっくりと扉を開いて行くと最初に目に入ったものは白い世界。
床も壁も全体的に広がる白色に彫刻も施され、中心を大きく開けて均等に並ぶ木製の椅子は長い月日が感じられ木の匂いが鼻を掠めた。
壁を通して並ぶステンドグラスの窓は、陽の光が差し込んで辺りを彩りより一層輝きが増していた。
天井には堂々と広い絵画が描かれており、首を痛めてでも眺めていたい程に引き込まれた。
「...綺麗...。」
自分が居たあの泥の町には心を惹かれる何かすら存在しなかった。
そこにあるのは、血と鉄の匂いで建物の殆どは崩れ去っていた。
もしも、あのまま町に居続けてたら...言葉にならない程のこの感情を感じる事は一生出来なかっただろう。
暫く感動に浸った後、胸元の前で手を組み目を閉じて祈れば再び人探しを再開した。
辺りを見渡す限りでは人っ子一人もいない事から、居るとすれば先程の地下だろう。
扉を開けて階建を降りれば、薄暗い廊下を進んでいく。
どれも同じに見えて見分けの付かない扉を見かければ、取り敢えずノックして部屋に顔を出してから扉を閉じる行動を繰り返した。
地下を進んで分かった事だが、教会が広い分地下も広くおまけに廊下は複雑になっていて何度も同じ部屋に来てしまう事があった。
歩き回っていると、ぐーっとお腹が鳴り出した。
そういえば起きてからずっと動き回っているから、何一つ口にしていない。
人も居ないから例え食べ物を分けてもらおうにもそれが叶わないと同時に、黙って居なくなるのも申し訳ないからお礼一つ伝える術がない。
立派な教会の地下で人探しどころか、ほぼ迷子状態となり一休みしようと次の部屋をそっと開けた。
ふと、中から美味しそうな匂いが漏れ出した。
なんだろうと覗き込めば、目の前には沢山の食べ物がぎっしりと詰め込まれていた。
色とりどりの野菜や果物に吊るされた大きなお肉、パンやらお菓子までいろんな物が揃っていた。
此処はもしかしなくても食材の保管庫、これだけ沢山あるということはこの教会には沢山の人が訪れるのだろうか。
中へ入って近くにあったパンが目に入った。
パンの香ばしい匂いが鼻を擽り、じっと見つめながら唾を飲み込んだ。
小さい物なら一つだけ貰ってもいいだろう、あとできちんと謝っておこう。
空腹のあまり誘惑に負けてしまい、小さいパンを一つ手にして齧ってみる。
中はもっちりとして、たった一つの綺麗で新鮮なパンの美味しさに感激してしまった。
手に持っていたパンは気が付いた頃には無くなってしまい、口の中ではまだあのパンの味が残っている。
今度は果物と目があった。
次々と湧き出てくる食欲にあっさりと負けてしまい、今度は林檎を一つ掴んで齧ってみた。
.
.
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常に人と店で溢れている城下町。
この町では国王が住まう城を近くで見ることが出来るので観光客も多く訪れる。
その為、昼頃になればこうして出店を並べ商売を始める事なんてよくある事だ。
「おい、糞ババア。」
「店の前に来たと思いきや、いきなり糞ババアとはなんだい糞餓鬼。」
いつもの様に呼んでやると、俺に一切視線を向ける事なく相変わらず餓鬼呼ばわりで老女は返事を返した。
花の水遣りやら教会の掃除やらと朝の仕事を早めに終わらせ、町まで買い物に来た。
早く終わらせるつもりだったはずが、園芸用品などざっと眺めていたらすっかり昼食時になってしまった。
帰って作るのが面倒臭いと思い、丁度顔見知りのこの老女が店を出していた為それで昼食を済ませる事にした。
「お迎え近いってのに、よくもまあ頑張っちゃって店を出すもんだな。いつ死ぬ予定だ?」
「まだ逝く予定なんて微塵もありゃしないよ。罵倒しに来たなら帰りな小僧。」
「んなわけねェだろ。性格悪いババアからクソ美味いたこ焼き買ってやるって言ってんだ。感謝しろ。」
「アタシ以上のゴミ人間から何を言われたって嬉しくも何ともないわい。」
長年出店で名をあげているこの老女は、口は少々悪いが腕前は間違いなく本物だ。
特にたこ焼きは海の国から仕入れた新鮮なタコを使用し、ソースも手作り。
緑の国で美味いたこ焼きといえば、認めたくないがこの婆さんが作るモノが一番美味い。
「んで、いくつ欲しいんだい?」
「たこ焼き6個入りのヤツ5つと、あとウサギ型の棒つきキャンディーを1つな。」
「なんだい、いつもより多く頼むじゃないかい。キャンディーって事は教会に子供達でも来てるのかい?」
「んな訳ねェだろ。今日は客が一人いるだけで、キャンディーは俺が帰り道で舐めるんだよ。」
「お前さんが食うのかい、これは店に来た子供にあげるモノなんだがねェ。」
やれやれと首を横に振った後、数分して出来立てのたこ焼きとキャンディーを渡された。
包まれた袋を外しキャンディーを口に咥えながら、だらだらと教会へと足を進めた。
あのババアとの会話で思い出したが、あの赤毛の野郎はそろそろ起きただろうか。
薬が効いているなら、空腹な事には変わりないが多少体力は回復しているはず。
此方としては早めに目を覚まして欲しい。
何がどうであれ話をすれば、火の国の貧民なら国の状況が少しでも分かる上にもしかしたら禁術の件も出てくるかも知れない。
本音を言ってしまえば、このまま長い時間眠って滝王子に見つかる様な事になれば、何を言っても聞き入れて貰えぬまま自分の首が跳ぶ事になる。
いくら友人の仲とはいえど、国王相手に説得なんて無理だろうしな。
それだけは勘弁願いたいものだ。
特に生死への執着はないのだが、こんなくだらない事であっさり死んでしまっては何も面白みもない。
もしも教会へ帰ってあの餓鬼が起きていなければ、ちょっと匂いがキツイ薬で目を覚まさせてやるか。
あの餓鬼には聞きたい事もするべき事も山程ある。
時間を掛けてようやく教会へ辿り着き、早速買ってきた食材を倉庫に仕舞おうと階段を降りて地下へ行く。
重い荷物を床に置き、倉庫の扉をゆっくり開ける。
「...は?」
目の前の光景に言葉を失い、驚きのあまり口を開けっ放しにしていたせいで咥えていた棒付きキャンディーが床へ落ちて小さな音を立てた。
何が起こったかは分からない。
ただ、分かったことがあるとすれば...出掛ける前までにはあったはずの倉庫いっぱいに溢れていた食材達がたったの数時間で見る影もなく姿を消していた。
泥棒という点はまずない。
町外れは人気も少なく盗みには打って付けだが、大量の食べ物を抱えては常に腹を好かせている肉食系の魔物が反応して襲われる可能性が高い。
なら、魔術師で空間移動の性質を持つ術式の類いかと言われれば、それはもっとありえない話だ。
この地下には俺の部屋や倉庫の他に、客室は勿論...今まで集めた情報を保管してある書類や裏ルートから入手した武器の保管庫等、あまり表に出すべきではないモノもある。
壁や床、ドアと至る所に俺が書いた術式を染み込ませてある為、俺の意思に反して好き勝手に此処で魔術を扱う事は出来ない。
魔術を使うには、俺が結界の解除を行うか俺に魔術の使用許可を得る。
それが出来なければ、全ての結界を探り解除していく必要があるが...1日あっても解除に時間がかかるだろう。
場所も悪ければ、結界がある為魔術も使えない。
これだけ最も悪い条件が揃ってしまえば、盗みをするにはあまりにも不利がある。
そもそも、たかが食材を盗むくらいならば武器や情報をそっちを盗んだ方が断然お得に決まっている。
なら、何故食材が消えてしまったのか。
先程から俺の存在に一切気付かず、未だに食い漁っている赤毛野郎が目の前にいる。
言うまでもなく、原因は此奴だ。
「...おい。おい、糞餓鬼。」
「およ?」
声を掛けたところで振り返り、ようやく俺が居る事にそいつは気が付いた。
俺に視線を向けたまま、ぱちくりと瞬きしながらぴょこぴょこと頭の頂辺にあるアホ毛を揺らす。
そのまま数秒経った後、慌てて頬袋に詰め込んであるモノを一気に飲み込んだ。
なんだコイツは。
「え、えええっとぉ...!これは、その...っ!」
「...此処にあったもん、お前が食ったのか?」
「い、イイエ...チガイマス...。」
「そうかそうか、違うのか。んで、さっき口ん中に入ってたもんはどうだ?美味しかったか?」
「はい、凄く美味しかったです!」
一瞬誤魔化して目を逸らしたものの、さり気無く問いただせば笑顔で素直にあっさりと答えた。
ただの馬鹿だな、この餓鬼。
大体この倉庫でモノを食っている所を見られた以上、犯人は明らかにお前しかいない上に誤魔化しようがないというのに。
せっかく買い貯めした食材たちが全てこの餓鬼の腹の中へと消えてしまった。
いったいこの細い身体の何処にあれだけの量が入るというのだ、胃袋にブラックホールでも飼っているのだろうか。
「...倉庫の食いもん、全部お前が食べたんだな。ちょいとぐらいなら分かるが、まさか全部食われるとは思わなかったぞ糞餓鬼。」
「うぐっ...、ご、ごめんなさい...!」
「待てや、この野郎。」
俺が一歩足を進めた瞬間、怖気付いた餓鬼は慌てて倉庫から飛び出そうとした。
だが、逃げ足の速さなら食い逃げのプロである俺の方が上だ。格が違う。
首根っこを掴んで軽く浮かせると、いとも簡単にぶら下がった様な状態になる。
逃げられないと分かっていないのか、足が床に着かない事をお構いなしにジタバタと手足をばたつかせて抵抗する。
「俺様の前で食い逃げなんざ、千年早ェよ。それに、仮にも俺は命の恩人だぜ?」
「えっ!? じゃあ、助けてくれたのは貴方なんですか?って事は、神父さんってやつですか!?」
「そうそう、心がビッグなお方と名高い神父様。それ以外何があるってんだ?」
「お、俺の中にあるイメージの神父さんと...全く一致しなくて、その...どっかの怖い人かと。」
その言葉を聞いた俺は、無言のまま直ぐ様地下の廊下側へ向かって餓鬼を投げつけてやった。
当然ながら餓鬼は飛ばされ、倉庫のドアを衝撃で勢いよく開き廊下の壁に頭を打った。
餓鬼は当然ながら痛みのあまりに頭を抑え、呻き声をあげながらゴロゴロと倉庫の前で転がっていた。
そりゃあ、滝王子にもよくガラが悪いだの見た目から既にヤバイ人だの散々言われてきたが、まさか何も知らない貧民如きにまで彼と同じ様なリアクションされると無性に腹が立った。
これでも最近は棒付きキャンディーにハマってるから、ついでにタバコをやめる努力をしているんだ。
むしろ褒められるべきなんだと思うんだ、俺って凄くイイ子。
「い、痛い...っ!神父さんって、こんなに怖い人だったんですか...俺知らなかった!」
「そうでもないぜ? これからじっくりと付きっきりでお前のお喋り相手になってやる。」
「俺それ知ってます!そういうの、ジンギスカンって言うんですよね!?俺は美味しくないですよー!」
「それは間違った知識だ。尋問だ、尋問。」
まだ食い足りないのか、この餓鬼は。
再び首根っこ掴み持ち上げれば、そのまま浴室を目指して廊下を歩く。
全く予想外な事が起こったが、取り敢えず腹を満たす事が出来たから次は身体を綺麗にしてやる必要がある。
いつまでもこの汚れたままというのは見ているコッチもいい気分はしない。
そして、何を勘違いをしているのか...無言で歩き続ける俺に対して「じっくり焼いて鍋で煮込む気かー!」と先程と同様に手足をばたつかせて抵抗をしている。
だから、いい加減ジンギスカンから離れろ。
浴室の前へ着きドアを開けてぽいっと餓鬼を放り込めば、餓鬼は見事に尻餅をついた。
「いたた...。こ、此処は何処ですか?」
「見て分かんねェのかよ...風呂だ、風呂。一応教会は神聖なる場所なんだ、そんなボロボロで汚れたままで居るのは俺としてもいい気分はしないんだよ。」
「お、お風呂ですか!?わあ、スゴイ!!泥水じゃない!」
何処にでもあるごく普通の浴室。
王族や貴族の浴室だったら、無駄に豪華で広すぎるから誰でも驚く事だが...俺らにとっては普通でも、貧民なコイツにとっては高級品見ている感覚らしい。
おかげで、蛇口を捻って見たりと様々なモノを興味津々で触り始めている。
バスタオルと着替えを置いて、浴室を出ようとすると餓鬼は慌てて俺を引き止めてきた。
「し、神父さん!何処へ行くんですか?」
「あ? 廊下でお前が上がるまで待ってやるんだよ。」
「およ!?俺、浴室で何をどうすればいいのか分からないですよ!この真っ白な石とかなんですか!」
「石鹸だ、石鹸。取り敢えず、そいつで身体洗ってボトルに入ってる液体で頭を洗え。目に入ると痛いからな、気を付けろよ。」
「えっ!これどうやったら出るんですか?!石鹸っていい匂いしますね、食べられるんですか?!」
言っている事の理解が追い付いていないのか、頭から煙を出して目を回しながらあたふたする糞餓鬼。
そうは言われても無闇に女性に触る訳には行かない。
例え、本人から承諾を頂いてもそれはあくまでコイツが無能無知なだけであって年頃の女に触れたと知られたら、特に滝王子がどういう目で見てくるか想像出来る。
俺は別に何事にも性的欲求は一切ないし、興味はないのだが...知られたら彼は確実に煽ってくるか白い目で見続けるかネタにされるかの、この3つに分けられる。
要するに、結局はただ単に面倒臭いだけなのだ。
「...あのな、お前一応女なんだろ? お前がどうしてもって言うなら洗ってやるのを手伝ってやるが、異性としてそこはどうなのさ。問題ないわけか?」
「...ふえ? 女って、俺の事ですか?」
「お前以外に他に誰がい...あっ?」
ふと、一瞬思考が止まった。
ちょっと待て...今更ようやく気が付いた事だが、拾った時にコイツの服装が女物だから俺は女性だと判断した。
だが、此奴は先程から一人称は俺と言っている上に俺が性別のことを指摘すれば首を傾げてきた。
しかも、女とは自分の事かと聞いてきた。
考えて結論に至った後、俺は餓鬼に近付き視線を合わせる様にしゃがめば相手に向かって一つ問い掛けた。
「...一つ確認していいか?お前、男だったのか?」
「はい、俺は男の子ですよ?」
あっさりと返って来た言葉に、俺は何とも言えない気分になり深く溜息を吐いた。
やたらと無駄な遠回りをしてしまった事に考えただけで馬鹿らしくて仕方なかった。
こんなことなら、もっと早くに脱がして確認するべきだっただろうか...。
「...わーった、手伝ってやるからさっさと脱げ。」
「えっ、何する気ですか?手始めに皮剥き?」
「洗ってやるって言ってんだよ糞餓鬼!」
相手の胸元を掴めば、いい温度の湯が溜まっている湯船に向かって相手を投げ込んだ。
言っておくが、八つ当たりとは言わせない。
投げられた餓鬼はそのまま一気に湯船の中へと頭から突っ込み、ぶくぶく泡立てながら沈んでいった。
無抵抗のまま沈んで行った彼を見送れば、溜息吐きながら修道服を脱ぐ。
全くもって面倒臭い餓鬼が来てしまったもんだ。
.
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