エピローグ 救済編

 終わった。

 これで全てが、本当に全てが終わったのだ。

 私は、安崎やすざき美恵子みえこは順番通りに儀式を成功させ彼女――長岡ながおか涼子りょうこを導き、彼女の父を救うことができたのだ。

 橋の手すりにザイルを取り付け、足元で結び、落下してもいい状態にした時、不思議と恐怖感は覚えなかった。

 もしも、彼女が私を橋の上から突き落としたら、いくらザイルを付けているとはいえ、ただの怪我ではすまないだろう。足の骨、一本くらい折る覚悟がいる。

 しかし、私は彼女が決して私を橋から落とさないと予知していた。確信していた。

 何故なぜか。

 それは彼女が私と似ていると感じたからだ。

 容姿ではない。彼女の物事の考え方、行動原理が私と似ていると思ったからだ。

 私は前任者を橋から突き落とすことはしなかった。そんなことをしてまで、私の愛する人を助けるのは間違っていると思ったからだ。

 事実、私の行動は合っていた。もしも、私が前任者を橋の上から落としていたら、過去は違うものになっていたかもしれない。つまり、私の救いたい人はこの世からいなくなっていたのかもしれないのだ。

 「もしも」を考えれば、きりがない。しかし、結果論で言えば、私が前任者を橋から落とさなかったことは正解だったのだ。

 もしかしたら、前任者も私を自分と同じような性格だと思っていたのかもしれない。

 とにかく、これで私は全ての儀式から解放されたのだ。

 私は私の好きな人を救った。

 私は彼女の父親を救う手助けをした。

 私は彼女を次の後継者にすることに成功した。

 全てがうまくいったのである。

 真夜中。

 川にかる橋の上で長岡涼子と別れてから、私は嬉しくてたまらなかった。口を大きく開けて、笑いたい気分だった。走り出したい気分だった。

 が、そのどの行動も私は取らなかった。

 私は静かに橋から去った。

 それは私の前任者がそうしたからである。

 もしも、私の目の前で前任者が、

「これで全てから解放された!」

 と、叫んだら、私はどんな気分になっていただろう。

 恐らく、不快な気分になっていただろう。

 自分だけ妙な順番に沿った儀式から解放され、えつに入る。そんな前任者は見たくもない。ひょっとしたら、そんな姿を見たら、次の子を助けたいと思わなくなるかもしれない。

 彼女との通話もそうだ。

 私はいつでも、電話に出られるように、常にスマートフォンを常備していた。

 風呂に入る時以外は、ほとんど自分の手の届く範囲に置いてたと言っても過言ではない。

 そして、これも前任者と同じように、彼女との通話はなるべく感情をおさえて、淡々と話すことにした。喜怒哀楽が入った声色になると、かえって不安になるかもしれないからだ。だから、私は事務的に感情を押し殺して彼女と通話するようつとめた。

 私は深夜の道路を歩きながら、彼女の父親が助かったことを本当に嬉しく思った。

 自分の愛する人が死から逃れた時も嬉しかったが、次の子の関係者の命を救えたことも、私にとって嬉しいことだった。

 だから、彼女が次の子を導くことに同意してくれた時も歓喜した。

 私が彼女に渡したザイルは前任者が私に託したものだった。

「これで、次の子を救って欲しい」

 と。

 前任者とは、真夜中の橋の上で会って以来、顔を合わせていない。勿論もちろん、電話もしていない。

 恐らく、前任者と連絡を取らないことも順番に入っているのだろう。

 前任者から私へ。そして、私から長岡涼子へ。

 ザイルは受け継がれ、助けることのできる命が増えるのだ。

 しかし、一人の命を救うにはそれなりの犠牲が伴う。

 それは「いじめ」という形で表面化する。

 事実、私もいじめを受けた。今現在もいじめの残滓ざんしがある。

 以前のようにあからさまないじめはないが、クラスの中に入ると、私だけ浮いているような印象がある。クラスメイトが私をどことなく避けている雰囲気がある。

 それはそれで苦痛だ。

 しかし、前のいじめに比べればたいしたことはない。そう、自分に言い聞かせていた。

 彼女――長岡涼子はどうなるのだろう。いじめは止まった、と彼女は言っていた。いじめがなくなるにこしたことはない。

(いじめは心と身体を文字通り痛めつける)

 そんなことを考えながら歩いているうちに、私は自宅であるマンションに着いてしまった。

 私はマンションの階段を静かに歩く。が、カツカツという私の足音は階段で妙に響いた。

 部屋の前に着くと、上着のポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。

 幸いなことに、家族皆、静かに寝静まっていた。

 私は音を立てないように扉を閉め、自室へと向かった。

 自室に入るなり、ベッドに倒れ込む。そして、外着のまま、布団にくるまった。着替えるのが面倒だった。

 今はただ、泥のように眠りたかった。

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