第24話 救済編㉔

 それは次の日の土曜日のことであった。

 朝、私は目を覚ました。朝と言っても、十一時近い時刻だ。休日の私はいつも寝坊助である。

 リビングのソファーで父が新聞を読んでいた。キッチンでは母がお昼ごはんを作っている。

(何かお母さんの様子が変だ。妙に嬉しそうだ)

 キッチンから母の明るい声が飛ぶ。

「朝食、どうする? 昼食と一緒に食べちゃう?」

 私は、「いっぺんに食べる」と簡単に返事をした。

 私は父が座るリビングのソファーから少し離れた位置に腰を落とした。

 父は新聞をつぶさに読んでいた。まるで、何かを探しているようだった。いつもの明るい父ではない。

 二十分ほどすると、母が私達を呼んだ。

「スパゲッティができたよ。麺が伸びないうちに食べちゃって」

「おう」

 父は新聞紙をたたみ、机の上に置くと食卓についた。

 私も父にならって、自分の席に腰を落とす。

 私は粉チーズを手にすると、スパゲッティの上にガリガリと削って乗せた。チーズはカロリーが高い。本来ならあまりかけるべきではないが、最近の私は楽しみが食べることだけになってしまっていた。

 母も食卓についた。母も少量、粉チーズをスパゲッティにかける。

「いただきます」

 父が言うと、私と母もならって、「いただきます」と言った。

 父が半分ほど、スパゲッティを食べ終えた時だった。唐突に、父はフォークを皿に乗せた。

「実は、今日の夜、大切な話があるんだ」

 私は首をかしげた。

「病気の話なんだけど、あっくんが帰ってきてから、家族皆に話したいと思う。おまえ、今日、何か予定はあるか?」

 私は大きく首を横に振った。

「なら、夕飯頃には家にいなさない」

「わかった」

 それから、私達家族は一切、言葉を話さなかった。

 母だけがニコニコと笑っている。

 私は何故なぜ、母が笑みを浮かべているのか、全くわからなかった。

 昼食が終わると、父は再びソファーに座った。今度はテレビのリモコンに手を伸ばし、テレビの電源を付けた。何度かザッピングをした後、芸能人が旅をするという番組をつまらなそうに観る。

 私は父といるのが息苦しいので、自室にこもることにした。二階へ上がる。

 私は自室に入ると、スマートフォンを手にしてベッドに横になった。スマートフォンでゲームをする。最近、始めたゲームでスマートフォン内でカードを集めて、そのカードで戦闘を行うというものだ。

 男子向けに作られたであろうゲームだが、私はこのゲームにはまっていた。本当は課金をして、カードを強くしたいのだが、一度、課金に手を出すと際限がなくなってしまうので、めている。

 スマートフォンでゲームをしているうちに、私はうとうとし始めてきた。十一時に起きたのにも関わらず、眠気が襲う。スパゲッティの食べ過ぎだろうか。

 私はスマートフォン片手にいつの間にか眠ってしまった。


「起きなさい。今、何時だと思ってるの?」

 母の声で起きる。

 私は部屋の壁掛け時計を見た。時刻は夕刻になっている。窓から差す光は薄暗い。

 母は怒っているような、笑っているような中途半端な声で私に話し掛けた。

「今日は大切な話があるって言ったでしょ?」

「そうだっけ?」

 私は両目をこすって欠伸あくびをした。

「下でお父さん達が待ってるから早く来なさい」

「はい」

 私は素直に返事をすると、ベッドから起き上がった。

 先に母が一階に降りる。私もそれについて行くように階段を降りる。

 一階の食卓には父とあつしがそれぞれの席に着いていた。

 父は難しい顔をしており、敦は何故か顔をうつせ加減にしている。

 母が食卓の席に着く。私も自分の席に座る。

 父が家族全員がそろったことを確認した。母、私、敦の巡に顔を見る。

 父が口を開く。

「実はな、今からとっても大事な話をする。真面目に聞いてくれるか?」

 私と敦は黙ってうなずいた。母の表情は読み取れない。

「お父さんのな、病気のことなんだけどな。あれな、なくなった」

 敦が顔を上げる。

「なくなった? なくなったってどういうこと?」

 父は冷静だ。

「文字通り、なくなったんだよ。お父さんの膵臓すいぞうガンがなくなった」

 敦が早口になる。

「どういう意味? お父さんの命はあと三ヶ月じゃなかったの?」

「違う。お父さんはこれからも生き続けることができるようになった」

「そんな……」

「昨日、会社を午前に終わらせて病院へ行ったんだ。先生から大事な話があるからすぐに来てくださいって連絡があってな。そこで、先生に、『ガンが消えました』って言われたんだ」

 敦はまだ信じられないようだ。

「そんなことってあり得るの?」

「お父さんもびっくりした。でも、先生もびっくりしていた。まず、カルテが間違ってないか、しっかり確認した。カルテは間違ってなかった。それから、レントゲン写真が本当にお父さんのものかどうかもチェックした。これも確実に間違ってなかった。それから、新しく二人の医者に確認してもらった。そこでも何も問題は見つからなかった」

「じゃあ、お父さんは……」

「ああ、これからも生きることができる。先生に聞かれたよ。『何か民間療法を取り入れたのか?』とか、『別の医者にてもらったのか?』とか。勿論もちろん、そのどれもやってないけどな」

 私は終始黙っていた。

(お父さんの病気が本当に消えた。一連の儀式は成功したんだ!)

 父が私の顔を見る。

「お前もびっくりしたか?」

「え、あ、うん。驚いて声も出なかった」

 私の言葉は棒読みだった。が、父は私の言葉をに受けたようだ。

「そうだよな。お母さんもびっくりしていた」

 これで母が上機嫌な理由がわかった。夫の死の告知がなくなって喜ばない妻などいないだろう。

 敦はまだ信じられないという顔をしている。

「本当にガンは消えたの? もしかして、お父さんは僕達を安心させるために嘘をついてるんじゃないの?」

「お父さんはそんなことしない。事実、ガンとわかったとき、お前たちにしっかりと本当のことを話しただろう。末期の膵臓ガンだって。余命三ヶ月程度だって。今更いまさら、嘘をついてお前たちを安心させても意味がないだろう」

 敦が小さくうなずく。

「確かにそうだけど」

 父が笑う。

「これでお前たちの未来を見ることができるようになった。成人式も見ることができる。就職を見届けることができる。結婚式も見ることができるかもしれない。とにかく、お父さんはお前たちの成長を見ることが何よりも嬉しいんだ」

 母が右手で目元をぬぐった。どうやら泣いているらしい。

 父が両手を合わせた。「パンッ」という小気味よい音がする。

「今日は祝杯だ。寿司でも食べに行こう。と言っても、回る寿司だがな」

 言葉を終えると、父が豪快に、

「ハッハハハ」

 と、笑った。

 敦はまだ不思議そうな顔をしている。

 母は満面な笑みを父、敦、そして私に向けている。嬉しくて仕方がない、という雰囲気が顔に出ている。

 父が最後の言葉でしめる。

「これで重要な話は終わりだ。どうしてガンがなくなったのか、お父さんにもわからん。わからんけど、これは何かのえんかもしれないと思っている。まだ、お父さんはこの世を去ってはいけない理由があったのかもしれない」

 父は一呼吸置いた。

「人は生まれる。そして、死ぬ。それまでに、人は何かをげる。スポーツ選手だったり、文豪だったり、サラリーマンだったり、専業主婦だったり、子供を産み、次世代に命を繋げたりする。今回、お父さんはガンが消えて、余命三ヶ月でなくなったわけだけど、それを宗教的価値観に持ち出す気はない」

 私は父の言葉を聞いて安心した。

(良かった。今回の一件で父が何かの新興宗教にのめり込まないか心配してたけど、それはないみたいね)

 新興宗教そのものを否定する気は全くない。新興宗教に入ることによって、人生観が変わり、楽に生きることができる人は大勢いるだろう。

 それから私達家族は車に乗って近所の回転寿司屋へ行った。

 土曜日とあってか、回転寿司屋は混んでいた。整理券を受け取り、私達は二十分ほど待たされた。

 待っている間、母はずっと笑みを浮かべていた。父も機嫌が良い。敦は何故か難しい顔をしていた。

 恐らく、敦にとって父のガンが消えたことがどうしてもせないのであろう。

 ガンが消えた要因が私であることを悟られないために、私は普段と同じような表情を保った。あまり父や敦と話さない。母に、「やっぱり混んでるね」と言った程度だ。

 私達の順番が来ると、四人掛けのボックス席に腰を落とした。

 寿司が皿に乗っているレーンの隣に母と敦が、そして、母の隣に父が、敦の隣に私が座った。

 敦がレーンの隣に座るのはよく食べるからだ。野球で身体を動かす敦は最低でも二十皿は食べる。

 しかし、この日の敦は違った。ほとんどレーンの寿司に手を伸ばさないのだ。いつも好物のサーモンをうまそうに食べるのだが、今のところマグロとハマチを一皿ずつ食べただけだ。

 母が心配そうに聞く。

「あっくん、大丈夫?」

 敦は笑顔を作る。

「大丈夫。ちょっと、今日は寿司を食べる気にならないだけ。自分でも不思議」

 父のガンが消えたのだ。心の中で思うことがあるのが当然であろう。むしろ、敦の対応が自然と言えたのかもしれない。

 私はお腹がいていた。が、敦に合わせるように寿司を食べなかった。

(私の力でお父さんは助かったんだ。それはとても嬉しい。嬉しくて舞い上がりそうだ。でも、この嬉しさを誰に伝えたら良いんだ?)

 私は即座に美少女、ヤスザキ ミエコの顔を思い出した。

(でも、彼女に連絡を取るのはもう駄目なんだ。彼女と連絡を取ることは順番に反している)

 私はため息をついた。

 父が心配そうに敦と私の顔を見た。

「どうした? 遠慮しなくて良いんだぞ。あっくんも沢山たべなさい。野球は身体が資本だからな」

 敦は顔をせた。

「そういう気分じゃないんだ」

 敦の反応は当然のことであろう。

 私も敦を真似、不可解な顔を作ることにする。本当は嬉しくて仕方がないのだが。

 結局、家族四人、二〇皿程度で回転寿司屋を後にすることになった。

 帰宅後。

 玄関に入ると、敦は黙って二階へ上がってしまった。普段の敦とは明らかに違う。

 父と母はソファーに座り、テレビを観始めた。

 私も敦と同じように二階へ行く。

 自室に入ると、スマートフォンを取り出した。

(彼女に電話をしたい。でも、それは禁止されてることだ)

 私は震える手でスマートフォンを机に置いた。

 ベッドに横になる。寒いので、私は布団をかぶった。

 そのまま、休憩するつもりが、いつの間にか寝てしまった。

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